世紀末覇王降臨
それから、片倉さんとは廊下ですれ違えば、軽く手を挙げる程度の関係にはなっていた。片倉さんは、屈託がなく、顔見知りには誰にでも挨拶するので、特に目立つということもない。オリエンテーリング後も熱心に新入部員の勧誘をやっているらしく、色んな相手と話をしている姿を見かけていた。
5月の中旬ぐらいだったろうか、中休みにトイレから教室に戻ってきたところで、片倉さんが声をかけてきた。
「あ、榊原くん。会ったら伝えようと思ってたんだ。あのね、豊島屋さんのいちご大福はもうおしまいなんだって。今週中に買いに行かないとしばらく食べられないよ」
「ああ」
「気のない返事ね。妹さんの好物なんでしょ。ここできちんとシーズンラストの品を手に入れて気の利くとこ見せてあげなきゃ。うちは毎年、兄が忘れず買ってきてくれるの。私もどちらかというと甘いものはケーキとかパフェとか洋菓子が好きだったけど、あれだけは別格よね」
「今週末までって知らなかったよ。情報ありがとう」
「どういたしまして、じゃあね」
教室に入ってきた俺を藤川が見ていた。世の中には自分自身は何とも思っていなくても他人が持っているだけで、それが欲しくなる人間がいる。たぶん藤川もそうなのだろう。自分の取り巻きを使って、グループに入れようとするアプローチが始まったが、面倒なので放っておいた。すぐに興味を失くすだろうと思ったのだが、その判断は甘かった。それ以来、俺は藤川のグループにからまれるようになった。
そして、更に状況を複雑にした要素が、片倉さんのお兄さんの存在だ。剣道部主将の高校3年生片倉豪が、俺のクラスにやってきたのは、豊島屋の話を片倉さんとした翌週のことだった。普通、3年生が1年生のフロアにやってくることはあまりない。それなのに、中休みに突然現れたので、ちょっとした騒ぎになった。何といっても校内の有名人だ。
「片倉先輩…」
中川が声をかけたときは、すぐそばに来ていた。デカい。190センチは超えるであろう身長を、がっしりとした肩幅が、更に大きく見せていた。
「俺は、片倉豪だ。榊原啓太だな」
「はい。何か御用ですか?」
中川から余計なことを聞いていなければ、ここまで、緊張することはない。落ち着け、俺は何もしちゃいないんだ。
「突然だが、剣道部へ入らないか」
そういって歯を見せる。これは、笑顔ってことでいいんだよな……。
「ああ、もちろん強要するつもりはない。新しい学校生活で、色々なことにチャレンジしたいというのも当然だからな。まあ、ただ、一度見に来てくれないか。後悔はさせないぞ」
というと、左手で俺の右肩をバンと叩くと、一瞬、ぎゅっと掴んでから出て言った。中川がささやく、
「頭ん中、レクイエムが流れたぜ。だが、主将直々の勧誘とはな。まてよ、これは道場で合法的にぼっこぼこにするってことかもな。お前何したんだよ?」
「いや、何もしてねえし、まるで身に覚えがない」
呆然として、席にぺたりと座る俺に、今度は別の人影が突進してくる。
「榊原くん、大丈夫?兄がなんかしていった?」
今度は妹のほうか。片倉さんの視線が俺の全身を一撫でして、ほっとする。
「無事みたいね」
そう言って、脱力したようにしゃがみ込む。そして、すぐ顔をあげると来た時と同様に風のように去っていった。一体何なんだ、兄妹そろって。
その夜、家に帰った俺は、カバンの中から、連絡して頂戴、の文字とともにCHAINのユーザー名と電話番号を書いて小さく折りたたんだ片倉さんのカードを発見した。うーん、どうしたものか。連絡くれというのだから連絡すればいいのだろうが……。女の子に連絡したことがない俺は迷っていた。もちろん、今までに女子を含むグループでならチャットしたことはある。あるというか無くはないと言った方が正確か。
電話するというのは論外だ。まあ、CHAINなら……。スマートフォンに片倉さんのデータをユーザー登録し、メッセージを打つ。
<こんばんは。榊原です。連絡してほしいってことだったけど>
すぐに反応がある。
<あ、榊原くん。こんばんは。今いい?>
<えっと、今日は兄が突然押しかけてごめんね。びっくりしたでしょ>
<ああ、ちょっと驚いた>
<ゴメン。先週ね、兄が豊島屋に寄ってきてくれたんだけど、その時、この間の話を聞いたみたいで、豊島屋で聞いたぞ。俺の分を他所の奴に分けたんだって、ってご機嫌ナナメでさ>
なんだよ、豊島屋、そんな話ほかの客にすんなよ。個人情報の漏洩じゃねーか。そうか、常連だから兄妹を知ってるのか。
<でね、あまりにしつこいから。1組の榊原くん、小さな妹さん連れてたし、仕方ないでしょ、って言ったら、ふーん、妹か、うん、まあ、それならな……ってなったんだけど>
<そのあと、1組ってお前のクラスじゃないだろ、なんでそいつ知ってるんだってなっちゃって、ほら、剣道の全国大会で小学校の部で優勝した子覚えてない?って言ったら、おう、思い出した。そうか……ってなって、それきりになっちゃったんだよね>
<まさか、翌週すぐに行くとは思わないかったから。ううん、予測してしかるべきだったかも。どっちにしても連絡先分からなかったからどうしようもなかったんだけど>
<ああ、そういうことだったんだ>
<で、兄さん、何って言ったの?>
<剣道部入らないかって>
<そうかー。まあ、さすがに食べ物の恨みでいきなり文句を言いにはいかないか>
<え?>
<ああ見えて、甘い物好きだから。妹を誑かして、俺のいちご大福巻き上げた悪人を成敗するつもりだった、という可能性も1%ぐらいはあったかな>
<マジかよ>
<冗談よ。で、剣道部入るの?>
しばらく、なんと返そうか考えていると、
<そっか、気が乗らないんだね。私から言っておこうか?>
<いや、それこそマズイでしょ>
<そうだね。じゃあ、いっそのこと、他の部入っちゃえば?>
<事情はともかく、直接声かけられて返事しないのは失礼だと思うから、ちゃんと返事するよ>
<うん。じゃあ、私からは余計なことは言わないでおくね。あ、そうだ。榊原くんの電話番号教えてもらってもいいかな?>
携帯電話の番号か。むやみに教えるなと言われてるんだけど、どうすっかな。間が空いたのを気にしたのか、
<電話番号はあまり教えたくない?>
<いや。うん、まあ、普段はね。でも、片倉さんのも教えてもらってるし>
電話番号を伝える。
<へえ、榊原君って男の子なのにそういうとこきちんとしてるんだ>
<そういうところにこだわる人がいてさ>
<そうなんだ。気を付けるに越したことはないもんね。今日はびっくりさせてゴメン。じゃあね>
<じゃあな>
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