お菓子が取り持つ縁

「ねー、いつもいつも付いて来てくれなくてもいいんだよ」

 夕闇がせまるスイミングスクールからの帰り道、志穂が俺に言う。

「図書館行くついでだし」

 いつもの返事をする。

「ふーん。まあ、お兄ちゃんと一緒だとうれしいけどね」

「どうせ、なにか買ってもらえるからだろ」

「うん。ねえ、今日は豊島屋寄ってこうよ。いちご大福まだあるかなあ」


 駅前のスイミングスクールから家までは徒歩10分。豊島屋に寄り道してもほんの2・3分余分に歩くだけの距離だ。ガラス戸を押し、だいぶ品数の少なくなったショーケースに歩み寄る。豊島屋の季節限定商品、いちご大福150円は、うさぎの形をしているのが特徴で、もちの柔らかさ、こしあんの甘さ、イチゴの酸味のバランスが絶妙だ。他の和菓子もうまいが豊島屋のダントツの人気商品で、遅い時間だと品切れになることが多い。


 あった。まだいちご大福が2個残ってる。ほっとしたとたん、柱の陰にいて今まで気づかなかった先客が、

「いちご大福2つください」

 あちゃあ、ついてない。最初からなければあきらめがつくが、目の前でなくなるとくやしい気持ちがより大きくなる。


「志穂、他のでいいか」

「うん……」

 志穂も残念そうだ。俺ら兄妹の会話に先客が振り返り、

「あ、榊原くん……と妹さん?こんにちは」

 片倉さんがあいさつする。志穂は急に話しかけられたのに驚いたのか、俺の腕にしがみつく。俺も突然のことに声がでない。


 片倉さんはしゃがんで、志穂と目線を合わせながら、

「急に声をかけてごめんね。私は榊原くんと同じ学校の片倉っていうの。お兄ちゃんとお使い?あ、ひょっとして、いちご大福買いに来たの?」

 ショーケースに向き直り、

「あ、すいません。いちご大福は1つにして、どら焼きにしてもらってもいいですか。1つは次の方にお譲りします」


 店のおばさんは、はいはいと商品を取り換える。志穂はいちご大福を譲ってもらったことが分かると、

「お姉ちゃん、ありがとう」

「大丈夫。1個だけは買いにくかっただけだから」

 手早く、自分もいちご大福と塩大福を買い、会計を済ませる。ありがとうございました、の声を受けながら、3人そろって店を出る。


「なんか、悪いな。割り込んだみたいで」

「へーき、へーき。私の分はあるし、残りは兄の分だから。気にしないで。それでさ、榊原くん、昼間はゴメンね」

「え」

「なんか調子にのって、大勢の前で色々聞いちゃったじゃない。気分悪くしたみたいだったし、気になってたの。ここで会えて良かった」

「気にしてないよ」

「ほんと?」

「ああ。それよりもいちご大福ありがとな」

「んー。たいしたことないって。あ、私、こっちだから。じゃあね」

「ああ」


 分かれて歩き出す。2人の会話を大人しく聞いていた志穂がとたんに俺の顔を見上げながら聞いてくる。

「いちご大福の子、お兄ちゃんのカノジョ?」

「なわけないだろ。同級生ってだけだよ」

「えー、そうなんだ残念。やさしいしかわいいし」

「それよりも彼女なんてどこで覚えてくるんだよ」

「志穂はもう4年生だよ。それぐらい知ってるもん」


 家に帰って、冷蔵庫の麦茶で大福を食べる。志穂はいちご大福を食べれてご満悦だ。

「やっぱり、豊島屋はいちご大福だね」

 口の周りに白い粉をつけながらのたまう。

「今度、いちごちゃんにありがとうって言っておいてね」

 勝手に名前をつけるなよ。

「ちゃんと言ってよ。そうしないと志穂がダメな子って思われちゃう」

「ふぁいふぁい」


「約束だよ」

 いちご大福の1.5倍の大きさがある塩大福を頬張る俺に念押しをする。上品な甘さのあんこと塩豆の塩気の組み合わせ、いちご大福には及ばないとはいえ、かなりうまい。

「ただいま。あら、随分と楽しそうね」

 帰宅した母親がリビングへ入ってきながら言う。

「うん。おかあさん、いちご大福売り切れだったんだけど、お兄ちゃんのカノジョさんにゆずってもらっちゃった」

「あら、それは良かったわね」

 勘弁してくれ。意味ありげな母親の視線を浴びながら、どっと疲労感を感じていた。

 

「おい、榊原。聞いてるのか」

 竹井先生の声が俺を夢想の世界から呼び戻す。

「はい」

「じゃあ、次の問題、前で解いてみろ」


 教科書を持ち上げて立ちながら、俺は焦っていた。いま何問目なのか分からない。俺の焦燥を見透かしたかのように後方の席からクスクス笑いが起きる。仕方なく前に出る俺の進路には、中川の足がはみ出している。手足がひょろひょろっと長い中川には机が小さすぎて収まらないのか、はみだしているのはいつものことだ。その足がわずかに俺の進路をふさぐように広がった。回り込むように進みながら、ふと視線を落とすと、退屈そうに片手で頬杖をついて明後日の方を向いている中川のもう一方の手の指は、教科書の1点を音をたてずに叩いている。25ページの⑨番だ。


 問題が分かればなんとかなる。指定の2次関数のグラフを書いてみせた。席に戻ると竹井先生が赤いチョークで丸をつけた。

「もうちょっと曲線が膨らむ感じだが、頂点・切片はあってるな」

 安堵の吐息をつく。後方からは落胆した雰囲気が伝わってくるが無視無視。片倉さんを勝手にライバル視する藤川が、これまた勝手に片倉派と判断した俺に絡んでくるのはいつものことだ。だが、今日はやけにしつこいな。


 しつこいといえばあの時の志穂もしつこかったなあ、と思い出す。ゴールデンウィークの谷間に学校から帰宅した俺を迎えるなり、お礼を言ったか問いただしてくるのだ。言ってないことを正直に告げる俺にふくれっ面をする。嘘をつくつもりはなかった。自分が楽になるため、そんな理由で妹に嘘はつけない。

「な、高校生になると隣のクラスには行きにくいんだよ」

「そんなの知らない。明日はぜーったい言うんだよ。お兄ちゃん」

 

 翌日は掃除当番で、ゴミを捨てに行かなければならない。いつもなら嫌な仕事だが、ちょっとした期待があった。校舎の脇にあるゴミ捨て場の先には、弓道場がある。うまくすれば、部活に向かう片倉さんに会えるかもという期待は、半ばかなえられ、半ばかなえられなかった。ゴミ捨て場から出た俺の目に、片倉さんの姿が映る。ラッキー。


 だが、一人ではなかった。名前は知らないが確か2組の子だ。大人しそうな子と何かしゃべりながらこちらに向かってくる。一瞬、ゴミ捨て場に戻ろうかと思ったが、隠れても意味がない。向こうもこっちに人がいることを認識したようだ。志穂の怒った顔がちらりと脳裏に浮かんで覚悟を決めた。


「あ、この間はありがとな。」

 突然話しかけられ、連れの女の子の怪訝そうな顔をする。片倉さんは歩みを止め、

「改めてお礼を言われるほどのことじゃないよ~」

「妹が伝えてくれってしつこくてさ」

 言い訳がましい俺の言葉に、

「しっかりとした妹さんだね。まだ小学生でしょ。すごいね。お名前なんていうの」

「志穂。小4だよ」

「お礼は確かに聞いたって、志穂ちゃんによろしく。じゃあね」


 連れの子を促しながら、弓道場に向かう。

「駅前の豊島屋さんて和菓子屋知ってる?あのね。この間…」

 不躾な俺との間の会話の事情を話しているのだろう。遠ざかる声を聞きながら、妹との約束を果たせたことにほっとした。目撃者は1名、あちこち吹聴して回るタイプでもなさそうだし、まあ問題ないだろう。


 

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