第20話 地獄穴

 一は神月に連れられ、夢遊病のような足取りでマンションを出た。駐車場に寄って持木にかいつまんで事情を説明し、先に帰っていてもらうよう話をつける。

「何だか大変そうだが、無理するなよ。ここでお前まで潰れたら、誰があいつをやる気にさせてくれるんだ」

 持木から励ましの言葉を受けたが、気分は晴れない。霧に包まれたような心地で、一は神月の車まで案内された。シルバーメタリックのシャープなオープンカー。見るからに高級車だ。助手席に一が乗ると、運転席で神月がエンジンをかけ、屋根を開いていく。

「少し走るから、風に当たっていた方が楽でしょう」

 どうでもいい。とにかく部長に会って話を聞きたい。そんな気持ちでいたせいでどこへ行くのか尋ね損ねたが、車はどうやら祈願山へ向かっているらしかった。たちまち市街地を出て、この間一と明莉が乗り込んでいった方向とは別の道から、山道へ入っていく。

「一つ質問があるんですが」

「何かしら」

「あの絵……星の巫女が描いたっていう絵ですけど。あれ、星の前にいたのが巫女ですよね。けど……一人じゃないんですか? 双子がいるとか」

 星の前で祈るように、あるいは守るように佇んでいた巫女らしき少女。そしてその隣にもう一人、いたのだ。衣装はまた違っていて、そして――どういうわけか顔がなかった。

「描き忘れや間違いじゃないわ。確かにもう一人いるわね。あれは『星の御子』。巫女とは似て非なる、けれど対を成すもう一人の星の申し子よ」

「どういう事……ですか?」

「星の巫女が安定して供給されるのに比べて、御子は予兆もなく突然現れるの。『共鳴』、という力で星の巫女と精神的につながる事で、それが発覚するみたい」

「意味が分からない……巫女とどんな関係が?」

「巫女に不測の事態が起きたり動けなくなったりで、その補助や代役をこなす事もあるわ。でも基本的にいつ誰がそうなるのか、その条件については私達はもちろん、巫女ですら把握できていないのよ。……この世津町に十年以上住んでいて、なおかつ祈願山に近い地区の人間ほど御子になりやすい、というのは統計で出ているけどね」

「統計……そんなに前から、御子ってのはいたんですか」

「星の巫女は代々女性だけれど、御子は女性である事もあれば、男性である事もある。共鳴、という二人にしか分からない現象も起きるから、時として強い絆で結ばれ、実際婚姻まで至った例もあるわ……ごくわずかだけれどね」

「でも、それでも結局は……」

「そうね……巫女は神の宿命から逃れられない。……最後に御子が現れたのは先々代。第二次世界大戦の直前くらいだったはず」

 共鳴した御子は星の巫女にも劣らぬ能力を発揮するらしいが、他に御子独自の役割はあるのかないのかさえ不明だそうで、ごく謎に包まれた存在らしい。そんな奴がいれば、部長だって――そう思いかけ、あまりに醜い思考が浮かびかけた事に自己嫌悪が高まる。

「もう一つ知りたいんですけど……薬見川河川敷に出たっていう化け物、もしかしてその、魔神とかいうやつなんじゃ……」

「いえ、あれは違うわ。……封印を守るための番人として必ず一体、星の巫女が術で作り出すの。代替わりが無事に成るまで魔神の動向を監視する職務に就いているから、私達の味方ね。言うなれば『星の眷属』……」

「そ、それならどうして、そんなのが格闘家達を……?」

「今回の眷属は岩戸天狗いわとてんぐ 、っていうんだけどね。中々の武人気質で、自分の力が封印の役に立てるか、常々試したがっていたのよ。そこまで言うなら、という事で、私達神月家も後押しする仕事を担ったのだけど……大事になってしまったわね。彼女に怒られたわ」

 そうか。だからあの時、いきなり部長は部室を出て行き、神月に文句を言いに行ったのだろう。ならばあの件は、部長すらも与り知らぬ出来事だったわけだ。

「結構連携が取れてないっていうか、自由なんですね――ってそれは部長からしてそうでした。……そいつは満足したんですか?」

「さてね。ああいう気質の輩はよく分からないわ。……と、そろそろ着くわね」


 祈願山の中腹にまで差し掛かると道ばたには黒いワゴン車が停めてあり、その後ろに神月は車を停止させた。すると木立の間から数人の黒服の男が出て来た。物々しい雰囲気に一はすくみそうになるが、気にも留めない神月に続いて覚悟を決め、車から降りる。

「彼女はまだ入っていない? 少し話がしたいのだけど」

 神月は男達と何事か言葉を交わし、一へ振り返ってついてくるよう促す。それから坂を回り込んで下っていくのは以前明莉と通ったルートそのままで。

「……私達は上で待っているから。終わったら戻って来てね」

 前方を示した神月と男達が、きびすを返す。一人残った一が改めて視線を送ると、正面にはあの岩山。そうしてその手前に、包帯のような白装束を纏った、一人の少女。

 部長、と言いかけ――止まってしまう。その後ろ姿があの、夢で見た少女とだぶって見えたからだ。あれは……単なる妄想ではないのだろうか。

「……ここまで来てしまったのですね」

 すると、背を向けていた少女が、ぽつりと言葉を漏らした。その口調はしっとりと落ち着いていて、一は唖然として口を開け、硬直してしまう。

「ゆえにあなたは……全てを知ってしまったという事。この私が……星の巫女という事も」

 楚々とした仕草で、ゆっくりとこちらへ振り返る。濡れたようなまつげは小さく伏せられ、両手は指の関節を絡めながらへその下あたりで重ねられており、別人かと見まがうほど――巫女と称されるにふさわしい清楚な立ち居振る舞いで。

「え……? ぶ、部長……? ……部長、ですよね……?」

 一の記憶とはかけ離れたその様子に当惑が募り、不安そうに確認してしまう。

 目の前の少女はその問いかけに対して――ひそや かにまぶたを下ろしたかと思うと。

「……なーんちゃって! どう? どう? 巫女っぽかった? 今のびっくりしたぁ?」

「やっぱり部長じゃないですか! 悪趣味ですよそういうの!」

 がくっ、と頭を落としながらツッコみを入れると、部長は心外そうに目を剥いて。

「ちょ、悪趣味なんて言い方はないでしょ! あたしもまあイタいかなって思ったけど、せっかく会えるんだからって事で演技してみたってのにさ」

「全然似合ってないですから。骨の髄から悪寒がしましたから。もうやめて下さいね」

 そこで二人とも示し合わせたように押し黙り、やがて部長は視線を右上へ飛ばしながら。

「……久しぶり、でもないかな。ずいぶん長く会ってなかったような気がするけど」

「俺もです……」

「なーによ、そんなしみったれた顔しちゃって。そんなにあたしに会えなくて寂しかったかー?」

 軽口に付き合える気分ではなく、一は率直に本題へ切り込む事にした。

「部長……その、本当なんですか? 伝説とか巫女とか、封印とか……の」

「美岬の奴に聞いたんでしょ? そうよ。全部ほんと。でなきゃこんな恥ずかしいかっこしないって」

「じゃあ……ここが地獄穴で、部長は、これから……」

「封印に行くところ。こうして会えたのは運が良かったね」

 事も無げに語る部長に、一は沸々と得体の知れない感情が湧き上がって来て。

「部長は……それでいいんですか? それだと百年、会えないんですよね? いや、百年経っても、部長は部長でいられないんですよね? それに――」

「分かってる。何もかも承知の上よ」

 肩をすくめ、部長は首を振りながら長々と大儀そうな息を吐く。

「何も言わずにあんた達の前からいなくなるのは悪いと思ってる。でも、これがあたしの仕事だからさ。今まで暇を潰して来た分、これから働かないといけないわけ」

「誰のところで……ですか?」

「誰って、神様じゃないの? あたしは会った事ないけど」

「……そ、そんなわけのわからない奴のところで、恐ろしい魔神ってのを食い止めて……! 部長はそれで納得できるんですか? 逆にそんな奴ら、纏めてぶちのめせば……っ!」

「それは考えたけどさ、結構難しいのよ。色々手続きが面倒なのもあるし、何より世界を滅ぼそうって凶悪なのが九十九体もいるし」

「――きゅうじゅう、きゅうたい……?」

 怪物達、とは聞いていた。だがまさか、そんなに多いなんて。その上部長をして凶悪と言わしめる敵が本当にいるとなれば、いっそう真実味が増して来てしまう。

「だけど……部長には関係ないじゃないですか。他に役目ができる奴を見繕うなりして、任せればいい。……怠け者の部長らしくないですよ、こんな――自己犠牲みたいな……」

「あたしだけの問題や責任じゃない。あたしの前の、そのまた前の……全ての巫女の思いも背負ってる。この役目は、あたしだけが担えるから……それくらいはね」

 動悸が激しく、呼気が不規則に切れた。何か言わないと、部長を止めなければならないのに、一はむなしく口を開閉させるだけで。

 あたしさ、と部長は小さく目を閉じて続ける。

「もっと子供の頃からね……どうせ死ぬんだしって思ってて、今に至るまで投げやりになってた。生きる事すらどうでもよくて、刹那的にもなれなくて、無気力で……」

 どうせ死ぬ。それはそうだろう。生まれた時から末路を決められていて、役目を果たしたところで百年後には知り合いも誰もいないだろうし、自身も前後不覚の生ける屍も同然。

 ただの死といって過言ではない――けど、だったらどうしてそんなに。

「でもね、それが変わった。やりたい事ができたから」

「やりたい事……?」

「あんた達と、もっといっぱい遊びたい。だらだらしたいし、甘い物も食べたい。アホな悪党をぶっ飛ばすのも悪くないし、この間みたいに、みんなでお祭りを楽しむのもいい」

 部長、と呟くと、彼女はにっと屈託なく笑って、立ち尽くす一へ近寄って来た。

「――顔も知らない町の連中とかより、少しでも一緒に過ごしたあんた達を守りたい。今はそう強く思ってる。だから……短かったけどさ、これが部長としての最後の仕事ってわけ。あたしの花道、よく見てってよ」

「部長……俺、駄目ですよ。部長がいなくなったら、どうすればいいんですか」

「……次の部長はあんたに任せる。頼んだからね」

「無理です。どうにもならないです」

 まともにものを考えられなくなり、自分でも最高に情けない弱音が出た。ぎりぎりと爪が食い込むほどに拳を握り、唇を強く噛み締めて、瞳が震える。

「……あーもう。人がいい感じに終わらそうとしてんのに、締まらないわねー」

 やや乱暴に片腕を伸ばされ肩を抱かれて、反射的に顔が上がった。そのまま部長に引き寄せられ、一は上半身が前のめりになり、肩同士がくっつく形で部長と密着する。

 なのに部長はさらにがしっと一を抱き、その吐息が鼻先と唇をくすぐる。肩越しにお互いの体温が合わさってぬくもりを感じ、触れてもいないのに鼓動が聞こえるようで。

 さらに、もう片手で頭をわしゃわしゃと乱雑に撫でられた。目の前には部長の顔があって、柔らかく微笑んでいる。

「……ほら、元気出しなさいよ」

「無理です」

「いや、無理って……あーまったくこいつは!」

 どん、と突き飛ばされるように身をもぎ離され、部長は気分を害したようについとそっぽを向いてしまう。でも頬は赤くなっていた。

「やんなきゃ良かった……損した気分。ったく、思いつきで行動するのは我ながら悪癖だわ」

「そんなのより、部長にいて欲しいです。あの部は、部長のための部なんですから」

「ちょっと、やめてよ。そういうセリフよくぽんぽん出るね……心が揺れそうになるわ」

 ふっ、と部長は苦笑気味に笑いをこぼして、それから身を翻すように背を向けた。ぼさぼさではなく、よく手入れがされ美しい黒と白のコントラストが、一の視野を舞う。

「……じゃ、行ってくるから。もし百年後も生きてたら、あたしに顔見せに来てよ」

「部長……待って下さい」

「ヨビーとかなちーにもよろしく。後ひなっちとか、色々。聞かれたら適当にごまかして」

「行かないで下さい……部長」

「……あー、思ったより人の顔が浮かばないわね。あたしの人間関係ってこんなに希薄だったっけ。悲しくなって来た」

「……部長」

 部長は閉ざされた岩戸の前へと立つ。そこへ手をかざすと不思議な事に、群青色の光が岩の隙間から漏れて来ていた。奇しくもそれは、あの日祈願山にやって来た時見かけた、蛍火のような燐光にそっくりで。

「まぁ、こっちもこっちで楽しくやるから、何も心配しなくていいよ。どこにも行かなくていいなんて、あたしにとっては最高の環境だし?」

「……」

 岩戸が、開いていく。かすかな地響きを立てて、両側へ。さながら花嫁を、教会にでも迎え入れるかのように。

「元気でね、曲輪。あんたは自分で思ってるよりも凄い奴なんだからさ、前向いて、もっと何も考えず体当たりで行っても大丈夫。これからは、自分のために生きなよ」

 一はもう、何も言えなかった。岩戸の奥からは常闇が漏れて来ており、部長は臆した風もなく、踏み込んでいく。姿が闇へと覆われ、開いていた岩戸が閉じていく。

「部長……部長!」

 部長が見えなくなる。でも一瞬、こちらを振り返ったような気がして――ようやく、一は駆け出していた。わめき叫びながら自分も後を追おうと走り抜けようとして、伸ばした手が岩の扉の、冷たい感触に触れる。

「部長……」

 完全に閉ざされた岩山からは、声も息づかいも、気配は何一つ返って来ない。一の腕は落ちて、何の応答もない岩戸を見つめ続けた。

 まぶたが降りてくる。その闇の中になぜか、たった一人暗い道の奥まで歩いて行く部長の姿が、かすむように映し出されていた。

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