終章 第19話 神月美岬
花火大会から二日が過ぎて、月曜日。まんじりとも寝付けないまま登校した一は、昼休みになると呼子とともに余暇部部室を訪れた。
「あ……曲輪くんに佐倉ちゃん」
「新寺……だけか?」
部室の様子は先週と変わらないし、ちゃぶ台では新寺が座って縫い物をしていたが、どこにも部長の姿はない。一は鞄を下ろして、呼子ともども同じようにちゃぶ台を囲んだ。
「部長……来ないな」
「朝も見かけなかったのだ……」
「私が来た時にも、いなかったよ」
しん、と静まりかえる。刻一刻と時間だけが流れ、外の校庭からは運動部の声がうっすらと響いて来ていた。静かだ。だけど、嫌な静けさだった。
思えばこうやって何もしていなくても、部長が率先してだらだらしていたからこそ、安心にも近いあのアットホームな雰囲気が漂っていたのだ。ここには部長がいる、だから心配はない――そんな空気感に包まれて、一達もリラックスして過ごせていた。
だが、今は――部長の指定席であるソファは、空っぽのままである。果たしてまたここでくつろぐ部長の姿を見る事ができるのか、一は急に不安になって来た。
「一よ……そっちは連絡があったのか?」
「いや……って事は、佐倉もだな。俺も昨日一日、メールしたり電話したりしたけど」
音沙汰はない。沈黙がその答えだった。三人とも、沈むように下を向いてしまう。
遡る事土曜日、花火大会の夜。花火による事故の被害を食い止めた部長は、そのまま気を失ってしまっていた。
一達は動転しながらもすぐに近くにあった詰め所へ運び、休ませたところほどなくして目が覚めた――のだが、どういうわけかろくにわけも話さず、行くところがあるとだけ言い残して出て行ってしまった。その動きに迷いはなく、一達はしばし呆然として。
呼び止めようとしたのだが部長の足に追いつけようもなく見失い、以降連絡は途絶えている。
「部長……何かの病気だったのかな……思えば数日前から調子がおかしそうだったし」
今日もね、と新寺が小声で呟くように話す。
「着付けの時から、何だか部長さんの体温が高いような気がしてて……その事を伝えたんだけど平然としてたから、私も気にしないようになっちゃって……もっと粘っていれば」
「香苗だけの責任じゃないのだ。呼子もおかしな気配は感じてたのに、見過ごしてしまったのだぞ……」
わずかな異変を感じ取っていたのはこの二人もなのだ。そういえば部長は屋台巡りの途中から顔が赤くなっていたように見えたが、あれはひょっとして高熱を出していたからではないのか。
「なのに、あんなに動いたものだから疲労がピークに達して倒れた……ってのか。――信じられない、部長なんだぞ? あんな、病気の方から逃げていくような人が……」
「まだ病気かどうかも分からないのだ。たまたま体調が優れなかったという可能性も」
何が起きたのか、どうすべきだったのか正解など導き出せようはずがない。肝心の当人はこの場におらず、またこちらからの連絡に一切応答しないのである。何かが水面下で急速にうごめき出しているようで落ち着かず、一はリモコンでテレビをつけた。
ちょうど花火大会のあった薬見川河川敷が映っており、生放送でアナウンサーが当時の状況をリポートし、チャンネルを変えても同じようなニュースばかりだ。
「怪我人十数名で、死者はなし、だね。良かったんだけど……全国ニュースになってるよ」
「当たり前だな……あんな事故そうそう起きないだろうし」
映像には救命活動をしていたという体で空を舞う部長の姿もぶれてはいるが映っており、ネットでも似たような話題がトピックスに載っている。明莉の校内新聞でも号外で大きく取り上げられていた。
「ついに全国区か……部長もこれ見てたら、どんな気分なんだろ」
喜ぶのか面倒くさがるのか。と、そこで新寺が。
「……お父さんもあちこちを走り回って謝ったり、原因を調べているんだけど……結局よく分からないみたいで。誰に責任の所在があるのかなすりつけ合ってるんだって」
言いながら、萎んだように縮こまってしまう。
「いや、香苗も勇も悪くないのだ……それに今は、部長の事を考えようぞ」
とはいえ、その部長についても手詰まりだ。連絡は取れず、どこに住んでいるのかも分からない。こうして部室にいても取れる手段はなく、一達はそこそこに解散する事にした。
一人で部室棟を出て渡り廊下に行くと、通路の半ばあたりで携帯を耳に当てている持木と行き会った。誰かと話していたようだが片眉を上げて携帯をポケットへ戻し。
「おう、曲輪か。ちょうどいい、聞きたい事があるんだが」
「……もしかして、部長の事ですか?」
「当たりだ。聞いた話じゃ、あの花火大会で熱出して倒れたってんだろ? 俺も心配になって連絡つけようとしたんだが、うんともすんともって感じだ」
「つまり……保護者の人とも話せないんですか?」
「いや、電話は通じるんだが、どうも要領を得なくてな。病気とか事故とか旅行とか冠婚葬祭とか、話す度に言ってる事が変わって食い違ってるんだ。……なんか、他人を近づけまいとする奇妙な意志を感じたな」
他人を近づけまいとする、意志。ふと何かが脳裏をよぎりかけ、一はかぶりを振った。
「じゃあ、引き下がるしかないんですかね……向こうが会わせてくれないんじゃ」
「会うどころか声も聞けないしメールも届かんときたもんだ。だが、それならこっちにも考えがある」
え、とまぶたをしばたたかせると、持木はにやっと悪巧みするような笑みを見せて。
「……あちらさんははっきり来るなと言ったわけじゃない。だからこっちから勝手に訪問させてもらうのさ……担任として、部の顧問として責任があるってな」
「……俺今、先生の事すごいかっこよく見えてます」
「そりゃあな。……で、どうする?」
一は目を白黒させて――持木の言わんとするところを察し、視線に力を込めて。
「俺も行きます……部長のとこまで」
放課後を待ち、持木とは駐車場で合流する。青のワゴン車前に立っていた持木は助手席に乗るよう一を促し、出発した。
ゆっくりと前進し、道路を曲がってスピードを上げていくワゴン。高校前を出てから市街地へ差し掛かり、繁華街を抜けて住宅地へと入っていく。
「おー、あれだあれだ。あのマンション」
民家の間に挟まれるようにして、二十階ほどと思われる煉瓦風でできた外壁の茶色のマンションがそびえていた。傾き始めた太陽の光が斜めに当たり、濃淡の陰影を作っている。
「部長……マンション住まいなんですか?」
「どうもそうらしい。しかも一人暮らしだそうだ。面倒を見てるのも親というより後見人で、なんてったかな……神月とかなんとか」
「神月、ですか……でも部長の名字って」
「違うよな。だから家庭の事情があるんじゃないかと、俺も深入りしなかったんだが」
言いながら、持木は近くの駐車場に車を止める。エンジンの音が消え、それから一へ一枚の紙切れを手渡して来た。
「あいつの部屋番号はこのメモに書いてあるからまあ、頼むわ。様子見てきて」
「先生は来ないんですか?」
「俺に何を話せってんだよ。――あいつとは悪友みたいに思われてるから、気を遣ったところで不気味がられるだけだろ」
「そうでしょうかね」
「おうとも。だからこういう細かいのは曲輪に任す。見事あいつを家から引っ張り出してきてくれ」
「……善処します」
持木が同伴してくれないのはやや不安だが、一は腹をくくってメモを受け取り、ドアを開けて外へ出る。そのまま影になっている入り口側へ向かい、中へと踏み込む。
エレベーターでほぼ頂上である二十階まで上がり、そこから部屋番号を確認しながら奥の方まで歩いて行く。そして見つけた。番号と、名前――。
ここか、と一は緊張して息を呑む。ここに部長がいる……留守にしている可能性ももちろんあるが、あの日以来会っていないとはいえ、何を話せばいいか頭に浮かばない。
ともかく、逡巡していても仕方ないだろう。一は奥歯を噛み、呼び鈴を押そうとして。
がちゃ、と突如中からドアが開いた。思わず腕を伸ばした体勢のまま固まってしまい。
――顔を出したのが部長ではない事に、二度驚いた。
立っていたのは、いつか部長と学校近くの路地裏で口論――というより一方的に詰問を受けていたような、あの白衣姿の女性だった。部長を思わせる細身な体型に、たっぷりとした黒髪のパーマ。そして冷たい印象を受ける整った造作の顔立ち。
間違いない。あの人だ。恐らくは部長の関係者。それがどうして、この部屋から。
女性の方もドアの前に立っていた一を見て軽く瞠目し、色素の薄い唇を開く。
「君は……まさか、曲輪一君……?」
「え……? お、俺の事、知ってるんですか……? ていうか、あなたは――」
言いかけた一を遮るように、女性は後ろ手にドアを閉めて自動の鍵をかけると、目を伏せるようにして小さく首を横に振り、一を避けるようにして歩き出した。
「……悪いけど、今君と話している時間はないの。ここに彼女はいないから、来ても意味がないしね」
「……ま、待って下さい。彼女って……部長の事でしょう!?」
硬質な靴音を響かせて歩き去ろうとする女性の背中へ、一は追い立てられるように声をかける。
「あなたは何か知ってるはずです、だからこの部屋にいたんだ……! それなのに、どうして」
「だとしても、話す事は何もない。君ももう、この件に関わってはいけないわ。忠告よ」
意味が分からない。一の中で怒りにも似た感情が燃え上がり、言葉を吐き出す。
「待てよ……! あんた、
ぴた、と呼び掛けられた女性が立ち止まる。かかった、と一はさらに続けた。
「図星だな。……もう一つ当ててやりましょうか? ……先々週、薬見川河川敷で起きた格闘家襲撃事件。あれの犯人に心当たりがあります」
「……面白いじゃない。聞かせてみて」
女性は振り返る。双眸には変わらず怜悧な光があるが、その中に興味めいた色が混じり始めているのを一は見て取り、慎重に推理を語り始める。
「犯人はあらかじめ標的とする武闘家達を大量に調べ上げていた……それほどの調査力、いや厳密には組織力を持ってるって事です。つまり犯人は単独じゃない」
「そこまでなら誰でも読めるはずよ。それなら一体どんな組織がついていたのかしら」
「この世津町の古くから続く名士であり、大きな財産と権力を持っている家が三つ、通称御三家があります。――一つは大国家、一つは神月家……最後は」
なんだっけ。まあ一つは飛ばしても問題ない。
「とにかく、その家のどちらかが専門の機関を通して探偵を雇うなり、コネを利用するなりして、格闘家達と渡りがついたはずです……だから犯人は」
「その御三家のいずれかが、犯人を支援したとでも? それじゃちょっと根拠としては弱いんじゃないかしら」
「いや……御三家の一角、神月家はあの祈願山を土地として所有してるんです。そして昔、祈願山に開発計画が持ち上がった当時の記録を参照しても、事業反対派として他二家の陣頭指揮を取っていました……だからあの山に関しては、他の家よりも強い影響力がある」
そして、と一は結論を突きつけるように女性へ言う。
「……大怪我をした格闘家達はあれから犯人について口を閉ざし続けています。化け物を見たとかいう証言が聞き入れられるはずがないという思いもあるでしょうが、もう一つの理由としては、あなた達が最初から何らかの形で干渉し、最後の口止めまでをも申し入れたからじゃないんですか。……そうでしょう、神月家現当主、神月美岬さん」
「……あなた一人で突き止めたのかしら、ここまで?」
「違います。部長が教えてくれたんです」
「そう……そこまで信頼されてるのね」
女性――神月美岬がため息をつく。大嘘だった。推理からして手に入った情報を強引にこじつけただけの当てずっぽうのはったりで、それでも賭けに出たのは自分の知らない部長を知っているらしき事への意趣返しと、自分に隠し事は無駄だという精一杯の虚勢。
「……いいわ。その気骨を認めて少しだけ付き合ってあげる。……ついて来なさい」
神月がきびすを返し、白衣のポケットから鍵を出して、部長の部屋をもう一度開ける。一は口の中が乾いていくのを感じながら、その後に続いた。
マンションの一室。そんな感想しか出ないくらい、ごく無味乾燥な部屋だ。何の装飾もなく、あるのは白いベッドやテーブルといった家具だけ。テレビとリモコンは置いてあるものの使われた形跡がなく、目を引くものといえば大きめの衣装棚だけ。
ここで部長が――人が暮らしていたのか疑念しか湧かないような、あまりにも生活感のない部屋だった。仮眠のために使われていたとだけ言われても信じてしまいそうで。
「……何もないでしょう? 別に引き払ったとか、そういう事じゃないわ……今はまだ」
「じゃあ……部長は、本当にここに」
そうよ、と神月はテーブルの椅子を引いて腰掛け、長い足を組む。
「ほんの二日前まで、彼女はここで暮らしていた……いえ、ただ寝起きしていただけね」
「部長は……どこに行ったんですか」
ずばり尋ねた。とりあえず最初の関門は突破したらしいがこの神月が味方とは限らないし、真実を語るという保証もない。ここは神経を研ぎ澄ませて見定めなければ。
「その前にこちらから質問があるわ。あなた……彼女から何も聞かされていないのよね」
「何もって……何をですか」
その反応で察したらしく、神月はちり一つないテーブルに頬杖をつき、息を吐く。
「……なら、そのままでいるのが彼女の意向よ。あの子はあなたを――部員の仲間を巻き込みたくないはず。本当ならここにいるのすら、その意思に反しているのよ」
「知った風な事言わないで下さい。急にいなくなったら、俺も二人も心配するに決まってるじゃないですか。これについては部長にだって、反論する権利はありません」
そうきっぱり言うと、かすかに神月が笑みを浮かべたような、空気の緩む気配がした。
「だからこそ、知らせたくないと思うのだけどね。……いいわ、話してあげる。かなり突飛な内容になるわよ――何せ彼女の問題なのだから」
承知している。何を言われても驚くまい、と一は肝に銘じた。
「……始まりは千年以上も前――まだこの国が日本という名前さえ持っていない頃まで遡るわ。こんな町もなかったし、山も森も開拓されていなかった」
「それ……部長と関係あるんですか?」
「大ありよ。順序立てて話すとなるとどうしてもこうなるの。いいから黙って耳を傾けなさい。――星の伝説って聞いた事あるかしら? 祖父母から親へ、親から子へ連綿と伝わる伝承なのだけど」
一が頷くと、神月は姿勢を直し、真っ向から視線を注いできて。
「実はこれ、おとぎ話でもなんでもないの。実際に昔起きた出来事なのよ」
「……な……なんですって?」
唐突に斜め上もいいところにぶっ飛んだ話に、驚くまいと決めていた心があっさり動揺してしまう。それを読み取ったように、神月はシニカルな笑みを口元に刷いて。
「嘘だと思うなら、ここでおしまい。あなたは帰って、明日のための勉強でもするといいわ。それでも、まだこの与太話を聞く気があるなら……」
「あ、ありますよ。部長が関わっているんでしょう? だったら声くらい聞くまでは」
「……そう。なら続けるけど、巨大な星が祈願山に降ってきて地獄穴を潰した事は知ってるわよね。そして人々を苦しめる妖怪を皆殺しにした事も」
皆殺し、という悪意のある言い方に血なまぐさいものを覚えるが、一は頷いた。
「そこで話は終わらなかったの。その星は奇跡を起こす神からの贈り物だとして、当時の人々は崇め奉ったわ。その噂は周辺の国々まで広がり、願いをかなえるご神体として、方々から偉い人達が集まってくるほどに」
「時の権力者達まで……? ちょっと大げさすぎやしませんか」
「大々的に喧伝した効果もあるけれど、ご神体となった星には、もう一つ秘密があったの。一つは本当に願いをかなえる力がある事と……人が乗っていた事」
「ひ、人がっ!?」
ぎょっと目を見開く一を、神月はどことなく愉快そうに眺めやっている。
「宇宙人ってやつ? それも見た目は人間の女の子……何とも不思議な取り合わせだけれど、人々は彼女を神の使者とやはり崇めて、『星の巫女』として祭り上げたわ。どうやって意思疎通を図ったのかは分からないけれど彼女もそれを了承して、ここに世津町の土台となる全ての文化ができあがった。……願いを叶える奇跡の村。それが星の伝説なのよ」
願いを叶える、奇跡の村。脳のキャパシティが熱暴走を起こしかけ、一は呆ける。
「本題からは少し逸れるけれど、私達の事にも触れておこうかしら。あなたの言う御三家は、村が発展して世津町に姿を変えるにつれ、神と対話できる星の巫女を守るために作られたものなの。外界と隔絶された星の巫女の意志を汲み、守り、村へ伝えるためのね」
そういう事か。ただその願いとやらに乗じて勢力を伸ばしたわけではなく、村の名士達にもそれぞれ役目があったというわけなのだろう。
「でも、外界と隔絶された、って事は……もしかして、その星の巫女は」
「ご神体とともに、聖地――地獄穴に封じられたわ。星が空からストライクして来た祈願山の爆心地ね。祈願山も元は別の名前だったけれど、聖地が今も地獄穴なんて呼び習わされるのは、何も知らない人々を恐れさせて近寄らせないためよ。……話を戻すわ。星の恩恵を求める人々により村に人口が増えて来た頃、異変が起きた……それまではどんな願いでも叶える触れ込みで盛況だったその星から、突然怪物達が生み出されて来たの」
「か……怪物?」
もう完全にファンタジーだ。そろそろついていけそうにないが、部長という規格外の存在を思い出せばそれくらいあり得るだろう、と無理矢理自分に言い聞かせる。
「理由は分からない。神様がへそを曲げたのか、星そのものに限界が来たのか……もはや願いを叶える機能は失われ、大量に現れた怪物達が村を襲った。その時に順番待ちで訪れていた国の偉い人達もほとんど殺されたわ。まさに未曾有の災厄に見舞われたのよ」
「未曾有の、災厄……」
「短時間で村中に怪物はあふれ、そいつらは隣の地域、さらにそのまた隣と、目につくままに人々を殺して破壊して何もかも滅ぼそうとした。……でも捨てる神あれば拾う神ありね。いよいよ終わりか、と思われたその時、星の巫女が立ち上がったの。その神通力とやらで怪物達を滅し、再びご神体の星の中へと封じ込めたのね」
「なんか……本当に神話ですね。でもその怪物達、殺せなかったんですか?」
「それができたらご都合主義でも大歓迎だったのだけれどね。そううまくはいかず、星の巫女もまた力尽きていた。彼女は最後の力で星と同化し、命が終わるまで封印を続けてくれたわ。おかげですんでのところで、世津町は救われたの」
命が終わるまで。すなわちその宇宙人の少女は、人のため――地球のために命を捧げたというのか。
「でも、怪物の脅威がなくなるわけではなかったわ。むしろその瞬間から、戦いは始まっていたのよ。……彼女は人柱となる前に、必要事項を言い残していった。これから向こう百年、自分は怪物――『魔神』達を抑え続けると。そして百年の後に、また戻ってくると」
「戻って……来られたんですか?」
「百年後、少しの間だけならね。……間もなく自分は死ぬ、しかしその間際、神との間に身ごもった子を遺していく。次はその子が魔神を抑えるだろう、百年の間――」
「ま、待って下さい、って事は……その後も、また……?」
「ご明察。彼女達は神に嫁ぎ、子を産み、百年ごとに代替わりを繰り返しながら、封印を続けて来たの。子を産んだ巫女はほどなくして死に至る。けれど産まれた子は親と同じく強い力を備えて育ち、また封印の役目を引き継ぐの」
なんて事だ。そうして、一の中で焦燥感めいた想像が膨れあがっていく。
「……ちょっと待って下さい。これがもし事実なら……え、今も、その巫女は……?」
「当然、いるわ。それもあなたのすぐ側にね。ずっと共に過ごしていたはずよ」
全身の毛穴が開き、うなじから総毛立つような――得体の知れない悪寒が全身を走り。
「……部長……?」
ありえない。いくらなんでも荒唐無稽すぎる。これまでの神月が語った話と、一が耳目で得てきた情報。それらが組み合わさり、その解を導こうとも――ありえない。
「その通り。彼女は星の巫女。それも十三代目の……ね。あなたの部長は、役目を果たすために部を去ったのよ。……封印を守りに行くために、たった一人でね」
「う、嘘言わないで下さいよ。俺はただ、部長がどこにいるのか聞きたくて、何があったのかその口で聞きたくて、なのに……ただ会いたいだけなのに」
「もう会えないわ。全ては終わった事。でも、あなたのメッセージくらいは伝えて――」
「――嘘をつくなよ!」
一はこみ上げる激情のままにテーブルに手を叩きつけ、至近へと詰め寄った。椅子に座ったまま厳しい表情を浮かべた神月が氷のような目線を刺して来る。
「部長はどこだ? 今すぐ会わせてくれ。おかしな事ばかりを言って煙に巻くのはよせ!」
神月は慌てず騒がず、そんな一の目前へスマホの画面を見せる。その画面には、何やら古代の文献を写真に撮ったような、不思議な絵が映し出されていた。
「なんだ……これは?」
その紙面の中央には巨大でいびつな形の岩が描かれ、両脇にはどこかで見たような衣装を着た二人の人間が立ち、崇めるように人々が囲んでいる。怒りがすうっと引いていき、目を奪われる。決してうまい絵ではないのに、どうしてか心が引きつけられるのだ。
「これは何代か前の巫女が、いまわの際に聖地に描かれていた壁画を一部、写し取ったものよ。その壁画もまた、何代も前の巫女達が死を目前にして描いた……私達に真実を伝えるために」
「真実……?」
「聖地――地獄穴には原則、星の巫女しか入れない。特殊なバリアーのようなものが張ってあって、それを抜けられるのは彼女達だけなの。だから内部の事情を知れるのもそう。そして……彼女達がどんな運命を辿るのか分かる?」
「運命って……なんだよ?」
「新たに産まれた星の子は、まだ年端もいかないうちに魔神と戦わされる。封印に備えて自分の能力を引き上げる訓練のために、命がけで力を振るうのよ。封印の中だから敵も本調子ではないけれど、その過酷さは言うに及ばないわ。誰も助けに来られない、暗い穴ぐらで何日も何週間も、何ヶ月もね」
「そんなの……死んじゃうじゃないか」
「星の巫女は体構成からして常人とは違うから。人の形をしているのが不思議なほどよ。私も後見人として主治医の立場でいるけど、本来は医者すらいらないくらい強靱なの。……でもそんな彼女達でさえ音を上げるのが、封印の役目。……百年の後、星の巫女は役目の交代のために戻って来る。どういう理屈か知らないけれど肉体的には一切年を取らないままなのに、まともに話せないくらい意識は混濁して、廃人のようになってしまっている」
一は四肢から力が抜けて、ただ息を必死に継ぐようにして耳をそばだてていた。
「……そんな状態なのに、しばらくした後に突然孕むのよ。そして苦しみ抜いて無事子を産んだ後は……ろくに体も動かせず、やがて植物人間のようになり――数年の後に死ぬ」
「そんな……終わり方。だったら……星の巫女は何のために生まれて来るんだよ」
「神への婚姻だの嫁ぐだの、美談でごまかそうがこれが現実。私達の平和は、百年越しに生贄になる彼女達のおかげで成り立ってる。封印がなければその年の内に魔神達は目覚めて、全てをぶち壊していくでしょうね……人も物も命も」
だのに、と神月が今までにない刃物のような視線で、一をえぐる。
「星の巫女……彼女の最後の一ヶ月。一番側にいたあなたが、その覚悟を貶めないで。彼女の意志を無にするような事を言わないでちょうだい。私が言いたいのはそれだけ」
一のような激昂にまかせた大声でもなく、ただ冷ややかに、けれどどこまでも深く押し込められた強い想念がその口調からは感じられて、一は床へ崩れるように座り込む。
「……部長はどうして、俺達のところに来たんだ。星の巫女なら、もうちょっとちゃんとしたところで管理されてるんじゃないのか」
「そうでもないわ。力を蓄えた後は巫女の希望次第で衣食住の融通といった生活の支援、やりたい仕事の後押しなどを御三家から受けた上で、普通の市井に紛れて暮らす事もある。学校に行って友達と遊んだり、勉強したり、恋をしたりして……いっぱい思い出を作って、余生を過ごすの」
ずきり、と胸が突き刺すように痛んだ。思い出。余生。……余暇部。
――そういう事、だったのだ。部長は、そのために。
「彼女、花火大会で倒れたそうね。それにもきちんと理由があるわ。……星の巫女は二段階に分けて封印を強めていく。産まれて充分な力が備わったらすぐに一度目の封印をかけて、それも限界が来たら今度は自らの身をもって封印と同化する。……この一度目の封印をもう彼女は行っていた。それは器に溜めた水を少しずつ放出するようなもので……器が彼女、水が力、と考えれば分かりやすいかしら」
「だからあんなに、疲れ果てて……」
「今の彼女は蓄えの大部分を使い切り、良くて一割程度の力しか出せていなかったはず。……後はもう肉体を捧げるしかない状態。それが二度目――百年の封印なのよ」
そんな……馬鹿な。部長はそんなになってまで、どうして無理をして花火大会に。
「私もよせと言ったわ。限界が来ているのは本人も分かっていたはずだもの。……でもね」
神月は遠くを見るようにして足を組み替え、嘆息するとともに呟きを漏らす。
「どうしても出たかった。彼女はそう言っていたわ。だって大切な、あなた達との思い出だから、って」
思い出。繰り返される、脳裏をかすめる映像。やめてくれ。こんな、走馬燈のような。まだ現実感だって湧いてないのに。
「……部長に会わせて下さい」
「……いいわ。今のあなたなら、取り乱して彼女の思いをないがしろにするような事もないはずだから。……これが最後の対面になるでしょう、ちゃんと向き合ってあげる事ね」
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