第16話 体育祭 上
そして迎えた翌日の体育祭当日。天気は上々の抜けるような青空。気温は高く風は涼しく、絶好の体育日和といえるだろう。
校庭は白いラインが縦横に引かれて多彩なデザインの旗が空を泳ぎ、校舎側には教員用の白いテントが張られて机と椅子、放送用のマイクやラジオなどが用意されている。
校庭両脇の段差には青いシートが敷かれ待機用のスペースとなっており、さらに奥ではレジャーシートや日よけ用の傘を持った保護者達がデジカメやビデオカメラを片手に集まって来ていた。平日なのにそこそこの賑わいである。
体操服に着替えた一は待機スペースのシートに座り、直射日光から顔を背けるようにスマホへ目を落としていた。周りには学年分けされた白組の同級生が陣取り、思い思いに暇を潰している。自分の組を応援しようにも、始まっていないのではする事がないのだ。
と、校庭へ進み出てきた教頭、教員によるどうでもいい挨拶が述べられ、さらに運動部主導という事で規模が大きく発言力のある部長達がスローガンを口にしていく。中には南の姿もあるが空手部はまだほとぼりが冷めていないのか、安原はいなかった。
「早く終わらないかな……」
午後三時まで続くこの不快指数最高の時間をやり過ごさなければならないと思うと、十分とまだ経過していないのに目の前が暗くなる。落ち込んでいる間にも競技は滞りなく進み、互いの組はそれぞれ得点を稼いでいった。
どうも今年は団体競技が多いらしく、ラストは大量得点チャンスであるドッジボールのようだ。同じ種目ならリレーとかでもいいだろうに、ドッジボールである理由は生徒の欠席者が多いせいが選手が足りず、最後の方は複数の学年、クラスが入り交じった混合戦になるからだそうである。
「うしゃー!」
……目前のトラックを何か影のようなものが横切っていった。あまりに早すぎて周りで撮影しているカメラのフラッシュが追いついていない。いちいち確認せずとも、短距離走か徒競走かでぶっちぎりでトップを取った部長なのは間違いなく、あたりからは女子を中心とした歓声や応援の声が上がり、男子からは動揺や畏怖の叫びが発せられていた。
「――やっぱり人気あるよね、部長さん」
誰かが近づいて来た。南である。一と同じく白組である証の白いはちまきをつけて、スリムながらも良く鍛えられた四肢を日光にさらしている。一は頷いた。
「特に、女子からは凄いですよね……やっぱ運動系の星なんだなぁと」
「去年もやばかったよ? 最初はだいぶ適当だったのに、応援席から激励のお菓子とかお弁当とかもらったら急にエンジンかかって来てさ、もう誰も手が着けられなくて」
目に浮かぶようだ。つくづく現金な人である。すると南は好戦的な笑みを浮かべ。
「でも、今年は敵同士。学年は違うけど競技でかち合ったら、遠慮なく倒しに行くからね」
「勝てると思ってるんですか、あれに」
「分からないけど、勝つって気概を忘れちゃ駄目だと思うな。それにもし勝ったら……」
ふふふ、と何か企むような顔で笑いながら南は去っていく。どうもこの体育祭、思ったより様々な思惑が入り乱れているらしい。一には関係ないが。
そのうち一も個人競技に出場して走ったり投げたり、無理しない程度に点数を稼ぎつつ体力を温存しておいた。中には熱中しすぎて終わった直後に倒れる生徒も続出したとかなんとかいう噂を聞いた事があるからだ。
全体競技では先輩の指示に従い、足手まといにならないようまあ頑張った。綱引き、大玉転がし、大縄飛びではそれでも体力のなさが際立ち、めまいを起こす事もあったが。
(あれからランニングとか始めたんだけどな……)
それでも一週間程度では目に見えた効果はなく、良くもなく悪くもない成績に収まった。
午後の部に向けた昼休みでは文化部の作ったシチューや保護者が持って来た弁当などを分け合い空腹を満たす。一もあまり食べ過ぎないようにし、水分補給に努めていると。
「一よ、調子はどうなのだ?」
呼子がやって来た。何やら頬に黒い粒みたいなのをつけ、口をむしゃむしゃさせていて行儀が悪い。
「まあまあかな。お前のそれ……おはぎか?」
「ご名答なのだ。さっき親切なおばさんからもらったのだ。一も食べるか?」
ずい、と鼻先にもう一つの手汗でべちゃべちゃしたおはぎが突きつけられる。正直これ以上何か胃袋には詰め込みたくなかったが、せっかくなのでいただく事にした。
「得点は今のところ、横並びなのだ。白組も頑張っているが、やはり部長の活躍が天井知らずみたいだぞ」
「だな……個人競技はもちろん、腕力がものを言う綱引きとか大玉系ももう無理だ。よく白組も食らいついてるよ」
「他人事みたいなのだ。ここまでやってきて、一もやる気にはならないのか?」
別に、と返す。現在校庭に設置された即席の舞台では学ランの応援団やチア部がパフォーマンスを行っているものの、やはり興味は湧かず一はスマホのゲームで時間を潰す。
「香苗や部長はどうしているか気になるのだ」
「それはまあ……でも、部長は心配いらないだろ。新寺も走る競技じゃ凄いし」
元々の逃げ足の速さが存分に活かされているらしく、陸上部には及ばぬもののめざましい実績を叩き出していた。あれで運動部の勧誘を受けていないのが不思議なくらいである。
午後の部もお互いの組は拮抗し合い、得点も互角のままラストまでもつれ込んでいく。
最後の競技は各組から合計二十四人が参加する、ドッジボールである。選抜された選手が白線の引かれたコートへ集まり、内野と外野へ分かれてボールをぶつけ合うのだ。
「さて、誰が出るのかな……」
確か選抜には教頭だか生徒会だかの判断が関わっているらしく、アナウンスで出場選手の名前が呼ばれていく。
その中には幾人か知り合いのものがあり、途中で部長の名前が呼ばれた。
「よしゃー、やったらぁ!」
――校庭へ宙返りしながら意気揚々と飛び出して来た部長を目にして、一は気の毒になった。あの人が出る以上、相手方のチームはご愁傷様としか言いようがない。
「白組、一年A組、曲輪一ェ!」
「って俺かよ!?」
思わず立ち上がる。しかもなんでキレ気味なのか、このアナウンスの女子。
別に運動が得意でもないのになぜ選ばれた、と渋々コートへ向かうと、そこにはとうに選手達が揃っていた。白組と赤組に左右で集団が分かれ、その中へ入っていく。
「おおう、一が来たのだ」
「佐倉……お前もか。選定基準どうなってんだこの大会」
しかし赤組にも文化部系の選手は何人かいるようで、後はどちらも運動部所属のようだ。
なんだかんだ言ってバランスは取れているらしいが、その時南が顔を出し。
「曲輪君、ちょっと聞いて欲しいんだけど」
「何ですか?」
「……この戦い、私達勝ちに行こうと思うんだよね」
はあ、と一は放心した。だってあんたら、見えないのか、あの部長が。
「部長さんが……ううん、部長さんがいるからこそ、勝利に意味があると思うんだ」
「どういう事ですか」
「……俺は陸上部なんだが、この間男子の練習中にあの部長がトラックを横断したんだ。多分学食に向かおうとしてたらしいんだが、その時のとち狂った速度に後輩がみんなやる気を失っちまって……」
「私も新体操部なんだけど、あの人、先生に追いかけられている時に体育館に入ってきて、そこで逃げ回ってくれたものだから練習どころでなくなって……邪魔されたとかじゃなくて、みんながあの動きに魅了されちゃって」
「さ、サッカーの試合中に気まぐれからか声援を送ってくれたんだが、あの長くたなびくぼさぼさ髪がそれ以来忘れられなくて……うっ」
……中にはおかしな理由もあるものの、ともかくここにはそういう、部長の被害者の大多数が集まっているわけだ。なるほどこれは、部長を倒して過日の栄光を取り戻したくなっても仕方ないだろう。
「でも、俺は……」
「部長を止められるのは部長マイスターの一だけなのだ。呼子も全身全霊でお手伝いするのだ」
「……まあ、佐倉がそこまで言うなら。それにクレームがうちにつかないよう、ガス抜きって意味でも手を貸すにやぶさかじゃありませんけど」
一はため息をつく。部長の尻ぬぐいのようだが、これも部員の務めか。肩をすくめて了承すると、おおっと一気にその場のボルテージが急上昇する。
「ただ、無策であの人に勝つ事は不可能です。ちょっと作戦会議しましょう」
「おっ、いいね、それらしくなって来た!」
輪を作り、即興で考えた策をみんなに説明する。自分でも成功率は五分五分と思う作戦なもののみるみる彼らの目は輝き、話を締めくくると敵の陣地から接近する影があった。
「なになに、なんか盛り上がってるじゃん。あたしも混ぜてよ」
部長である。ぎょっとしたようにみんなは腰が引けるも、一は普通に見返して。
「ドッジボールに勝つ作戦を考えただけですよ。全然つまらないですから」
「……あは! 面白い事言うわね、曲輪ぁ! それってつまり、このあたしを倒すってのとドーギって事じゃん?」
「そういう受け取り方もありますね」
のらりくらりと躱していると、横から南がずいと進み出て。
「言っておくけど、私達は本気だからね。それと部長さん! もし私が勝てたら、この前の約束通り柔道部に入ってもらうから」
「あれ、あの約束まだ生きてたんだ? ……いいよ、もしあたしに勝てたら、ね」
二人の間ではいつの間にそんな取り決めがなされていたらしく、火花が散っている。
赤組へ戻る部長の双眸には紛れもなく闘争本能のような炎が燃えていた。どうやらその気にさせてしまったらしいが、構わない。この挑発もすでに作戦の内だった。
「お、お手柔らかにね、曲輪くん」
「あれ、新寺も選抜されてたのか……余暇部総出だな。まあ、ぼちぼち頼む」
体操服の新寺がにへらと笑って走っていく。何だか気勢が削がれるも、まだあちらには見知った顔がある。
「曲輪くん、今回は敵同士だね。ふふっ、よろしく……いい試合をしよう?」
「い、伊勢先輩……は、はい」
一の視線に気がついたのか、伊勢は両腕を後ろで組み、頭を傾けるようにして朗らかに微笑んでくる。部長ほどではないが、彼女もまたバランス良く引き締まった長身である。ジムに通っている事もありフットワークも軽そうで、手強い部類に入るだろう。
「ひなっちよろしくー。味方で良かったよ」
「ゆきちゃんこそ、一緒に戦えるならとても心強いよ。ベストを尽くそうね」
ペットボトルを持った部長もやってくる。綺麗な上に所作の一つ一つが女の子らしい伊勢と、果断であり外見も悪くない部長が並び立てば親密さもあいまり絵になる二人だ。
「お……っと?」
その時、ふらりと部長がよろめき、反射的に伊勢の肩へ手を突いて身体を支える。
「だ、大丈夫、ゆきちゃん?」
「ああうん、ちょっと足がつまずいただけ」
何かにつまずいたというより、足先から弛緩したように見えたのだが――それにあのペットボトル。午前中から幾度か見かけていた折り、やたら水を飲んでいるように思える。
(まさか……どっか不調なのか?)
いやいや、部長に限って具合が悪いとかそんなのはありえないだろう。現に何事もなかったようなとぼけた表情をしているし。むしろ相手の心配をしている余裕はこちらにない。
「審判、ちょっといいかな」
一はさっそく動き始めた。審判に交渉を仕掛け、あるルールを加えさせるのだ。
「ボールの追加……ですか?」
「そうそう。欠席者が多いせいで両方、やたら女子が多いだろ。展開をスムーズに運ぶためにも、ボールをもう一つ追加してもいいと思う」
「ちょっと待って下さい……審議してみます」
審判が教員達のテントへ行き、一の提案を吟味する。それを固唾を呑んで見守り。
「分かりました、面白い提案って事で、許可が出ましたよ」
よし、と一は内心でガッツポーズを取った。
これで勝利のための条件が一つ整ったのである。
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