第17話 体育祭 下
全員が配置につき、持ち込まれるのは二つのボール。白と赤が一つずつである。
原則として試合時間は五分、なおかつ一セットのみ、サドンデスはなし、引き分けはそのまま得点加算なし。手にしたボールは五秒以内に投げないと敵外野へ渡す事になる。
ドッジボールは全体的にルールが緩いのが特徴だが、今回、一の働きかけによって変則ルールが追加されていた。それこそがこの赤いボールだ。
白いボールと違ってこれは女子しか投げる事ができず、内野の男子が持った場合は速やかに味方外野の女子へ渡す事になっている。さらに一人が二つは持てず、初期の外野も男女二人ずつ。
元外野の二名はどちらかが敵にボールを当てれば、審判に復帰を宣言した上で一名のみがコートの中央部である内外野から戻る事ができる。それ以外に外野が内野へ戻る事はできず、内外野への侵入も許されていない。
一見部長が有利に思えるルールだが、この裏にあるのはまったく別の狙いなのだ。というよりこのルールこそが勝利への鍵といっていい。後は誰がジャンパーになるかだが。
「へえ……いきなり曲輪が来るの? ほんといい根性してるわね」
「部長と対峙してびびらないのって、この中じゃ俺だけなので」
内野中央でボールをジャンプキャッチするため、やはり出てくるのは部長だった。対して名乗りを上げたのは一である。理由は述べた通りだ。同じ条件なら呼子も萎縮はしないが、彼女は他の男子とともに元外野へ向かっているし、そもそも身長差がありすぎる。
『さーて始まりました体育祭の運命を決めるドッジボール、解説はこの私、櫓明莉が務めさせていただくっすよろしくお願いしまーす!』
と、テントの方からマイク越しに明莉の声が聞こえてくる。あまり写真を撮っている姿を見ないしばかに静かだと思ったらこのために体力を温存していたのだろう、どこまでも合理的な売名行為に一は嘆息した。
『十二対十二の精鋭達のデスマッチ、試合開始ィ! ――って私が言っちゃ駄目っすか?』
ずっこけそうになるがその直後にホイッスルが鳴り、ボールが舞った。
「よっし、あたしがもらっ……てあれ?」
高々と跳躍した部長がボールを手にしたのだろうが、一はそんなもの見ておらず、背後からは呆けたような声が追いかけてくる。それもそのはず。開始直後に全力で内野奥の自陣へと逃げ込んでいたのだから。
「最初からあたしが取るのは織り込み済みとしても……思い切りよすぎでしょ」
呆れ半分に部長がこぼしているが、ともかくこれで安全は確保できた。一は手近なガタイの良い運動部男子の後ろへ隠れようとしたが。
「……おい、曲輪」
「あれ、安原。いたのかお前」
「俺はお前の作戦とやらには従わねぇ。こっちはこっちで好きにやらせてもらうぜ」
馴れ合いはしないという事なのか。こいつの能力は頼りになりそうなのだが、勝手に暴れてくれればそれはそれで助けになる。一は大人しく頷き、特に苦言は呈さなかった。
しかしその矢先、さっそく部長から放たれたボールが味方を打ち据えていた。現場を目視する事はかなわなかったが、レーザービームじみた軌跡が空間に残っているのに身震いが起きる。
『おーっと! 開始早々部長さんの一撃だぁー! 白組、何もできなーい!』
ちなみに赤ボールは白ボールを取れなかったチームに渡されるのだが、牽制する暇もなかった。慌てて女子が赤ボールを投げつけるも、それは部長に容易に取られてしまう。
相手チームは外野に落ちそうな時以外できるだけ部長にボールを集める作戦を採っているようだ。まあ想定内である。部長が投げてれば勝てるのだから誰だってそうするだろう。
元外野の呼子、男子一名を除けばこちらは早くも九人――。
「とりゃあ!」
八人だ。また一人部長に屠られた。このペースは早すぎる。何とかして主導権を取り戻さないと。
焦りを覚えたその時、南が甘いコースで放られた赤いボールを横っ飛びでキャッチしていた。白いボールは運良く味方外野へ転がり、呼子が追いかけている。
「行くよ……!」
南から投げられたボールが、体勢の崩れている敵へと吸い込まれ――。
「えいっ」
横合いから割り込んできた伊勢が、それを捕まえていた。ボールの動きを読んでいたような鮮やかな体裁きで、バレーのアタックにも似た優美なフォームから投げ返して来る。
「ぐわぁ!」
「やった、当たった当たった!」
男子がやられた。ふがいないと言いたいところだが、あのスピードとコントロールは侮れない。恐らく部長に次ぐ強敵と見ていいだろう。やはり劣勢は免れないようだ。
『あーっと! 白組防戦一方だー! これは下馬評通り厳しい展開かーっ?』
おまけにちょくちょく明莉が大音量で出しゃばってくる上に、部長が誰か当てる度に応援席から女子達の黄色い歓声が上がって鬱陶しい。
「いくぞーなのだ!」
そこへ呼子が両手でボールを掴み、思い切り投げ込んで来る。妙にふわふわのろのろとして回転もないボールだが逆に敵チームの目を惑わすようで、ぽん、と軽い音を立てて敵女子の足に命中し、それからころころとこっちの内野まで転がって来てくれた。
「ナイスだ佐倉! まさかお前が一番槍とは!」
「あまり呼子を舐めてもらっては困るのだ……」
気合が入っているのか、今の呼子からは炎が立ち上っているように見える。ともあれ、やっと敵チームに損害を与え、元外野は内野へ戻れる権利を得た。これは大きい。
「おらぁああっ!」
さらにその白いボールを拾った安原が豪速球をぶち込み、敵男子を薙ぎ倒す。前に出ているため敵チームに威圧感を与えているのか、力ないボールでの反撃も軽々とキャッチし、間髪入れずまた一人を仕留めてのける。
「いいぞ安原、その意気だ!」
「俺に指図するな……!」
してない。が、そこへ立ちふさがったのは赤いボールを手にした部長である。
「ヤス、中々やるじゃん。だったら特別に、このあたしが相手してあげようかな!」
「どこからでも来てくれ、姐さん! 俺は必ず受け止めて見せる!」
「……その呼び方やめろっつってんだろコラァァァァッ!」
ぶちぎれた部長のボールが虚空を裂いて飛来した。さすがに全力ではないだろうが、一の鼓膜にははっきりと、雷鳴が轟くような振動音を刻み込まれ――すぱぁんといい音とともに安原の身体が後方へ吹っ飛び、真上へボールが跳ね上がっていた。
「や――安原ぁぁぁっ!」
南の悲痛な声が飛ぶ。審判が即座に顔面セーフと手を上げるも、肝心の安原は潰れたカエルのような体勢で仰向けに倒れ、鼻血を出しながら昏倒しているようだった。
「駄目だ、あいつはもう……!」
ぴく、ぴくと白目を剥いて痙攣する安原は保健委員達により担架で運ばれていく。
ついに犠牲者が出てしまったものの、試合自体は別につつがなく運んでいた。
中盤戦へ移行し、双方のチームは意外にも均等に脱落者を出していく。部長のエースぶりは無論の事だが、味方の食い下がりようも尋常ならざるもの。何としても勝つという執念の元、死を恐れず立ち向かい続けているのだ。
赤チームの元外野が復帰を果たし、こちらの人数は残り四人、相手も四人と均衡している。一はといえばなりふり構わず逃げ回り、まだ一人も倒していないが問題はない。
「審判、ここで復帰します!」
と、こちらでの元外野の男子が宣言した。足を止めた一は部長へ声をかける。
「どうします部長、これで人数的にはこっちが有利ですよ」
「だから? 内野に誰がいようが同じ事でしょ」
「……忠告しましたからね」
「曲輪くん、私と遊ぼうよ!」
と、いつまでも逃げ続けていたのが伊勢の目に留まったのか、白いボールがその腕から放られて来た。胴体を狙っての一撃だがスピードが半端でなく、まずいと思った矢先に。
「このっ……!」
南に助けられた。ちょうど真正面に入り込んでボールを抑え込んでくれたのである。囮として使われた感もなくはないが、勝利のためなら否やはない。
「伊勢先輩がこれほどの手練れだったなんて……! ――でも、それもここでぇっ!」
「あ、きゃあっ……」
渾身の速球がまだ態勢の整わない伊勢を襲い、気持ちの良い快音とともにボールを着弾させて尻餅をつかせていた。取りこぼしや甘いボールをすかさず器用に拾ってしまう伊勢を倒せたこの戦果は大きく、さしもの部長も顔色を変える。
「ひなっち、大丈夫!?」
「うん……ごめんねゆきちゃん、やられちゃった……」
「いいって。後はあたしに任せておいて」
あの二人仲良いな。じわりと胸の奥で何かがくすぶったものの、それをかき消すように明莉がまたも吼える。
『おおっとー!? ここで伊勢先輩がダウーン! 副リーダー的なポジションの彼女を倒された赤チームの動揺は大きく、逆に白組は絶好のチャンスだー!』
その通りで、このほど試合の流れは一気にこちらへ傾いた。続いて味方が敵を撃破し、ついに赤チームは残り二人となる。一人は部長と、そして――。
「あ、あれ、新寺……?」
「う、うん……?」
まさかの新寺である。あれだけの激戦の中一度も見かけた覚えはないのに、なぜか生き残っていた。そのステルス能力の高さには驚かされるが、そろそろ退場してもらおう。
「へへっ。悪いがあの子も俺様のキルスコアとして加算させてもらうぜ」
どこかで見たようなドレッドヘアーの男子が薄ら笑いを浮かべながらボールを投げつける。しかし新寺は短い悲鳴を上げて身を逸らし、寸前でそれを躱していた。
「どこ狙ってんのよ、へたくそ。ここは私がァ!」
連続して赤いボールを味方が叩き込むものの、今度はかがみ込むようにして頭上を通過させる。ぽかん、と一達は新寺を見つめた。
「攻撃が当たらない……? なんだ、あいつのあの、回避力は……」
そうして軌道を外れてスピードの落ちた赤いボールは、すたすたと歩いて来た部長に悠々と取られ、一は慄然とし――。
「まずい、避け――!」
「遅い!」
砲弾でも来るかのように地面へ身を伏せた直後、すぐ側で独創的な断末魔が上がり、ドレッドヘアーの男がはじき飛ばされていく。
「かなちー、その調子! とにかく避けて、隙を見てあたしが攻撃するからさ」
「う、うん……!」
なんて奴だ、と一は拳に汗を握る。ここまで生き延びて来たのはただ運だけではなかったのだ。しかも俊敏性とはかけ離れた与しやすそうな気弱な態度がまたデコイとして完璧すぎる。
思わぬ伏兵に脂汗が額を伝う。すると南ともう一人の白組女子が近寄って来た。
「曲輪くん、私達を捨て駒に使って」
「え……そ、それはどういう」
「曲輪くんならあの子――新寺さんの攻略法も分かるでしょ、同じ部員なんだし。だからそのためにあたし達を使って。切り捨ててくれてもいいから」
「またそういう無茶ぶりを……。けど、本当にいいんですか?」
南達は笑って頷く。一時の恥など大した事はないという、これがスポーツマンの負けん気というやつか。勝利への執念を今まさに肌で感じ、一は半ば圧倒されていた。
「……それじゃ、作戦――というよりシンプルな戦術を伝えます」
まず動いたのは白組女子だ。向こう見ずにも前へ出て、部長めがけてボールを放つ。
「甘いわね!」
当然とでもいうようにキャッチされた。決して遅いボールではないし、長期戦となっているのにこの身のこなしである。そうして返されたボールは、ものの見事に彼女を穿つ。
「ぐはっ……! あ、後は任せたぜ、お二人さん……!」
男らしく親指を立てて崩れゆくその屍を踏み越え、今度は南が部長を狙う。
「何度来たって同じ事だって!」
されどそれはフェイント。視線で狙いを誘導した南はコーナーの隅にいた新寺へ、懐から抜き出すようにボールを投球し。
「あうっ!」
ついに討ち取る。対応しきれず棒立ちだった新寺の脇腹へとボールは直撃したのだった。
「ううっ……当たっちゃった……やっぱり私、運動の才能ないのかな」
「そんな事ないって。かなちーにはあたしもびっくりしたし」
しゅんとする新寺を励ます部長。こういうところは部長っぽいのだが、何はともあれいよいよ生き残りは部長一人。
「ふっ……やはり頂点はこのあたし一人で充分って事ね。さあ、抗って見せなさいよ」
ラスボスの如く、コーナー中央で仁王立ちする部長。けれども一は宣告した。
「――残念ですけど部長、これでチェックメイトです」
「え?」
『いよいよ試合も終盤戦、これで決着がつくかと思いきや、どうやら曲輪さんには何か考えがあるみたいっす! これはまだまだ目が離せないぞッッッ!』
明莉がうるさい。一と南はそれぞれ白と赤いボールを持っており、部長はどこから来ても良いよう注視しているのだが。
一達は目を見合わせ、同時にボールを投げた。ただし目標は部長ではなく、味方側の外野。ならばと素早く部長が身を反転させるも、今度は外野から一達へボールがパスされる。
「……え? あれ? ちょっとあんたら……」
パス。またパス。ひたすら内野と外野でパス回し。その時審判が、残り一分を告げた。
「――ただの時間稼ぎじゃん!」
「すでに赤組の元外野は一度内野に戻っているので同数に戻られる心配はないですし、この戦法はルールで禁止されてません。他に違反覚悟で外野までボールを奪いに行くような戦力もそちらにはないので、部長にはこのまま封殺されていただきます」
「こんな勝ち方は不本意だけど、しょうがないかな。悪く思わないでね部長さん」
「ざけんなーッ!」
だしぬけに冷静になったような一達の動きに、部長が怒り狂う。そしてボールが宙を飛ぶ瞬間、その足を振り上げ――。
「だらっしゃあ!」
ねじるように地面を踏みつけ、クレーターを作り出しながら大量の土を周辺へ飛散させた。その土はもちろん、今まさにボールを受け取ろうとしていた外野の顔面へかかり。
「し、しまった!」
「甘い、甘すぎるのよ! 所詮浅知恵ってやつ? あはーひゃひゃひゃ!」
こぼれたボールを取った部長が、飛び散る土に仰天して後退する南へボールを打ち込む。
ばしん、とボールが跳ね返り、がくりと南は膝を突いた。
「……私はここまで、みたいだね。曲輪君……ごめん」
「そんな事は……! それもこれも、俺の作戦が駄目なせいで……っ」
「諦めないで。勝負は終わってないよ。……まだ手は、あるんでしょ?」
ひそやかに話しかけて来る南に、一は小さく頷きを返す。
「君なら、きっとできるよ。部長さんをぎゃふんと言わせちゃって!」
途中脱落は悔しいだろうに、その気持ちをつゆほども感じさせない清々しい笑みで立ち上がりながら、激励するように強めに一の背中を叩いて去っていく。
「……別れの挨拶は終わった?」
そうして振り向けば――そこには最強の敵。
「まあ、そうですね。時間をくれてありがとうございます」
「気にしないでよ、これくらい部長の心構えの一つに過ぎないし……それと」
白いボールを両手で抱え、部長は嗜虐的に目を細めて舌なめずりする。
「――部員を指導してあげるのも、部長の役目だし?」
「くっ……」
「せっかく二人きりになったんだから、時間いっぱいまでたっぷりいたぶってあげる。そのためにわざわざメインディッシュは最後まで残してたんだからね」
「……つまり、俺をわざと見逃してたんですか」
もちろん、と笑う部長。一はその悪辣さに寒気を覚えるが、ここで観念はできない。
二人の間を、砂を含んだ風が駆け抜ける。校舎の時計の針がまた一秒、進んだ。
「じゃあせいぜい楽しませてよね! ほーら!」
部長がボールを投げつけて来る。本来なら視認する事すら難しいそのボールはなんとか一でも反応できる速度であり、手を抜いているのが丸わかりだった。本当に一をいたぶる気なのだと、怒っていいのか怯えていいのか分からなくなる。
かろうじて飛びすさって回避するが外野も一に狙いをつけており、二つのボールをかわるがわる避け続ける羽目になった。こんなものただの一方的な耐久テストである。
「いいねいいね! ずっとあんたのそのクールな顔を歪めてやりたいと思ってたのよ!」
「いつも歪めさせてるじゃないですか、そのわがままっぷりで!」
「言ったなこいつ!」
もう何十分と躱し続けている気がするが、実際には十秒程度だろう。時間を確認する余力もなく、一は見る間に息が上がり、ボールすら持てなくなるほど消耗していった。
「ふうん、思ったより抵抗できるじゃない。でもそろそろ終わらせてしまおうかな」
「そうだね、ゆきちゃん。二人で曲輪くんに引導渡しちゃおっか」
「げっ……」
白いボールは部長の手にあるが、赤いボールは外野の伊勢が所持している。これまではしのぎ続けて来れたものの、部長が本気を出し、なおかつ伊勢が後ろから撃ち込んで来るのでは、生存確率はゼロに等しい――いや、ゼロだろう。
(万事休すか……!)
ここを越えなければ、勝利はあり得ない。全ての準備は万端で、後はここだけなのだ。
この死線を切り抜ければ、勝機が巡って来るというのに。一は滅多に浮かべない、歯がみのような悔しげな表情をしていた。
「楽しかったよ、曲輪ぁ。さあ楽にしてあげる!」
部長と伊勢の同時攻撃が来る。息ぴったりの、時間差で飛んでくるボール。どちらを向いても一方は死角。そして一方は一の動体視力を軽く超越している。
(ここまで……ここまで来て! ――ふざけるなよ……ッ!)
瞬間。一の頭に液体が流し込まれるような感覚とともに、視野が青く染まった。それは一寸の後に跡形もなく消え去ったが、同時に身体がひとりでに動いていて。
重心移動だけでふらっと、その場でよろめくように半身が逸れる。
周りで――観客席も含めて一斉に、息を呑むような声が上がった。何せ部長と伊勢が放ったボールが、そのような体勢を取った一の足下と脇を、すり抜けていったのだから。
「なっ……よ、避けた!?」
「今の……な、なに?」
『ミラクル、ミラクルっす! 曲輪さんがミラクルを! やべえかっけええええっ!』
二人から引きつったような驚愕の叫びと明莉の絶叫が重なり合い、一は遠くなりかけていた意識が駆け足で戻って来るのを感じて、目を開け――ほとんど脊髄反射で転がっていく赤いボールを捕まえると、味方の外野へ投げ込む。
「……まぐれとはいえ、やるじゃない。あたしを驚かせるとか、曲輪のくせに生意気」
あたりが静まりかえる中、味方外野からパスされて来る白いボールを取った部長が呟いた。一は気力だけで立っており、動く事すらできそうにない。そもそも、今何が起きたのか、自分でも把握しきれていないのだ。
(さっきのは一体……? い、いやしかし、これで……!)
「けど、二度目はないわよ! 今度こそ本気の本気で終わらせる!」
時間は残り五秒しかない。それが分かっているから、部長がラインぎりぎりまで駆け込んでくる。しかもちゃんと白組の外野から背を守るべく、内外野を後ろにして。
「食らえ――えっ?」
ぽん、と。あまりにもあっさりとした軽い音が部長の背中で鳴って、赤いボールが落ちた。直後、審判がホイッスルを吹き、試合終了を告げる。
「えー部長さんの敗退により、勝ったのは白組です! おめでとうございます!」
「――ちょ……ちょっ、え?」
ぽかーん、としたままの部長が振り向くと、そこに立っていた呼子がわっと叫んだ。
「や、やったのだ! 部長を倒したぞ、一!」
「うん、良くやったぞ佐倉。計画通りだな」
ふらふらと一も近寄って、呼子とハイタッチ。他の面々もめいめい歓声を上げ、喜びを分かち合っている。……それについていけないのは、部長のみだった。
「なななな、なんで!? え!? 負け!? あたし負けたの!?」
「はい。部長は佐倉に背中をボールで当てられて、負けました」
「大金星なのだ! 大将首なのだ!」
「なんでえええええええ!?」
簡単ですよ、と一は種明かしを始める。
「外野にいた佐倉が、赤いボールを拾って内外野に向かい、部長に当てました、はい」
「待ってよ! 意味分かんない! 内外野に入っちゃいけないんじゃないの!?」
「佐倉はいいんです。だって、審判に内野へ戻るって宣言した後なんですから」
は、と部長の顎が落ちる。まだよく呑み込めていないようなので、噛んで含めるように最初から解説してやる事にした。
「そもそも元外野の佐倉達は、序盤戦で敵を一人倒して、戻れる権利を得ています。その後、審判に復帰の旨を宣言して、いつでも戻れるようになりました。それは部長も聞いてましたよね?」
「聞いてた、聞いてた! だ、だけど……あ」
そこで部長は目を見開き。
「……戻ってないじゃん。どっちも」
「そうです。実はこれ、審判に宣言してから内野に戻るタイミングは必ずしも即座でなくていいんですね。宣言さえしておけばいつ戻っても構わない。そして重要なのはここですが――内外野から内野に戻るまでは外野としての攻撃能力は失っていないんです」
「だ、だからあたしが背を向けたのを見計らって、内外野から狙えた……?」
「そういう事です。ちなみに赤いボールを使うルールにしたのもこのため。元外野を二人にする事で男子の方が戻ったのだと部長を錯覚させつつ、佐倉が近寄って来ても警戒できないようにしました。おかげで簡単に内外野まで進入できたんです。その時部長はたった一人で助言すら受けられず時間もないので焦り、背後への集中を欠いていました」
「そんな……馬鹿な……」
「内野が誰でも同じ事でしょ。そう言って確認を怠ったのは部長ですし」
「ぐぬぬ……! ま、まだ納得できない。仮にあたしが油断しないでさっさと全滅させようとしたり、逆に引き分け狙いで動いてたらその作戦は破綻するじゃん!」
「油断したじゃないですか、現実に」
部長はふてくされて座り込んでしまう。そこに空気を読まない明莉のマイク音声が入る。
『いやーまさかの大番狂わせっしたね。久しぶりに熱くなれる名勝負でした! じゃあマイクをお返しするっす、櫓明莉でしたーっ』
「……まあ、全力で油断を誘ったのもあるんですけどね。この変則ルール、試合運び、個々の立ち回り……全てが部長にとって有利に運んでいるように見せかけてその実、最初から最後まで部長一人を狙い撃ちにした奇襲作戦だったんです」
誇張ではない。策が完全に成る前に誰か一人でも欠けていたらその時点で敗北は必至だったし、南の統率力と全員の団結力とが組み合わさった奇跡の勝利と呼ぶにふさわしい。
「部長なら引き分けなどというまだるっこしい勝ち方はしないでしょう。必ず全滅を狙いに来ますし、残った一人を高確率でいたぶる陰険な性格なのは把握してました」
「い、言いたい放題言って……! ――ああああ卑怯くさーっ!」
と言われても、一にはこれしかなかったのだ。部長相手にはスポーツというだけでハンデがでかすぎるため、それでも勝ちを拾うなら気の緩みを誘発するしかない。
「残念だったね、ゆきちゃん……まさかこんな終わり方になるなんて」
「ねーひなっち聞いてよー! 部員どもがいじめるーっ」
たまらず伊勢に泣きついている。よしよしと慰められているが、そこに南が歩み寄り。
「部長さん、紙一重だったけど私達の勝利だね」
「あー……仕方ない。はいはい、約束通り掛け持ちで柔道部に入るわよ」
「ううん、その事ならやっぱよしておくよ」
どんな風の吹き回しか、南がかぶりを振る。なんで、と部長も驚いていた。
「今回は皆の協力で勝てたけど、やっぱり私一人の力で部長さんを認めさせたいかなって」
「そ、そうなの……ならいいけど」
(スポーツマンシップってやつかなあ……どうせ無理なのに)
何ともフェアというか。悲しいのはそれを一も部長もいまいち理解できていない点だが。
「それにしても曲輪くっそーこいつ! いい? 次ははじめから容赦しないからなー」
いいですよ、と一が見下ろしながら口の端を曲げる。
「まあ――次も俺が勝ちますけど」
「うぜええええええっ!」
部長はわめき立てながら走り去っていってしまった。残された伊勢が苦笑して。
「でも、見事だったよ。曲輪くんて凄いなあって。恐れ入っちゃった」
「そ、そうですか……光栄です」
「それだけあの子を見ててくれてるんだって事も分かって、同時に嬉しくもなっちゃって」
「ま、まあ部員としてはこれくらい」
「結果的には、私としては安心かな……あれはあの子にとっていい薬になったはずだもん」
伊勢がいたずらっぽく一を見やり。
「きっと次からは宣言通り、手心なく総力で来るんじゃないかな」
「ま、マジですか……」
藪を突いて人食い大蛇を出してしまったというか。戦々恐々とする一と呼子である。
「次はできるだけ被害を抑えた派手な負け方を考えないとな……」
「今から気が重いのだ……」
「……なんてね。脅かすような事言ってごめん。実は私もちょっぴりだけ悔しかったから」
ぺろ、と赤い舌を出す伊勢。こうして、体育祭は白組の逆転勝利に終わったのだった。
「あ、あの……安原くんは?」
片付けを始める校庭で、保健室に運ばれた安原を、新寺だけが案じていた。
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