第11話 世津町 上
世津町は時代の先進性に取り残されないようその最後尾へ死にもの狂いでしがみつきながらも表面的には何食わぬ顔をしているような町である。衛星写真とかで上から町全体を俯瞰すればその意味がよく分かるだろう。
元々このあたり一帯は都心部から離れた人の手がついていない天然の山と森ばかりで、町とも村とも呼べないような集落が馴れ合うように、あるいは見張り合うようにして身を寄せ合い点在していただけだ。
現代のような快適に過ごせる施設なんか一つもないし、港すら整備されておらずからからに干からびたミイラのような砂浜だけが打ちっ放しにされていたという。
戦後に日本を蘇らせるべく大がかりな都市開発計画が持ち上がり、集落の付近を中心として森や山を削り町を作る事になった。理由は鉄道の通り道になるとか、砂浜が港湾の一つとして使えるからとかそんなものだ。
賃金目当てで参加した働き手の誰も地元に特産物や自然の眺望といったご当地の観光的価値に期待していなかったし、開発責任者の名前すらあやふやになるような、とにかく他が開発するから遅れないように、といったずさんで量産的な仕事である。
それ自体は珍しい風景ではなかったのだが、肝心の開発が遅々として進まない。
原因は人手不足とも、関係者達が未曾有の災厄に見舞われたともで、これまたはっきりしなかった。そんな有様だから建物の建築や道の整備は渾然としてまばらでいびつ。今になっても旧市街が世津町のど真ん中にあるのがその証拠だった。昔ながらの景色、と言えば聞こえはいいけれども。
とまあ、それが世津町について手当たり次第ネットで調べた結果判明した事だ。明莉に連れ出されてどこへ行こうかという話題でまったくついていけなかったのでごまかしつつ、一はスマホの画面に記載されている町内会のページを閉じる。
「これでいいのか世津町……もっと頑張れ世津町」
町内会の制作した投げやりなフレーズを自分なりに改変しつつ一は明莉と連れ立ってやって来た歩道橋から周囲を見回した。このあたりは学校と繁華街を結ぶ大通りで、国道沿い側の先には旧市街への入り口もある。
穏やかな陽気の下、オフィスビルから吐き出されるサラリーマン達は恐らく各々贔屓にしている料理店やコンビニなど昼食に行くのだろう。他にはバッグを抱えた主婦、散歩中の老人、職業不明の若者が幾人か雑踏に混じっている。
緩やかに流動する人々と、小ぎれいな町並みのアンニュイな午後。これで昨夜、高校生達がヤクザとやりあったり謎の襲撃者に格闘家が百人ぶちのめされたりする事件があったなど誰が思えようか。
「それで、どうするんだ櫓。すぐにも河川敷に向かうか?」
「いえいえ、それは違うっすよ曲輪さん。こういうのは地道に外堀から埋めてくものっす」
欄干から身を乗り出すようにしてカメラをかざし、あちこち向けていた明莉が振り返る。
「いいですか? 事件というものは現場で起きたように見えて、その実まったく関係ないと思われる場所にもっとも重要な手がかりが落ちていたりするんすよ。犯人が証拠を残したり、はたまた偶然にも目撃者がいたり」
「つまり……薬見川河川敷という本丸に攻め込む前に、町中で情報収集をしようって?」
「そういう事っす! どんなRPGでも最初はしらみ潰しな探索がつきもの。事実は小説より奇なりと言いまして、私は常にそのように遠回りに事を進めているわけっすね!」
「……だったらまずどこから調べる? さすがに町の隅々まで見ていったら日が暮れるぞ」
「そうっすねぇ……あ!」
明莉と連れ立って町をさまよっている内に遊歩道を抜けて公園へと差し掛かり、そのベンチの一つに一は知り合いの顔を見つけた。高校の先輩にして元文芸部部長、伊勢雛子である。
白いタンクトップに黒のレギンスというラフな出で立ちで、くびれた腰回りや普段長めの丈のスカートに隠されている脚線はしなやかながらも成熟した女性的な曲線を描き、折り目正しく制服を着こなす姿とはまた雰囲気が違い気づくのに数秒を要した。
タオルで汗を拭うような動作一つにもたおやかさを醸し出している事も手伝い、この人は多分何を着ても合うのだろうと思いながら、一は近づいて声をかける。
「こんにちは先輩。何をしてるんですか?」
「――あら、曲輪くん。奇遇だね、こんなところで会うなんて」
顔を上げた伊勢が好もしげな微笑みを浮かべる。その頬は運動を終えたかのように上気し、湿り気を帯びた黒髪と汗の流れる毛先が跳ねる様もなまめかしい。なんとなく一は視線を外し気味に会話する事にした。本当になんとなくだが。
「伊勢先輩こそ、こうして外で顔を合わせるのは初めてですよね」
スポーティな格好をしているが、ジョギングでもしていたのだろうか。一の疑問を察したように伊勢は首筋を拭っていたタオルを膝の上へ置いて。
「私、最近はジムに通ってるんだ。それでさっきも一汗流して来て、休憩中って感じなの」
「ジムって言うと、繁華街の方にあるダイエットのためのフィットネスジムとかですか?」
「ううん。普通にアスリートとかが使うトレーニングジムかな。体力作りがしたくて」
また意外な返答に一は目を丸くする。学校で会う伊勢はどこから見ても控えめな文学少女という風貌でそういったスポーツとは無縁に思えたのだが、まさかジムを利用してまで定期的に運動をしていたとは。
「なんていうか……驚きました。でもなんのためにですか? 伊勢先輩、別に運動不足ってわけでもないみたいなのに」
「そんな事ないよ。これでも体重の増減に一喜一憂してたり、お腹周りに無駄なお肉がつかないよう対策してるんだから。ジムにもたまに、私以外の西雲高の子も顔を出すしね」
そうなのか。こうして町を回ってみないと分からないものである。すると明莉がまたまたメモを取り出して。
「これはスクープっすよぉ……元文芸部の部長、なんとジムに通っていた! 穏やかなみんなのお姉さん、体型維持のための裏の顔に急接近! なんて見出しでどうっすかねぇ?」
「ふふ……でも私的にもイメージは崩したくないから、ほどほどにね」
明莉に新鮮なネタ扱いされても余裕を崩さず、ゆったりとした口調でたしなめている。
「曲輪くんこそ調子はどう? 部活動の方はうまくいってる?」
「あ、はい……前向きに努力してます。すいません、なんかいつも気遣っていただいて」
「気にしないで。私も応援してるもの」
励ますように笑いかけてくる伊勢の顔を見ていると心底奮起しなければと思わされる。 万が一にもあんなウェーイな部長のために再び部を失うような事になったら彼女に申し訳が立たないだろう。
「部長もまあ、今は割と部活にも協力的ですし」
「そう? それは良かったよ……あの子かなり気まぐれだから」
他に話題もあるだろうに、この人とは顔を合わせる度に部長の話をしている気がする。それだけあの人が台風の目のような存在だからだろうか。
「むっとするような事もあるだろうけど、ちゃんとかまってあげてね。結構さみしがりやだから」
「部長がひねくれてるのは分かりますけど、そうですかね」
そうだよ、と伊勢は茶目っけたっぷりに請け合う。
「だって夜なんかいつも私のところにメールしてくるもの。多い時なんか夜中までずっとチャットしてるんだ。おかげで一時は睡眠不足にまでなりそうで」
「マジですか」
しかし言われてみれば、かまってちゃんなところは確かにあるのだ。ある時など、あまりしつこいので無視していると突然絡みつかれて絞め技を食らった事もあるほどである。
「他にはもっぱら、余暇部について話してるかな。君の名前もよく出るよ」
「え……部長、何か言ってましたか?」
ぎくりとして聞き返すと、伊勢さんはいたずらっぽく唇の前へ指を立てて。
「ふふふ……内緒」
「な、なんですかそれ、気になるじゃないですか……」
「まあ、そのうちにね。でもあの子も、決していい加減な気持ちで部長をやってるわけじゃないのは私が保証するから、曲輪くんもよろしくね」
はい、と一は困ったような神妙な心持ちで頷くしかなかった。部長の思わぬ一面に驚かされつつも、伊勢にとっては手のかかる妹を見守る姉のような心境なのかも知れない。
同年代だがそれだけの包容力がこの人にはあるのだ。つくづく文芸部を辞してしまった事が惜しまれる。
伊勢のいる公園を後にして繁華街へ戻り、高架下をくぐってしばらく行くと川沿いから右へ折れた通りにゲームセンターがあった。それなりに年季を醸す二階建ての建物で、客も入って盛況な様子である。
「ゲームですか、いいっすねぇ……よし曲輪さん、入りましょう!」
「え、調査しないで遊ぶのかよ?」
「ノンノン、ゲームセンターといってもそう馬鹿にしたものでもないっすよ。どんなお堅い人でも趣味や娯楽にふける時は無防備な顔を見せてくれるっすからね。人間観察の場としては存外優秀なんですこれが」
とかなんとか言いくるめられ、入る事になった。中にはゲームの筐体が等間隔に並べられ、ちかちかと画面がちらつき、店内にもノリノリのロックな音楽が響き渡っている。
「色々あるな……こういうところに入るのって何気に初かも」
「曲輪さん曲輪さん、プリクラ撮りませんか? にひひっ!」
「あのな……人間観察はどうしたんだよ」
店の空気に当てられたのか浮かれ気味な明莉を諫めていると、そんな二人の前へ近づいてくる人物がいた。
「――あれ、曲輪じゃん。なんでいんの」
「ぶ、部長?」
歩み寄って来たのは部長である。いつものジャージではなくグレーのパーカーにジーンズといったボーイッシュな格好で、両手をポケットに突っ込んで口にロリポップをくわえていた。思わぬ遭遇に一が若干あたふたしていると。
「なーによ、その慌てぶりは。あたしがここにいるのがそんなおかしい?」
「い、いや、そういうわけじゃ……部長でもこういうところで遊ぶんだなって」
「ま、気分転換には悪くないし。てか、そっちは調査どうしたの? 何道草食ってるの」
やはりというか問いただされた。別に遊んでいるわけではなくこれもれっきとした人間観察の一環なのだ、と弁明しようとするが、どう見ても苦しいのは自分でも分かった。
「にひひ、たまには休息も必要って事っすよ。調査の方はもう順風満帆に進んでるっす」
そんなうさんくさい話しぶりでごまかされる奴なんているのかと思ったが、それで疑わしそうだった部長はあっさり態度を和らげて。
「だったらちょっと遊んでいきなよ。あっちにこないだ出たばかりのガンシューがあってさ。二人プレイできるから、曲輪来てよ」
「えっ、俺ですか?」
よもや指名されるとは思わず反応が遅れるも、どうにか断りのセリフを述べる。
「いやいや、それはさすがに……俺、反射神経使うゲーム苦手ですし」
「しょうがないわねー……じゃあ得点であたしに勝てたら、このクレーンゲームで手に入れたお菓子を進呈しよう! それならやる気出るでしょ?」
部長がポケットから十円くらいで買えそうな小ぶりなチョコをじゃらじゃら出す。というかこんな小さなものどうやってクレーンゲームでつまんだのだろう。
「ちなみに、部長が勝ったら……?」
「別に何も。あ、その代わりゲームのコインは二人分、曲輪が払ってね」
遊ぼう! 遊ぼう! とすでに部長はその気満々なのか落ち着かない。どれだけ遊びたいのかと校外でも変わらぬ押しの強さに辟易しながらも、一は同行者へ振り返る。
「……そういうわけだから、櫓。ちょっと待たせる事になるけど」
「構わないっすよ、私は後ろから曲輪さんに声援を送ってるんで!」
それはそれで気が散るが、ともかく一は断りきれず部長と遊ぶ事になった。二人でガンシューティングの筐体前に行き、言われた通りコインを支払う。ゲームスタートだ。
「うらー!」
その直後に後悔した。みるみる画面のターゲットが部長によって撃ち抜かれていく。
ガンの赤外線が画面を認識するのが遅れるほどのスピード。及び精度。懸命に食い下がったものの点数としては大差をつけられて、一は負けた。惨敗である。
「ゆ、油断した……同じ対戦でも、運が絡んだり駆け引きのきくゲームならまだ勝ち目があったものを」
「ふっふーん。まあこんなもんね」
指に引っかけたガンを回し、得意げに平坦な胸を張る部長。この人の頭抜けた動体視力やらに勝てるはずもなく、ゲームの前に連れて来られた時点で負けていたのだろう。
一をけちょんけちょんにして満足したのか、部長は別のゲームをあさりに行った。残された一は残念賞という事で一つもらったチョコを噛み潰しながら、苦虫も噛み潰す。
「いやぁ残念っしたね曲輪さん。後一歩のところで負けてしまうとは」
「まったく惜しくなかったけどな。……なあ櫓。もしかしてこの結果、予想してたか?」
「いえいえ、そんな事は! もちろんこの勝負、曲輪さんには苦しい展開になるんじゃないかとはちょっとだけ感じてたっすけど」
やはり気がついていた上に傍観していたのだ。こいつもこいつで性格が悪い。
「そういえば曲輪さんて、余暇部部員の中では最古参なんでしょう? なら部長さんとの付き合いも長いわけっすよね?」
「そうだけど、部長と直接知り合ったのはほんの数週間前だし、付き合いの長さで言うなら同級生の伊勢先輩やクラスメイトが一番長いと思う。……面と向かって言葉を交わすまでは俺も、はた迷惑な暴れ者が学校にいるもんだくらいしか感じなかったしな」
そんな部長は、余暇部を作る前は何をしていたのだろう。一はもちろん、明莉ですらまだそこまで調べられていないようだった。
「遠目からだと何だか浮世離れして泰然としているようっすけれど、話してみると割りあい普通の人なんですよね」
「そうだな……そのへんも含めて、あの人は色々誤解されてると思う」
とにかく、二人はゲームセンターを離れて再び町中へ。
「だんだん、お前が遊びたいから町を巡っているだけのような気がしてきたぞ」
「そ、そんな事はないっすよ! えっとそれじゃそろそろ本当に休憩にしませんか。ほら、あそこに良さそうな雰囲気の喫茶店があるっす、一服していきましょう!」
そんな風にして明莉に連れて来られた店は車道が遠く静かで、装飾も派手すぎず清潔感があり、丁寧にこざっぱりとまとまった印象があった。外国から仕入れた品らしきアンティークな置物が窓辺に飾られているのもポイントが高い。
「もう二時半か……軽く何か腹に入れるのもいいかな。と――?」
「おおう、一なのだ」
「曲輪くん、こんにちは」
空いた座席を探していると、禁煙になっている窓側のテーブル席に呼子と新寺が座っているのを見つけた。今日はよくよく知り合いに会うなと思いながら、一はそちらへ歩く。
「一休みに来たんだけど、俺達もここでいい?」
「構わないのだ。遠慮なくくつろいでいくといいぞ」
喫茶店の主のようないかめしい態度に苦笑しつつ、明莉と二人で残っている二つの席へ腰掛ける。店員が水とメニューを持って来たので、一はアイスコーヒーを頼んでおいた。
「二人は揃って何をしてたんだ?」
「一緒に小物屋を巡って、部室のコーディネートに良さそうなものを見繕っていたのだ」
「うん。ラグジュアリーショップとか高いのには手が届かないけど、その分気持ちを込めた手作りにしたいな、って」
そうなのか。さっそく文芸部らしい活動をしているとは素直に奇特である。一方部長はゲームセンターで羽目を外している事は隠しておいた方がいいだろう。
「あの、部長さんはどうしてるのかな。こんな飾りつけにして欲しいとか、良かったら希望を聞きたいんだけど」
「え、あ、いや、今日はもう部室にはいないんじゃないかな……メールとかで聞けば?」
そう言うと新寺は押し黙り、テーブルへ目を落としてしまう。横合いから呼子が言った。
「香苗はまだ部長とアドレスを交換してないのだ。呼子は全員と交換したぞ」
「そうなのか……どうして? 言えば普通に教えてくれるのに」
「うん……それは分かってるんだけど、その」
何事か言いにくそうにする新寺に、一は思い当たる事があった。
「そっか……前に部長にひどい事言われたもんな。だから近寄りがたいのか」
「近寄りがたい、っていうか……どういう顔をして話せばいいか、ちょっと分からなくて」
「でもさ――新寺はできたじゃん」
え、と新寺が顔を上げる。
「刀蔵に立ち向かう事。お父さんのためにさ。それができたんなら、もう部長に引け目を感じる事ないって」
「わ、私はそんなんじゃ……ただ無我夢中で」
「呼子も香苗の勇姿をこの目にしかと焼き付けたぞ。格好よかったのだ」
「ああ。これで部長を見返せるな。……だろ?」
すると新寺もこわばった面持ちを緩ませ、くすりと笑う。
「うん……ありがとう、二人とも」
「ところであれはどうなった? 男が苦手っていう、あの」
それなんだけど、と新寺が再度表情を曇らせる。
「まだ完全には治ってない、かな……刀蔵の時はがむしゃらだったからそこまで気にならなかったけど、今はまだ」
やはり新寺親子の受けた傷はいまだ膿み、快癒までには相応の時間がかかるのだろう。
「あ、でもね、例外もあるんだ。たとえばお父さんは平気だし、それに……曲輪くんも大丈夫かな」
「俺も?」
「うん。すごく信頼できる人なのは分かってるし、それに他の男の人と違って怖い感じがないっていうか、優しそうだから……」
それは裏を返せばあまり男らしくない、という事ではないのか。喜んでいいのか複雑なところだが、新寺が苦労なく接してくれるなら言う事はない。
「そうっすねぇ、曲輪さんは汗臭い感じもしない見た目草食系ですし、ひょっとしたら女子にも人気があるんじゃないっすか?」
「からかうのはやめろよ、櫓……実際のランキングとか見たらへこみそうだし」
それからは他愛のない話で盛り上がり、飲み物で喉も潤わせた二十分後、そろそろ解散という段になり、明莉が言った。
「ちなみに代金はどうしましょうか」
「どうって……割り勘だろ」
「ふむふむ……曲輪さんはガールフレンドには奢らないタイプ、と」
「何言ってんだよ……」
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