第10話 KKK

「はあ……やれやれ。またおかしな奴に目をつけられちゃったもんだね」

 解散後、部室でソファに腰掛け、両腕を頭の後ろに回してぼやく部長。一はそこへ、静かに声をかけた。

「部長……ちょっといいですか?」

「へ? まだいたの、曲輪? 出かける支度とかしなくていいわけ」

「昼休みが終わるにはまだ猶予あるんで。……それより、聞きたい事がいくつかあって」

 一はややためらいながらも、ぎこちなく腕を動かして部長へかざすようにし。

「あの……昨日やったあれ。ぐにゅーんどかんってやつ。あれについてなんですけど」

「……ぷはっ。何その擬音! ちょっ……やめて、うける。小学生じゃあるまいし!」

 一は腕を下ろして目を泳がせた。顔が熱くなる。実際他に聞きようはあったのに、質問した後の展開ばかり考えていたせいでおろそかになった結果がこれである。それに負け惜しみのようだが、部長もことネーミングセンスにおいては人の事を笑えないと思う。

「と、とにかくですよ! あれについて詳しく聞きたいです。確かき、きなんとかって」

「KKK」

「は?」

「『鬼気砲きっききゃのん 』、って書いてKKKってあたしは略してる。だから呼ぶならそれでお願い」

 はあ、と一は頷いた。略し方はまだしも鬼気砲って。もう少しましな名前はないのか。

「で……鬼気砲がどうしたって?」

「その、良かったら俺にも、あれの使い方を教えてもらえませんかね」

 その要求には意表を突かれたらしく、部長は軽く目を見開いて姿勢を正す。

「……本気で言ってんの?」

「まあ、そこそこ」

 昨夜、そして一昨日。一もまた思うところがあったのだ。ちゃぶ台の冷たさを感じつつその上で手を組み、木目を見るようにして訥々と話し始める。

「俺……この間から全然役に立ててないなって。暴走族の時も、昨日も。佐倉や新寺を守らなきゃいけなかったのに、結局全部部長に頼りきりで」

「……それで?」

「だから、ええと、部長みたいにとはいかなくても、ああいう事の一つでもできれば、わずかにでも戦力になれるんじゃないかって。後ろで部長が戦うのを、ただ眺めるだけなのはその、心臓にも悪いですし」

 ぽつぽつとした語り口に、部長ははーとため息をつき、ぼりぼりと頭頂部を掻く。

「……ま、あんたの言う通り、荒事になるとてんで力不足ではあるわね」

「はい……」

「だけど、あたしにできない事ができる」

「え……?」

「暴走族の時はあたしが到着するまでにヨビーに傷一つつけなかったし、刀蔵の時もそう。かなちーもヨビーも守りきった。喧嘩なんてした事ないくせにできるだけ最善手を選んで、クソ度胸で行動して、いつだってあたしが来るまで持ちこたえてた」

「部長……」

「……あたしだって、悪者をやっつけても部員が傷ついてたら、そりゃ寝覚めが悪いわよ。でもあんたのおかげであたしは、いつも胸がすくようなハッピーエンドで終わらせられた。後味ってやつ? あれがいつも良かったわけ」

 部長がここまで饒舌というか、誰かしらについての評価を語るような事はなかった。されどもよそを向きながらも吐息混じりに、一への品評を伝えてくる。

「あんたはあんたでいいじゃん。つんのめって多くを求める必要なんてない。あんたらしいやり方でやってけば、あたしだってその……安心できるし。ちょっとは」

 部長、と一は長い髪の隙間からこちらを盗み見るようにする少女を見返して。


「でも鬼気砲覚えたいです」

「おまっ話聞いてた!?」


「すいません。けど部長の言う通り、俺にも俺なりにできる事があるんだと思います。強くなりたいなら体力作りするとか、それこそ格闘技でも始めるとか。……でも」

 一は苦笑するように斜め上方向へ目を逸らし。

「正直鬼気砲さえあれば、他になんにもいらないですよね?」

「……ですよねー」

 部長もまたへらっと苦い笑いを浮かべた。そうなのだ。あれさえ使えれば前述に挙げたような小癪な努力など必要ない。何せ素手のままバズーカを放てるようなものなのである。

「だけど威力がやばすぎるでしょ。あんなもん人に撃ったら粉微塵になるって」

「そうですけど、脅しや抑止力という意味でも手持ちにしておきたいです。合理的ですし、労力も少なそうですし。……ていうかあれ、なんですか? 技? 魔法? 超能力?」

「技。えーとね、こうやって構えた手のひらから……」

 部長はソファから立ち上がり、一へ向けて腕を突き出して構え。

「……気合を打ち出す。で、炸裂させる。それだけ」

「なるほど。てんで原理が分からない感じですけど、その技、俺みたいな運動苦手な素人にも使えるんですか?」

 最重要なのはそこである。鬼気砲などというあらゆる法則を無視したような馬鹿げた技は、それこそ部長のような超生物がいてこそ始めて形になるというか。たとえば今ここで一が同じように構えたところで、ただちに使えるようになるとはとても思えない。

「そんなの分かるわけないわよ。誰だってそりゃ、そう簡単にあんな大技使えるわけないでしょ。普通こういうのって厳しい修行の末に開眼するようなもんじゃないの?」

「じゃないの、ってなんで疑問系なんですか」

「だってこの技、前に似たようなのを使ってる奴から盗んで覚えただけだし」

 天才ですか。だが、逆に一は吹っ切れてきた。

「まあ俺もたゆまぬ特訓を重ねるような体育会系じゃないですからいいですよ。楽な道があったら迷わずそっち通ります」

「真面目に鍛えた方が回り道にしても確実だと思うんだけど」

「あえて茨の道を進んで、後の方を楽にしたいんですよ」

「あーそれちょっと分かる」

 共感を覚えた事で部長も心を動かされたのか、一に向かい合うよう指示して来た。

「まずフォームが正しくないと出ないから。構えはこう」

 部長は右腕をまっすぐ突き出し、左手で手首の辺りを掴んで固定するようにする。一もそれにならって同じ体勢を取った。

「こうですか……?」

「うんうん、そんなん。で、足はちゃんと開いて、つま先を前にして踏みしめる感じで」

 部長のフォームを見よう見まねでするものの、突き出す腕が疲れてぷるぷる震えて来た。

「あーちょっと崩れて来てる。どっちもしっかりやんないと駄目だから。ほらこうやって」

「あ……」

 何気なく後ろに回った部長が一の背中へ寄り添うようにして、腕を回して抱きつくようにフォームを直させる。

「そうそう。そうやって片手で照準を支えて反動を抑え込……じゃなくて受け流す感じで」

 ジャージ越しとはいえ、部長の身体の感触がいくらか密着した。間近にある手首や手の甲はすべすべとして張りがあるが血管が浮くほど華奢で、強く力を込めればすぐに折れてしまいそうだ。そんな腕や足でどうしてあれだけの剛力が出るのか、ほとほと謎である。

「ちょっと、また足が閉じて来てるし……話聞いてる?」

 苛立った声を上げてさらにくっついて来る部長。白い一房が頬を撫でるようにくすぐる。

「え、はい、聞いてますよ……」

 無意識に離れようとして、逃がすまいとまたも部長が力を入れて来る。一は平静を装いながらもフォームを必死に修正し、たっぷり三十秒程してからようやく解放してもらった。

(ところどころ筋張ってたけど……意外に柔らかかった。胸はないけど)

 首筋や肩甲骨のあたりにまだぬくもりと吐息の香りが残り、少し心臓が拍動していた。異性として認識はできないが、やはり部長は異性なのかも知れない。そう思わされる。

「まーこんなもんかな。他にコツがあるといえば……」

 定位置のソファに戻った部長は腰まで沈み込みつつ、視線を天井へ跳ね上げた。

「気合って言っても適当じゃ駄目。腹の底から全部の力を出し切るくらいの気迫じゃないと意味がない」

「全部の力を……?」

「それこそ人をやめた鬼のようにね。うまく出ても体力を消耗するから、あんたじゃ差し詰め使えて一回かな。一日一回が限度で、使った瞬間倒れてもおかしくないわね」

 そこまで習得は難しく、なおかつ燃費もひどいらしい。そしてまだぴんと来ないものの、一番の鍵にして難関は気合、という点にあるように思えた。

「俺……気合なんて出ますかね。自分でも内気な方だと思うんですけど」

「内気と気合は因果関係ゼロっしょ。要するにどんだけマジになれるか。許せない相手がいるとか、どうしてもかなえたい願いがあるとか、それくらい歯を食いしばって踏ん張らないと本当にすごい気合ってのは出ないとあたしは思う」

 それもそうだ、一理ある。しかし今の一に、そこまで本気で打ち込めるような物事があるだろうか。はなはだ疑問である。

「だけどそのへん、あたしは心配してないな。だってあんた、その気になれば気迫くらい出せるでしょ?」

「そう……ですかね」

 自信なさげな一に、部長はしれっと頷いて見せた。

「あんたは男らしく進んで前に出る性格じゃないし、活躍は誰かに譲って後方支援とかが似合うと自分じゃ思ってるだろうけど……にっちもさっちもいかないとこまで追い詰められてやっとマジになるタイプだから。いわゆるスロースターターとかそういうの。ま、あたしとしちゃもっと覇気を持っててもいいと思うけどね」

 あたしの勝手な見立てだけど、と肩をすくめる部長に、けれども一は気持ちが軽くなる。

「そんな風に思われてたなんて、初めて知りましたよ」

「これでも人を見る目はあるつもりだから。あんたの事は一目見た時、ただ者だなって感じただけよ」

「ただ者なんですか……」

 部長にとってのただ者なら、それはそれで常人とはかけ離れているようで喜んでいいのか複雑である。ともかく確かに大変だろうが、そこまで悲観する事もないのだ。そもそも本当に鬼気砲習得が不可能なら、部長は最初から無理だと言って断っているだろうから。

「部長……一つ聞いていいですか」

「なにさーあらたまって」

「部長はなぜ、そんなに強いんですか?」

「……はぁ? なにその問いかけ、一昨日もヤスに聞かれたばっかりなのに」

「いえ、実力もそうですけど、精神的にも。やっぱその、いくら強くたって暴力とか、怖いじゃないですか。相手が何人もいたり、武器を持ってたり。昨日だって、一発で人の命を奪える銃を向けられた。……なのに部長は平気な顔してる。どうしてそこまで、強くいられるのかな、って」

 ソファの肘掛け部分に寄りかかって漫画を開こうとしていた部長が、手を止める。

「……別に平気ってわけじゃないよ。相手を殴る時とか、攻撃を避ける時とか結構ハイになってるし」

「戦闘狂って事ですか?」

「いや、あたしが平和主義者なの知ってるでしょ。皮肉はやめてよ」

 それこそ皮肉か悪い冗談な気がしたのだが、一は空気を読んでツッコまなかった。

「強さとか弱さとか……そういうのにそこまで違いがあるとはあたしは思えないのよね。ただ、そういう奴に限ってスタート地点に差があるってだけで」

「才能の違い、とかですか……?」

「うーん……どうなんだろ。人ってさ、生まれながらに色々決められてるじゃん。どこで生まれたとか、性別とか人種とか。あたしはたまたま、生まれながらに強くなるよう与えられた。だからあんたは――他の奴もみんな、あたしが強いように感じてる」

「与えられたって……何にです?」

「神様、とか……天、とか? なんかそういう、全部を決めてる奴」

 部長も慎重に言葉を選んでいるようで、それでもはっきりしない物言いはまた滅多に見られないものでもあった。

「だけど、素質があったとしても努力しないと、実力を開花させられないじゃないですか。部長だって生まれていきなりそれだけ強いわけじゃなかったんでしょう」

「そう……なのかな。でも、本人は自分の力で強くなってると思ってても……そういう意志の動き方とか環境とか、何もかもまで最初からそうなるよう仕向けられてた、としたら」

 それはまさしく、運命とか必然とかいうものではないか。何やら話が大きくなって来たような気がして一も困惑するが、部長もまた何かに迷いを覚えている風だった。

「とにかく……あたしが言いたいのはさ」

 部長は半身をひねって振り返り、顔の横で指示棒のように細長い人差し指を立てる。

「――強い奴は強いし、弱い奴は弱いってこと」

「それは……はじめからそう定められてるからですか?」

「いや、まったく違う。たとえばさ、その本人がどう生きて、どう死ぬのか選びようがなかったとしても……そういうのを無視して、知った事かってばかりに強くなる奴はいるんだよ。反対に何もしないで弱いままの奴もいる。その方が要領よく生きられるって知ってるから。どっちが良いとか悪いとかじゃない。そういうもんだって、あたしは思ってる」

 部長の発言はいつだって言葉が足りなかったり説明不足だったり、反対に語りすぎてよく分からない事も多いけれど……時々には、不思議と心に留まる言葉もある。

 今がそうだった。一は部長の発言を胸中で幾度も、反芻する。

「強い奴は強い……弱い奴は弱い……か」

 強い奴は強くて当然、というより、それ以外の可能性も含めて、強さも弱さも等しく価値があると認めるような口ぶり。だったら、と一は思った。

(俺も……強くなれるのかな)

 鬼気砲さえあればいい、と考えてはいた。一つの事に特化しておけば、その分時間に余裕ができ、人生を楽しめる。わざわざ自分を苦しめずとも、それが賢いやり方。

 だが……やっぱり、それもやめよう。そして始めたい。技の練習だけじゃなくて、ランニングとか筋トレとか……もっと色々やってみようか。

「部長はいつもだらけてますし、俺の方がそのうち強くなっちゃったりして」

「じゃああたしより強くなって楽させてよ」

 それ人生何回かかるんですか、と一も軽口を返す。楽をするためという不純な動機とはいえ、目的を持つのはいいものだ。それに部長の哲学みたいなのを少し知れた気がする。

(さっきの語ってる時の部長、妙に達観してるというか、老成した雰囲気だったな)

 遠くを見るように言葉を紡ぐ部長はどことなく隔絶されたようでいて、なのに神秘的だった。いつかの日のように魅入られてしまっていた事が気恥ずかしく、一は話を続ける。

「何ていうか、部長らしい言い方ですよね。上を見るわけでもなく、下を見下すでもなく」

「まあね。自分の道は自分の力で切り開くーとか寒い御託よりは自分で言っててしっくりくるし」

 部長はおどけたように首をすくめ、朗らかに笑った。

「だからあんたはもっと自分に自信持ちなよ。このあたしがお墨付きしてやってるんだから充分じゃない」

 一ははっとさせられた。そうだ。部長が一の相談に乗ってくれたのも、練習に付き合ってくれたのも思えば全部、一を励ますためだったのだろう。

「……考えておきます。まあこの部は俺のおかげでもってますしね」

「天狗になってんじゃないの。あたしへの敬意を常に忘れないように」

 指で額をぐりぐりされたがようやくいつもの調子が戻って来る。一は部長のいじりというより照れから逃げるようにして、部室を出た。

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