三章 第9話 櫓明莉
「ひまー」
「うわっ!」
スマホから目を上げると、音もなくソファから降りていた部長がちゃぶ台にだらしなく上半身をもたれ、鼻の当たりそうなドアップで一の顔を覗き込んでいた。
「突然なんですか、顔当たりそうなんですけど!」
「あのさあ曲輪。暇なんだけど」
「さっき聞きましたよ、離れて下さい」
むっつりとした面持ちを崩さない部長を押しのけ、一は座布団に座り直す。
「ひまだー……こうなったら曲輪をいじめて遊ぶか」
低い声色の中に危険信号を感じ取った一はすぐさま対処するべく、一旦スマホを置いて相対する。
一は嘆息し、部長へ目線を戻す。
「部長。ちょっと会わせたい人がいます。そろそろ来るはずです」
「え。あたしは会うって言ってないけど」
「部長の返事そのものはどうでもいいです、ただの確認作業なので。……お、来た」
廊下の方に気配を感じ、一は腰を上げて立ち上がり、呼び掛ける。
「遠慮しないで入っていいぞ」
声に応じるようにして控えめにドアが開かれ、現れたのは新寺だった。
「あ、あの……こんにちは」
昨夜の果敢ぶりはどこへやら、今は元のように緊張とへっぴり腰がないまぜになった、なんとも言えないおどおどとした表情である。するとだらけていた呼子と部長も身を起こし。
「香苗なのだ。一日ぶりだぞ」
「うーす、かなちー」
「かなちー?」
一が首を傾げると、手を下ろした部長はソファに座り直しつつ流し目を寄越す。
「あだ名。昨日遅くまで考えてたのよね。香苗だからかなちー」
「かなちーって……まあヨビーよりはいいかも知れませんけど」
「分かりやすいのだ。呼子は呼ばないが」
閉口する一に、新寺は空いたちゃぶ台の前に腰を下ろしながら困ったように苦笑する。
「じゃあ、それでお願いしますね。えっと、今日は私、入部届を出して来たので……受理自体はまだですけど、先に挨拶の方に来てみました」
「へー。あ、もしかしてさっき曲輪がスマホいじってたの、かなちーと連絡取ってたから?」
「はい。アドレスは昨日の内に交換しといたんで、この昼休み中に来てもらえないか聞いたら、うまく予定が合ったんで」
そっか、と頷く部長だが、ふと物思わしげに眼を細めて。
「……そういえばどうだった? あのヤクザとの話し合い」
その話題が出ると部室内の空気の温度が低くなり、新寺も真顔になる。
「……部長さん達と別れた後、私とお父さんと、刀蔵の三者のみで話し合いました。借金の帳消し、及び親類の人達への脅迫、恐喝行為の禁止……今までされた事、色々について」
新寺の話では、刀蔵は終始新寺側の要求を受け入れ、誓約書まで記入して正式に約束を取り付けたそうだ。そしてこれまで被害を与えた事を謝罪し、不当に吸い上げた金銭も時間をかけて返還していくとの事。
「つまり、手を引くだけじゃなくお金まで返してもらえるのか……」
「すごいのだ。よくそこまでこぎ着けられたのだ」
「まだまだ細かい条件や煮詰めなきゃいけない部分は残っていますけど、おおよそのところは決着をつけたつもりです。――刀蔵、まるで人が変わったみたいに素直になって、ちょっと可愛かったくらい」
くす、と微笑む新寺に一はなぜかぶるりと寒気を覚えたが、ともかく事態はうまく終息してくれたらしい。
「まあ、あれだけ部長にびびらされたんだし、下手な弁護士を呼ぶよりよほど効果は覿面か。逆にあのまま警察に逃げ込まれたら、もっと面倒くさい事になってただろうし」
「まだ油断はできないけどね。仁義なんて言葉はあいつらにないし。隙を見せるといつ牙むかれるか分かったもんじゃない」
「……部長、やけにその手の輩に詳しいですね」
「たまにそういういざこざを見たりして来たからね。多少は知識が頭に入るもんよ」
上の奴、とかいう口ぶりからして部長の事だから見ただけ、で済んでいればいいのだが。実際今回は真正面から組の構成員とやり合ったわけなのだし。
「とにかく、この一件は落着したって事でいいんだよな? なら一安心だ」
「そーね。あたしもかなちーが新入部員で来てくれるのは歓迎」
「呼子は部の先輩なのだ。先達として敬うとよいぞ」
「……うん。みんな、よろしくお願いします」
元々そういう取引とはいえ、打算の醸し出すシニカルな空気はない。一達は新寺を温かく部員として迎えたのだった。
「ところでかなちーは何ができるの? 実はあたしみたいに超強いとか」
「そ、そんなのはないよ……! えっと、特技ってわけじゃないけど、アクセサリーとか小物作りが得意かな。編み物もちょっとならできるし。だから前から思ってたんだけど、部員になったらこの部室を飾り付けてデコレーションしたいな、って」
なるほど。新寺の特技も観点も、今までの余暇部にはなかったものだ。新しい風を吹き込ませる事ができた気がして、一も嬉しくなってくる。
「そうなのだ。呼子もこの部屋には華がないと常々思っていたのだ」
「でしょう? 今はまだ材料が足りないけど、暇を見て集めて、色々試してみたいんだ」
「――やれやれあんた達、分かってないわね。そんな事しなくても、ここにはあたしという大輪の花がいるでしょ」
「それは頼もしいな新寺。期待させてもらうよ」
一は部長の発言を華麗にスルーし、応援を投げかけておく。
「曲輪はともかく全員シカトとかいい度胸してるじゃない……。ま、まあそれにしても、これで必要な人数は揃ったんでしょ?」
「そうですね。揃っちゃいましたね」
「て事は……? て事は……!?」
目を輝かせて二回も催促し、うずうずと身を震わせる部長に、一は苦笑がちに頷いた。
「はい。当面は存亡の危機を脱したと見ていいでしょう」
「やったーいっ!」
ソファの背もたれへもたれかかりながら、ぱーっと華やぐように両腕を振り上げる部長。全身で喜びを表現したかと思うと、そのまま腕を組んでふんぞり返った。
「これもあたしの尽力さまさまってね。本気でやればこんなもんでしょ」
ここで部員をねぎらわないのがこの人が部長たるゆえんである。今さら呆れもしないが。
どのみち一も大して期待せず始めた事である。それがまさかここまですんなりうまくいくとは思いもしなかったのだ。多少は調子に乗っても罰は当たらないだろう。
(いや、そうでもないか……暴走族と事を構えたり、ヤクザを相手取ったり)
部員集めも大変である――余暇部に限った話だろうが。
ただ。
「部長、ひとしきり喜んでいるところで悪いんですけど、少し見てもらいたい案件が」
今回討議すべき議題はもう一件あるのだ。部員集めほどではないが、これも捨て置くわけにはいかないのである。一は鞄に仕舞っていた一枚の新聞を取りだし、提出する。
「んん……? 校内新聞じゃん。あれ、また号外?」
案の定部長も初耳のようで、新聞の広げられたちゃぶ台へ目を落とす。
「『旧市街にて余暇部部長、今度は闇金業者の元締めを成敗! 借金の取り立てに困窮していた西雲高一年生少女を救う』……なにこれ、ぷっ」
表情が当惑から吹き出しに変わったのは、貼られていた写真が失禁オブ卒倒した刀蔵を接写したものであるからだろう。その反応も想定内なので、一は真面目に続けた。
「見出しや記事はだいぶ脚色を加えられてますけど、この新聞は今日の朝から学校中に貼られていたものです。おかげで生徒達の間じゃまたも騒ぎ。筋者と関わりがあるなんて噂が出ているせいで、先生達まで動揺しているみたいで」
「でもその通りじゃん」
「だから問題なんです。今回うちの部が取り上げられたのはこれで二回目。ですがこの分で部長が何かやらかす度に号外を出されていたら、一体どうなるか想像がつかないわけないですよね」
イメージはできたらしく、部長は徐々に渋面を作る。
そもそも余暇部はただでさえ死にかけた部なのだ、これ以上斬った張ったの暴力沙汰や刃傷沙汰が起きれば学校側にどんな目で見られるか分からないわけもないだろう。
せっかく部員が揃ったのにこのペースで真実を書き立てられ続ければ、とてもではないが活動どころではなくなる。呼子や新寺も深刻そうに顔を見合わせていた。
「記事の内容が大体合っているだけに手に負えないのだ……」
「それにどこから見てるんだろう、監視されてるみたいでおっかないよね……」
「そう、そこなんだよ新寺」
一はぴっと人差し指を立てた。
「この新聞を作成した記者、俺達と同じ一年生みたいなんだけど、どうにかしてこいつと接触しない事には、多分また同じ事が続くだろう」
「接触ねえ……あたしが最後にこいつに会ったのって、確か一昨日の――っ!?」
刹那、セリフをぶち切ってソファから振り返った部長が、部屋の後方へ鋭い視線を送る。
「……そこに誰かいるでしょ。出て来なさいよ」
え、と一達三人もそちらを見るが、仕切りを挟み机とディスプレイPCがあるのみだ。近頃は忙しくて触れていないので当然電源は切られ、誰かが使っているとかもない。が。
「にひひ……機は熟しました。どうやら私の出番のようっすねぇ」
聞き覚えのない女の声がしたかと思うと、仕切りの下からにゅっと一人の女子生徒が顔を出してきた。明るいブラウンのショートヘアで、前髪とサイドがそれぞれ外側へアンテナのようにぴんと跳ね、後ろの毛は緩くウェーブがかかっている。
大きなぐるぐる眼鏡をかけており、そのため目元は窺えないものの、口角はにやりと三日月型に吊り上がっていた。
「おおう、仕切りの下から人の首が生えて来たのだ」
「違うよ佐倉ちゃん、あれは元から仕切りの後ろに隠れていたんだよ……」
「だ、だけどいつの間に……! ていうかいつからここに!」
「皆さんがやってくる少し前、部室にお邪魔しようとしたら部長さんがお昼寝していたので、その隙に潜ませていただきましたっす!」
仕切りから横に移動した女子生徒が、回り込んで現れる。身長は平均寄りの小柄だが白いブラウスがまぶしく、首から一眼レフカメラを下げた活発そうな少女だ。
「このあたしが今の今まで気配に気づかなかったなんて……あんた中々やるじゃない」
「爆睡してて侵入者を素通りさせた部長が言っても、あんまり格好ついてないですよ」
やかましい、と部長が一の腰をつま先でえぐって来るが、その間に少女はプレゼンでも始めるかのように勝手にちゃぶ台の向かいの位置に立ち、全員の視線を集めるようにした。
「どうもー部長さん以外は初めましてっすねみなさん! 私、一年D組の櫓明莉と申します新聞部に所属してまーす! どうぞどうぞ、お見知りおきを!」
敬礼するように手を頭の横へ上げて一礼する。では、この明莉こそが、現在一達が話題にしている新聞を作成した張本人なのだ。
「ええと、櫓……? どうして俺達の事を記事にするんだ? 別にお前とは面識も接点もないだろ」
「それを説明するには聞くも涙、語るも涙の一大ヒストリーが絡んでいるっす、はい!」
「ひ、ヒストリー……?」
「私は後の敏腕記者を夢見てこの西雲高校に入学し、修行のため新聞部に入ったまではいいものの、鳴かず飛ばずの毎日を送っていたっす……ですが! ある時耳にした余暇部の噂!」
大げさに声を張り、見栄を切るようにカメラを片手に構えてみせる。やりにくいタイプだ、と一は早くも気が萎えてきた。
「ある者は言ったっす、余暇部など学校七不思議の一つに過ぎないと。またある者は言ったっす。余暇部に触れてはならない、恐るべきかの者に魂の尊厳までもを弄ばれこの世の地獄を見る事になると」
「恐るべきかの者って……うちの部にそんな奴がいるの? 怖いわねー」
……そうですねー。
「存在するのかしないのかすら判然としないその謎に私の好奇心はいたくざわめき、いざ調べてみれば無敵の部長率いるみなさんのご活躍は今や飛ぶ鳥を落とす勢いときたものっす! こんな事件の宝庫、即刻取材しなければ記者の風上にもおけないっすよっ」
明莉の高らかな演説に、部長以下全員が圧倒されていた。しかし一は気を取り直し。
「……つまり、なんだ。お前は誰かに頼まれたとか陥れようとかしたわけではなく、ただただ良い記事を書くために俺達をこそこそ探っていたってわけか?」
「こそこそとは否定しませんが人聞きが悪いっすね。私は調査対象の生の姿を写すためなら、あえて裏方に徹する事も厭わないだけっす!」
だったらどうして今になって出て来たのか、それを聞くとまたぞろ厄介ごとに巻き込まれそうな気がしたので、先にこちらの用件を明示する事にした。
「なら頼みがあるんだが。これからは新聞部の記事にうちの事を載せるのはやめてもらえないかな。――いや、そっちも部活動なんだし百歩譲って載せるのは妥協するにしても、もう少し婉曲というか、あまり大きく取り上げないで欲しい」
「そうっすねぇ……私としてもだいぶ抑えた書き方だったんすけど、そうっすか、お気に召しませんっしたか……」
マジかよ。煽りやら誇張やらが全開だったのに。
「けれどもっすよ? 私としてもあなた方ほどの逸材を手放すのは惜しいといいますか、できればこれからもよろしくして欲しいと思う気持ちで取材させていただくのは、やはり虫の良いお願いっすかね……?」
「……やっぱり記事にする気満々なんじゃないか。それはさすがに勘弁してもらいたいぞ」
どうも雲行きが怪しい。これだけこちらが迷惑に感じているのにも関わらず、この自称記者志望はぬけぬけと取材の許可を取りに来たらしい。
ここはきっぱり断るべきかと語気を強めようとした矢先、くるくると指先を回して考え込むようにしていた明莉は、ぱっと顔を明るくして一を指差した。
「ではこうしましょうっす! 私と取引をしないっすか?」
「取引……?」
「はい。今日一日、私は余暇部の皆さんを密着取材するっす。そして満足のいく調査結果を得られたらそれを記事にするんすけど、今よりも小さな扱いにする事を約束しましょう。いかがっすか?」
いかがっすかと言われても、と一は部長や呼子達とアイコンタクトをするものの、皆一様に戸惑っているようだ。
「ちょっと待ってくれ。確認するけど、その密着取材ってのはつまり何をするんだ? それと、余暇部全員が対象なのか?」
「少し語弊があったっすね。厳密には余暇部を代表する部員の方一名の一日の過ごし方を、私が取材させていただくわけっす。もちろん何をするにも自由ですし、私も特に干渉はしないっす。いつも通りに過ごしていただいて結構っすよ」
うーん。なんとか理解はできたが、同時にこの明莉はそうまで余暇部に興味を持っているわけで、代表として選ばれる人物は相当の気苦労を強いられる事になりそうだ。
「……どうします部長。この取引に乗れば、無茶な記事を書くのをやめるみたいですけど」
「そうねー。それくらいで自重してくれるんなら、いいんじゃない? 要するにあたしらのうち誰かが生贄になればいいんだし」
生贄って……。まあそう外れてもいないだろうが。
「そんな事しなくても、この人も刀蔵みたいにお漏らしさせちゃえばいいのに……」
「……えっ、新寺何か言ったか?」
「ううん、何もないよ?」
何か不穏な呟きが聞こえた気がして目を向けるも、そこでは新寺がにこやかな微笑みを浮かべているだけである。聞き間違いか。
「呼子も別に反対はしないぞ。ただ、そうすると誰が明莉の一日取材に付き合うのだ?」
そうなのだ。どうするのだ。呼子の語尾が心中に移りつつ、一は思案しようとして。
「曲輪でいいでしょ。あんたが行きなよ」
がくっと頭が落ちる。いくらなんでも即決すぎるだろう、部長。
「一応お尋ねしますけど、どのような理由からその判断を下したんでしょうか」
「なんとなく。こういう雑用は曲輪の仕事でしょうが。あたしはやりたくないし」
本音は最後のやりたくない、という部分だろう。自分に候補が向けられる前に、先んじて曲輪をやり玉に挙げようというところか。なんて人だ。強いくせに保身にも長けている。
ただ、人選自体は順当なのかも知れない。たとえば一以外の部員。
部長は論外。新寺は入りたてだし、呼子はマイペースすぎるきらいがある。適当に明莉に合わせ、満足してもらえそうな働きができるのは一だけなのだ。
「結局俺ですか……いいですけど。櫓もいいかな、俺で」
「はい! 実のところ私も、曲輪さんと一緒に行動する事になるんじゃないかな、って予感がしてたっす……にひひっ」
それだけ部員の性向について調べがついているのか、単なる勘か。一は部室の壁にかかった時計を一瞥した。
「いつにする? 俺はいつでもいいぞ」
「そうっすねぇ……良ければ今からでいいっすか? 今日は土曜日ですし、昼休みが終われば早めの帰宅っす。なのでこのまま、二人で町に繰り出しましょうっす!」
「了解だ。それともう一つ。この件が済んで新しく記事を書いたら、俺にもチェックさせてくれ。念のためにな」
「もちろんっす、双方の納得いく結果にするためにも協力は怠らないっすよ! ……と、それなら私からも一つ条件をよろしいっすかね」
条件、と首を傾げる一の前に、明莉は鞄から一枚の新聞紙を抜き出し、ちゃぶ台へ置く。
「これは昨日、編纂していて没になった原稿なんすけど……内容は校外の出来事についてっす。今少し、目を通していただけませんすか」
と、読むのを勧める明莉の声音からは心なしかおどけた風味が薄まっているように思え、むしろこっちが本命なのではないかという気が一にはした。取り上げて一読する。
「なになに……『号外!
穏当さの欠片もない見出しに眉根が寄る。謎の怪人だの百人の格闘家だの、前回の暴走族と比べて相当に内容が不鮮明というか。ともかく、本文も確認する。
「『昨日、午後十時頃。薬見川近隣に住まう住人により警察、及び救急への通報があった。土手を挟んだ河川敷から何者かが走り去り、奥には多くの人がぐったりと倒れているのを発見したという。駆けつけた救急隊員によれば命に別状はないそうだが、彼らの半数は入院しなければならないほどの打撲、骨折といった殴打による怪我を負ったらしい。一体彼らは何の集まりで、日も暮れた河川敷で何をしていたのか。性別は男女、年齢ともに十代から四十代ほどとばらばらなものの、一つの共通点を見つけた。それが……』」
「格闘家、ないし武道家、って点っすね」
明莉が先を継ぐ。その後は大した情報もないのでひとまず新聞を置き、一は尋ねた。
「櫓はここに書かれている以上の事は知らないんだよな? この人達の身元とか、どうして河川敷で倒れていたのかとか」
「はい。何せ大急ぎで調べたものっすから、かなり情報の取りこぼしをしていると思うっす。なので曲輪さんには、今日私とこの事件について重点的に調査して欲しいんす」
と言われても、唐突すぎる。それにこんな荒唐無稽な記事だけで動けというのも。
その時、呼子があっと声を上げた。
「この事件、朝テレビで見たぞ。怖かったから今まで忘れていたけれど、みんなに会ったら話すつもりだったのだ」
「そ……そうなのか?」
本当みたいだよ、と新寺が自分のスマホの画面を起動して眺めている。
「ニュースサイトでも大々的に出てるし、河川敷の画像とかもアップされてる。学校の公式掲示板でもいろんな憶測が飛び交ってるみたい」
「マジかよ……全然気づかなかった」
それなら俄然信憑性が湧いて来る。信じられない話だが、百人程度の格闘家が、一夜にして大怪我を負う羽目になった。河川敷という、絶妙に人目につきにくい場所で。
「格闘家……格闘家かぁ」
そこで一つの可能性が思い浮かんだ。無意識に視線が流れる。呼子や新寺もやはりというか、ある一人の人物に目を向けてしまっていたようだ。
「……は? な、なによあんた達。あたしじゃないわよ?」
一斉に注目を浴びた部長がぴくりと頬を引きつらせて腰を浮かせかける。でも、と一は容赦なく嫌疑をかけた。
「百人もの格闘家を一度に相手にして叩きのめせるのなんて、知る限り部長くらいしか」
「なのだ」
「うん」
「あ、あんた達自分の部長を疑うわけ!? あたしがそんな疲れる事するわけないでしょ! だ、大体証拠はあんの、証拠はっ!?」
血相を変えてなんか追い詰められた犯人みたいなリアクションを取って来る。一は追及を緩めなかったが、同時にありえないとも思い始めていた。
だって部長なら、本当にそれだけの大喧嘩をしたとして、そう質問されたなら「うん、やったけど何? 文句あんの?」とかけろっとして居直るはずである。
「部長さーん、しらばっくれてもいい事ないっすよー? カツ丼でも頼みますか?」
「うっさいわね。あたしはやってないから。関係ないし。それにやるならこんな闇討ちみたいな事しないで、どっかの道場とかに殴り込んで道場ごと奪うくらいやってやるっての」
明莉の挑発にも動じず、やっぱり開き直って来た。言ってる事も部長そのものである。
「時間的には俺達と別れた後、アリバイがないから完全な無実とは言えないけど……俺も違うと思う」
「な、なによ、急に意見を翻して。それでご機嫌取りのつもりなら甘く見ないでよ」
一があっさり引くと、部長は声のトーンを下げながら座り直す。どうにか落ち着きを取り戻してくれたようだ。
「だけど、物騒極まりない事には変わりないよな。この町で部長以外に、こんな真似ができる怪物がいるわけだから。しかも大人数を病院送りにするような乱暴な奴。事情はまだよく把握しきれてないけども、放置していい事柄じゃないと思う」
「呼子もそう思うぞ。もっとぶっちゃけると怖いのだ」
「だよね……私もまだちょっと信じ切れてないけど、もし本当に犯人がいるとして、その人が今この瞬間も世津町で息を潜めてるとしたら……」
重苦しい沈黙が落ちる。みんなそれぞれ、犯人について想像を巡らせているようだが、一は別の事を考えていた。
自分はひょっとすると、明莉の事を誤解していたのかも知れない。これまではただ、好奇心に任せて人の秘密を暴き立てたいだけの典型的な詮索好きだと思っていたのだが、今日の様子を見るに、やはり本題はこれだったのだろう。
百人の格闘家が倒れた事件。犯人が存在するにせよしないにせよ、もしも同様の事件が発生するとしたら、それを押しとどめられるのは恐らく、部長だけだ。だからその抑止力を求めて、余暇部に協力を要請して来た。……そんなところではないか。
「櫓……」
「あ、は、はい、なんでしょうか……?」
「この事件、俺も本気で探りたい。お前の言う通り、今すぐ行こう。できるだけ情報を集めて、真実にたどり着こう」
そう明莉の眼鏡越しに視線を合わせると、一瞬驚いたように彼女は口元を引き結び――それからどこかほっとしたように、白い歯を見せて笑った。
「……はい! よろしくお願いするっす!」
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