第8話 桶浜刀蔵 下

 せいぜい脅迫止まりだろうと呑んでかかるには、ハンドルを握る逆上した刀蔵の形相は壮絶に過ぎた。自らのプライドを傷つけられた恨みを晴らそうというかのように、トラックはぐんぐん速度を増して迫って来る。

「に、逃げろ!」

 一は新寺の手を引いて反対側へ走り出す。光源がなく星の光も差さない不安を煽るような道路だが、今は背後から近づくトラックのライトが恐ろしくて仕方がない。光が強まれば強まるほどに距離を詰められているのが分かり、今しも悲鳴を上げながら転げてしまいそうだった。

「だ、駄目……道の先がなくなってる!」

 新寺の恐慌に染まった声が聞こえ、一も直後に思い出した。そうだ。この道路は工事中。

 いくらもたたないうちに文字通り道がぶった切られて崖のようになっており、はるか下方にはいくつかの建造物と固そうなコンクリート。ここから落ちれば痛いでは済まないだろう。付近にも、下へ降りられそうな梯子は見当たらない。

「逃げられると思うんじゃねぇぞ……! ましてやぎりぎりで止めてくれるとも期待するなよ、てめぇらごときに舐められちゃ、こんな仕事やっていけねぇからなぁ!」

 振り返れば、視野いっぱいに広がるライトと鼓膜を叩くエンジン音、そして刀蔵の怒号。 息も絶え絶えな新寺が隣で立ち尽くしていて、一は考えるよりも先に彼女を背中へかばっていた。だが他にどうする事もできず、ライトが晴れて刀蔵の顔が見えるようになった頃には、すでにトラックは鼻先にまで接近していて。

(駄目だ……死ぬ。――……死ぬ? これで……終わりなのか?)

 目を見開き、真っ白になる世界のいまわの際に浮かんだのは。

「くたばりやがれぇ!」

 刀蔵がいっそうアクセルを踏み込み、全速全開で突っ込んでくる――その刹那。一の正面に黒い人影のようなものがスライドするように割り込んできた。

 いや、違う。黒い人影ではなく――髪だ。長い髪。その中にわずかに混じる、白い一房。

 どん、とトラックが停止した。否。停止させられたのだ。たった一人の少女によって。

「……あ?」

 ハンドルは握ったまま。アクセルも踏み込んだまま。なのにどうして唐突に車が止まったのか理解できず、間抜けな声を発する刀蔵。何かを轢いたような感触はなかった。しかしなんだ、この巨大なブロックか何かにぶつかったような手応えは。

 そこに、誰かいる。人だ。女だ。まだガキじゃないか。さっきまではいなかった。二人だけだったのに、なぜ。

 ……いや、それよりも何よりも。

 ――どうして無傷でトラックの前に立っていられる。

「お……お前。お前ぇ……な、なんなんだ!」

 少女は――間一髪で間に合った部長は、トラックの車体に片手をつけて、それ以上進ませまいと押しとどめていた。それから事態をよく飲み込めずにいる一へ振り返る。

「怪我はない?」

「え……あ、は、はい」

「ったく……しばらく音沙汰ないと思えば、いつの間にこんな修羅場に巻き込まれちゃっててさ。急いで駆けつけたあたしの身にもなってよ」

「あー……すいません」

「やだ。なんか許せない。お腹も空いたし」

「じゃあ、なんか奢ります」

「お、いいねえ。その言葉忘れないでよ?」

 状況が状況である事を除けば、至って日常的な会話。

 あんまりにも普通すぎる部長の態度に一は、まだ危機が去ったわけでもないのに、四肢の末端から脱力して腰が抜けそうになっていた。

「で。まあよく分かんないけど」

 部長がトラック側へ向き直る。そっちはそっちでパニック状態の刀蔵が必死にアクセルを踏み続けているものの、軽く手を添えているだけの部長を一ミリも動かす事ができていない。

「――こいつ、敵なんでしょ?」

「……ひぃっ!」

 フロントガラス越しとはいえ獲物を前にしたような部長の笑みに、刀蔵はまなじりが裂けんばかりに瞠目し、ぱくぱくと口を開閉させている。アクセルを踏むのではなく、足自体が動かせなくなって来ているのだろうが、一は同情を湧かせる事はできなかった。

「……はい。どうしようもなく許せない、ちっぽけな小悪党です」

「オッケー」

 部長のだらしなく垂れていたもう片方――トラックに使っているのとは別の左手が持ち上がり、突きつけられたままの右手の、手首部分を掴むようにする。そして足を開き、何やら構えのような体勢を取った。

「だったら一発、派手なのかましてやろうじゃない」

 瞬間。前触れなく周囲からトラックの駆動音も風の音も、自身や新寺の呼吸音も、深海の奥深くへ潜り込んだかのように、音という音の何もかもが消え失せた。

 そうして目前では奇怪な現象が始まる。部長の当てている右手を中心としてトラックが螺旋状にねじ曲がるように、ぐにゃりと形状を変えていったのだ。刀蔵の顔もが冗談のように渦を巻き、さながら空間そのものが圧縮されたかのように見えて――。

「……

 部長の囁きが音のない空間に響いた矢先、真昼の太陽のような閃光が辺りをまばゆく照らしだし、次には凄まじい轟音を上げて巨大な爆発が巻き起こっていた。

 それは部長の右手から発生したように波としてトラックへ襲いかかり、刀蔵の横にある助手席を呑み込んでいく。

 ダイナマイトでも複数点火したような大爆発に一達は声もなく、魂が抜けたように突っ立っているしかなかった。爆破自体はすぐに収まり、焼け付いたようだった視界も回復して、元の夜闇が安心させるかのように駆け戻ってくる。

「な……んだ、今の」

 まず鼓膜が拾ったのは、しゅーしゅー、という火が酸素を取り込んで燃える音。そして鼻腔を撫でるわずかな焦げ臭さ。視覚はぱたぱたと手で顔を扇ぐ部長と……変わり果てた刀蔵の乗るトラックを映し出していた。

 トラックの助手席と、後ろの荷台。つまり右半分。それが丸々、消えてなくなっていた。消滅といっていい。だが地面には確かにそこにトラックがあった事を訴えるかのようにタイヤの破片が転がり、その下のコンクリート部分は深々とえぐられ、赤く熱を持っていた。

「……な……なんなんですか、今の」

「んー? きっききゃのん」

 駄目だ。混乱しているのもあるが、いつも以上に部長の発言が理解できない。それよりも、とトラックには刀蔵がまだ乗ったままだが、彼はハンドルを握ったまま虚脱したようにしており、やがて螺子人形のようにかたかたと首を回して、消え去った右半分を見る。

「……あ。あ……ああ、あああ……!」

 途端、無事な左側のドアから転げるようにして出た。地面に突っ伏すが手足をばたつかせて体勢を立て直し、立ち上がろうとするものの滑るように転ぶ事を繰り返している。

「さてと。うちの部員を跳ね飛ばそうとしてくれた落とし前をつけさせてもらうわよ」

 ぽき、ぽきと拳を鳴らしながら部長が迫ると刀蔵は身も世もない声を上げながら股間を濡らした。失禁である。

「ち……近づくな、化け物めぇっ!」

 しかし一抹の意地は残っていたのか、スーツの後ろへ手を突っ込み、黒光りするものを取り出す。それを見て一はこめかみに脂汗を浮かせた。拳銃。ドラマや映画で目にする、けれども紛れもない本物が今、部長へと銃口を向けていたのである。

「お、ハジキじゃん。ナイフでも出してくるかと思ったらさすがヤクザ、本職って感じね」

 ところが当の部長は怯むでもたじろぐでもなく、面白そうに頬を歪めてさらに距離を詰める。いくらなんでも場慣れしすぎた余裕が、ますます刀蔵を追い詰めていくようだ。

「ちくしょう、ちくしょうっ! 来るな、マジで撃っちまうぞ!」

「どうぞ。せっかくだから弾丸とあたしのパンチとどっちが早いか、比べて――」

 部長のセリフが乾いた音とともに突然に途切れ、がくっと頭が後ろへ下がる。遅れて、一は刀蔵の手にある拳銃から、白い煙が立ち上っているのに気がついた。

 ……え。え? ……撃った。今――本当に?

「ぶ……部長っ!」

 思わずこぼれる叫び。刀蔵もがくがくと腕を振るわせていたが、しかし。

 部長は何事もなかったみたいに逸れていた頭を戻す。確実に顔へ向けて放たれていたはずの銃弾を、上と下の犬歯の間にくわえて。

 がりっ。と、刀蔵の前で金属性の弾を噛み潰す。それから苦々しく顔をしかめて。

「熱っ……」

 ぺっと弾丸だった塊を吐き出した。唾液にまみれたそれが落ちたのは刀蔵のすぐ足下。

「あ……ああ……へぁ……」

 急激に老け込むように刀蔵の表情から力が抜け、そのままずるずると尻餅をついたまま後ずさる。その滑稽ぶりを見た部長は腹を抱えて指まで差してけらけら笑った。

「あははっ! なにその動き方、芋虫みたい!」

「ぶ、部長。あんまり油断しない方が……」

 とは言いつつも、すでに決着はついたと一も部長の方へ歩き出す。

 ちらり、と半壊したトラックの残骸を見やれば、断面が凄まじい熱を浴びたようになってあぶくのように融けていたり、逆に鋭利な刃物で切断されたみたいにつるりとしていたりと、内側と外側で同時に爆ぜでもしたかのような異常な状態が視野に飛び込んで来る。

 あれだけの爆発なのだ、ガソリンが漏れているかと思えばそれもない。蒸発したのか、消し飛んだのかも定かでなかった。

(さっきの景色が歪むような前兆と……周囲から消えた音。ただの爆発じゃ……ない?)

 物理法則を冒涜した異次元の出来事を覗き込んでしまったように、ぞわりとうなじの産毛が逆立ち、おののきながら視線を逃がした――直後。

「く――う、うがあぁぁぁっ!」

 突然半ば発狂にも近い喚声を張り上げた刀蔵が立ち上がったかと思うと、後ろの方で一人こわごわと見守っていた新寺の方へ飛びかかったのである。

「きゃあっ!」

「う、うう、動くんじゃねえ!」

 刀蔵が片腕でその華奢な体躯を捕まえ、歯をむき出しにして口角から泡を吹きながらも拳銃を新寺のこめかみに突きつけて、じりじりと後ろへ下がっていく。

「あ、こ、こいつ! その子を放しなさいよ!」

「うるせぇ、動くな! こいつをぶっ殺すぞ!」

「な、なんてこった、新寺が人質に……!」

 もう刀蔵に逆らうまでの気力はないとたかをくくってしまっていた。せめて一が新寺の側にいたならばまだ対処はできたものを、と後悔してもしきれない。

 部長を見やれば、こちらもしかめっ面で刀蔵を睨み付けているが、有効な手立ては思いつけていないようだ。安原の時のように指弾という手段もあるものの、二人の位置が悪い。

 刀蔵も新寺も、寸断されて崖になった道路の端へ立っているのである。後ほんの少し下がれば、それこそ落ちてしまいかねないほどの。

「いいか、とっとと下がりやがれ! さもねぇと……!」

「嫌だ……嫌……私に触らないで……!」

 その時、狂乱状態の刀蔵ばかりに気を取られていた一は、新寺の様子がおかしい事に気がついた。

 拳銃を向けられた恐怖からか小刻みに震えているのだが、それにしては顔色が蒼白で唇が半開きになり、瞳孔が限界まで開いてしまっている。

 そこで思い出した。そうだ、新寺は確か――。

「よ、よせ、新寺、落ち着いて――」

「私から離れてよぉっ!」

 寸時、新寺が身をよじるようにして暴れ出す。銃口をかざされているにも関わらずそれほどの無茶な動きをするとは思わなかったのか、つられて刀蔵の拘束がわずかにゆるみ。

「ぐぇっ!」

 それはもう、鮮やかとしか言い様のない、護身術めいた綺麗な肘打ちが刀蔵のみぞおちへ突き刺さったのである。

 潰れたような声を上げた刀蔵は白目を剥き、拳銃を取り落としてぐらり、と後背へよろめいていき――。

「え? ……あ、い――嫌あぁぁぁぁっ!」

「新寺っ!」

 刀蔵の足は空を掻き、続いてその身体までもが闇に包まれた虚空へと投げ出される。しかも、すぐ隣に新寺を引っ張り寄せたまま。

 視界から二人が消え、一は立ちすくむ。思考がみるみる漂白されていった。

(――落ち……た? え……そ、そんな)

 二人とも――この高さから。助からない。だって下には、クッションも何もないのだから。

 しかし、一が何を思う間もなく動いた人物がいた。部長である。道路から転落した二人を追うように何の逡巡もなく崖際まで走り込み、そうして中空へと身を躍らせていた。

「ぶ、部長っ!」

 一もすぐさま後を追い、足場の端から下を覗き込む。

 部長はまるで飛び込み台から跳躍したかのように美しいフォームで垂直に降下しており、さらにそこから下方にはスカイダイビングでもするような体勢で大の字になった刀蔵と、頭を押さえている新寺の二人が落下を続けている。

「うおおおおおおおっ!」

 長い髪を旗のように風へなびかせ、部長が気合の入った叫びを上げた。より加速をつけるためか、高架を支えている橋脚を蹴りつけて一段、スピードを上げていく。

「いや、駄目だ、間に合わない――!」

 部長の行動は迅速なものだった。なのに、重力に引かれている新寺達の方が一瞬早く、硬く冷たいコンクリートへと墜落してしまうだろう。リードの差は着実に縮まっているものの、これでは未来は変わらない――。

「まだまだぁ!」

 すると部長は何を思ったか中空でくるりと仰向けに反転し、はるか上にいる一の方を見て不敵に笑うと、腕を突き出した。

 ――その構え。さっき、トラックを破壊した時の。……まさか。

 音が消えた。部長を中心に、下に見える工業区の景色がかき混ぜられたように歪む。

 途端、部長から発せられた極光が夜気を貫いて光と轟音で満たし、とっさに一はそのまぶしさから顔を腕で覆う。

「い、今のは――あっ!」

 目を戻すと、爆炎の中から煙の軌跡を残してロケットのように飛び出す部長を認めた。 くるくると連続で縦にスピンしつつ、すれ違いざまに新寺達を追い越していく。

「あの爆発を……推進力にしたのか? な、なんて人だ……!」

 何でもありにも程があるとびきりの力技だが、ともかく部長は一足先に地面へ何事もなく降り立ち、そこから少しジャンプして新寺を抱え、ついでのように刀蔵も捕まえていた。

 二人を下ろし、怪我もないとばかりに一へ向けて手を振っている。

 ほっと息をついた矢先、後ろの方から車の音とライト、聞き知った声が近づいて来た。

はじめ ー! 部長ー! それと香苗ー! 無事なのかー?」

「あれは……勇さんと佐倉か?」

 走り寄って来たのは白いバン。その助手席の窓から呼子が顔を出し、手を振っていた。

 詳しい事情の説明は後で、一もとりもなおさず乗せてもらうと、下の工業地帯へ部長達を迎えに行く。

 工場の横手に、三人は揃っていた。ひっくり返った刀蔵が気絶しているのは傍目にも分かるが、新寺は恐怖症と落下時のショックが抜けきらないのか、うずくまってすすり泣いている。その傍らでは部長がばつが悪そうに慰めている最中だった。

「え、えっとあの、さっきの肘打ちは良かったと思うよ、うん」

「部長それ、女の子への褒め方じゃないですよ」

「うっさいわねー……って曲輪?」

 一達に気がついたのか、部長が目をしばたたかせる。

「お父さん!」

 新寺もぱっと顔を上げ、車を停めて近づいて来る勇の元へと駆け寄っていく。勇も心配そうな表情をしていたが、新寺の無事を見てほっと胸をなで下ろしているようだ。

「うーすヨビー。お疲れ」

「部長もお疲れなのだ。間に合って良かったのだ」

 駆け寄って来た呼子に応じる部長は本当にお疲れ気味みたいで、一もその輪へ加わる。

「ほんと助かりましたよ、部長。ていうか、どうしてこの場所が分かったんですか」

「そりゃ、ヨビーから電話がかかって来てさ。大変だからって」

 え、と一は驚いたように呼子へ視線を流す。

「一達が行った後しばらくして、勇も元気を取り戻したのだ。それで二人を追う事になったから、部長に連絡を入れておいたのだ」

「車に乗ったヨビーが先行しながら情報をくれたから、あたしも迷わずに着けたわけ」

 そういう事か。思わぬ二人の連携プレーに舌を巻く思いである。

「部長も部長だよな。徒歩三十分と車で十分程度の距離をよくもこの短時間でたどり着けたもんだ」

「一は詰めが甘いのだ。戦いが始まってから部長を呼んでも間に合うわけないのだ」

 仰る通りです。平和ぼけしていたというかなんというか。まさか車で轢き殺そうとして来るのは予想外にもほどがあったが、暴力に訴えるという点では同じ事である。

「なんにせよ、余暇部の鮮やかな大勝利なのだ。完全勝利なのだ」

「……そうだな。足りないところを補い合った、俺達全員の勝利だ」

 一もふっと笑みをこぼして、新寺達の方を見やった。

「お父さん……全部終わったよ。私、頑張ったんだよ?」

「そうだな……いつの間にこんなに勇敢になって。お前は私の自慢の娘だ。誇りに思うよ」

「もう、一人であのビルに行ったりしないでね……心配だから」

「……ああ。私ももう、過去に引きずられるべきではないな」

 そうじゃなくて、と新寺は涙ぐんだまま笑顔を作る。

「今度は私と二人で行こうよ。それでお母さんと見ていた景色を、一緒に見よう」

「……! そうだな……そうしよう。みんなで行こう」

 感極まったように勇が新寺を抱きしめる。あの二人も大丈夫そうだし、落ち着くまでそっとしておこう。

「それにしても、はぁー……焦った。完全に気を抜いてたわ。こいつ、やる時はやる奴だったのね――失禁してるけど」

 部長が振り返り、若干ぴくぴくしている刀蔵を見下ろす。一もその隣に並んだ。

 ――思い起こされるのはトラックのなれの果てと、そして落下中に見せられた、あの謎の爆発。

 銃で撃たれようが高架から飛び降りようが無傷という、常人とかけ離れた身体能力。加えてあのような、超自然的で広範囲の爆裂を引き起こせる。

 それも何の制限もなく、人にも物にも好きなだけ。たった一人の生身の人間が。

 ぞっ、と足先から凍てついた蛇のような、あるいはツタのようなものが絡みつきながら腰まで這い上がってくるような感覚を覚えたその直後――前を向いたまま部長が独り言を漏らすのはほぼ同じタイミングだった。

「……あたしは化け物じゃない」

 その、地の底から染み出るような幽鬼を想起させる一言に、一は背筋を震わせた。

 なんだ。聞き間違いか。今のは本当に部長の声なのか。

「部長……?」

 なに、と返される部長の声色はごく平時の通りだ。

 その事に一はどこか引っかかるものを覚えつつも、振り向くのはどうしてか憚られ、気持ちを落ち着けるために星の出ていない夜空を振り仰ぐ。

「……怖い?」

 すると、部長が背後から声をかけてきた。一は振り返らないまま、肩をすくめる。

「いやその……ここまででたらめだともう笑えるというか。呆れるというか。まだ現実感がなくて、怖いとかそういうのはないです」

 強がりだ。でも不思議と、理性よりもその気持ちを優先していた。

「……そっか」

 部長がそう、小さく呟いたかと思ったら――だしぬけに一は肩へ重みを感じた。

「疲れたー。ねー曲輪ー。部室まで運んでってー」

 後ろから腕を回して抱きつくように体重をかけて寄りかかってくるので、ぎょっとした一は振り払おうと軽く身をよじる。

「ちょ……そんなの勇さんの車に乗せてもらえばいいじゃないですか」

「じゃあそこまで持ってって」

「嫌ですよ、自分で歩いてって下さい! ていうかばかに機嫌いいですね……なんかいい事ありました」

「別にー……ふふふ」

 部長の吐息を耳元に感じていると、今度は呼子までが一の腰あたりに頭を預けて来た。

「呼子も歩きたくないのだ。一よ、呼子をおんぶして運ばせてしんぜよう」

「ああもう二人とも離れて! 俺もすっごい疲れてるから!」

 いつの間にか新寺親子がこちらを見て表情をほころばせているのをよそに、じたばた暴れる一達。そんな風に今日の部活は終わり、帰路へと着く事になった。

 しかしそんな彼らのいる道路の真下、プレハブ小屋の一つの物陰から、カメラを抱えてこそこそと出てくる人影がある。

「……にひひっ! これはスクープっすよ……!」

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