第4話 安原啓太

「部長さんは面白い人なのだ。入ってみて正解なのだ」

「さようですか……はあ」

 夕暮れに校門へ向かう道すがら、一は呼子のうきうきとした調子に適当に生返事を返していた。どっと疲れた気がするが、とにかく一人は確保した。正式な入部手続きは明日から行うとして、もう一人は誰をどう勧誘するべきだろうか。

 一としてはこれ以上好奇心から入部してくれそうな知り合いはいないし、さりとて親切心につけ込むような真似も騙すようで心が痛む。本来ならこの部員集めは茨の道なのだ。

「明日からどうするかな……一週間はまだ長いし、体育祭までに間に合うかな」

 幸い呼子という人手を得た事で、その人脈からまた新たな可能性は開けるかも知れないが、部長があんなざまでは面接にどれだけ期待できるか。

 まあ、変に理想を高くして能力に見合わない部員を次々切り捨てるやり方じゃないだけまし、と前向きに受け取ろう。あの分なら多少駄目な奴でもノリで受け入れてくれそうだ。だからといって懐が広いとは思いたくないが。

 色々考えていると頭が痛くなってくる。だから一は、校門を出て通学路に差し掛かったあたりで、いつしか周囲で男達が包囲を狭めている事に、しばらく気づけなかった。

「一……」

 微妙に緊張を含んだ声の呼子に袖を引っ張られて目を上げると、一は自分のいる歩道を中心に柄の悪い服装、雰囲気の男達が通せんばしているのを認める。

 一目見て不良、と分かるパンクファッション。さっき呼子が取り出したキャンディにも負けない色合い豊かな染めた髪。何より目つきが悪い。どんよりとした視線に見られているだけで背筋が粟立ちそうだった。

 一は息を呑み、呼子を後ろに庇うようにして前に立つと、グループの輪の中から一際目立つ、モヒカンみたいな髪型とイヤリングをつけた男が、肩を揺らしながら近寄って来た。

「えっと、曲輪一?」

 恐ろしげな見た目からは拍子抜けするフランクな口調に、一も思わず頷いてしまう。

「そ、そうだけど……」

「そっか。じゃあついて来て」

 ぽんと何気なく肩を叩かれて身をすくめるが、それを気にするでもなく男達が一斉に動き始める。包囲はそのままに、牢獄へ閉じ込めた囚人を護送するような進み方だ。

「ちょ、ちょっと待って……どこに行く気なんだよ……?」

「内緒。――あ、でも」

 モヒカン男がのっそりと振り返り、きょろきょろと視線を移す呼子を見下ろす。

「こっちの子どうしよっか? 一緒に連れてく?」

「え、いや……そんな」

「……ってか、君の何? 彼女?」

 一が言いよどんでいる間に矢継ぎ早に質問が飛ぶが、とにかく何か応じなければまずい事態になりそうな気がした。

「い、いや、こいつは関係ない……」

「へー関係ないんだ。じゃあ殺してもいいよね」

 瞬間、ぽかんと口を半開きにして見上げている呼子の顔めがけ、モヒカン男がパンチを打ち下ろす体勢を取る。その拳の先には鈍い銀の光を放つメリケンサックがはめられており、さっと血の気が引いた一は弾かれたように割り込みに入った。

「ま、待て、待って! 恋人、こいつ俺の恋人だから! 乱暴しないでくれ!」

「それ早く言ってよ。だったら人質の価値あり、と。うん、二人いれば充分でしょ」

「ひ、人質……?」

 うん、と両腕をだらりと下ろしたモヒカン男が茫洋とした目顔のまま頷く。

「君ら人質。ヤスがさあ、連れて来いって言ってんの。人質がいれば、あの女にも勝てるって」

 あの女。まさか、と一の脳裏にひらめくものがあった。

「ぶ、部長の事か……? それにヤスって……安原?」

「そうそう。だからちょっといい場所までご案内。あ、叫んだり逃げたりしたらみんなでフクロだから。大人しくしてたら何もしないよ、マジで」

 肌の内側を怖気が走り抜ける。なんとか事情は掴めて来た。つまりこいつらは安原の手下で、自分達は部長を誘い込み、反撃させないための罠。

 昼休みに安原とは多少揉めはしたし部長に対して恨みを抱いているのは察せたが、いくらも経たずこんな手に出てくるなんて。

「人質なんて、古典的な悪党みたいな……それに部長には、あんまり意味ないと思うけど」

「まいいから。俺らはヤスに付き合うだけだし。じゃあ出発しんこー」

 待て、と制止したいが反抗すれば暴力を振るわれるかも知れない。人質を連れて行くという行動理念のみのこいつらにとっては別に、一達が五体満足であろうがなかろうがどうでもいいはずだし、気絶すればより運びやすくなるというものだろう。護送のような形ではあるものの自分の足で歩けているだけ、温情をもらっていると考えるべきだ。

「一……こういう時こそ落ち着くのだ」

 歩調の違う不良達に小走りになって懸命に合わせている呼子が、小さな声で一を呼ぶ。

「落ち着くって……どうすりゃいいんだよ」

「俳句の一つでも詠んで心を静めるのだ。――春風や。不良に絡まれ、浴びられず……」

「不吉だ……」

 まだ通学路だというのに、周りで下校する生徒達はこわごわ遠巻きにするだけで、教師や警察を呼びに走る者もいないようだ。一だって同じ状況なら関わりたくはないが、それにしても薄情だと恨みたくなる。

 その通学路もやがて抜け、市街地に入ってひと気のない路地裏を進む。不潔で腐敗した臭気の漂う場所だが、少しずつ鼻腔に潮の匂いと、聴覚には波の音が混じって来た。ひたすら歩き続け、どうやら世津町の港湾地区、その埠頭までやって来てしまったらしい。

 太陽は完全に隠れて黒い雲が頭上に垂れ込め、時折遠くの道路で車の走行音が聞こえる。

 けれども不良達はなおも歩き、埠頭から近くにある倉庫街へと踏み込んでいった。長く使われていない港ゆえに地面にはゴミが散乱し、近寄る者もないひどく荒れた様相となっている。そのためこのあたりは不良達の絶好の隠れ家となっているようだ。

 やがて変哲のない倉庫の一つが見えてくる――壁やシャッターに、スプレーやペンキを使っているのか、英語でフリーダムシュートと目に痛い蛍光色で描かれている以外には。

 手前には違法改造されているとおぼしき何台もの派手でごてごてとしたバイクが止められてライトを明滅させているのを目にし、一はこの連中が暴走族なのだという確信を得た。

 安原をリーダー格とした妙に統率された動きや統制力はただのチンピラではない、一つのチームとしての活動を主としているからなのだろう。そんな勢力がまとまって一達を狙っているという事実に、なおさら震えが大きくなる。

 見守る前で、シャッターが開いていった。雑然とした内部には淀んだ暗闇が凝り、さらに何人かの不良が待ち構えているようだ。目が慣れても足下の様子はおぼつかず、一は後ろから不良達に押され、よろよろと倉庫の奥まで歩かされる。

「よう」

 コンテナの積み上がった一つに腰掛け、白い特攻服に身を包んだ安原がいた。いじっていたスマホをポケットに戻し、こちらに視線を寄越してくる。立ち止まった一は、声が引きつっているのを悟られないよう舌を湿らせ、慎重に言葉を発した。

「何のつもりだよ……こんな事して」

「そうなのだ。先生に言うのだ」

 呼子も援護射撃するようにセリフを重ねるが、その途端周りの不良達がけたけたと下卑た笑い声を上げる。が、安原がつまらなそうに咳払いするとそれもじきに収まった。

「お前らには悪い事をしたと思ってる。だから俺達の指示に従ってれば、無事に家に帰してやる。そいつは約束する」

「……そうかよ。そりゃあ親切にどうも」

 他人事のような口ぶりに感情が高ぶり、つい糾弾しそうになってしまうがこらえて。

「――で、俺達にどうしろって」

「あの女を呼べ。メールでも電話でもいい。ただしこっちの事は何も漏らすな。場所だけを伝えろ」

 そう聞いて一は仕方なくスマホを取りだし、安原を睨みながらブラインドタッチで部長にメールを送った。妙な難癖をつけられないよう送信前に画面も見せ、無難な内容である事をアピールするのも忘れない。

「……安原。せめて佐倉は帰してやってくれないか? こいつはまだうちの部とは何の関わりもないんだ。ただ巻き込まれただけで」

「そいつはできない相談だな。サツを呼ばれて面倒な事態になるのは避けたい。俺達としても、仕事は今日中に全て終わらせるつもりだ」

 歯噛みしたくなった。いかにも冷静ですってツラしやがって、なんて卑劣な奴らだ。

 何せこいつらは本当に関係ない呼子に暴行を加えようとした。そんな連中とまともな交渉なんて無理なのか。

 そうこうしている内に両手を後ろに回すよう命令され、従うとワイヤーか何かで手首を重ねて縛られた。その上で突き倒されるように呼子ともども座らされ、不良達は好き勝手に倉庫内へ散ってくつろぎ始めている。一は食い下がった。

「佐倉の縄は外してやれよ。お前らがいるんじゃどうせ逃げられないし」

「お前……うるっせーよ」

 と、いきなり横合いから側頭部を蹴りつけられた。視界にノイズが走ったようになって激しく揺れ動き、身体ごと横倒しになりそうになるが、ぎりぎりで呼子に支えられる。

「は、一、大丈夫か……?」

「あ、ああ……」

 振り向くと、赤いバンダナで目元を覆った長いドレッドヘアーの不良がにたにたしながらこっちを見下ろしていた。それからタバコに火をつけ、思い切り吸い込んでから満足そうに煙を吐き出す。

「……ごほっ、ごほっ」

 呼子が激しく咳き込んだ。気づけば何か、呼吸がおかしい。ひゅーひゅーと喉から音を立てて、辛そうに目をしばたたいている。一は思い出した。

「佐倉、そういえば確か……喘息なんだよな」

「む……別にこのくらい、平気なのだ」

「平気じゃないだろ……なあ、タバコはやめてくれないか? こいつ喘息なんだ」

 そう斜め上でふんぞり返る不良に頼み込むが、そいつは茶色に染まった汚い歯をむき出して笑うと、呼子へ向けてはあーっと大量の煙を吐きかける。咳がますますひどくなった。

「お、おい……! お前、やめろよっ……この野郎!」

 騒ぎを聞きつけたのか周りの不良達も集まり、訴えかける一を馬鹿にしたように蹴りつける。四方から降り注ぐ何の容赦もない蹴りに十数秒、耐え続けるしかなかった。

 安原、と一は息も絶え絶えに地面を見つめ、食いしばった歯の間から言った。

「……お前に何があったのかは知らないけど、今のうちだぞ」

「何がだ」

「やめるなら、だ。お前のために言ってる。あの人は多分、今度は手加減しない」

 はっ、と安原の面相が歪んで笑った。

「手加減だと? そりゃこっちのセリフだ。あの時は不覚を取ったが、俺も次は油断しない。もう万が一にも敗北は許されねぇんだ。そのためにお前らを拉致った」

「で、お仲間と群れて袋だたきにしようってか」

「そうだ。勝てば文句ないんだろ? お前らも、世間も。どんなタブーを使おうが、最後に立っていた奴が全てだ。負けてルール違反だの、卑怯だのと抜かす奴は勝った奴以上に叩かれる。勝負ってのはそういうもんだ。違うか、ああ?」

「……そうかもな。だったら、タブーを使った敗者になるのはお前の方だ」

 それだけ吐き捨て、一は沈黙する。最初はどうにかして安原を考え直させようとしたが、もうやめだ。部長をなだめる事もしない。ただあの人がやって来て、それから起こるであろう事柄の全部に、一は干渉しない。


 やがて、その時は来た。先触れもなく響き渡る轟音。紙くずのようにひしゃげ、倒れ込むシャッター。バイクのライトが放つ光源が、その人影を逆光にさせる。

「……部長!」

 踏み出して来た人物が待ちに待ったその人である事を見て取り、一は叫んだ。

 部長は笑いかけたようだが、暗いせいかこっちの位置がよく分からないようで、両手をズボンのポケットに突っ込んだまま首を伸ばすようにして目をすがめている。

「来やがったか……先日の屈辱、晴らさせてもらうぜ」

 見る間に殺気だった安原を先頭に、不良達も武器を手に立ち上がる。鉄パイプ、レンチ、ポケットナイフ、木刀、分厚いチェーンなど、まさに喧嘩のための得物が目白押しだ。

 一方部長は、薄闇の中から進み出る安原を目にし、うーんとうなったかと思うと。

「あのー……誰だっけ?」

「な、なんだと……! とぼけんじゃねえっ!」

「――あ、思い出した。ヤスだ、ヤス。ヤスヒト」

「気安く呼ぶんじゃねえ、安原だっ!」

 額に血管を浮かせて凄みを効かせる安原だが、部長は取り立てて動じず。

「ごめんごめん、ボコった不良とかチンピラとか、いちいち覚えてられなくってさ。それで、えーと、なに? なんでこんな事してるのか聞いていい?」

「油断していたとはいえ、てめえには誇りを傷つけられた。空手部も失ったも同然だ。何もかも奪われた――後はリベンジするしかねえだろうが」

「そのためにうちの部員二人を連れ去ったの? はー、悪どいなあ」

「まだ入部手続きはしてないけどな……」

 いつの間にか部長の中では呼子も部員に数えられているようだ。まあ些細な事だろう。

「まさかここまで来て逃げるなんてぬかしはしねぇよな? てめえにはここで潰れてもらうぜ」

「……まあ、いいけど。でもこれだけ大がかりな真似してくれたんだから、そっちも無事で済むとは思ってないでしょ? ……いやいや、学校生活とかの事じゃなくて――」

 ぼさぼさの髪をなでつけ、手を下ろした部長がすっと眼を細める。

「……人生って意味で。自分の四肢には別れを告げた?」

 尻込むどころか見えない圧力のように発される、そのいい知れない迫力に不良達がざわつくが、安原は慌てず騒がず腕を振り、立てた親指で一達を示す。

「おっと、動くなよ。こっちには人質がいる。妙な真似をしたら先にこいつらの人生が終わるからな」

「あーっ、そうじゃん! ちょっとあんたら、なんで捕まってんのよ。かったるいなあ」

「あ、あの……すいません」

 真面目に謝る一。とはいえ安原の言う通り、自分達の側には赤バンダナにドレッドヘアーの不良が一人、監視役兼処刑人として残ったままなのだ。

「ケケケ……斬ル……斬ル斬ル……斬ルルルル」

 しかもこいつ、トランス状態にでもなったみたいに手元でポケットナイフのジャグリングを始め、口の端からよだれを垂らしている。なんなんだこいつは。

「斬ル……斬ラセロ……斬ル、斬ル……!」

 さらにもう一本、合計二本のナイフでジャグリングをしようとするも、途中でバランスを崩して取り落としかけていた。なんなんだよこいつは。

「へっ。ヤスが超弩級の化け物だって言うからどんな野郎かと思えば、ただの女じゃねーか」

「……は?」

 不良が不用意にこぼした一言に、部長の眉間に皺が寄る。

「手足は細っこいし、無駄にのっぽだし胸もねえし。こんな相手じゃ俺らも楽しめねぇよ」

「まったくだぜ、部員がヘタレなら部長は貧相ってか、はははっ!」

 沸き起こる笑いが大きくなるにつれ、部長はうつむき、ぴく、ぴくっと左腕を振るわせ始める。

「誰が……」

「あ?」

「――誰がのっぽで胸なし残念貧相女じゃ、貴様ら全員ブッ殺す!」

 顔を上げるなりこめかみに青筋を立て、血走った目で左手の中指を突き上げると、それと同時に不良達も一斉に飛びかかる。

「動いてみやがれ、その瞬間てめえの大事な部員は処刑人・キルマンによって血しぶきに沈む事になるぜ!」

「じゃあまずそいつからだ!」

 部長が右手で親指を弾くような動作をした直後、とてつもないスピードで何かが飛来し、それがキルマンのバンダナへと直撃する。

「キルゥンッ!?」

 ばちーんっ、と石か何かが弾けるような音とともにキルマンの首が真後ろにのけぞり、衝撃に引きずられるようにして身体の方も倒れ込んでいく。かちゃんとナイフが地面に落ち、キルマンが起き上がって来る事はなかった。

「キルマァァーン!? く、くそっ、てめぇはぶっ!」

 反射的に振り返って隙をさらした不良の一人に、瞬時に踏み込んだ部長が拳を振りかぶっている。フックの形で放たれたその一撃はまともに頬を捉え、不良を真横へと吹っ飛ばしていた。

「な……なんだ、そりゃあ!」

 文字通り、吹っ飛んだのである。足は浮き、身体はくの字に折れ、巨大なハンマーか何かでぶっ叩かれたかのように、軽々と空中を数メートルその不良は遊泳し、壁際にあったコンテナに頭から突っ込んで伸びてしまう。

 その光景を目の当たりにした不良達は息を呑んであっけに取られ、一様に足を止めていた。

 ――けれども、すでにやる気満々の部長を相手にその行動は愚の愚策。

「次っ!」

 距離を詰めていく部長が無造作に腕を振ると、その軌道上にいた不良が二人、先ほどと同じようにあっさりと薙ぎ払われた。続けざまに貫手を突き込み、それが真正面の不良の胸元へ命中すると、かはっと息を詰まらせて膝から崩れ落ちていく。

「く、くそ! やれ、とにかくやれェッ!」

 安原が唾を飛ばしながら叫ぶとさすがにチームか、正気づいた不良達が再び得物を手に襲いかかる。しかし部長は近くの相手から手当たり次第に前蹴り、肘打ち、裏拳をそれぞれ浴びせて打ち倒し、十数名健在だったはずの不良は、みるみるその数を減らしていく。

「ちくしょう、なんだこいつは、なにもんだぁっ!」

「部長だっての!」

 自暴自棄めいてわめく不良に叫び返し、腰を半回転させたストレートパンチをぶち込む。また一人が壁面へ叩きつけられ、昏倒。これで残るは安原を入れて五人ほどとなっていた。

「お前ら、全員でかかって隙を作れ。俺がとどめを刺す」

「わ、分かったぜヤス。信じてるからな!」

 安原が一歩引くのと入れ替わりに、四人が息を合わせて四方から殴りかかる。彼らは他と比べて動きが俊敏で、まさに精鋭といった感じではあったが、今回は相手が悪すぎた。

 先んじてたどり着いたのは部長の後背へ迫った一人。全力で思い切り振り下ろされた鉄パイプは、下手をしたら頭蓋を砕く程度の威力はあったかも知れない。

 しかし部長は振り向きもせずに後ろ手に回し、猛スピードで打ち込まれる鉄パイプを逆に掴んでのけたのだ。

「こっ、こいつ、後ろに目でもついて――がっ!」

 愕然とした不良の手元から鉄パイプが易々と奪われ、くるりと手元で反転させてお返しとばかりに突き込まれる。喉元を打ち抜かれて悶絶する背後の不良と、矢先に右方から打ちかかった別の不良が腹に手刀を受けるのは同じタイミングだった。

「くそおおおぉぉ!」

 残る二人が延命できたのはその数秒だけで、ただちに後を追う事になった。

 凶器を欠片も歯牙にかけず踏み込んだ部長が強烈なヘッドバットで正面の一人の頭をかち割り、そのまま身を低めて左側の攻撃を躱しつつ足を払い、倒れた最後の一人の腰を踏みつけたのである。

「ぎゃあ!」

「よーし、まあこんなもんでしょ。……で、どうする? 逃げる?」

 倒れている一人の腹あたりをぐりぐりと踏みしだき、不敵に笑う部長。しかしその不良は最後まで目から光を失わず、咳き込みながら言い返した。

「だ、誰が……!」

「あっそ」

 踏むのをやめた部長がその不良の頭部めがけてサッカーボールキックを叩き込むと、もう興味をなくしたとばかりに気絶すら確認せず安原へと向き直っていた。

「いつ仕掛けて来るのかなと思ってたけど、なかなか来ないんだから拍子抜けしたわよ」

「く、くそ……!」

 味方が立て続けに倒されるあまりの一方的な展開に足がすくんでいたのか、安原は構えをしたものの、狼狽しているのは誰の目にも明らかだった。

「そろそろ見たいテレビもあるし。ちゃっちゃと終わらせるからよろしく」

 少し待ったが一向に安原がかかってこないため、部長から先に動く事にしたようだ。遠慮なくずんずん歩みを寄せて、安原の間合いへと踏み込んでいく。

 ようやく安原も腹を決めたのか、一息に前進して拳を突き出す。いわゆる正拳突きと呼ばれる威力もスピードも乗った見事な技だが、部長は足を止めてから身体を横へずらし、それを回避していた。

 相手の動作を読んでいる風でもなく、技の出かかりから伸びる軌道、備わる威力までもが、その動体視力でただ見てから、後出しのように恐るべき反射神経で躱しているのだ。

「こんなもん? 前の方がまだいいパンチだったよ」

「う、うるせぇ! くそがああぁぁっ!」

 踏み出し、連続の突き。加えて腰を乗せた正拳突き、そして流れるように右、左交互の蹴りを繰り出し打撃で攻め続けるが、部長はゆらゆらと上体を揺らすように肌に触れる紙一重で躱し、一発すら入れさせない。

「ちくしょう、なんで当たらねぇ! ガードすらさせられねぇってのかよ!」

 鬱憤を吐き出すように叫んだ安原の額へ、おもむろに部長が腕を伸ばした。手はパンチの形に固められてはいず、親指と人差し指だけが鉤のそれへと丸められていて。

 ばちん、と撃ち出された人差し指――すなわちただのでこぴんが、安原の身体を跳ねるように数メートル飛ばした。予想外の攻撃、そして威力に受け身も取れなかったようで、背中を地面に打ち付けた安原はぜえぜえと息を荒げて、目を見開いて部長を見上げる。

「……?」

「な、なに……?」

「……?」

 にぃ、と不吉な笑みをたたえる部長。見ている一まで空恐ろしくなるその表情に、安原はどれほどの恐怖を抱いただろうか。

 それでも意地があるのか立ち上がり、前傾姿勢になって睨め付ける。でこぴんを受けた額の皮が裂け、流れ出した血が鼻梁、唇、顎を伝い――水滴となって、垂れ落ちる。

 それが地面へ到達するのを契機に、両者は肉薄する。安原はそれまでの非行が嘘であるかと錯覚するほどの、一心に凄まじい猛攻を浴びせた。

 拳のラッシュ、連係を途切れさせずの連続回し蹴り。捨て身とすら言える攻めに傾けた力強い踏み込みは、彼に悪印象しかない一をして驚嘆させるレベルのものだった。

 間違いなく、実力以上――限界を超えた力を引き出している。それが分かるほどに今の安原は気合に満ち、決死の形相であった。

 ただ、それが相手に届くかどうかは別問題。これだけの猛撃をもってしても、部長は上半身の動作のみで回避し、下段に対しては足を片方ずつ上げて躱すだけで一発も、かすりもしないのだ。

 安原が悲痛にすら聞こえるかけ声を上げ、渾身のパンチを繰り出し――。

 ぱん、とそれは止められる。部長が何気なく差し出した手。白く、細く、血管の浮いた手のひら。そこにぎりぎりと、裂けんばかりに力の籠もった拳が打ち付けられ、しかし進まない。安原がうめきながら膂力を送り込んでも、それ以上ぴくりともしないのだ。

「……なん、なんだ、てめえは……! なんで、こんなに、強い……っ?」

 見ている限り、部長が格闘技らしき技を使った様子はない。どれも素人っぽい踏み込みで動きも甘く、なのに多数の敵を、そうして空手部主将の技の数々を、事も無げにさばいてしまっている。その現実がどうしても認められないというように、安原はうなる。

「さあね。生まれつきかな」

 対して応じられた言葉は、虚脱するほどに努力だけではどうしようもない内容。しかも言うが早いか、部長は振り上げた腕をまっすぐ振り下ろす。

「くっ……!」

 両腕を交差させて防御しようとする安原だが、それでは駄目だと一は思った。確かに熟練した使い手なら、相手の力の方向を逸らしてしのぐ事もできるのだろう。

 しかし、対象になるのはあくまで人間同士の話だ。

 同じ攻撃でも、敵が鉄骨を持っていたら。それを、棒きれか何かのように振り下ろして来ていたとしたら。受け流せるかどうか。答えは否である。

 結果は予想通り。ひどく痛そうな音ともに安原の腕が両側に弾かれ、間髪入れずに部長の拳が鼻先の間近にまで迫り、寸前で止められる。

 音を置いてけぼりにする程のタイムラグを経て発生した衝撃に、安原の髪の毛が何本か散った。

 安原が絶望したように顔の筋肉を緩ませ、ふらふらと腕を下ろす。それからその場に正座するように膝をそろえてついて、うなだれる。

「……俺の、負けだ。好きにしろ」

「へえ、格闘家としての矜持は残ってるわけ。ちょっと見直した」

 部長は感心したように口笛を吹いて見下ろし――その唇を半月に曲げた。

「だが死ね」

 直後、猛烈な速度で真上に振り上げられた部長の足が、安原の胴体を捉えて打ち上げていた。ロケットの如く高々と打ち上がった安原は悲鳴を出す暇もなく、一直線に天井へと激突。

 上半身は天井を突き抜けて外へ露出し、倉庫内に残った下半身と腕が、ぶらぶらと宙で揺れていた。

「さーて、終わりっと。で、そっちの二人。怪我はない?」

「あ、は、はい……」

 手を払い、何事もなかったみたいに近づいて来る部長。実のところ一片も情けのない戦いに冷や汗の止まらない一だったが、これだけの大立ち回りを演じたにも関わらず、部長が汗もなく息一つ乱していない点にも気がつき、ますます口の中が乾くようだった。

(……こ、この人は絶対、怒らせたくない……)

 今のところ一が受けて来た暴力は、これに比べたら本当にじゃれるようなものだったのだ。とはいえ部長を恐れていては部員としては不適格だろう。部の存続など夢のまた夢だ。

「あれ、縛られてんの? しょうがないわね、外すからじっとしてて」

 と、それなりに強固に縛られた一と呼子のワイヤーを掴むなり、ビニールでも破るみたいに引きちぎって投げ捨てる。

「助かった……部長、ありがとうございます」

「いいって別に。部員を助けるのは部長の役目だし」

 礼を言うと、部長はぷいっとそっぽを向く。とんでもない超人に見えて、こういうひねくれたところはいつもと変わらず、一は呆れ気味に吹き出しながら問いかける。

「最初にやったあれ、目印もないのにどうして俺達の位置が正確に分かったんですか?」

「それはほら、その子のカチューシャが光ってたからさ。だからすぐ側の奴に狙いをつけられたのよ」

 呼子の夜光仕様カチューシャを指差しつつ、部長が足下から何かを拾い上げる。

「それは……佐倉からもらったキャンディ? 砕けてるみたいだけど……」

「指弾っての? ポケットにあったのを飛ばして、あの変なバンダナに当てたってわけ」

 そういう事か。部長にかかればキャンディにすら、弾丸ばりの威力を乗せる事ができるわけだ。

「でも、目印がなかったら?」

「そん時は全員いっぺんにキャンディぶち当てて倒してたわよ。あんた達も失神くらいするだろうけど、度を越した暴力振るわれるよりマシでしょ?」

「……それがすでに度を越してるんですが」

 改めての人外じみた芸当に身震いが出そうになるが、今はそれよりも。

「佐倉……おい、佐倉……っ? 大丈夫か?」

 ぐったりと顔を伏せている呼子の肩を掴み、呼び掛ける。するとのろのろと首がもたげられ、眠そうな双眸と視線が絡んだ。

「呼子はもうおねむの時間なのだ……ゆっくり寝かせて欲しいのだ」

「う、うたた寝してたのかよっ」

「あははは。いいね、肝が据わってんじゃん」

 がくりと頭を落とす一とは裏腹に、部長は鈴の鳴るような笑声を上げている。呼子も呼子で、むにゃむにゃとろれつが回っていない。

「はあ……それじゃあもう、帰りましょうか」

「うん、帰ろう帰ろう。曲輪は明日も部員集めしなきゃね」

 そうだった。こんな目に遭ったのに、登校日は普通にやってくるのである。一は嘆息しながらあたりの惨憺たる有様を見回した。

「これ、救急車とか呼ばなくていいんですか?」

「手は抜いてやったから、そのうち目が覚めるでしょ。それよか、その子はあんたが背負ってあげなよ」

 反対する気力もなく、呼子を背負い上げる。色々大変な一日だったが、無事に終える事ができるようだ。

 部長とともに歩き出しながら、倉庫街を後にする。後ろの倉庫には社会のはみ出し者達、そしてこの辺りの通りにも相変わらず、投棄されて顧みられぬゴミがあふれかえっていた。

 空にもまた、点々と星々が散らばっている。これまた何の規則性もなく、星座を形作っているでもないのに、地上の有様とは天と地ほども差のある美しさを見せつけていた。

「……部長」

「なに?」

「俺、明日は筋肉痛になりそうです」

「なんであんたが筋肉痛になるのよ、なんもしてないじゃないの!」

「いや、人を背負って歩くとか結構重労働で……」

「あたしは代わらないから」

「あっ、はい」

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