第3話 佐倉呼子

「やれやれ……大変な目にあった。部長が来てくれたから事なきを得たけど」

 残り少ない昼休みを、一は自分の教室目指して廊下を歩いていた。すでに生徒の数は少なく、移動教室など次の授業に備えているようだ。

「俺も急いで戻らないと……って、あれは」

 と、二階へ続く階段前で、今まさに段差を上がろうとしている女子生徒と行き会った。その横顔を目にし、一は小さく口を開ける。

「伊勢先輩……」

「あ……曲輪くん。こんにちは」

 教科書を何冊か胸に抱えながら振り向いて来たのは、均整の取れたスタイルを持つ三年生、元文芸部部長の伊勢雛子だ。艶のある黒いロングヘアーは毛先がカールし、空気を孕んでふわりと揺れている。

 こちらを認めるなり落ち着きのある微笑みを投げかけられ、一は自然と気をつけをするように姿勢を正していた。

「その……元気でしょうか。こうして会えたのは、先輩が退部届けを出した日以来ですし」

「うん、私は大丈夫だよ。むしろ、君の方が心配だったかな。ゆきちゃんとはうまくやれてる?」

「はい……それなりです」

 ゆきちゃんとは確か、今の部長の名前の愛称呼びだった気がする。伊勢と部長は一年の頃から親交があるらしく、部長同士の引き継ぎ時も驚くほどスムーズに進んだのを覚えていた。

「そう。良かった。他はみんな退部しちゃったし、幽霊部員の子も顔を出すつもりはないみたいだから」

「すいません、俺が頼りないせいで、先輩を守れなくて……先輩だって本当なら、まだ文芸部で、部長をやれていたはずなのに」

 一がもう少し動けていれば、伊勢だって責任を取る必要もなかった。文芸部だって普通に存続していただろうし、次々と部員が去っていく事もなかったのだ。

 たとえ部名や部長が代わろうと一が最後まで残っているのは半分は意地であり、もう半分は伊勢への義理立てのつもりだった。

「そんなの、いいんだよ。無理しないで」

 なのに伊勢は優しげに微笑み、教科書を持ち直すと空いた片手で、申し訳なさそうに立つ一の肩を叩いてくる。

「私もそろそろ大学受験で忙しくなって来ていたし。あのまま残っていても、まともに活動できるとは思ってなかったから、いい機会だったんだ。他にちゃんと部を運営してくれる人がいれば任せていたし、今回はそれがあの子だっただけ。君が気に病む必要はないよ」

「先輩……」

 そう言ってくれるのは嬉しいが、無念なのは変わりないだろう。もしも自分が同じ立場なら、潔く身を引くなんて決断、たやすくできるとは思えなかった。

「曲輪くんは責任感とか使命感が強いから、すぐ背負い込んじゃう。でも一人で抱え込まないで、みんなに頼っていいんだから。私ももう部長じゃないけど、困ったら相談に乗るから、あまり思い詰めちゃ駄目だよ?」

「は……はい」

 一緒に活動した期間は一ヶ月あるかどうか、というくらい短い。後ろめたさもありここのところは久しく会わず、言葉を交わしてもいなかった。だのに伊勢に柔らかく諭されるだけで、それまで肩にのしかかるようだった重圧が、ふっと軽くなるような気がする。

「……ふふっ。ちょっとは気が楽になってくれたかな、顔が明るくなったよ」

 その時、授業開始を告げるチャイムが鳴る。名残惜しいが、これ以上伊勢を付き合わせるわけにはいかないだろう。一は一礼して、その場で別れた。彼女のおかげで晴れたのは気ばかりでなく、焦る余りに狭まっていた視野が、一気に広くなった気がする。

(そうだ……何もしらみつぶしに人手を探さずとも、求める助っ人は意外と側にいた)

 教室に戻ると、自分の机へ向かい、着席。それからスマホを起動し、アドレス帳にある『佐倉』という名前を選択してメールを打ち込み、送信する。

「むー……?」

 すぐ隣から受信音がして、怪訝そうな声が聞こえた。今はもう担任が来ており堂々と私語で説明ができないため、こうしてメールのみで用件を取り付けておく。

 果たして放課後、筆記用具などを鞄に詰め込んでいると隣から声がかけられた。

「一よ、呼子に何の用なのだ?」

 たどたどしくも変わった言葉遣いで尋ねて来たのは、クラスメイトで隣の席の女子、佐倉呼子 さくらよびこである。

 同年代の女子と比べても控えめな身長、及び発育の遅い――悪くいえば幼児体型が特徴で、ふわりとした小麦色の猫っ毛が背中まで伸び、空色のカチューシャのついた頭の動きに合わせて柔らかそうに揺れている。

 一が振り返るとくりくりとした目を開けて首を傾げ、餌をねだる小鳥のように答えを待っている様は一見してまだ中学生か、下手をすると小学生でも通りそうな見た目だ。

 とはいえこれでも入学時から趣味や好物などの話題で何かと意気投合し、友人として良好な関係を築いて来ている。

「佐倉に相談があるんだけど、聞いてくれないか?」

「よいぞ。困りごとがあるなら、気兼ねなくこの呼子に話してみるのだ」

 お言葉に甘え、一はかいつまんで説明する。だいぶはしょりはしたが時間がかかり、教室にはひと気が減って、夕焼けの漏れる窓辺越しに運動部の元気なかけ声が木霊していた。

「ふむふむ、なるほど……つまり一は、その部に入部してくれる部員を捜しているのだな?」

「そういう事だ。それで……良かったら、佐倉もどうかな。帰宅部なら、うちにさ。……えーと、他の部と比べて活動は緩いし、部長も変に刺激さえしなきゃそこそこ悠々自適に過ごせると思うし……何かあったら俺もフォローするから」

 と、特にセールスポイントのない、というかマイナスしかない余暇部を必死に売り込む。

 いざ話してみたはいいものの、客観的に自分の部の惨状を突きつけられた気がして落ち込み、視線まで落ちてしまっていたが――何秒か黙った後、呼子は。

「うん。よいぞ。呼子も入るのだ」

「……えっ? い、いいのか?」

 あっさりとした二つ返事に逆にびっくりし、慌てて顔を上げて呼子を見つめる。呼子は邪気のない澄んだ瞳で一を見ながら、こくりと頷いた。

「情けは人のためならず、なのだ。それに一と一緒なら楽しそうなのだ。頑張るのだ」

「……マジかよ、やっぱ駄目かなって諦めかけてたのに。天使か」

「これからは天使呼子と敬うのだ。さっそく部長に会わせて欲しいぞ」

 本当にこれからは足を向けて寝られないだろう。しかも本人はやる気満々で、部長の面接も受けてくれるらしい。このチャンスを逃すわけにはいかず、一も即座に立ち上がる。

「よ、よし。じゃあ行こう、すぐ行こう。気が変わる前に」

「そんなすぐに呼子の気は変わらないのだ、象の鼻のように長いと評判だぞ。一はせっかちだ」

 呼子というより、部長がである。まさか面接自体とりやめるとかわがままをぬかすとは考えたくないが、この時間何をしているかは確認しなければならない。

 一は呼子を伴って廊下に出ながら、素早くスマホを操って部長へメールを送信した。これから行く、という旨を添えた文面だが、部室棟へ近づいても応答はない。

(大丈夫かな……まさか帰ってないよな、今日に限って)

 いつも何か要求してくる時はレスの返信は早いのだが、こうして一からの連絡は待てど暮らせど返ってこないパターンは多々ある。ひどい時はメールすら見られていない場合もあるので、さほど焦る必要はないのだが――今は気持ちが逸って仕方ない。

「おお、ここが部室棟か。直接足を踏み入れるのははじめてなのだ」

 呼子がしげしげと各部室を窓から眺めているが、あいにくと今は部長との面会が先決。案内はまた今度にして、早足で廊下を先に進む。とことこと、後ろから呼子のリズム感ある足音がついて来ていた。

「よし、ここだ。……あれ、電気消えてるな」

 カーテン越しに部室が消灯されているのを確認する。中には誰もいないのかと思いきや、ドアに手をかければ簡単に開く事ができた。鍵はかかっていない。となれば、考えられる可能性は一つに絞れる。

 暗い中へ踏み込んだ一がソファの方を向くと、一際盛り上がる黒い物体が見えた。ぐーっ、ぐーっ、といびきのような声が聞こえ、わずかに上下している。絶賛爆睡中のようだ。 返信がないのは寝ていたからか。人が校内を走り回っている時にいいご身分である。

「は、一よ、何かいるのだ……」

「ああ。あれ、部長」

 部屋に入ったはいいものの気後れしたような呼子を尻目に、一はちゃぶ台に足を引っかけないよう回り込みつつ、眠っている人物を揺さぶった。

「部長、起きて下さい。面接の時間ですよ」

「ぐむーっ。むーぐぐ……ぬぬぬ?」

 うめきのようなうなりのような声音を発し、上にかぶった毛布がずれていく。一が毛布を容赦なくはぎ取ると、中から寝ぼけ眼で起き上がろうとする部長が現れた。

「……あれ、暗い。何も見えないんだけど……ふああ」

「部長が消したんじゃないですか。不用心ですよ、昼寝するならちゃんとドアの鍵もかけないと」

 誰かが部長にいたずらしようとして、寝ぼけた部長に首の骨とか折られるかも知れない。そんな大惨事を防ぐべく何度か注意しているのだが、改善する気配は見られなかった。

「どうでもいいから、早く電気つけて……って何かいる!?」

 欠伸混じりに上体を起こした部長が、一の後ろに立つ呼子を目にしてすっとんきょうな声を上げた。そこまで驚くような事か、とつられて一も振り返り、呼子の額の上あたりが薄青く発光しているのに気がついた。

「おい佐倉、なんか光ってるぞ……?」

「これの事かー? 呼子のカチューシャは暗い所で光る夜光仕様なのだ。帰りが遅くなった時に事故に遭わないよう、母につけるよう言われているのだ。まったく過保護なのだ」

 呼子が指で軽くカチューシャの位置を直す。そういう事か、と得心しながら一はドアの近くへ戻り、スイッチを入れて部室に明かりをつけると、カチューシャの輝きも収まる。

「あーまだ眠い……っていうかその子誰なのよ。曲輪の妹?」

「俺一人っ子だからいませんよ……ほら、昼休みの時に言ったじゃないですか。部員候補を連れて来たんです。約束通り、面接お願いしますよ」

「へええ……マジで見つかったんだ。しかも女の子とか、曲輪のくせに手が早いじゃん」

「誤解されるような事言わないで下さいよ。ただのクラスメイトの友人です」

 そんなやりとりを交わしつつも部長はソファへ座り直し、一は呼子をちゃぶ台を囲むように座らせる。ちょこんと座布団の上に正座した呼子は、片膝を立てて頬杖を突く部長に向き直り、ぺこりと頭を下げた。

「一年A組の佐倉呼子です、よろしくなのだ」

「う、うん……? まあよろしく」

「これは心づけです、どうぞお納め下さいなのだ」

 独特のしゃべり口調に部長が戸惑っている間に、自分の鞄をあさった呼子は、中から大量のキャンディが詰まった袋を取りだし、すすーと両手でちゃぶ台の上を滑らせる。

「お、おおっ……これはまた美味しそうな飴がいっぱい……! え、もらっていいの?」

「どうぞなのだ」

「じゃ、じゃあさっそく……!」

 残像を残す勢いでキャンディの袋を拾い上げた部長は蓋を開き、色とりどりのあめ玉に目を輝かせつついっぺんにわしづかみにするなり、外紙を外すのももどかしく次から次へと口の中へ放り込んでいく。

「あ、甘ーいぃ……! あふうう……幸せぇええ……!」

 もっしゃもっしゃと頬を膨らませて転がす部長。一はジト目になってそのカリスマも威厳もない様を眺め、呼子へ顔を寄せてひそひそと話しかけた。

「……おい佐倉。部長が甘い物好きってよく分かったな」

「何があの人の好物かくらいは調べるまでもなく耳に入ってくるのだ。ちょうど今日のおやつを残しておいて良かったのだ」

「確かに……とりあえず甘味を与えておけば上機嫌になるのはもう広まってるか。あれでも人気あるからな、あの人は……」

 部室での怠けぶりは抜きにしても、いつでも自然体でありさばさばした性格。根拠はなくともとにかく自信に満ち、体育関係では大抵優秀な成績を残す活躍ぶりと、とりわけ女子には人気が高い。

 反対に一といった例外はあるとしても男子からは距離を取られ気味だ。いつの時代も強い女は恐れられるというか。

 一は嬉々としてキャンディをむしゃぶる部長へ近づき、またもひそひそと話しかける。

「ちょっと部長、こんなんでいいんですか。もっときちんと面接しないと」

「えー? いいじゃん悪い子じゃなさそうだし。あたしとしては好感触」

 それはお菓子で懐柔されているからでは。なおも言いつのろうとする一に、ふと部長は食べる手を止め、じっと視線を注いできた。

「それにあたしは、あんたの目を信じるよ。これだけ部のために働いてくれてるあんたの事を、さ」

「ぶ、部長……」

 曇りなくまっすぐ見つめられ、少し胸に感じ入ったものを覚えるが――。

「……それって要は丸投げですよね?」

 すぐ我に返り問いただすと、部長は頭の後ろで腕を組み口笛を吹いて目を逸らした。

「あーやっぱりそうだっ! 自分じゃめんどくさいからなんだっ!」

「や、やかましいわよ。うちには部員が増える、あたしは甘い物が食べられる、それでウィンウィンってなもんでしょ」

 というわけで採用! と腕を振って指を鳴らす部長。

「よりによってこんなオチですか、このものぐさめっ」

「誰がものぐさかー!」

 キャンディを没収しようとして取っ組み合いになってしまったが腕力で勝てるはずもなく、頭を掴まれてめりめりと抑え込まれる。まあ呼子がいい奴なのは保証できるとしても、何か釈然としない。

 これはまだまだ先は長い、と一はどっかりと座り込み、部長と呼子が親しげに談笑し始めている様子を眺め、今日最大に力が抜けていくのだった。

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