第4章 部長 三葉健作

第68話 美術部員 秋山冬美

 季節は梅雨の真っ只中であるが、その日は珍しく朝から晴れていた。しかし、授業が終わり放課後になる頃には雲行きが怪しくなってきて、部活が終わる頃にはどんよりとした雲が空を覆っていた。


 すぐにでも振り出しそうな空模様だ。


 それを察した部活終わりの生徒達が、足早に帰路に着き始める。


 そんな中、美術室には女生徒が1人、帰り支度もせずに一心不乱にキャンバスに筆を走らせている。


 彼女の名は秋山冬美。黄麻台高校の一年生で美術部員である。


 長い髪を三つ編みにして、眼鏡をかけ、思春期特有のそばかすを化粧で隠すこともしない、地味で目立たない女の子であるが、それでも絵を描くことには情熱を注いでいるようで、脇目も振らずに絵を描き続けている。


 目の前のキャンバスには、女の子が1人描かれていた。


 薄暗い部屋で、椅子に座り、真正面にこちらを見ている少女の絵だ。


 少女の顔には色と表情がなく、見方によっては悲しんでいるようにも、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見える。何色に塗られるかで、それは決まるのだろう。


 冬美とはあまり似ていない女の子であるが、果たしてこの絵には誰かモデルがいるのだろうか? それとも……。


「冬美ー」


 快活な声と共に、ショートカットの女生徒が美術室に入ってきた。


「あ、夏樹ちゃん……」


 冬美はビクッと肩を震わせて振り返った。


 ショートカットの女生徒は春川夏樹。2人は幼馴染である。だが、冬美の顔には、何か恐ろしいものに出くわしたかのような怯えの色が微かに混ざっていた。


 それを知ってか知らずか、夏樹は遠慮なく冬美のそばまで歩き、キャンバスを覗き込む。


「へー、だいぶ出来上がってるじゃん」


「う、うん……」


「この、女の子の顔は塗らないの?」


 キャンバスの中央、未だ白いままの少女の顔を指して尋ねる。


「うん……まだ、決まってなくて……」


「ふーん……」


 夏樹はキャンバスをジロジロと眺めた後、徐に絵筆を取り、パレットの上の肌色の絵の具を付けて、キャンバスの上の女の子の顔に塗った。


「あ……!」


 あまりにも自然に行われた暴挙。冬美には止める暇がなかった。


「うん、こんな感じでいいんじゃない?」


 夏樹の声には罪悪感はなく、むしろ善行を行ったかのような響きがあった。


 冬美は時間が止まったかのようにキャンバスを見つめている。


「夏樹ー、そろそろ行こー」


 美術室の入り口では、いつも夏樹と一緒にいる名も知らぬ2人組の女子生徒が夏樹を呼んでいる。


「うん、行く行く。じゃぁね冬美。降らないうちに帰りなさいよ」


 夏樹は絵筆をパレットに置き、2人組のもとへそそくさと駆けていった。


「……」


 どれくらいの時間、冬美はキャンバスを眺めていただろう。


 窓の外では、大粒の雨が激しく降り注いでいた。


 冬美の手は絵筆を握りながらプルプルと震え、ついには絵筆をバキッと折り曲げた。


 黄麻台高校を遠くに眺める民家の屋根の上。


 2つの人影が、この顛末を眺めていた。


 1人は黒いスーツと黒い中折れ帽子を身につけた金髪碧眼の少年。


 もう1人は、アロハシャツを着た軽そうな青年。


 土砂降りの雨にもかかわらず、2人の身体は一切濡れていない。


 金髪の少年は蹲踞の姿勢で腰を下ろし、アロハの青年はその横で突っ立って、2人とも人差し指と親指で円を作って、それを黄麻台高校向けて覗き込んでいる。


『へぇ、なかなか美味しそうな子やないの』


 アロハの青年が言った。


『せやろ〜』


 金髪の少年が答える。


『ホンマにあの子、ウチが貰ってええんか、メフィちゃん?』


『あぁ、ええで。リバやん』

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