第67話 黄麻台高校七不思議その1

 十魔子の身体から発せられる水色の光が、水の様な質感を伴い次々と溢れ出てくる。


 その水の様な光を浴びた穢れの染みが溶けるように落ちていく。


「おぉ! すげぇ!」


 健作は感嘆の声を上げる。


 水の様な光はとめどなく湧き出ていき、開けっ放しにしていた屋上の出入り口から校舎内に流れ込んでいく。


「なるほど、こうやって学校中を一気に洗い流そうって事だね」


 健作が納得しているうちに、水嵩はどんどんと上がってきて気づいたら腰くらいにまでなっていた。勢いも次第に増してくる。


「あ、あれ? ちょ、十魔子さん? 花ちゃん?」


「大……霊……」


「あの、ちょっと待っ―」


「波!」


 十魔子の目がカッと見開かれ、同時に水の様な光が鉄砲水のように一気に押し出されてきて、健作は流されていった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」


 階段を下り、廊下を流れ、時々教室の中を渦巻き、学校中の隅々まで巡回して、最後に校庭に流しだされた。


 ここまでくると最初の勢いはもうない。

 健作は校庭の塀を掴んで水面から顔を上げた。


「ぷはー! 凄まじいな。まるで龍脈の中に入り込んだみたいだ」


 健作は以前に龍脈に飛び込んで移動した時の事を思い出す。


 あの時は一方向に流されるだけだったが、今回は上がったり下がったり曲がりくねったりしたのでスリルが段違いだ。幸いにも健作以外に流されるものはなかった。生物の健作にだけ物理的に作用したのかもしれない。その上、持ち前の水泳センスのおかげで何とか障害物にぶつからない程度に身体を動かすことができた。


「まぁ、これだけやれば綺麗になる―」


 その時、水が引き始めた。放出した時と同じくらいの勢いだ。


「ちょ、ちょっとこれは……」


 あまりの勢いに塀から手を放してしまい、健作は校舎の中に吸い込まれた。


「またかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 そして、来た時と大体同じルートを通って屋上に至った。


 十魔子はその場から一歩も動かずにいた。


 合掌した手に水の様な光が吸い込まれていき、最後の一滴が十魔子の手に戻った。


「いてて……終わった?」


 つぶれた蛙のようになって這いつくばっている健作がゆっくりと顔を上げた。


 包帯がほどけて顔から滑り落ちる。その下には腫れが引いてきれいになった健作の顔があった。


「あ、あれ? 治ってる」

「どうやら、ある程度の治癒もできるようになったみたいね」


 十魔子が健作の目前まで歩いてくる。


 髪の色が水色から黒に変わり、胸から水色の光が飛び出してきた。


 光は人の形を取り、花子に戻る。


『十魔子ちゃんの人霊術が持つ治癒能力をあたしの力で強化したのよ。つまり、あたしのおかげ。感謝してね』


「あぁ、ありがとう花ちゃん。ところで、その姿は?」


 健作が身を起こして、その場に胡坐をかく。


 花子の背丈は微塵も変わっていないが、その服装は黄麻台高校の制服姿になっていた。


『ちっちっちっ! もう万年小学生だったあの頃とは違うの。今のあたしは、学校妖怪トイレの花子さんじゃなくて、学校神にして七不思議のその一、厠ノ花子姫ノ神よ。敬ってね』


「わ、わかった。いや、わかりました。花子姫……さま?」


『花ちゃんでいいよ。とりあえず、上手く行ったみたいだし、これからはあたしが神様として面倒見てあげるから、よろしくね。健ちゃん』


「お、おぉ! そうか、神様やってくれるんだ。花ちゃんが来てくれるなら百人力だ。ねぇ、十魔子さん」


 健作は満面の笑みを十魔子に向けた。


 しかし、十魔子は哀しそうな顔で健作を見ていた。


「……あの、十魔子さん?」


 十魔子は無言でその場に正座した。健作もつられて正座になる。


 十魔子はなおも哀しい目で健作を見ている。


「ど、どうしたの? 怒ってる?」


「……」


 数秒間、十魔子は健作の目を見つめ、その後、口を開いた。


「悪魔を殺したこと、気にしてるの?」


「!?」


 一瞬、健作の顔が無表情に凍り付いたが、すぐに乾いた笑いを上げた。


「ははは、なにを言ってるんだ十魔子さん。相手は悪魔だよ? つまりは人間の敵だ。そんな連中を倒したくらいでいちいち悩んでたらマレビトなんてやってられないよ。そうだろ?」


 健作は早口でまくし立てた。しかし、視線が徐々に十魔子の顔から逸れていく。


「……」


 十魔子は健作の心を見透かすように、刺すような目線をまっすぐ向けてくる。


「……ごめん、嘘ついた。ちょっとだけ。本当にちょっとだけ辛い」


 健作は俯いて消え入るような本音を吐いた。


「……そう」


「頭ではわかってるんだ。あいつらは人間を食い物にしか思っていなくて、息をするように苦しめて、その事を省みるなんてしない最低の存在だって。……でも、ベルフェゴールを撃ったあと、手が震えたんだ。なにか、取り返しのつかないことをしたんじゃないかって。そんな思いが頭から離れないんだ」


 健作は自分の手を見る。その手は震えていた。


「……」


 十魔子は黙って聞いている。


「もちろんわかってるよ。悪魔を倒さなきゃ大勢の人が不幸になる。でも、あいつらは不幸にするだけで殺してはいない。でもおれは悪魔を殺した。もしかしたら俺の方が罪が―」


 健作が混乱したことを言い出そうとしたとき、十魔子は彼の震える手を掴んだ。


 手の震えがピタリと止まった。


「あいつらが人を殺さないのは、私たちマレビトが本気で討伐しに来るのを防ぐためよ。そして、より長期間、人を苦しめるため。決して人を大事にしてるわけじゃない。殺さない悪魔より、殺した自分の方が罪深いと思うのは、奴らの術中に嵌ってる証拠よ。気を付けて」


「そ、そうか! そうだよね」

 十魔子の言葉を聞いて、健作の顔がパぁっと明るくなった。


 だが、十魔子の表情は暗いままだ。


 十魔子は手を離して、健作に向きなおった。


「……もう、やめたら?」


「……え?」


 健作がキョトンとした顔になった。


「マレビトを続ければ、これから先、何度も同じような思いをするわよ。あなたのおかげで異界造りの目処もついたし、これからは私一人でも……」


「やだ! やめない!」


 健作は大きく首を振った。


「どうして? あなたがやめても、私は別にあなたを嫌いになったりなんか―」


「そういうんじゃない!」


 健作は大声で十魔子の話を遮った。


「……」


「だって、俺がやめたところであいつらはやめないだろ?」


「あいつらって、悪魔の事?」


「悪魔だけじゃない。悪意を持って行動するやつ全員だ。あいつらが狙うのは自分と戦う人だけか? 違う! むしろ逆だ。戦わない人が狙われる。戦いとは無縁なところにいて、日々真面目に善良に生きていたとしても、あいつらにとっては格好の獲物だ。これはもう、マレビトだとか分霊人だとかは関係ない。生きている限り向き合わなきゃいけない問題なんだ。俺は逃げない。俺が逃げたところで、あいつらはにやけ面しながら追ってくる。だったら、こっちから向かって行ってぶちのめして、逆にあいつらが逃げ出すようにしてやる」


 健作は鼻息を荒くし、頬を紅潮させながら言った。


「……そうね、あなたはその理不尽に巻き込まれた人だもの。そう思うのも当たり前よね」


 そう、まさに健作は日々真面目に善良に生きていたのに、理不尽に悪魔に傷つけられ、ともすれば死んでいたのだ。


 しかも、その責任の一端は自分にある。十魔子は顔を曇らせた。


「あ、いや、ちょっと待って十魔子さん。俺が言ったのはニュースとかで見る胸糞悪い事件とかの事であって……、それにあの件は100%メフィストが悪いって事で決着しただろ?」


 健作は慌てて十魔子を慰めた。


 しかし、十魔子には健作の怒りの源泉が、まさに自身が理不尽な目に遭ったが故だと思えてならなかった。


 その気持ちは痛いほど理解できた。


「とにかく! 俺はマレビトをやめない。もう弱音なんか吐かないから安心してくれ」


 健作は笑顔で拳を固めた。


 その拳を、十魔子の手が優しく包み込んだ。


「……わかった。もうあなたにマレビトをやめろとか言わない。あなたの言うように、逃げたところで理不尽はなくならない。立ち向かうべきなんだと思う。あなたにはその資格も権利もある。でも、辛くなったら私に言って。弱音は吐いていい。必要なら逃げるのもね。それは忘れないで。わかった?」


 十魔子の眼差しは慈母のように暖かで、それでいて有無を言わせぬ迫力があった。


「……わかった」


 健作はハッキリと頷いた。


「よかった……」


 十魔子が安心したように微笑む。


 そして、自分の手が健作の拳に触れている事に気づくと、顔を赤らめてパッと手を離す。


「し、仕事上のパートナーが変な事でうじうじと悩んでたら、し、仕事に支障が出るからね! なに変な勘違いしてるのよ、まったく!」


「え? あ、はい、すみません」


 理不尽に叱られてわけもわからず謝罪する健作。


 花子は2人の様子を見て笑いを堪えていた。


    第3章 終わり

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