第66話 心の中に

 翌日の夜。


 健作、十魔子、花子らは異界の黄麻台高校の屋上に来ていた。


 十魔子の人霊術では除き切れなかった穢れの染みが異臭を放ち、景観が薄汚れている。


「本当に、この穢れを取り除く事ができるんですか。花子さん」


 十魔子が花子に尋ねる。


『悪魔をやっつけた時みたいに、あたしと十魔子ちゃんが力を合わせれば大丈夫だよ。自分でもいけそうだって感じない?』


「あの時は無我夢中だったから。それに、学校のトイレに住み着いているだけの妖怪を厠神と解釈した上での力でしょ。今にして思えば、少し無理矢理過ぎた気もするし……」


『それでいいのよ。妖怪の性質を決めるのは人のイメージだもの。だから、十魔子ちゃんと同調した時に、あたしは厠神としての力を得られるの。今のところはね』


 花子は誇らしげに胸を張る。


「うーん……。仮にできるとして、穢れだけを洗い流すことなんてできるのかしら。この学校の霊質さえも洗い流して、リセットしてしまいやいないかしら?」


「まぁ、もういいじゃないの、十魔子さん。メフィストの馬鹿が三年かけて振りまいた汚れだ。少しくらい洗いすぎた方がいい」


 健作が意見する。その顔は所々が腫れ上がり、包帯でグルグル巻きにされている。


 十魔子と花子は無言で健作の顔を見た。


「あー……、前にも言ったけど、霊質がリセットされるって事は、その分、異界造りが遅れるという事よ。健作君はそれでもいいの?」


「何とかなるさ。それにあいつの汚れを残していたら、たちの悪いのが寄ってくるかもしれないんだろ? それは防がないと」


 健作は足元の穢れを鋭く見据えている。


「まぁ、あなたがいいなら……。じゃ、やろうか、花子さん」


『うん』


 花子はそっと目を閉じる。すると、彼女の身体が青い光となって十魔子の胸に吸い込まれていく。


 十魔子の身体から水色の光が発生し、髪の色も同様に変色する。


 花子は暗い通路を歩いていた。


 両脇には無数の窓が並んでいる。


 ここは十魔子の精神世界というべき場所。両側の窓は記憶の窓だ。開けられた窓、カーテンが閉じた窓。中には雨戸が閉められ、鍵がかかっているのもある。


 花子がここに訪れるのは二度目。もちろん最初は昨日の神降ろしの時だ。


 あの時はもっと混沌として、雑多な記憶が流れ込んできたものだが、今はそのようなことにはならず、整然としている。文字通り、心の準備ができたのだろう。


「神降ろしって、こんな感じなのかなぁ」


 もちろん、花子に神降ろしの経験はない。誰かに憑りついた事もない。


 突然、窓の一つが勢いよく開いた。


「あなたが好きだからです! それじゃぁいけないんですか!?」


 窓の向こうで健作が叫んだ。


 言わずと知れた告白の記憶だ。


『あらあら、健ちゃんやるぅ~』


 口笛を吹いて窓に近づく。


 そこへ十魔子が飛んできて窓を乱暴に閉める。


「まったくもう、記憶の中でくらい大人しくしててよ」


 十魔子は加えて雨戸を閉めて南京錠をかける。


 しかし、窓はなおも開かんとして、雨戸の下で荒れ狂っている。


 見渡すと、鍵が閉められている窓のいくつかは同じように暴れている。


 あれらも健作についての記憶なのだろうか?


「あーもう! とにかくこっちへ!」


 十魔子が花子の手を取って駆け出す。


 記憶の回廊を抜け、ひどく殺風景な空間に出る。


「こ、ここまでくれば……」


『別にいいじゃないの。もう大体知ってるんだし。健ちゃんとの思い出は、ちょっと制御が難しいみたいね~。ヌフフ……』


 花子が十魔子を見てニヤニヤと笑う。


「べ、別にそんなんじゃない。ただ、ビックリしただけ! それよりもあなたよ。花子さん」


『あたし? あたしがどうしたの?』


「どうしたもこうしたもないですよ。黄麻台小学校と運命を共にすると言って他所には行かないと言ってたのに、どういう風の吹き回しですか?」


『あー、それね。……ふむ』


 花子は十魔子の顔をジッと見つめ、おもむろに、なにもない空間へ手を翳した。


 すると、空間に窓は一つ現れ、ひとりでに開く。


 同時に凄まじい銃声が起こった。


「!?」


 窓の向こうでは、健作がベルフェゴールにとどめを刺したところだった。


 ベルフェゴールが消滅し、健作の腕がわなわなと震えだす。


 その後、メフィストが現れて好き勝手な言葉で健作を煽って去って行った。


 そして、十魔子が目覚めた辺りで窓が閉じた。


「……」


 十魔子は無言で床に手を翳すと、椅子が音もなく現れた。


 十魔子は、その椅子に腰かけ、思いつめるように顔を手で覆う。


「……やっぱり、健作君はマレビトになるべきじゃなかったのよ」


『ちょっとちょっと、なんでそうなるの!?』


「だってそうでしょ? 今の今まで戦いとは無縁に生きてきた人が、たとえ悪魔でも、その手にかけるというのがどういう事なのか。もっと早く思い至るべきだった。花子さんからもやめるように説得して―」


『それで、自分一人で悪魔と戦うの?』


 花子は十魔子の隣に椅子を出現させ。そこに座る。


『健ちゃんは、十魔子ちゃんが一人で傷つくのが嫌だからマレビトになるっていいだしたんじゃない。ちょうど今の十魔子ちゃんみたいな感覚ね』


「……!」


『そして、あたしもそれが嫌。健ちゃんも十魔子ちゃんも好きだもの。好きな人の助けになりたいと思うのは自然な事じゃない。それが神様になる理由』


「……でも、私たちは三年で卒業する。あなたにとってはあっという間よ」


 花子はピョンっと椅子から飛び降りた。


『その時は、この学校の事も好きになれてるといいな』


 そして、十魔子に振り向いて両手を差し出す。


『はい、じゃあ初仕事。大掃除をやっちゃいましょう!』


「……」


 十魔子は差し出された両手を見て、暫し逡巡したが、やがて意を決してその手を取った。


 空間が、水色の光に包まれた。

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