第21話 霊障被害者の会

「いやはや、災難だったね」


 ガラス張りのテーブルを挟んで、健作の向かいに座っている壮年の男性が優しく語りかけた。


 健作は今、東京にあるバカでかいビルの最上階にいる。


 異界から出ると、もう夕方だった。誰にも気づかれないように学校を抜け出して、ここに来たのだ。言うまでもなく無断早退である。あとでこっぴどく叱られるであろう。


 血で赤く染まった健作の制服は、秘書の吉田と名乗る無表情の女性に取り上げられ、代わりに真っ白なTシャツを着ている。


 向かいに座っている男性は、高級そうなスーツを着こなしていて、いかにも仕事のできそうな男性だった。


 彼の名は潮田誠。巨大複合企業潮田コーポレーションの社長である。ビジネス雑誌の表紙を飾っていたのを健作はコンビニで見たことがある。そして、先ほど名乗ったところによると、彼は霊障被害者の会の会長でもあるらしい。


 そして、ただっ広い社長室を一匹の巨大なクジラが泳ぎ回っている。シロナガスクジラだろうか。これが潮田の分霊獣だ。それは即ち、彼自身も分霊人だということになる。


 十魔子は博之の治療に当たっていて、同席していない。


 健作は、昨日からの出来事を、潮田に事細かに報告したのだった。


「それにしても、分霊人になった翌日に分霊術を使えるようになるとはね。私の知る限り、前例のないことだよ」


「え、そうなんですか?」


 健作は照れ臭そうに頭を掻いた。


「いや、この場合、状況によって、そうせざるを得なかったという事だろう。話を聞く限り、君は心に多大な負担をかけているし、獣化の危険もあった。あまり褒められた行為じゃない」


「そ、そうですか……」


 シュンとうなだれる健作。


「改めて言っておこう。私たち霊障被害者の会には、大勢の分霊人が参加している。私たちの目的はただ一つ。人として生きることだ。もし君が本能に呑まれて半人半獣の怪物になって、人を襲ったりしたら、それは分霊人全体が怪物として世間に認識されてしまうという事だ。それを忘れないでほしい」


 静かだが、厳しい口調で潮田は言った。


「は、はい……」


 健作はますます委縮してしまう。


 それを見た潮田は、朗らかな笑顔になった。


「ま、エラそうなことを言ったけど、私だって愛する人が危ないとなったら君と同じことをするだろうね。フフ……」


 潮田が自嘲気味に笑う。つられて健作も微笑む。張りつめていた場の雰囲気がほぐれた。


「それにしても、君は便利な能力を手に入れたね。私なんか―」


 潮田が手をかざすと、部屋の中を泳いでいたクジラが光の粒子に変換され、潮田の手の中に集まり、一本の煙管になった。


 潮田は気取った動作で煙管を吸い、煙を吐き出す。すると、煙が手の形になり、テーブルの上の茶菓子が盛られているお盆から、一枚の煎餅を取り出し宙に投げる。それに向かって煙を吐き出した。


 煙はクジラの潮吹きのように勢いよく飛び出し、煎餅の真ん中を一文字に通過した。


 落ちてくる煎餅を潮田が掴み、ふたつに分け、一つを健作に渡す。鋭利な刃物で切り裂いたかのように綺麗な切り口だった。


「おぉ、すげぇ!」


「ま、こんな程度のものさ」


「いや、ホントすごいですよ」


 健作は素直な気持ちで称賛した。そして自分もと思い、煎餅を咥えながら頭の上の蟇蛙を掴み、目の前にもっていく。


「……?」


 そのまま固まってしまった。あの時は、いつの間にか分霊具になっていたので、改めてやろうとすると、なにをどうすればいいのかわからなくなってしまう。


「考えると逆にうまくいかない。自転車の乗り方と同じさ。体が覚えているはずさ」


 健作の気持ちを見透かしたかのように潮田が助言する。


「ふぁい」


 煎餅を咥えたまま頷く健作。蟇蛙を見据え、静かに目を閉じる。


 あの時、自分を引きずって異界から逃げ出そうとするこの蟇蛙を叩き潰した。


 何のために?


 決まっている。あの人のためだ。


 健作は心に十魔子を想った。


 彼女を守りたい。哀しませたくない。切なくも温かい気持ちで胸がいっぱいになる。


「おぉ!」


 暗闇の中で潮田の感嘆の声が聞こえた。


 ゆっくり目を開くと、手の中で蟇蛙が光の粒子に変換され、ウエストポーチの形になったところだった。


「やった!」


「いいね。分霊具を使えるようになれば、とりあえずは安心だ。支障なく日常生活を送れるだろう」


「はい!」


 元気よく返事する健作。しかし、分霊具を見て考え込む。


「どうしたね?」


「あの、これってどうやって分霊獣に戻すんです?」


「あー、それか……。ま、いつの間にか戻るし、あえて戻す必要もないんだが、一応、教えておこう」


 潮田は、周りを見回し、他に誰もいないことを確認してから身を乗り出して、健作を手招きする。


「?」


 誘われるがままに、身を乗り出す健作。


「これは、あくまで私の場合だが……」


 と、潮田は声を潜めて、健作に耳打ちする。


「そ、そんなことを!?」


 思わず頬を赤らめる健作。


「なーに、他にも腹いっぱい食べたいとか、ぐっすり眠りたいとか、そういうことを思えばいい。要は本能が求めていることを少しだけ肯定すればいいんだ。本能を押さえることで分霊具になっているわけだからね」


「な、なるほど……」


 健作はウエストポーチをに見ながら、潮田の言うとおりの事を思う。


 すると、ポーチはパッと蟇蛙に戻った。


「フフフ、若いね~。いやはや……」


 潮田がニヤニヤしながら煙管を吸う。


「うぅ……」


 健作は顔を赤くしながら蟇蛙を頭の上に戻す。


「なに、コツだよ、コツ。そのうち意識しないでも変えたりできるはずさ」


「そういうもんですかね?」


 その時、ドアがノックされ、青いスーツを着た無表情な女性が入ってきた。秘書の吉田さんである。


「洗濯が完了いたしました」


 吉田さんは機械的に言い、機械的に健作の制服を差し出す。


 何をどうやったのか、新品同然に綺麗にされてたたまれている。


「あ、ありがとうございます……」


 礼を言いながら制服を受け取る健作。


「斎藤様の治療が終わりました。医務室の方へどうぞ」


 吉田さんは事務的にそれだけ言うと、機械的に頭を下げ、出て行った。


「……博之、どうなりますかね?」


 健作は友人の事を訪ねた。


「そうだね……。悪魔に憑りつかれて、一時的にとはいえ魂まで取られてしまった以上、今まで通りとはいかないと思うよ」


「……そうですよね」


 健作はやるせない気持ちになって目を伏せた。


「誰であれ、自分のやったことに対して責任を取らなきゃならない。これはもう彼自身の問題なんだ。君が気にすることじゃない」


「……」


「彼の家族にはこちらから説明しておこう。君はどうする? 家族には、自分で説明できるかい?」


「あ、はい」


 と、とっさに返事してから考え込む。


「……どういえばいいでしょう? もし、信じてもらえなかったら……」


「うーん、一番手っ取り早いのは能力を見せてしまう事だね。分霊具は霊気を物質化するまで凝縮したものだから、普通の人にも見える。目の前でいきなり道具が現れたら信じざるをえないはずさ」


「でも、そんなことをして、混乱させちゃったら……」


「そりゃ、混乱するだろうけど、そんなのは一時的なものさ。別に科学主義者ってわけでもないんだろ? 大事なのは、君が君でいることだ。そうだろ?」


 潮田は優しく微笑みながら健作の胸を指さした。


「そうですね!」


 健作は力強く頷いた。


「その意気だ。さてと、これで言うべきことは大体言ったと思うが、何か質問はあるかな?」


「……じゃあ、あと一つだけ」

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