第20話 親友 三葉健作

 健作は拳をメフィストの顔面にめり込ませ、そのまま殴り抜けた。


 メフィストの体が一直線に吹っ飛び、何度もバウンドして、やっと止まった。


「ふーっ、ふーっ」


 胸の中に渦巻く感情に耐えるように息を吐く。


 一か月間の思い出が脳裏を駆け巡る。


 入学初日に話しかけられ、すぐに意気投合した。それから放課後や休日はいつもつるんでいた。特にゴールデンウイークは遊び倒した。のどが枯れるまでカラオケで歌い、小遣いが尽きるまで食べ歩いたり、ゲーセンで遊んだり、金が尽きれば自転車に乗って当てもなく走り回り、パンクした自転車を引きずって夜通し帰宅した。親のいない時を見計らってエッチなビデオを見たし、二人して暴走族に立ち向かったこともある。


 健作の今までの人生の中で最も濃厚な一か月だった。それが続くと思っていた。高校生活中も、その後もずっと。だが、それは全て偽りだった。


「俺は! お前の事を、本当に、友達だと思っていた!」


 それは、魂の奥底から発せられる叫びだった。


 メフィストが倒木を押しのけて立ち上がり、帽子の汚れを払って被りなおす。


「僕もだよ、健作君」


 そう言って微笑むと、一瞬で健作の目前に移動し、強烈な蹴りを繰り出す。


 健作は反射的に腕をクロスさせて防御。しかし、衝撃は殺しきれず、数メートル後ずさる。


「うあぁぁぁぁぁぁ!」


 雄たけびを上げて突進し、メフィストに殴り掛かる。


 しかし、素人の喧嘩のような大ぶりのパンチである。メフィストは余裕の表情で紙一重で躱す。そして、ガラ空きの脇腹にフックを決める。


「うっ!」


 一瞬動きが止まった健作の顎に渾身のアッパーを叩きこんだ。


 健作は天高く飛び、急な放物線を描いて落ちた。


「うぅ……」


 口から血を流し、疲労困憊しながら、なおも立ち上がる健作。


 メフィストはそれをうんざりしながら見ている。


「やれやれ、人間てやつは、ちょ~っと特別な力を持つとすぐに調子に乗るんだから困ったもんだよね。いいかい? 分霊人になって強くなったと言ってもそれは人間レベルでの話だ。僕レベルになると大した違いじゃない。むしろ、調子づいて弱体化してるまであるぞ」


 健作は口元を拭い、手についた血を見た。


「……それが何だよ? それが、なんだってんだよ!?」


 そして、身を低くしながら爆発的にダッシュする。


 メフィストは微動だにせずに健作を待ち構え、タイミングを計って彼の頬に膝蹴りを入れた。


 しかし、健作は衝撃で顔を歪ませながらその足を掴んだ。計算ずくか、あるいは咄嗟の事か。


「うわ!」


 そのまま倒れこみ、健作はメフィストの上に馬乗りになった。


 健作はそのまま拳を振り上げる。


「やば……」


 メフィストが呟くのと同時に、その顔に拳が降りおろされた。


「くそっ! くそっ!」


 健作は何度も殴りつける。知らないうちに目からは涙が零れ落ちていく。


 メフィストは腕で顔を覆って拳の雨を防いでいる。


 その上から、健作はお構いなしに拳を叩きつける。


「ま、まて、待ってくれ健作君。話し合おう、話せばわかる!」


 メフィストの叫びに、健作の拳が止まった。


「……い、いまさらなんだ!」


「あ、これ効くんだ」


 メフィストはその手に黒い杭を形成すると、ためらいもなく健作の腹に突き刺した。


「ぐあっ!」


 焼けるような痛みだ。健作は腹を押さえ、メフィストの上から転げ落ちる。


 メフィストは顔を擦りながら立ち上がった。


「いてて……、顔はやめてって言っただろ。結構、精密な計算して作っているんだからさ」


 言いながら手鏡を取り出し自分の顔を確認する。案の定傷だらけだが、手で顔をなでると、傷のない元の顔に戻った。


「うん」


 満足げに手鏡をしまい、痛みに耐えている健作を見下ろした。


「悪く思うなよ健作君。昨日、僕が同じことを言っても、君は聞かなかった。こんな風にな!」


 メフィストが健作の顔を踏みつける。


「ぐあぁ……」


「どうした健作君。昨日の君はもっと強かったぞ。人間てのは不思議なもんだ。理性だかなんだか知らないが、本能や欲望に自ら枷をつける。それが、こうして身を滅ぼすことも知らずにね!」


 嗜虐的な笑みを浮かべながら足に力を込め、さらに手に黒い杭を形成する。


「あまい!」


 メフィストは杭を背後に放った。その先には十魔子が掌をメフィストの背に向けて狙っていた。


 杭はまっすぐに十魔子の喉元へ飛んでいく。


「!?」


 十魔子は咄嗟に杭を掴む。しかし、十魔子の細腕では抑えきれないのか、杭はゆっくり確実に彼女の喉に向かって突き進む。


「うぅ……」


 背後に大木があり、これ以上下がれない。杭の先端が十魔子の喉に触れる。赤い血が一筋流れる。


「やめろぉ! やめてくれぇ!」


 健作が声を張り上げた。それが腹に響き、激痛が全身に駆け巡る。


「フフ……、悔しいかい、悔しいだろうねぇ。今の君、とてもいい顔してるよ」


 恍惚の表情で健作を見下ろすメフィスト。


「あの女が死んだら、君はどんな顔をしてくれるのかなぁ」


「!?」


 その言葉か、十魔子の苦悶の顔か、あるいはその両方がきっかけとなり、健作の中で何かが弾けた。


「うあぁぁぁぁぁぁ!」


 雄たけびを上げ、腹の杭を掴む。痛みなど、最早気にならない。


 躊躇いなく、一気に杭を引きぬき、その勢いのまま頭に乗っているメフィストの脚に突き刺した。


「いて!」


 メフィストが怯んだ一瞬、その足を掴み、投げ飛ばす。


「うわぁ!」


 広場の端に落ちるメフィスト。健作は素早く立ち上がり、十魔子のもとへ跳んだ。


「……」


 呆気にとられている十魔子。手に握っている杭にもはや勢いはない。


 健作は十魔子の手から杭をひったくり、握りつぶして地面に叩きつける。


 同時に、メフィストが起き上がる。


「あいたた。痛覚なんか作るんじゃなかったなぁ。リアリティを重視するのは僕の悪い癖だ」


 愚痴りながら脚に刺さった杭を引き抜き、黒いエネルギーに変換して手の中に戻す。そして、平気な顔で立ち上がる。


「フー!」


 健作が唸り声をあげながら振り返る。十魔子をかばう様に立ち、頭を下げ、前項姿勢。まるで獣の様だ。


 その首筋から黒い筋が何本も登ってくる。


「三葉君!? ダメよ、本能に呑まれてはいけない!」


 十魔子が健作の肩を揺する。


「ガアァ!」


 健作はメフィストに向かって威嚇するように叫んだ。


「やっべ、怒らせちゃった。近頃の若者はキレやすいからなぁ」


 などと勝手なことを愚痴りながら、健作の様子を見て顎を擦る。


 十魔子の呼びかけが効果を上げているのか、いまだ襲い掛かってこない。しかし、少しのきっかけがあれば、猛然と攻撃してくるだろう。その時、自分に勝てるかどうか、勝てたとしても無事に済むかどうか……。


「ふ~む、ふ~~む、ふむ」


 数秒間の思考の末、メフィストはため息交じりに肩を竦めた。


 そして、背後にジャンプして、高く聳える木の先端に飛び乗った。


「「!?」」


 突然のメフィストの行動を健作と十魔子は呆然と見ていた。


「OK、わかった。ここは君たちに譲ってやる。なんてことはない、ちょっと牧場経営に興味が出て、戯れに作ってみた、僕にとっちゃ単なる遊び場さ。そんなものに血眼になっている君たちがかわいそうになってきたから、ここは退散してあげるよ。僕にも憐みの心ってやつがあるからね」


 単なる負け惜しみか、それとも本気で言ってるのか、メフィストは余裕の態度を崩さない。


「だけどね、もう僕の振りまいた穢れが、君らの言う邪悪な人間を引き寄せているんだ。そいつらを全員排除して、健全な学校とやらを作りたまえよ」


 メフィストが頭上に手をかざすと、空間が波紋を描く。


「バイバーイ」


 手を振りながら波紋に飛び込むメフィスト。波紋は消え、静寂が残った。


「……」


 十魔子は暫し呆然としていたが、やがてハッと弾かれた様に周囲を見回す。


「え、逃げたの? 本当に?」


「うぅ……」


 健作が弱弱しく呻きながら倒れこんだ。その首筋から黒い筋が顔に上ったり引いたりを繰り返している。地面についた手にも同様の現象が起こっている。


「三葉君!?」


 十魔子は健作の正面に膝立ちになり、彼の顔を掴んで、自分に向かせた。


「もう大丈夫。悪魔は去ったわ。あなたが勝ったのよ!」


 虚ろに瞬く健作の目を見ながら十魔子は必死に呼びかける。


「あぁ……うぐ!」


 健作は何かに耐えるように歯を食いしばる。すると、顔を昇っていく黒い筋が徐々に下がっていく。


「うっ!」


 突然、健作の喉が膨らみ、何かが昇ってくる。


「おえぇぇぇ!」


 顎が外れんばかりに大口を開ける健作。その口から、蟇蛙が一匹、のそのそと這い出てくる。健作の分霊獣である。


 蟇蛙は、健作の口から飛び出ると、なにを考えてるかわからない顔で十魔子を見上げた後、健作の手を伝って頭に上りだした。


「はー、はー」


「三葉君……」


「大丈夫、立てる」


 健作は十魔子に支えられながら、何とか立ち上がる。制服の脇腹が赤く染まっているが、痛みはない。裾を捲ると、刺された箇所はキレイに完治していた。恐るべき回復力だ。


「とにかく出ましょう。出口は見つけてあるわ」


「……うん」


 二人は覚束ない足取りで、支えあいながら出口に向かった。

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