第19話 悪魔 メフィストフェレス

 短距離走選手のような爆発的なダッシュで健作はメフィストに飛び掛かった。


「うわ!」


 メフィストの手からリンゴが零れ落ちる。


 健作はリンゴを地面に落ちる前に掴み取り、十魔子に向かって後ろ手に投げる。そして、メフィストを押さえつける。


「行け!」


「え、行けって!?」


 リンゴを受け取った十魔子が思わず聞き返す。


「博之を頼む、行ってくれ!」


「そんな、無茶よ!」


「はやく、行くんだ!」


「うぅ……」


 十魔子は苦渋の表情で、健作と博之を交互に見る。


「あー、もう!」


 そして、半ばヤケになって博之の細い体を担いだ。


「無理しちゃダメよ! いいわね!?」


 と、叫び、森の中へ駆けて行った。


 健作は返事を返す余裕もなく、必死でメフィストの体を押さえる。


「フン!」


 メフィストは嘲笑うかの様に微笑み、健作の腹に足を置き、そのまま押し出す。


「ぐわ!」


 放物線を描いて飛ぶ健作、空中で体制を整え、這いつくばるように着地する。


 そして、息を整えながらゆっくりと立ち上がる。一方、メフィストは体を縮めつつ逆立ちした後、一気に伸ばし、その勢いで立ち上がった。


 森の中に作られた闘技場のような広場の中央を挟んで対峙する分霊人と悪魔。


 先に口を開いたのは健作だった。


「なんでだ!?」


「ん~なにがかな?」


「あの時……お前、俺が体育館へ行くように仕向けただろ。そして、竜見さんを殺そうとした! 俺の目の前で! 俺があの人の事を好きだと知ってるお前が!」


 健作が感情を爆発させて怒鳴り散らす。


「あぁ、そのことか。いや、あれは君が悪い」


 メフィストは悪びれもせずに言い放った。


「なんだと……」


「いいか? 三年だ。僕は三年間この学校を住みよい場所にするために頑張ってきた。それをどこからか嗅ぎつけたのか、あの女がやってきた。そうなると異界の中に隠れるのも限界が来るから、人間の体を貸してもらうことにした」


「それが博之か?」


「その通り。案の定、あの女は穢れを吹き飛ばし始めた。僕が三年かけて振りまいた穢れをだ! 目立たないように濃すぎず、薄すぎず、その配分で調整するのは大変なことなんだぞ。どんなに早くやっても三年かかる。それをあの女はたったの一か月で僕の苦労の半分を吹き飛ばした!」


 メフィストの声は怒りに震えている。


 健作はその様子に見覚えがあった。博之がゲームや勝負ごとに負けた時など、何か気に入らないことがあった時の口調や仕草だ。やはり、自分が友として接していたのは博之の姿をしたこの悪魔なのだ。健作はその事実を改めて思い知らされた。


 メフィストは怒りを吐き続ける。


「……すぐにあの女を殺すこともできた。でも、そしたら他の魔術師たちが続々とやってきて、さらに面倒なことになる。だから、卒業までちょっと手を抜いてもらうことにした。一番いいのは男をあてがう事だ。だいたい、女ってのは色恋沙汰で馬鹿になるからね。一番の懸念は、あの陰気なまな板に欲情するマニアックな男がいるかどうかだったけど、意外なことにすぐに見つかった。それが君だ」


 まっすぐに健作を指さすメフィスト。


「!?」


「だ・け・ど、草食系男子の君は、僕がいくらけしかけても一向に行動を起こさなかった。そうこうしてる間に、あの女は僕の苦労を消し飛ばしていった」


 メフィストは感慨深げに天を仰いだ。


「……人間が土地を奪い合って殺しあうのをあほらしいと思ってたけど、自分の場所に他の奴が入り込んで好き勝手やるってのは、いや~むかつくもんだね。いくら僕が寛容だと言っても、限界ってものがある」


「……」


「君をあの場に呼んだのは、単なる興味さ。惚れた女が目の前で死んで、どういう反応をするのかってね。復讐を誓うのか、生き返らせようとするのか、はたまた別の女に乗り換えるのか、それによって魂の調理法が違ってくるからね。でも、ああいう事をするのは予想外だったよ。あんな根性があるならとっとと告ればいいものをね。全く君ってやつはいっつも思い通りにならない困ったさんだよ。……ま、そういうわけで、あの件は君の自業自得ってわけだ。理解してくれたかな? ん?」


「……」


 健作は目を深く閉じ、黙って聞いていた。胸の内に複雑な感情が渦巻いている。それが怒りなのか、哀しみなのか、健作自身にもわからなかった。固く握った拳がわなわなと震えだす。


「あれ、怒ってるの? まぁ、わかるよ。死にかけたわけだからね。でもさ、そのおかげで君は何を得た? 力だ。もう聞いたかどうかわからないけど、分霊人てやつはなろうと思ってなれるものじゃない。過去に多くの天才たちが、能動的に分霊人になろうとしたけど、その全てが無駄に終わった。その力を得られたんだ。彼らより確実に頭の悪い君がね。しかも、想い人とお近づきになれるというおまけ付きだ」


 メフィストは顎を擦り、芝居がかった動作で首をひねった。


「あれ~、僕って結構、いい奴じゃね?」


 最高峰のドヤ顔を決めた直後、その顔面に健作の拳がめり込んだ。

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