第18話 代償
十魔子は博之の胸に手を当て、霊気を分け与えている。しかし、大霊波を撃った影響で、致命的に霊気が足りず、手からは朧な光しか出せない。十魔子は手近な倒木から葉を引き抜き口に含む。ひどい味だが、吐き出さないように口を押さえ、咀嚼する。
「た、竜見さん、それは食べ物じゃ―」
健作が身を起こす。
「いいから、あなたは休んでて!」
「は、はい……」
十魔子の剣幕に、健作はすごすごと寝転がる。
異界は霊気で構成されており、その中の物質は、すべて霊気の塊だと言える。それ故に、異界の構成物を取り込むことで、簡易的な霊気の補給になるのである。しかし、今回の木の葉の様に味や食感まで再現されている場合もあり、異界によっては構成する霊気の合う合わないがあるので、いつでも使える手段というわけではない。
十魔子は次々と葉を引きちぎって口の中に入れる。
それによって、博之の胸に置かれた手が光を強くし、博之の肌に張りが戻っていく。肩の傷も、とりあえず止血された。十魔子は博之の胸から手を離した。
「た、助かる?」
健作が起き上がって尋ねる。
「ええ、とりあえずは。使い魔の核にされていたけど、命に別状はないわ」
「使い魔の核?」
「高位の妖怪や魔術師は自分の手下となる霊的存在を作り出すことができるの。それが使い魔。この時、ただ霊気を集めて形作るよりも、何らかの物質を中心に霊気を集めれば、なんというか、安上がりでちゃんとしたものが作れるのよ。核となった物質が明確な弱点になるデメリットがあるけどね」
「へ~」
健作がわかってないような返事をした。
「それじゃ、早いとこ脱出しましょう」
と、十魔子は立ち上がったが、疲労はごまかせず、足がもつれる。
「危ない!」
とっさに立ち上がって十魔子を支える健作。しかし、健作も余裕があるとは言えない。
「うわぁ!」
「きゃぁ!」
二人してバランスを崩し、もつれあって倒れる。
「ご、ごめんなさい!」
健作を下敷きにして倒れた十魔子は、慌てて起き上がる。
「い、いえ、こちらこそ……」
反射的に健作も詫びて上体を起こす。熱い血が全身を駆け巡るのを感じる。心臓が激しく脈打つ。しかし、昨日のようなどす黒い衝動は湧いてこなかった。その代わりに言いようのない温かな感情が胸の内に湧きおこる。
「す、少し休んでからの方がいいかな……?」
「そ、そうね、少しだけ……」
十魔子の顔も真っ赤だ。
「……ところで、それ、いつから使えるようになったの?」
十魔子がごまかすように健作のウエストポーチを指して尋ねる。
「それ?」
健作はキョトンとして自分の腰を見る。
「……なにこれ?」
「なにこれ? 今、なにこれって言った?」
あきれ顔の十魔子。
「いや、ホントに知らないぞ。いつの間についてたんだろ? 怖いなあ」
健作はウエストポーチを外し、目の前にもってきて凝視する。
全体的に茶色。イボイボの表面にぶよぶよの手触り。開閉口はガマ口となっているそれは、まるで蟇蛙を模しているようだった。
「……それは分霊具よ」
十魔子が冷めた目で言った。
「分霊具?」
「そう、分霊人がその肥大化した本能を理性によって制御できるようになると、どういうわけか分霊獣を道具の形に再構築するの。それが分霊具。分霊具は分霊人が分霊獣のもとになった動物。あなたの場合蟇蛙ね。その動物に対して抱くイメージに即した特殊な能力を持っている。私たちは分霊術と呼んでいるわ」
「分霊術……英語にすると、ドッペルアーツ……」
「なんで英語にする必要があるのよ。それにドッペルはドイツ語よ?」
「え、そうなの? ま、いいや。それにしても特殊能力か……いったいなんだろ?」
「さっき、アホみたいに石を詰め込んでいたでしょ! 全く、分霊人は無意識に分霊術を使ってると聞いたけど、これほどとはね」
「なるほど、つまり、たくさん入るポーチって事か。便利なのもらっちゃった。ラッキー!」
健作は嬉しそうにポーチを腰に巻き付ける。確かに蛙は金運の象徴だということをテレビか何かで知っていた。本気でそう思っていたわけではないのだが、そのような能力を発動したということは、無意識では本気で信じていたのかもしれない。
「楽観的ね」
十魔子がため息交じりに言った。
「うぅ……」
その時、博之が苦し気に唸った。そして、薄く目を開け、健作と十魔子を見回した。
「お、起きたか博之」
「……」
健作は自然とフランクに話しかけたが、十魔子は眉間に皺を寄せて渋い顔を作っている。
「三葉君……、竜見さん……。……僕は、君たちに謝らないといけないことが……」
「……あとで聞くよ。立てるか?」
健作は立ち上がり、博之に手を差し伸べた。
しかし、その手を握らず、博之は泣きそうな顔で健作を見た。
「僕じゃないんだよ三葉君。君と友達でいたのは、僕じゃないんだ……」
「……知ってる」
健作が哀し気に呟く。
「……僕は、つまらない人間だった。友達もいないし、やりたいこともない。そんな自分が嫌だったけど、変わる努力もできない根性なしだ。だから、悪魔の誘惑に乗ってしまった……」
博之は慟哭の様に吐き出した。
「メフィストはなんて?」
十魔子は相変わらず厳しい顔で尋ねた。
「……体を貸してくれって。黄麻台高校に願書を取りに行くときに……。代わりに僕を変えてやると言われた。僕にはわかっていた。高校でも同じだと、今まで通り、何も起こらないつまらない三年間になると、そう思ったから……」
「軽率にもほどがあるわ……」
十魔子は吐き捨てるように言った。
「……」
健作は黙って聞いている。
「……悪魔は、僕を劇的に変えてくれた。僕の代わりに身体を動かして、ダイエットして、おしゃれして、受験もやってくれた。学校に行って、友達もできて、最高だった。夢の様だった……」
「……その……記憶はあるのか? 例えば、カラオケに行った時のとか」
「ああ、覚えてる。映画館みたいなものなんだ。僕の視点で見る映画館。僕が学校の問題児なんて、ホント、物語みたいだ。……時々、自分でやってるような気になるけど、それは錯覚だ。僕自身の体験じゃない。……でも、それに気づいたときはもう遅かった。みんなにとっての斎藤博之は、もう僕とはかけ離れている。それに代わるだなんて、創造するのも恐ろしい。さっきまで、その恐怖に憑りつかれていた。……でも、そのせいで君たちを傷つけてしまった……。……本当にごめんなさい」
博之は健作を見て、涙ながらに謝罪した。
「……正直、なんと言っていいのかわからないけど、俺はこうして生きているんだしさ。だから、気にするな。っていうのも違うか? えっと……」
健作が言葉を探していると、
『謝罪と賠償を要求すればいいよ』
突然聞こえてきた声が妙な提案をする。
「そうそう、謝罪と賠償を……って、違う! 誰だ!?」
『フフフフフフ……』
人を食ったような笑い声。メフィストのものだ。健作と十魔子が緊張の面持ちで立ち上がる。
突如、倒れている蛇が頭だけこちらに向けたかと思うと、直後、黒いどろどろの液体に変じて人の形になり、メフィストフェレスの姿になった。
メフィストは、手鏡を見て髪を整えた後、帽子を被り、恭しくお辞儀した。
「やあ、みんな。ご機嫌いかがかな?」
「……何をしに来た?」
健作が凄んだ。
「何をって、僕たち戦ってたじゃない。尻尾巻いて逃げたと思った?」
「……そうだったな」
健作が足元の倒木から枝を引きちぎって棍棒の様に構える。
「フフフ、ちょうど2対2だ。フェアにやろうぜ。さ、博之君こっちへ」
メフィストがボクシングの構えをとりながら博之を呼んだ。
「!?」
博之の顔が凍り付く。
「こいつらはヘトヘトだ。今なら簡単に倒せる。そうして、今まで通り、二人で一人の高校生に戻ろうじゃないか。そろそろ童貞を捨てたいだろう?」
メフィストがシャドウボクシングをしながら誘惑する。
「……」
博之が震える足で立ち上がった。健作から木の枝を受け取って、杖代わりにして辛うじて立つ。
「……メフィストさん、あなたに身体を貸したことが無駄だったとは思いません。貸さなかったらきっと、何もないままの僕だった。でも、僕はもう、僕のままでやっていきたくなったんです。だから、もう体は貸せない」
「……」
メフィストはシャドウボクシングをやめ、しばらく博之を凝視していたが
「おいおいおいおいおい! 博之君、頭を冷やすんだ。今はちょっと興奮してるから冷静な判断ができないだけだ。一週間後の自分を想像してみろ。確実に後悔するぞ。また、あのしょぼくてダサいヘタレ君に戻るのか? もう”斎藤博之”は君だけのものじゃないんだ。女の子たちは変わってしまった君を見てどう思うかな? 『ちょっとヤダーなにあれダサくな~い』『あんなののファンだったなんて~わたしショック~』とか言われるんだぞ、耐えられるのか? ん?」
と、身振り手振りを交えながら機関銃のごとく捲し立てる。
博之は大きく息を吐いて、
「……仕方ないよ」
どこか晴れやかな顔で言った。
メフィストが目を丸くする。
「……と、いう事は、つまり……僕との契約を破棄すると。そう捉えていいのかな?」
「……ごめん」
「……」
メフィストは一瞬だけ凍り付いたような無表情になったが、すぐににこやかになり、わざとらしく何度も頷く。
「うんうん、なるほど。いや、いいんだよ博之君。僕たちはパートナーだ。君の意思を尊重するよ。ただ……」
メフィストは邪悪な笑みを浮かべて右手を博之に向けた。
「ペナルティは支払ってもらうよ?」
次の瞬間、博之の体が激しく痙攣したかと思うと、その口から膨大な光の帯が放出される。光の帯は蛇のようにうねりながらメフィストの手に集まっていく。
博之の体が見る間にやせ細っていく。
「博之! おい!」
健作が博之の体を揺すって呼びかける。十魔子が口を押さえて光の流出を防ごうとするが、光は十魔子の指の間から漏れ出す。
「だめ、止まらない!」
そして、何秒もしないうちに光は全てメフィストの手に収まり、リンゴの形になった。
残った博之の体はミイラの様になり、今にも崩れ落ちそうだ。
健作が細心の注意を払いながら細い体を支える。
「そんな……」
十魔子が博之の口に手を当てる。
「魂を取られた……でも、まだ息がある」
二人が一斉にメフィストを見た。
メフィストは光のリンゴを弄んでいる。
「これがビジネスだ。一つ、勉強になったね」
そして、おもむろにリンゴを一口かじった。ビクッと博之の体が激しく痙攣する。まだつながりがあるのだ。
次の瞬間、健作は駆け出していた。
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