第17話 救出
「その人に、近づくなぁぁぁぁぁぁ!」
すさまじい雄たけびとともに、健作は蛇の体を引っ張り、そのまま背後に放り投げた。
蛇は遥か彼方の森の中に飛んでいき、そして、落ちていった。木々が折れる音が微かに聞こえる。
十魔子は全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「竜見さん」
健作が十魔子のもとに駆け寄る。
「大丈夫?」
心配そうに手を差し出す。
「え、ええ……」
十魔子はあっけにとられた様子で健作の手を掴んだ。
「いたっ!」
十魔子が顔をしかめた。その右手は赤く火傷の様になっている。限界まで集中した大霊波の反動だろうか。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「ええ、平気よ。それより、どうしてここにいるの! 外に出たんじゃないの!?」
「それは……、それより、今は博之を助けないと! どうすればいい。あの蛇を何とかすればいいの?」
「……だと思うけど。あなた、大丈夫なの? さっきみたいな事になったら……。ちょっと、分霊獣はどうしたの!?」
十魔子は健作の頭上に蟇蛙がいないことに気づいた。
「ああ、えっと、潰した」
「……潰した!? 潰したってどういう事?」
「だから……石で、こう……物理的に……」
健作が石を掴んで振り下ろすような動作をする。
「……ちょっと、待って。……あなた、なに言って……」
「と、とにかく大丈夫。自分の事だもの、わかるよ。うん、大丈夫!」
健作が元気よく頷く。その時、広場を挟んで反対側の森の奥から蛇が戻ってきた。
健作の顔が一気に青ざめる。
「……だと思う。……たぶん」
「……」
十魔子は呆れたように眉間を押さえた。
蛇はこちらに迫ってくる。心なしか、その顔は怒っているように見える。
「こ、このやろ!」
健作はウエストポーチのがま口を開き、中から石を取り出し、全力で投げつける。石は弾丸の様に飛んで、蛇の顔に当たった。脱皮したてで柔らかいからか、蛇の鱗に傷がつき、黒い液体が流れる。
「ち、ちょっと、三葉君、それって―」
十魔子が健作のウエストポーチを指して尋ねるが、
「このっ! このっ!」
健作は無我夢中で石を投げつけていて聞こえていない。
ウエストポーチから次から次へと石を取り出し、投げつける。明らかにポーチの容量を超える量である。
雨の様に降り注ぐ石礫を物ともせず、確実に進んでくる。
「このっ! このっ! こ……あれ?」
健作がウエストポーチを虚しくまさぐる。石が尽きたのだ。
それを蛇は察したのか、すすむ速度を速めた。決して速すぎず、恐怖をあおるようにじわじわと迫ってくる。
「うあぁぁぁぁぁぁ!」
半狂乱になった健作は足元に倒れてる気から太い枝を引きちぎって両手に持ち、蛇に突撃した。
「無茶よ、待ちなさい!」
十魔子が引き留めようとするも効果はなかった。
健作は突き進み、蛇の目前で飛び上がり、その頭を枝で殴りつける。
ガン! 鈍い音と共に蛇の頭が下がる。その目の前に着地し、今度は枝を振り上げる。
ガコ! 再び鈍い音。今度は蛇を仰け反らせた。
そのまま倒れるかと思いきや、蛇はからかうように体をくねらせ、元の体制に戻る。あまりダメージがあるようには見えない。そして、健作の目の前で牙を見せつけるように口を半開きにした。その口元は微かに吊り上がっていた。
「あぁぁぁぁぁ!」
叫びながら健作は枝を叩きつける。
しかし、蛇は枝を口で挟みこみ、その攻撃を防いだ。まるで真剣白刃取りだ。
「!?」
健作は一瞬目を丸くして枝を見る。何とか引き抜こうと押したり引いたりするが、枝はびくともしない。
蛇は健作ごと枝を持ち上げ、弄ぶように振り回す。
「うわー!」
凄まじい遠心力が健作の体にかかるが、決して枝を離さない。
しかし、枝の方はもたなかった。バキッと派手な音をたてて折れ、健作は遠心力に任せて飛ばされた。
そのまま地面に何度かバウンドしたあと、四肢を踏ん張り、何とかブレーキをかける。
「いてて……は!」
握っていた枝を見ると、短刀程度の短さに折られていた。先端は尖っているもののこれでは引っ掻くくらいしかできない。
が、次の枝を探す間もなく、蛇が迫ってきた。鋭い牙を光らせ、大口を開けて見下ろしてくる。
「うわぁ!」
情けない悲鳴を上げて横に飛ぶ。直後、健作がいた場所を蛇の顎が抉る。
蛇は頭を上げ、地面すれすれに突進してきた。
「ひゃあ!」
再び情けない悲鳴を上げ、跳び箱を飛ぶように回避。蛇の胴体の上に乗っかる。直後、蛇が暴れ振り落とされる。バランスを崩して尻餅をついたところに蛇が頭上から噛みついてきた。
「ひぃ!」
今度は前方に転がって何とか避ける。戦闘経験もなく、訓練も受けてない健作が、蛇の攻撃をよけられるのは、皮肉にも恐怖によるものである。分霊人になった事で肥大化した生存本能が恐怖という形で命の危機を健作に告げる。そして、半ば反射的に健作の体を動かし、攻撃を回避しているのだ。
「ひえぇぇ!」
蛇の体当たりを頭を下げて回避。この時、蛇の腹が健作のすぐ真上に来た。そして、手には尖った枝。
「……」
一瞬にも満たない間、逃げるべきという本能と、攻撃すべきという意思が激しくせめぎあう。そして、健作は両手で枝を握り、蛇の腹に突き刺した。
「……?」
手に変な感触が走った。泥を突くような感覚の後に、何か明確な形のある何かを突いた感触。少し柔らかいが、確かに実態のある何か。
が、それを疑問に思う間もなく
「シャァァァァ!」
痛みを感じているのか、蛇が暴れだす。
「うわ!」
慌てて枝を引き抜き、跳び退いて距離をとる。
そして、手の中の枝を見た。
「……!」
枝の全体にどす黒い液体がこびりついている。蛇の体液だろう。しかし、枝の先端は赤い液体で濡れている。それは、明らかに血液であった。
「え……、これって……つまり……」
健作の頭の中で一つの可能性が芽生える。それは―
「三葉君、危ない!」
十魔子が叫んだ。見上げると、蛇が大口を開けて、今まさに健作に襲い掛かろうとしているところだった。
「!?」
本能が避けるよう足に命令を送っている。しかし、健作はそれをねじ伏せるほどの強い意志を足に込めて、蛇の口の中に跳んだ。
パクッ!
健作が飛び込んだ後、蛇は口を閉じ、呑み込む。
「!?」
十魔子は何が起こったのか理解できず、ただ唖然としていた。
当の蛇でさえキョトンとしている。
不思議な静寂が場を支配した。
しかし、突如蛇が苦し気に暴れだした。
「シャァァァァ!」
痛々しい悲鳴を上げ、のたうち回る。蛇の腹に黒い点が何個も生じ、黒い体液を吹き出す。
「まさか、三葉君が!?」
十魔子は合点がいった。健作はわざと蛇に食われ、一寸法師のように体内から攻撃しているのだ。
確かに固い外皮に守られている相手には最も効果的な方法だが、しかし、健作には蛇に食われるなど何よりも避けたいことのはずだ。それを自らやると決意させるほどの事情とは?
思考する十魔子の目の前で、蛇は首を左右に揺らして苦しんでいる。そして、喉を膨らませたかと思うと、黒い塊を一つ吐き出した。その後、力尽きたように倒れた。
塊は十魔子の足元に命中した。それは蛇の体液の塊であり、命中と同時に飛び散る。そして、人間が一人、体液にまみれて残った。三葉健作であった。
「はぁ……はぁ……」
健作は息も絶え絶えで、黒い液を滴らせて這いつくばっている。
「三葉君!」
十魔子は力の入らない足で健作に駆け寄る。
「だ、大丈夫。それより……」
健作はウエストポーチに手を突っ込み、人間を一人取り出した。
ミイラの様にやせ細ったその人物は、まぎれもなく斎藤博之だった。肩に血が滲んでいる
「こいつを頼む」
それだけ言うと、健作は大の字になって寝転がった。
「……任せて」
十魔子は博之の胸の上に手を当てた。
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