第16話 十魔子の戦い

 十魔子は身を隠して蛇の様子を伺っている。


 あの後、相当暴れたのか、蛇の周りの木々は薙ぎ倒されていて、広場の様になっている。目が閉じられているのを見ると、まだ目くらましは来ているようだ。蛇の周りには十魔子が放った光球が浮いている。相変わらず蛇は光球に攻撃を試みているが、光球は嘲笑うかのようにのらりくらりと躱し続ける。ここまで効果があるとは、十魔子も予想外だった。


「……」


 十魔子は気に身を潜めながら目を閉じ、精神を集中して霊感を研ぎ澄ませ、周りの様子を探る。しかし、少なくとも十魔子の周辺で活動している霊的存在はあの蛇だけだ。メフィストの気配はない。


(……どういうこと?)


 いま、この異界を支配しているのはメフィストフェレスである。この光景も手に取るように把握しているはずだ。それなのに、なんの干渉もしてこない。


 なにか企みがあるのだろうか? それとも、この様子を見て楽しんでいるのだろうか? ライオンと剣闘士が殺しあうのを眺めるコロッセオの観客の様に。


 そんな馬鹿な。と、言いたいが、相手は悪魔。十分あり得る話だ。しかし……。


 一つの可能性が十魔子の脳裏を過った。もしも、あの悪魔が見ているしかできないのだとすれば? 二度にわたる異界の再構築。巨大な使い魔の形成。いずれも莫大な霊気を使用する業だ。霊気だって無尽蔵にあるわけではない。確かに学校は多くの霊気が溜まっているが、それをすべて使えるかは別の問題だ。今、メフィストが使える霊気は博之から奪った分しかないはずだ。


 だとすれば、これは好機である。いま、メフィストの使い魔であるあの蛇を倒せば、奴は戦う力を失う。自分一人で悪魔を倒せるはずだ。昨日の様にはならない。


 しかし、それこそが奴の掌の上であったとしたら……?


 十魔子は湧きおこる不安を振り払うように頭を振った。


 考えてる時間はない。十魔子の予想通りだとすれば、対処が遅れた分、メフィストが回復する時間が増えるのだ。


(ええい、ままよ!)


 十魔子は右手に霊気を集中する。限界まで霊気を溜め、最大威力の大霊波をぶつけるのだ。


(ふうぅぅぅぅ)


 ゆっくりと息を吐きながら、右手に霊気を流し込む。同時に、蛇の様子を伺うのも忘れない。蛇は相変わらず光球に攻撃を仕掛けている。一見、戯れてるようにも見える。


(そうよ、そのまま遊んでて)


 右手に霊気が集中し、強い輝きを放ち始める。


「!?」


 蛇が鎌首をこちらに向けた。これほど強い霊気を放てば、囮の光球ではごまかしきれない。


 蛇はゆっくり、確実にこちらに近づいてくる。


(もう少し、もう少しなのに……)


 多量の霊気を溜めたが、限界にはまだ足りない。これを撃って果たして倒せるか?


 十魔子の逡巡もお構いなしに、蛇は大口を開け、牙を剥きだしにし、一気に突っ込んできた。


「!?」


 蛇の巨体が森を抉る。


 根元を削り取られた木々が布団の様に蛇に覆いかぶさる。それらを押しのけて蛇が起き上がった。口を開くと、粉々になった木の破片が零れ落ちる。が、その中に十魔子の姿はない。


「大霊波!」


 右上方から十魔子の声、同時に光の奔流が襲い掛かる。


 十魔子は蛇が襲い掛かる直前、木の上にジャンプして、無防備な蛇の頭上に大霊波を放ったのだ。


 光は容赦なく蛇の体を灼き、爆発した。


 あとには黒焦げになった蛇が横たわっていた。


「……やった」


 心の中に安堵と達成感が去来する。同時に立ち眩みが起きて、乗っていた枝から足を踏み外した。


「うわ!?」


 何とかうまく着地したものの、足に力が入らず、手近な木に寄りかかる。


 今の攻撃で殆どの霊気を消耗してしまった。しかし、条件はメフィストも同じなはずだ。


「何とか、見つけ出して……」


 十魔子が歩き出そうとした、その時―


 ピシッ


「!?」


 何かが割れるような音だった。


 振り向くと、黒焦げになった蛇のうろこが裂けている。


 ピシッ


 再び割れる音。裂け目が大きくなっていく。


「そんな……」


 そして、裂け目は蛇の体を縦に割き、中から艶やかな赤黒の斑模様の蛇が出てきた。脱皮したのだ。


「嘘でしょ……」


 十魔子は蛇と向きなおろうとするも、意に反して足に力が入らない。


「くっ……」


 ここまでか。せめて、健作が外に出て助けを呼んでくれるのが唯一の救いだ。


 蛇は十魔子を見据え、ニヤリと笑った。そのように十魔子には見えた。


 そして、牙を剥いて十魔子に襲い掛かる。


「……」


 十魔子は目を閉じて、恐怖に耐える。


 バン!


 蛇の口が閉じられる凄まじい音が聞こえた。自分はもう食べられてしまったのか? それにしては痛みも衝撃も感じない。


 十魔子がそっと目を開けると、すぐ目の前で蛇の口が閉じられている。


「え……?」


 疑問に思う間もなく、蛇の口がズズッと遠ざかっていく。


 蛇の体はまっすぐに伸びていて、その先には尻尾を掴む健作がいた。

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