第13話 よくわかる悪魔の生態

 健作が階段を登るとすぐ右にメフィストの言う通り視聴覚室があった。


 迷わずドアを開く。中は真っ暗だった。


「三葉君。勝手に行動しないで!」


 十魔子がすぐに追いつく。その直後、ドアが一人でに閉まった。


「あーもう!」


 光の失われた空間で十魔子が悲痛に叫んだ。


 一方、健作は目を閉じ、耳を澄ませた。


 隣にいる十魔子が嘆く声が聞こえる。彼女の心臓が鼓動する音も。


 それ以外の音はないように思える。


 そして、ゆっくりと目を開けた。暗闇に目が慣れたのか、周囲の景色がぼんやりと見える。


 視聴覚室。大勢の生徒たちが集まって集会を開いたり、何かを鑑賞するための部屋だ。今時はどの学校にもある。黄麻台高校はもちろん、健作の通っていた中学校にも小学校にもあった。どれも似たような作りになっていて、今いる視聴覚室も大体同じだった。前方にスクリーンやステージがあり、そこから規則正しく椅子と机が並んでいる。健作たちがいるのは部屋の一番後ろである。


 そして、そのステージの上に人影が一つ。


「そこか!」


 健作が消火器を振りかぶった。


 その時、どこからかスポットライトが光り、ステージの上に当たる。照らされているのはもちろんメフィストだった。


 メフィストはパイプ椅子に座り、物憂げに考えてるようなポーズをとっている。


 突然の事に、健作は振りかぶった手を止める。が、すぐに消火器を投げつけた。


 消火器は少しも勢いを落とすことなく、メフィストに向かって飛ぶ。


 メフィストはポーズを崩すことなく片手を無造作に上げ、消火器を受け止め、そのまま健作を見ずに投げ返した。


 健作が投げた時と同じ勢いで飛んできた消火器を、健作は両手で受け止めるが、勢いを殺しきれずに後ろにつんのめる。


 その時、メフィストが顔をこちらに向けた。


「友情のキャッチボールがしたいなら、消火器以外を使うとよいでしょう。こんにちは、メフィストフェレスです」


 と、なにやら気取った自己紹介をした。


「やあ、来てくれたんだね健作君。その女に従って逃げ出すかと思ったよ。友達を置いてね」


 メフィストは立ち上がって、大きく身振り手振りを交えながら話す。自己顕示欲の権化のような悪魔である。


「だけど、残念なことに、この一か月、君と友情を友情を築いていたのは博之君じゃあなかった。すべて僕が代わりにやってたんだ」


「ああ、知ってる」


「だろうね。さっきそこの女から聞いてたもんね。困るな~僕がセンセーショナルにネタばらししたかったのに。もうちょっと空気を読んで行動してほしいね」


「……」


 十魔子は返事をしない代わりに眉をひそめた。こちらの会話は筒抜けだったのだ。予想はしていたが、やはり気分のいいものではない。


「ま、いいや。本題に入ろう。君たちに一つ提案がある。みんなが幸せになれる、とても冴えた案さ」


「なにを下らないことを!」


 十魔子が怒鳴る。


「まぁ聞けよ。君にも利益がある話なんだぜ」


「悪魔から利益をもらうつもりなんてない!」


「ちょっと待った。なんだよ、竜見さんの利益って?」


「三葉君?」


 健作には特に考えがあったわけではない。十魔子に関する話と聞いて、半ば反射的に口をはさんだのだ。


「おや、聞いてないのかい? 冷たいねぇ。では、この僕が健作君にも理解できるようにわかりやすく説明してあげよう」


 メフィストは水を得た魚の様に、より生き生きとして指を鳴らした。


 部屋が暗くなり、スクリーンに映像が投影される。


「大霊波!」


 いきなり十魔子が光弾を放つ。しかし、光弾はステージの直前で弾き飛ばされ、天井に激突。天井に穴が開いたが、すぐに修復された。


「た、竜見さん!?」


「何してるの。おとなしく聞いてるつもりなの!?」


「ま、まぁ話くらいは聞いてもいいじゃない。それで戦わずに済むんなら、それに越したことはないし……」


「そうそう、健作君の言うとおりだぞ。争いは何も生まない。君は日本人だろ? 憲法第9条を思い出せ」


 メフィストが鬼の首を取ったように口をはさんだ。


「……あーもう!」


 十魔子は悩まし気に頭を掻きむしった。


 二人をよそに、スクリーンにはトイレのマークのような人の絵が映されていた。メフィストの手にはいつの間にかマイクが握られている。メフィストはスクリーンの方を向いて、喋りだした。


「知っての通り、生物、特に人間は生きているだけで不可視の生命エネルギーを発している。魔力だ霊気だと呼ばれてるけど、ま、名前なんてどうでもいいや。いわゆる普通の人間の場合、このエネルギーは出しっぱなしなってその場に溜まる。当然、学校の様に大勢の人間が集まる場所には、その分大量のエネルギーが溜まるわけだ。君も知るように、僕たち霊的存在にとって、このエネルギーは食料だから、多く溜まる場所には、それを求めて多くの霊的存在が寄ってくる。だけど、みんながみんな、僕みたいに話の分かるイケメンとは限らない。人間に害を与える困ったさんも当然いる。そこで、寄ってくる霊的存在を選別して、人間とって都合がいい対象を置いておく。そうすることで都合の悪い存在が寄り付くのを防ぐというわけだ。この作業を異界造りと言う。さて、以上の事を踏まえて、君たちに提案だけど―」


「大霊波!」


 十魔子が窓に向かって光弾を放つ。爆発し、眩い光を放つ。光が収まると、窓はびくともしていなかった。


 続けて、健作が消火器を振りかぶって窓に叩きつける。寺の鐘のような轟音が起こるが、窓はびくともしない。


 メフィストが話している間、二人は脱出を試みていたらしい。


「くそ、ダメか」


「ねぇ、ちょっと聞いてる!?」


「あ? 聞いてる聞いてる。そのまま続けていいぞ。竜見さん、天井はどうかな?」


「そうね、試してみましょう」


 二人は机の上に上った。


 メフィストは無言で指を鳴らした。すると、椅子がひとりでに動き、掬い上げるように二人を座らせて、最前列に着地した。


「さて、以上の事を踏まえて君たちに提案だ。知っての通り、先にこの学校に来てたのは僕だ。領有権を主張する権利は僕にある」


「ここは人間の世界よ。悪魔が勝手なことを言わないで!」


「だから人間の理屈で話してやってんだろうが! 黙って聞け!」


 なにが癪に触ったのか、メフィストは物凄い剣幕で怒鳴った。


「こいつ、変なところでキレるんだ。今は好きに喋らせてやった方がいい」


 健作が十魔子に耳打ちした。


「いいか、僕は力づくで君らを追い出すことだってできるんだ。でも、僕は寛容で話の分かる悪魔だから、こうして話し合いの場を設けてるんだ。それを君は―」


「要するにこの学校に住み続けたいって事か? 今まで通りに?」


 十魔子に矛先が向きそうだったので、健作が口をはさんだ。


「Exactly! さすが健作君、話が早い」


「そんなことが許されると思ってるの!?」


「悪い話じゃないだろ? 僕はメッチャクチャ強いから何が来ても返り討ちにできる。その時点で君の仕事は完了だ。あとは部活なりに恋なりにうつつを抜かすといい。な~、健作君」


 メフィストが健作にウィンクする。


「え? あ、ああ……」


 健作は思わず頷いてしまい、十魔子に睨まれる。


「そこら中に穢れを振りまいていたのは? あれによって邪悪な妖怪や人間が引き寄せられるはずだけど?」


「あー、あれはちょっとした模様替えだよ。ちょっと景観がよろしくなかったからさ。まー、それでなにかしら引き寄せられたとしても、妖怪なら僕の敵じゃないし、ちょっっっと問題のある生徒さんや先生方が入ってくるかもだけど、それは僕がいなくたって毎年一人や二人は来るわけで、それが三人や四人や五人や十人になったところで何も問題はないさ。誤差だよ誤差。ハハハ」


 メフィストは気楽に笑った。


「なるほど、そういうことね」


 十魔子がナイフの様に鋭い目でメフィストを見据えた。


「え、どういうこと?」


 健作が思わず尋ねる。


「悪魔は堕落した人間が発する霊気を好む。要するに、こいつはこの学校を餌場にする気なのよ。問題のある人間を集めてね。ここが不良の巣窟の底辺校になるのも遠い未来じゃないわね」


「あ、なるほど」


 ようやく理解する健作。


「餌場だなんて人聞きの悪い。牧場と言ってほしいね。僕がまるでけだものみたいじゃないか」


 メフィストが変な抗議をする。


「それにさ、問題のある人間が集まったところで、ここが底辺校になるかどうかは君たち人間の側の問題だろ? 僕には関係ないよ。仮に、ここが底辺校になったとしても、それは君たちが卒業した後の事だ。なら、なにも問題はないじゃないか。違うかな? ん?」


「……」


「……」


 健作も十魔子も無言でメフィストを見ていた。特に健作は、恐ろしいものを見るような目だった。人の姿形をしていても、その内面はやはり人ではなく別種の存在なのだということに気づいた。それが恐ろしく、そして、無性に哀しくもあった。


「……博之はどうするんだ?」


「ああ、彼ね。もちろん今まで通り体を貸してもらうよ。そういう契約なんでね。まーまー、怒らないで。悪いようにはしないからさ。定期テストも満点取れるし、体育祭のヒーローにもなれる。女の子だって好きなだけ食べさせてあげるよ。あ、もちろんその女以外のね。最後にはそうだな……東大に行かせてあげようかな。僕なら余裕で受かるし。あとは~、自己責任だね。ウヒヒヒヒヒヒ」


 メフィストはとても面白そうに笑った。身の丈に合わない環境に放り出された人間がどういう末路を辿るのか、それを想像して笑っているのだと、健作にはそう思えてならなかった。


「……わかった」


 健作は絞り出すように言って、立ち上がった。


「おぉ! そうかそうか、君ならわかってくれると思ってたよ健作君。僕たち友達だよな~」


 メフィストが嬉しそうに立ち上がり、健作の肩を叩く。


「……お前というやつがよく分かった」


 突然、健作はメフィストの胸倉を掴み、片手で持ち上げる。


「さっきから聞いてりゃ、人間をなんだと思ってるんだ!」


「お、落ち着いてくれ健作君。友達だろ? トモダチ! トモダチ!」


「ここは学校だ。お前の餌場じゃない!」


「餌場じゃなくて牧場―」


「黙れ!」


 怒鳴ってから投げ飛ばしてスクリーンに叩きつける。


 メフィストはそのままスクリーンの下に落ちて尻餅をついた。


 十魔子が一歩前に進んで掌をメフィストに向ける。掌に強い輝きが集中する。


「残念だ、健作君」


 輝きが放たれる直前、メフィストが指を鳴らした。


「大霊波!」


 十魔子の掌から光弾が放たれる。それがメフィストに届く直前、メフィストの足元から何本もの黒い木が急速に伸びてきて壁を作り、大霊波を防いだ。


「!?」


 黒い木は視聴覚室の至る所から生えてくる。健作と十魔子の間にも生えて二人を分断する。


「しまった!」


 十魔子が叫ぶのを健作は聞いた。


 やがて、部屋全体が激しく振動し、健作は立っていられなくなった。

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