第8話 転生したら人間でした

「うわぁ!」


 健作は跳び起きた。全身が汗でびっしょりだ。額に張り付いていた手拭いが落ちた。


 どうやら健作は布団で寝ていたようだ。見知らぬ布団だった。すぐそばで竜見十魔子が目を丸くして健作を見ている。どこかに電話しているようで、耳に受話器を当てていた。

今時珍しい黒いダイヤル式の電話だ。


「……あ、お世話になっております、竜見ございます。私のクラスメートの一人が分霊人に覚醒しました。この電話を聞きましたらご連絡下さい。では、失礼いたします」


 電話の相手は留守だったようで、十魔子は留守番電話にメッセージを残して電話を切った。


「……ふぅ」


 そして、何かを思うように深く目を閉じた。


「あの、竜見さん?」

 健作が遠慮がちに問いかけると、十魔子はカッと目を見開いて健作に向き直り、手をついて頭を下げた。


「ふぇ!?」


「この度は、私の不手際により、多大なるご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした!」


「え? ちょ、え?」


 突然、謝罪をされても、健作には何が何だかわからない。挙動不審にあたりを見回しす。小さなアパートの一室だろうか? 家具は必要最低限のものだけ揃えており、無駄な装飾もない。健作と十魔子の他には誰もいない。


「と、とにかく顔を上げてください。俺にはなにがなんだか……、何が起こったのか、まず説明してくれないと……」


 健作が焦りながら言うと、十魔子は重い動作で体を上げた。


「……そうですね、取り乱しまして、すみません」


 そして、健作を見つめ、重い口を開いた。


「あなたは悪魔に攻撃され、死の淵に立たされたのです」


 十魔子は悲壮感の漂う鋭い目を健作に向けて言った。対して健作はキョトンとするばかりであった。


「えっと、悪魔? 悪魔って、あの……悪魔?」


 健作は指で角を作り、頭につける。


「そのような反応も無理のないことです」


 十魔子はそっと床に手を置いた。その手が淡い光を帯び、手を中心に見覚えのある波紋が空間に広がる。続いて身に覚えのある落下感覚。


「うわ!」


 健作は思わず叫んだが、尻もちをつくこともなく、同じ体制で布団の上に座っていた。しかし、部屋や家具は揺らいでいて、光球が漂っている。


「……なにここ?」


「異界。と、私たちはそう呼んでいます。霊気で構成された、悪魔や妖怪といった霊的存在の住みかとなっている異空間です」


「ほぇ~」


 健作は唖然としながら光球を目で追っている。


「……」


 十魔子は再び床に手を置いた。続けて落下感覚。健作たちは元の世界に戻った。


「あ……」


 健作は呆然として、しばらくして頭を抱えた。


「混乱するのはわかりますが―」


「ご、ごめん、ちょっと待って」


 十魔子の話を遮り、目を固くとして脳内を整理する。


「えっと……、さっき霊気って言ってたけど、それは幽霊の霊……だよね?」


「ええ、生物の体から発生する不可視の生命エネルギーを総称して霊気と呼んでいます。ほかにも魔力とか、オーラとか、チャクラとか呼ぶ人もいますけど、どれも同じものですね。このエネルギーを操る技術が魔術です。そして、魔術を用いる人間を魔術師と呼びます」


 話しながら、十魔子は人差し指を立てる。その先端が淡く光り、光は指先から離れて羽虫のように指の周りを飛び始めた。


「じゃ、じゃあ竜見さんは……」


「ええ、私は魔術師です」


 十魔子は事も無げに言った。


「マジかよ……」


 健作は頭を抱える。まさしく世界がひっくり返ったかのような感覚だった。


「つ、つまりだ、話を整理すると、この世界は実は剣と魔法の世界だったってこと?」


「……ま、まぁ、そうですね。剣だけじゃぁないですけど……」


「じゃあさ、じゃあさ、俺たちが知らないだけで実は魔王的な奴が存在していて、それを倒すために勇者的なあれが旅立ったりしてるわけ?」


「いや、そこまでファンタジーじゃないですよ」


「なんだ、違うのか……」


 健作は安心したようながっかりしたような複雑な気持ちになった。


「それより、問題はあなたの事です!」


「俺? 俺がなに―」


 健作はハッとして自分の胸をまさぐった。特に異常はない。念のために襟を引っ張って胸元をのぞき込む。やはり何もない。いつもの胸元だ。黒い槍が突き刺さってはいない。


「竜見さん、あれ、あれどうしました? ほら、俺の胸に、その……」


 健作は無意識に直接的な表現を避けた。結果、言葉がしどろもどろになってしまう。


 十魔子は沈痛な面持ちでいたが、やがて重い口を開いた。


「純粋な霊気による攻撃は、肉体ではなく魂を傷つけます。そして、著しく損傷した魂は形を保てず拡散します」


「それは……、つまり、その、……死ぬって……こと?」


「肉体的には、そうです。ですが、ごく稀に、奇跡ともいえる確率でですが、本来不定形の魂が拡散を防ぐためにある固定された形に変異するのです」


「形って、どんな?」


「それは……」


 言いよどむ十魔子、なぜか健作の頭の上に視線が向いている。


「?」


 健作が頭に手をやると、何やら冷たくぶよぶよしたものが乗っかっていた。掴んで目の前にもっていくと、それはでっぷりと太った蟇蛙であった。


「……なにこれ?」


「それが、変異したあなたの魂。分霊獣です」


「……」


 手の中の蟇蛙は、手足をばたつかせている。おもむろに隣に置いてみると、蟇蛙はのそのそと健作の体を登りだし、再び頭の上に収まった。


「……なんで蟇蛙?」


「所説ありますが、その人の前世だというのが最も有力です。魂の中の情報から生き残るために最も適した形態をとったのだと。ヒキガエルになった夢を見ませんでしたか?」


「ああ、ついさっきまで」


「それが分霊獣が前世の姿であることの有力な証拠です。分霊獣は生存本能が形になったと言えるのでしょう。とにかく、その分霊獣が現れた人を私たちは分霊人と呼んでいます」


「へ、へぇ~」


 健作は頭の上の蟇蛙を意識しながら間の抜けた返事をした。


「話を整理するとさ、要するに俺は死ぬところだったのを、物凄いラッキーが起こって助かったって事……ですよね?」


「えぇ、本当に奇跡です。奇跡が起こらなければ取り返しのつかないことになってました。すみません、私がもっとしっかりしていれば……」


 十魔子は俯き唇を噛んだ。自分を責めているのは健作でもわかった。


「まぁまぁ、こうして助かったんだからいいじゃないの! それに悪いのはあいつだよ、あいつ! あいつは……なんだ?」


 健作の脳裏に自分を殺した黒い人影が思い出された。


「あいつは悪魔です。人を堕落させ、その魂を食らう魔物。いつからか学校に潜伏してたみたいで、私は気づけませんでした。魔術師なのに……、気づかなきゃいけなかったのに!」


 十魔子は拳を震えるほど固く握り、自らの膝に打ち付けた。何度も何度も。


「竜見さん、落ち着いて!」


 思わず健作は十魔子の拳を掴んだ。


 十魔子が顔を上げる。彼女は歯を食いしばり、今にも泣きそうな顔をしていた。


 それを見た瞬間、健作は胸が締め付けられ、高鳴っていく感覚を覚えた。


「すみません、取り乱しました」


 十魔子は健作の手を振り解いて、一つ咳払いをした。


「とにかく、分霊人になって生き残ったから終わりという話ではないんです」


「え? どういう事?」


健作は胸の高鳴りが察せられないよう、努めて平静を装った。


「分霊人になると、なんというか……本能が強くなるみたいなんです。その本能に呑まれて理性を失くすと、肉体まで獣に変異してしまうらしいのです。世界中の神話や伝説に半人半獣の怪物が存在していますが、あれらが分霊人の成れの果てだと言われています」


「そ、そうなんだ……」


 蛙男はカッコ悪いな。と、健作は漠然と思った。


「困ったな……。元の人間には戻れないんです?」


「残念ながら分霊人から人間に戻ったという話は聞いたことがありません。人の姿をとどめているようにするしか……。ですが、そこに関しては、ちゃんと支援組織がありますので、安心してください」


「あ、じゃあ分霊人て結構いるんですね」


「どうでしょう? まだ三桁に届いてないはずですが、それが多いのか少ないのかは……」


 その時、黒電はがけたたましくなりだした。


「失礼」


 十魔子が受話器を取る。健作に対して横顔を見せる姿勢となった。


「あ、吉田さん。はい、折り返しありがとうございます。えぇ、お話しした通りで―」


 電話の相手は例の支援組織だろうか? しかし、何を話しているかは健作の耳には入らなかった。代わりに自分の心臓が脈打つ音だけが聞こえる。


 健作は十魔子を見ていた。幽霊の様に感じた今までと違い、本当の竜見十魔子を見ている気がした。強い意志を秘めた目。はきはきと喋る口。そして絹の様に白い肌。不健康な青白さはなく、血が通う健康的な白い肌。


 ふと、十魔子が髪をかき上げる。白い首筋が見えた。むしゃぶりつきたくなるような首筋だ。


 心臓の鼓動が強くなる。だが、心臓が脈打つごとに、どす黒い衝動が湧き出てくるような気がした。


 いつだったか、博之の家で読んだエロ本 が思い出される。あれと同じことを目の前の女にも―


 おぞましい衝動だ。あるいはこれが十魔子の言う強くなった本能なのだろうか? 頭の上で蟇蛙が舌なめずりをする。


 だめだ、それをしてはいけない! だが、心臓の鼓動はますます速くなり、比例してどす黒い衝動は全身に広がっていく。


「!」


 健作は反射的に拳を固め、自分の頬を思いっきり殴りつけた。


 予想以上に強い衝撃で。健作の頭は壁に衝突した。部屋が大きく揺れた。


「いてて……」


 痛みと引き換えに、なんとか衝動は収まった。


「な、なにやってるんですか!?」


 突然の奇行に、十魔子は受話器を電話機の横に置いて、健作を助け起こそうと寄ってきた。


 健作はそれを手で制した。


「だ、大丈夫」


 努めて十魔子を見ないように言った。


「大丈夫じゃないですよ。何があったんです

か!?」


「本当に大丈夫です! と、とにかくもう遅いから帰りますね」


「帰るったって……」


「とにかく明日、明日にしましょう。うん、それがいい。じゃ、そういうことで!」


 健作は脇に置いてあった自分のカバンを掴むと急いで玄関を飛び出し、暗い街を駆けていった。


「あ、こら、待ちなさい!」


 背後で十魔子が叫ぶのを聞いた。

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