第5話 魔術師 竜見十魔子

 健作の心臓が停止するのを、十魔子とまこの掌が感じ取った。


「そんな……そんな……」


 十魔子は無力感と共に両肩が重くなるのを感じた。まるで人ひとりの体を背負うたかのような感覚だ。


 話した事はないが、同じクラスの男子だった。隠形の術が通用しないのか、たびたび自分の方を見ていた事を十魔子は覚えている。


 彼が何故ここにいたのかはわからない。しかし、その責任は自分にある。自分は魔術師なのだ。このような事態を未然に防ぐ為にここにいるというのに……


 十魔子は悔しさと自分への怒りで歯ぎしりした。拳を強く固めて床に打ち付けた。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 彼は自分をかばってこうなってしまった。何故、彼がそのような行動をとったのか、今となっては知る由もない。確かな事は、彼は自分のために死んでしまったという事だ。


 いや、死よりももっと酷い。魂の消滅だ。本来ならこの世の終わりまで地獄の底で責め苦を受ける罪人にこそ相応しい末路なのだ。


 彼の顔は恐怖に固まっている。目は見開かれ。口も限界まで開かれ、今でも絶叫してそうだ。この顔だけでも、彼の感じた恐怖がどれほどのものか、想像に難くない。


 それを思うと、目から涙が溢れてきて、拳を床に打ち付けずにはいられなかった。


「ねえ、もう死んだ?」


 十魔子の耳に聞こえたその一言は、それだけでも声の主が人の命をなんとも思っておらず、息をするように人を踏み躙れる存在だということが伺えた。


 十魔子は涙も拭かずに顔をあげた。その目は怒りに燃えていた。


 声の主は、少年だった。喪服の様に黒いスーツに身を包み、同じくらい黒い中折れ帽をかぶっている。帽子からは輝くばかりの黄金の髪があふれていて、碧色の丸い目をはじめとしたやや幼い顔立ちは、男でも女でも見る者の警戒心を解くだろう。100人いれば100人が美少年だと表現するだろうその姿は、まるで人間を魅了するために計算されつくしたかのようである。


 少年は、どこからか持ち出したのか、パイプ椅子に座って足を組み、スマートフォンをいじっている。


「お、Sレア当たった」


 十魔子も、もし魔術師でなければ、彼の姿に息を呑んでいたかもしれない。しかし、


「あなた、悪魔ね?」


 怒りのこもった声で言って、立ち上がった。


「お、よくわかったね。まぁ、この人間離れしたイケメン振りを見れば、誰でもわかるか」


 悪魔は顎を擦って自慢げに言った。どうやら自分の顔を気に入っているらしい。


「そう……、できたばかりの学校にしては、穢れが溜まりすぎてると思ってたわ」


 十魔子の体から赤い光が放出され、十魔子を包んだ。それは、心に燃え盛る怒りを表すかのように、炎の様に揺らめく。


「ふぅぅぅぅぅ」


 十魔子がゆっくり息を吐く。すると、赤い光は十魔子の両手に集中し、より一層強い輝きとなった。


 悪魔はその様子を見て目を丸くした。


「ちょっとちょっと、もう戦う気? どうして僕がこの学校に住んでいるのかとかさ、なぜ彼がここにいるのかとかさ、聞くべきことがいろいろあるんじゃないの? もうちょっと手順を踏もうよ」


「問答無用!」


 十魔子は地を蹴り、悪魔に飛び掛かった。


「大霊波!」


 右手を突き出し、輝きを解き放つ。光は業火の如き奔流となって悪魔に襲い掛かる。


「ほぇ?」


 悪魔は間抜けな声を上げて奔流に呑み込まれる。光の奔流は火柱の様に立ち昇った。


 十魔子はその場に着地。すぐに左手を構える。この一撃で終わりとは思えない。奔流が収まり、姿が見えたところに二撃目を撃ち込む。


「……え?」


 光の奔流が収まった後、そこにあったのは焼け焦げた体育館の床だけで、悪魔の姿は影も形もなかった。


「うそ……」


「ちょっとマジー? しんじらんなーい! イケメン悪魔倒しちゃったンデスケドー! わたしってばマジ強すぎー! チョベリバーって感じー! みたいな?」


 背後から不快な声。十魔子は振り向きざまに大霊波を放つ。しかし、振り向き切る直前に左手をつかまれ、光は悪魔の顔のすぐ横を通過。体育館の壁に直撃して爆発。


「うぅ……」


 全身全霊を込めた攻撃が不発。十魔子の目からはいまだ闘志が消えていないものの、足が疲労によって震えている。


 その様を見た悪魔は、満足げに微笑み、十魔子の手を放す。


 バランスを崩した十魔子は、千鳥足で数歩後退し、へたり込んでしまった。


「一応言っておくけどね、この学校には僕が最初に目を付けたんだ。僕の場所だ。それを君が後からきて、僕の苦労を文字通り吹き飛ばした。僕には君を排除する権利があるんだ。言ってることわかるかい? ん?」


「ここは人間の場所よ……。あなたの場所じゃない……!」


「ふっ、いかにも人間らしい理屈だね。まぁ、いい」


 悪魔は手のひらの上に黒い槍を形成した。


「なるべく殺しはしない主義だけど、この場合は仕方ない。彼への手向けもある」


「……かれ?」


 健作の事だろうか? しかし、彼の魂は消滅してしまった。もはや詫びることもできないのだ。すぐに自分も同じ運命となる。それが手向けなのだろう。


 十魔子は、最後の力で顔を上げ、巻き込んでしまった哀れな少年を見た。


「……!」


 その瞬間、驚愕が十魔子を支配した。


「ちょっと、なんだいその目は? 僕がそんな子供だましに引っかかるような間抜けに見えるのかい? まったく浅はかというか、女の浅知恵というか……」


 悪魔が挑発しても、十魔子は一点を見つめたまま微動だにしなかった。


「……」


 悪魔は恐る恐る振り返る。


 そこでは、三葉健作がゆっくりと立ち上がっているところだった。

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