第2話  仮入部員 三葉健作

 放課後、健作と博之は美術部にいた。と、言っても美術部に入部したということではなく、仮入部である。


 入学してから2人してあちこちの部活に仮入部を繰り返していたが、これという部活を見つけられないまま今に至っている。


 今日は人物画のデッサンを行っていた。美術室の中央にモデルの女の子が座り、それを囲んで部員たちがそれぞれのスケッチブックに描いている。


 健作も渡された紙をボードに挟んで一心不乱に描いている。ただ、絵の方に集中しすぎてモデルの子を全く見ていない。


 そんな健作の絵を、隣に座っている博之が首を伸ばして覗いてきた。


(なあ、健作くん)


 今の美術室は鉛筆が線を引く音だけがする静寂の空間である。さしもの博之も自然と声は小声となる。


(なんだよ)


(髪、そんなに長くないんじゃない?)


(え?)


 モデルになっているのはショートカットの快活な女生徒だった。どうやら美術部の部長らしい。


 対して、健作の絵に書かれたのは髪が長く、どこか陰気な女の子だった。まるで竜

十魔子とまこのようだ。


(あ、いけね!)


 健作は慌てて髪と顔を消す。


(ま、その画力じゃ髪の長さなんて関係ないだろうけどね)


 博之は鼻で笑った。


 健作の絵は小学生レベル。もしかすると幼稚園のレベルかもしれない。悪い意味でピカソのような絵だ。


(うるさいな! お前はどうなんだよ!)


 健作は意気返しとばかりに博之の絵を覗き見て、目を見張った。


 とても上手い。精密にして精微。写真のような絵がそこに描かれていた。問題は、絵の中の女の子は服はおろか下着すらつけていない生まれたままの姿だという事だ。


(お、おまえ、なんつーもん描いてんだよ!?)


(んー、あの子はこれくらいじゃないかな? 着痩せするタイプと見たね)


(そういう問題じゃねえ! はやく消せ!)


(そんな事言って~、好きなくせに~)


 博之はニヤリと笑った。


(好き嫌いは関係ないだろ! また怒られるだろうが! ほら、消せって!)


 健作は消しゴムを掴んで博之の絵を消そうとする。博之は絵を守る。


(いや~ん、おやめになって~ん)


(変な声だすな、……あ!)


 いくら小声で話してたとしてもこのようなすったもんだをしていては気づかれないわけはなく、気がつくと健作たちは部員全員の注目をあびていて、背後には顧問の先生が無表情で立っていた。中年で、いかにも頭の固そうな女性の教師だった。 


 顧問の先生は博之の手から絵を抜き取り、まじまじと見つめ、眉間に皺を寄せる。


「……ほら、謝れ」


「ごめんちゃい」


 部活が終わる頃、辺りはすっかり暗くなっていた。この時間までお説教をくらって

疲れ切った博之と健作が連れ立って廊下を歩いていた。


「まったく、これで美術部にも入りづらくなったじゃないか」


「そう怒るなよ健作君。友達だろ?」


「……ったく、一通り入っては見たけど、お前がやらかすおかげで顰蹙かって、このままじゃ俺たち帰宅部だぞ」


 この一月、どの部に仮入部をしても、決まって博之が何かしらの問題を起こす。漫画研究部に入ればエロ漫画を描き、文芸部に入れば官能小説を書くといった具合だ。運動部に入っても息をする様に上級生や顧問に減らず口を叩き、健作がそのフォローに入るのはもはやお約束になっていた。


 おかげで博之はすっかり学校の問題児となり、健作はそのお目付役のようなポジションに収まってしまっている。


 健作はこの言ってみれば面倒な役どころをそれほど苦と思っていなかった。


 博之は健作に意見されれば素直に聞くし、健作も不思議と遠慮せずに注意することができた。


 出会ってからほんの一ヶ月程度だというのに、昔からの親友のような呼吸がある。


「ま、いいか。カラオケにでも行ってゆっくり検討しようぜ」


「え!?」


 健作がカラオケという単語を出した瞬間、博之の顔が青くひきつった。常に浮かべている余裕の色が跡形もなく消え去り、顔全体が恐怖に染まる。


「ん、どうした?」


「いや……その……、そうだ! ファミレスに行かない? 奢るよ! 僕が! 僕の金で!」


 博之が必死になってファミレスに誘う。よほどカラオケに行きたくないようだ。


「お前なぁ、ファミレスは飯を食う所であって、どの部活に入るかを相談する場所じゃないだろ?」


 健作は優しく諭すように言った。


「いや、カラオケもそういう場所じゃないけど……。と、とにかく、カラオケなら先週も行ったじゃないか。君の歌を聴くと脳みそがミキサーにかけられているような錯覚を覚えるんだ。な? な?」


 健作は壊滅的な音痴である。博之はその事実をできるだけストレートに表現したつもりなのだが。


「大げさだな。じゃあ、今日はカラオケに行って、明日はファミレスに行こう。それでいいだろ?」


 健作は全く意に介さず、博之の手を引いて歩きだした。


「わー! 待って待って! あ、竜見十魔子だ」


「え!?」


 博之に言われて校庭を見ると、暗くてよくわからないが、印象的な長い黒髪の少女が1人、校庭を横切っていた。その向かう先には体育館がある。


「こんな時間にどうしたんだろ? もう部活は終わっているのに」


「誰かに呼び出されたんじゃない? 体育館裏とか、絶好の呼び出しポイントだし」


「よ、呼び出したって、誰が? 何のために?」


 博之は窓枠に頬杖をついて意地悪く微笑んだ。


「そうだね〜、この前呼んだエロ本によると~、何らかの弱みを握られて〜、脅されて~」


 博之が続きを言おうとした瞬間、健作は博之の胸ぐらを掴んでいた。目は血走り、歯を獰猛に噛み締めている。


「だって、それくらいしか思いつかないんだもん」


「お前の情報源は偏りすぎだ! つか18歳未満が読んじゃいけないものを15歳が読むな!」


「なんだよ~、ぼくんち来たときは君も読んでたじゃないか。割と夢中で」


「うるさい!」


「それで、健全な健作君の予想はどんなものかな?」


「そりゃ、お前……、えっと……、下駄箱に手紙が入っていて……、体育館裏で待ってますとか書いてあって……」


「ベタだなー」


「うるさい! とにかく、そこには1人の男が待ってるんだよ。どこにでもいるようなごく普通の男子高校生が」


「ふむふむ、まるで君みたいだね」


「それで、そいつは竜見さんが来るなり言うんだよ。一眼見たときからあなたのことが、す……す……」


 その先の言葉を健作は言えなかった。言おうとすると胸が苦しくなり、とても切ない気持ちになるのだ。


「す〜?」


 博之が意地の悪い笑みを浮かべて健作の顔を覗き込む。


「と、とにかく、お前が思っているような事はない!」


「ほぉ〜? つまり、君の健全な推測によると、この学校には君以外にも陰気なまな板幽霊女に惚れるマニアックな男がいて、今まさに意中の相手と結ばれそうだってことかな?」


「う……!?」


 健作は博之の胸倉から手を離した。


「わるい、カラオケはまた今度な」


 早口にそれだけ言うと、急ぎ足で下駄箱へ向かった。


「がんばってね~ん」


 博之はニヤニヤしながら手を振って見送った。


 それから間もなく、健作は体育館裏にいた。


 そこには誰もおらず、気配もせず、博之が言っていたことも、健作が言っていたことも起こっていなかった。念のために体育館の扉を引いてみたが微かに揺れるだけで開くことはなかった。


「……ふぅ」


 健作は安堵したと同時に、とても気恥ずかしくなった。


 博之の口車に乗せられたとはいえ、これではまるでストーカーではないか。


「あ~あ、こりゃしばらく言われるなぁ」


 このことをネタに博之から揶揄からかわれるのは必然である。今となっては、廊下から見た十魔子の姿も怪しくなってくる。


 そもそも、本当に誰かがいたのだろうか? 健作にストーカーまがいの事をさせるために出まかせを言ったのではないか? そう思えて仕方がない。


「仕方ない。カラオケで笑い話にでもするさ」


 自嘲しつつスマートフォンを取り出す。ホーム画面には和風のカエルのイラストが壁紙として設定されていた。


 どういうわけか、健作はカエルに対して魅かれるものがある。金運の象徴だの、富が溜まるだのと言った雑学をテレビか何かで知って、それが頭の片隅残っているのだろう。


 ホーム画面の時計は午後6時を少し過ぎたところだった。


 そろそろ帰らないと。


 健作が踵を返した、その時―


「うわっ!?」


 突然、踏むべき地面が消えてなくなり、落下するような感覚が健作を包んだ。

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