第3話 メイド服 と 漢字
「……善哉様がお気に召したようなので、なによりです」
「え?」
「……よかったですね、小豆様?」
「はい♪ あっ、ありがとうございます……」
「いえいえ♪」
そんな俺達を苦笑いの表情で見ていた師匠が、俺に向かって嬉しそうに声をかけてきた。
確かにお気に召しましたけど、今だけのメイド服ですよね? 服が乾くまでの間ですもんね……激写ができないので喜びは半減なのです。
俺が驚きの声を発して見つめたのを確認した師匠は、小豆に視線を移して言葉を送る。師匠の言葉にお礼を伝える妹と、嬉しそうに返答する師匠。
俺は単純に着せてもらったお礼と、「お兄ちゃんが喜んでよかったね?」と言う意味なのだと思っていた。だけど。
「それに写真は今撮らなくても問題ないと思われますよ?」
「……それって?」
直後に俺に向けられた師匠の言葉に、疑問を覚えていた俺なのであった。
ん? 撮影禁止じゃないの?
いや、雪風院家のメイド服だからさ。有数の財閥のメイド服ですし……無断転載を防止する為に撮影禁止なのかと思っていた俺。やっぱりルールを守ってこそのアニメライフだと思うのですよ。
いや、アニメじゃないし、メイド喫茶のメイド服でもない……それ以前に撮る気まんまんでしたけどね。
だけど師匠は「今撮らなくても問題ない」と言っていた。いつ撮るの? 今で……はないことは確かだろう。そんな疑問が顔に出ていたのかも知れない。師匠が苦笑いを浮かべて答えを提示する。
「実は、雨音お嬢様が私どものメイド服を
「ほうほう……」
「先日、自分の分と……小豆様と香様の分のメイド服を仕立てて欲しいと申し付けられたのです」
「ほうほ……う?」
「そこで仕立て上げたメイド服を、雨音お嬢様の元へ
「……」
「本来ですと、雨音お嬢様へ先にお渡しするのが礼儀ではありますが……やむを得ない事情でありますし、風邪でも引かせてしまえば雨音お嬢様と雪乃様からお
ごく自然の流れで紡がれる師匠の言葉に、何も言えなくなっていた俺。
途中の「雨音お嬢様と雪乃様からお叱りを」の直後に
つまり、小豆が着ている、メイド服は、小豆のメイド服、だと?
「なので、今小豆様が着ているメイド服は……ご本人のなのですよ? だからお持ち帰りいただいて、お二人で、ごゆるりとお楽しみくださいね♪」
「はい♪」
俺の考えが伝わったのか、師匠は満面の笑みを浮かべて俺達に説明していた。
そして俺の代わりに小豆が満面の笑みを浮かべて返事をする。
どうやら本当にオーダーメイドだったようだ……だから意味違うけどね。
だけど小豆……は、この際無視をするとして。香さんも「なんで?」とは思うけど。
どうして、あまねるがメイド服を着たがるのだろう。お嬢様がメイド服とか……素晴らしすぎるでしょ! おっと、本音が。
着せる側の立場なのに着たがるとか、お嬢様の
とは言え、師匠の着ているメイド服って普通に可愛いもんなぁ。
別にメイドになりたいとかではなくて、女の子特有の『可愛い服が着たい
そんな病名は医学的には発表されていないけど『
『甘いものは別腹症候群』に並ぶポピュラーな症状なのだと思う。今勝手に作ってみただけなので、可愛医学なんてものは存在しない。当たり前だけどね。
つまり、純粋に可愛いから着たかっただけなのだと思うのだ。
だけど、そっか……三人のメイド服姿か。
まぁ、小豆なら見せてくれると思うし「ご主人様~♪」って言ってくれると思う。思うと言うより、今のメイド服よりも過激なメイド服で実証済みですしね。
でも、他の二人は……無理だな。とても見たいし言ってほしいところだが。
まず俺をご主人様だとか旦那様だなんて思わないだろうし、俺に見せてくれる可能性なんて皆無だよな。
単純に三人だけとか、個人で着るだけなのかも知れないけどさ。
……俺の知らないご主人様とか旦那様、いないよね? 見せたい相手がいる訳じゃ、ないよね? その人の為に用意したとかじゃ、ないよね?
わざわざメイド服を仕立ててまで、ご奉仕をしたい相手なんて、いないよねー?
あっ、変なこと考えたら
なんとなく小豆のメイド服を眺めて、他の二人のメイド服姿を妄想していたんだけど。
変な方向に考えが進み、勝手に自滅をする俺なのであった。馬鹿だな、俺。
◆
「……そうね。まだ話をしていたいところではあるのだけれど……とにかく、今日はこれで――」
その後。
俺の予想通り、ゆきのんは少しの時間だけ俺達と談笑を交わした後。俺と小豆に向かい、少し名残惜しそうではあるが微笑みを浮かべて、お開きにするべく声をかけようとしていた。
正確には小豆の制服が乾くまで談笑を交わしていた。それで、さっき乾いたので別室で制服に着替えてきたのだった。メイド服は袋に入れてもらって大事そうに両手で抱えている。
俺も少しは会話に混じらせてもらってはいたが、どちらかと言えば小豆とのガールズトークに花を咲かせていた彼女。二人が仲良くしているのを見て、微笑みを送っていた俺なのであった。だけど。
まぁ、ゆきのんには悪いかなとは思うものの、話をしながらも周囲に目を配っていた俺。
さすがに彼女の手前、それに時たま睨みつける俺がいる手前。
表面上では
笑顔の裏に隠されたドス黒い気配までは包み込めなかったようだ。
もちろん俺の
俺は今後の展開について考えあぐねていた。
ゆきのんが先に帰ってくれれば、直後に俺は連中と
このままだと先
どうする? とりあえず表で小豆を透達と合流させてから、俺だけ戻ってきて決着をつけるか?
いや、だけど、ゆきのんの前だし。師匠がいるとは言え二人を守りながらなんて……。
結局、扉の前に到着したけど何も浮かばなかった俺。ほんの数歩の距離じゃ無理だろ。
答えが出ぬまま終わりを迎えることに
「小豆さん。そして、お兄さん……お二人に――いえ、雨音を含めた三人に、この者達がしてきた数々の非礼。私の顔に免じて水に流していただけませんでしょうか?」
「――え?」
「――え?」
悲愴の面持ちで頭を深々と下げて謝罪をする彼女に、シンクロするように驚きの声を発する俺達兄妹なのであった。
◇3◇
「あまねると小豆のこと……ご存知だったのですか?」
「申し訳ありません……今回こちらに来たのは、亜唯名学院の学友から宇華徒学院の『
「そ、そうだったんですか……」
俺の問いかけに申し訳なさそうに答える彼女。
俺が言った「あまねると小豆のこと」とは、当然二人に降りかかっている『彼女達』の
それを理解しているのだろう、彼女は苦々しく言葉を紡いでいたのだった。
なお、談笑の際に彼女から『師匠と同じこと』を忠告された俺は、苦笑いを浮かべて「あまねる」と言い直していたのだった。それと、「お兄さん」と言う呼称も談笑の時に決まったのだ。
彼女の話によれば――時雨院家と雪風院家同様。
元々宇華徒学院と亜唯名学院も生徒間において強いパイプで繋がっているらしい。
まぁ、関東と関西の有名お嬢様学校だからな。生徒間と言うよりも、家同士――大半の生徒の家柄は
まぁ、成金や有名人とか各著名な親のご令嬢もいるらしいけど。
そう言う人達って仕事がらみだったり、人脈がらみだったり。とにかく、縦横の繋がり的に家同士でパーティーやら
商店街や町会の寄り合いみたいなものかな? 違うかも知れないけどさ。
そんな折、『彼女達』がフダツキ連中を
友人である亜唯名学院の生徒を介して、ゆきのんにリークしたらしい。リークとは漏れ。つまり、通報かな。
本当なら、あまねるへ報告するべきかも知れないけれど。彼女は現在『えみんちゅ』だし。
それに『彼女達』があまねるの取り巻きだったのを知っている上、かなり険悪なムードになっていたらしいからさ。あくまでも『彼女達』が、って話なんだけど。それで、ゆきのんへ懇願していたのだと言う。
「とは言え、あくまでも噂。真実かを見極める必要があったのです。ですから私は『雨音に会いに来たついでに』と言う名目で彼女達に近づいたのです」
「そうでしたか……」
「その際に、今日小豆さんと会うと言われたので真実を確かめるつもりで同行いたしました」
「な、なるほど……」
「……」
「そして――」
彼女の「今日小豆さんと会うと言われた」と言う言葉を受けて、俺は小豆に視線を移していた。妹は何も言わずに、少しだけ表情を
つまり、今日の小豆の早退は別に突発的な行動なんかじゃなくて、最初から計画されたことだったのだろう。
俺が視線を戻したことを確認した彼女は言葉を繋いでいた。
最初から計画されていたこと。
それなのに、まったく気づいてやれなかったってこと、なんだよな……。
そんな悲愴が心を
多少違ってはいたけれど、大方俺の予想通りなのかも知れないと感じていたのだった。
「……それで数時間前に、この者達から事情を説明されて『不穏な噂』が真実なのだろうと感じていたのです」
「そうですか……」
「更に……ッ!」
つまり、彼女は俺達三人に起きていることを全部知っていたのだろう。知らないと思っていたのは、俺の勘違いだったってことなんだな。
知ってはいた。それでも彼女には『彼女達』の言葉が嘘だと気づいていたのだろう。
もしも俺が彼女の立場だったとしても――それは俺でも同じだったのだと思う。
別に身内びいきだからじゃない。
『彼女達』の言葉を受け入れるってことは、あまねるが――
彼女が『そんな簡単に他人の言動で自分を保てないような……
そんな訳があるはずないだろ? 彼女は時雨院財閥の次期当主なんだぞ?
自分を俺達なんかじゃ理解できないほどに、誰よりも厳しく律している彼女が、自分の確固たる信念を持ち続けて、貫かないはずがないんだ。他人の言動なんかで左右されるはずがないんだ。
数年間だけど彼女を見続けていた俺。小豆が親友だと認めた彼女。
その数年間の時間が――濃密に積み重ねていった俺達の時間が。
彼女がそんなに『弱い女の子』だなんて認めていないんだ。
俺達兄妹だって、そう思っているんだ。
俺達なんかより、はるかに絆が深くて長い時間を費やしてきた彼女の姉が『彼女達』の言葉に左右されるはずなんてない。だけど……。
俺の相槌に言葉を繋ごうとしていた彼女だったが、表情を歪めて言いよどむ。
すると、後ろに控えていた師匠がスッと彼女の隣に立つと。
「更に……『雨音様の地位を悪用する為に近づいて彼女のことを
「……ありがとう、愛乃」
「いえ……」
彼女と同じように表情を歪めて言葉を繋いでいたのだった。
やはり嘘だと感じていても、自分の口から『彼女達』の言葉を発すること。もしかしたら俺達に対する申し訳なさもあったのかも知れない。とにかく『彼女達』の言葉に嫌悪を抱いていたのだろう。
そんな主人の苦痛を身代わりしていた師匠。本人の性癖の有無は棚上げしておいて……。
まぁ、師匠だって彼女やあまねるを純粋に想ってのことだと思う。本当に、苦悩の表情で紡いでいたのだから――。
そんな師匠に微笑みを浮かべて礼を伝える彼女。師匠は一礼をすると、再び元の位置に下がる。
「とは言え……まだ確証を得るには、
「そうでしたか……」
師匠を優しい視線で見送った彼女は俺達の方へと向き直り、再び言葉を繋いでいた。
そんな彼女の言葉を受けて、納得の表情を浮かべて言葉を返す俺。
そう、いくら『彼女達』の言葉が嘘だと思っていても、真実だと確定したのではないのだから――。
リークしてきた生徒達だって詳細を知っているとは思えない。だから簡単に
その上で、自分で答えを見つける為に
話を理解したとは言え、あくまでも個人的に「そうだろう」と判断しただけ。完全な嘘だと決め付けて、彼女達を無視することはしない。それでは最初から生徒達の言葉を鵜呑みにしているのと、何も変わらないのだから。
彼女は公正を期する立場として、自分の本心に背いてでも真実を探ろうとしていたのだろう。
「しかし、お二人を見て。そして、この者達の言動から鑑みて……私の判断に間違いはないのだと確信いたしました」
「あ……」
「……」
彼女の紡ぐ俺達兄妹にとっての
とは言え、俺――いや、きっと小豆も自分達の無実に喜んでいるのではないと思う。
俺達が喜んだのは純粋に俺の妹。そして小豆の親友である、あまねるの
そんな俺達兄妹の心中を察したのだろうか。
彼女と師匠は俺達二人を
「そう感じた上で……知らなかったこととは言え、三人に対して何もしてあげられなかったこと。特に……雨音に対して、これまで何度も会っていたにもかかわらず……何も気づいてあげられなかったこと……『
「――お、お嬢様お嬢様……」
「……え? あっ――い、いえあのその……」
表情を重苦しいものに変え、彼女は心情を紡いでいたのだろう。本当に苦悩していたんだと思う。
だから言葉を選ばずに自然に口に出ていたのかも知れない。
そんな彼女に、後ろから小さな声で慌てたように声をかける師匠。
師匠の言葉に振り返って声を漏らしていた彼女だったけど、意図に気づいたのだろう。
ハッと我に返ったような表情を浮かべると、焦りながら言いよどんでいた。
「……」
「クスクスクス……」
「……」
そんな彼女の背後に視線を移すと。
まぁ、フダツキ連中は何も理解できていないだろうから別に興味ないけど。
『彼女達』は俺達兄妹を見て全員が
きっと間接的にでも
――俺を甘く見ないでいただきたいのですがね。
俺は呆れた表情を『彼女達』へ送ると、ゆきのんに視線を合わせて未だにオロオロしている彼女と師匠に優しい微笑みを送って言葉を紡いでいた。
「いえ……雪乃様の、あまねるや我々兄妹のことを思い、『
「――ッ! ……お心遣い、痛み入ります……」
そんな俺の言葉を聞いた彼女は一瞬驚いた表情を浮かべたのだが、すぐに納得の笑みを溢すと言葉を繋いで頭を下げていたのだった。
師匠も同じように驚きの表情を浮かべた後、優しい微笑みを送って頭を下げていた。
視界の先の『彼女達』は驚きの表情で固まったまま。
要は、ゆきのんを始めとするお嬢様全員が俺を『過小評価』していたってことなんだろう。まぁ、通常では正常な評価だと思いますけどね。
彼女が無意識に使ったと思われる『忸怩たる思い』と言う言葉。
『忸怩』とは、自分自身の言動を恥じること。『忸怩たる思い』とは、悔しくて情けなく思っているってことだと思う。
それまでの会話は俺のレベルに合わせて伝わるように言葉を選んでいたのだと思われる。
だけど、感情のままに紡がれた言葉に――普段のお嬢様として社交場で使われる言葉が出てしまったのだろう。
そう、俺のような庶民の男子高校生には聞き慣れない言葉なのだからな。意味なんて理解できないだろう。まぁ、基準は俺だからアテにはならんけど。
だから師匠は「お嬢様、それでは彼に伝わりませんよ?」って意味で進言したのだと思われる。
とは言え、同じように上流階級のお嬢様には理解している言葉なんだと思う。
つまり『彼女達』は――「あらあら……庶民の貴方達に、この言葉が理解できて?」なんて嘲笑っていたのだと考える。
だけど、俺は彼女の言葉を理解していた。
だから『腐心』――心を痛めて悩むと言う意味。『忖度』――相手の気持ちを推しはかると言う意味。
普段使わないような言葉を用いて彼女に言葉を返していたのだった。
なお、俺が難しい漢字を知っているのは少し前から、あまねるに教わっていたから。彼女の方から覚えてほしいと言ってきたからなんだ。
俺としても、あまねるの姉である彼女に会いたいと願っていたし。
なにより可愛い妹の願いを聞き入れることは、お兄ちゃんの特権だと思うので彼女の言葉に従ったのである。
まぁ、その時の話は彼女の教えのように『
◆
――と、こんな感じで難しい言葉を教わっていた俺。
まぁ、あまねるに「ち、近いうちにっ、か、必ずっ、おにいたまを雪乃姉様に、しょ、紹介しますのでっ!」なんて興奮ぎみに鼻息荒く言われていたのだが。そこまで興奮することでもないだろうに……ただ、兄を姉に紹介するだけなんだからさ。
だけどごめん、あまねる。フライングしちゃったよ……。
まぁ、向こうからの指名だったし、不可抗力だから許してほしい。
とは言え、あまねるの
俺を見つめる彼女と師匠の表情には純粋な笑みが浮かんでいる。きっと嘲笑ってはいないのだろう。
なにより、隣に立つ小豆は瞳をキラキラと輝かせて。
「すごーい! きみは難しい言葉が得意なフレンズなんだね!」
なんて言いたそうに俺を見つめていた。いや、別に教わっただけで得意ではないし。
そもそも俺は霧ヶ峰おにーさんだ。まぁ、お前も霧ヶ峰おねーさんだけどさ。
そう、AI機能付きの鞄かも知れないが、『かばん』ちゃんではないのである。だから、そんなのないって……。
「とにかく、今回の件は私の
ゆきのんは表情を一変させ、俺達を
「ゆ、雪乃様!」
「おだまりなさい
「――ひっ! ……」
「で、ですが雪乃様――」
「
「――ひっ! ……」
ゆきのんが頭を下げたことに対してラスボスの一人――彼女に『優衣』と呼ばれた彼女が慌てて大声で呼んでいた。
引導を渡してもらおうと頼っていた彼女が、俺達に頭を下げて許しを得ようとしていたんだ。完全な敗北だと理解すれば当然なのかも知れない。
そんな優衣さんに、頭を下げたまま、顔だけを後ろに立つ彼女に向けて
優衣さんは彼女の気迫に
優衣さんをフォローしようと隣に立つもう一人のラスボス――彼女に『莉奈』と呼ばれた彼女が声をかけていたが、同じように一喝されて黙り込んでしまうのだった。
思い……出した!
うん、あの時、あまねるにも「優衣」「莉奈」って呼ばれていたっけ。まぁ、彼女達のことは普通に敬称で呼んでおこうかな。さて話を進めるか。
……だけど、なぁ。なにかが、違うんだよ、なぁ。
「……」
「お兄ちゃん?」
そんな彼女達を眺めていて、何となく心を
そんな俺を心配そうに、いやアニオタの妹なら俺の心中を察しているのかも知れない。
何となく俺に「気持ちはわかるけど、
うーーーーーーん。どうにも
いや、状況は理解している。ゆきのんが本当に『自分の罪』だと認識して、心からの謝罪をしているんだってことは。
それに対して彼女に「いや、友達からリークされただけでしょ? 別に知らなかったんだから、自分のせいなんかじゃないでしょ?」なんてことは言えない。そんなことは
ただ。
例え自分には何も関係がなかったのだとしても。自らの信念のもと、下の者の為に泥水を
これは、さっき親父達から身をもって教わったことだけど。
ゆきのんには、そんな気概が備わっているのだろう。
そもそも俺に彼女の言動を否定できる筋合いなんてない。だって。
それを言ってしまえば俺も同じ。小豆やあまねるだって同じなんだろう。まぁ、今は関係ないけど親父達もなんだけどね。
つまり、彼女も俺達と同じなんだと思う。
そう、俺と同じように――何も知らない周囲の人達から見れば「それ、特に自分の責任じゃないでしょ?」なんて言われてしまうことを、全員が自分の責任。自分の
結局、自分の知らない場所だからと言って、自分の知っている誰かが傷ついているのを知ったのに、「自分には関係ないから」なんて突き放すようなことは言えないし、絶対に言わない。
そう、知らなかったことが罪。
何もしなかった、できなかったのが罪。
知っていれば、何かできれば回避できたのかも知れないって思えば思うほど、後悔と言う名の贖罪が彼女を
「……」
「い、いえあのあのですね……」
「えっとそのあのですから……」
「……」
未だに後ろに顔を向けている彼女。そして、そんな彼女に怯える優衣さんは上手く言葉が紡げずにいた。
隣の莉奈さんも同じように怯えながら意味を成さない言葉を
そんな光景を前にして、更に心の中がモヤモヤする俺なのだった。
確かに、彼女の心根の素晴らしさなんて庶民の俺でも理解できているさ。
それに、彼女の言葉を借りるなら「これまでの問題を水に流せる」ってこと。
彼女が宣言するってことは、文字通り彼女が完全に圧力をかけてでも『彼女達』を制圧するってことだろう。今後一切俺達への
それは俺にも、小豆やあまねるにとっても完全に決着できるってことなんだ。それは喜ばしいことなんだろう、俺が望んだ結末なんだろう。……でも、なぁ。
「……むぅぅぅ……」
「お、お兄ちゃんお兄ちゃん……」
「――ッ! おっと、悪い……」
解決する、
俺は無意識に心のモヤモヤを外へ放出していたようだ。
もちろん彼女達には聞こえない程度の音量だったけど、表情を歪め口を
そんな俺に気づいたのだろう、小豆が俺の
引っ張られたことで我に返った俺は内心ヒヤヒヤしながら彼女達を眺める。だけど俺の不平は届いていないようだ。
安心すると苦笑いを浮かべて妹に視線を合わせて、小声で謝罪をするのだった。
当然だけど、俺は解決を望んでいない訳ではない。自分で解決できなかったからって、ふて
きっと小豆やあまねるは笑うかも知れない。解決を目指して乗り込んできたのに、望んだエンディングを目の前に「何かが違う」なんて
俺だって心の底から望んでいるさ。それは嘘じゃない。それでも漠然と「何かが決定的に違う」って、俺の心に
俺の信念が、正しいと思える答えが、この結末じゃないって。
俺達のハッピーエンドじゃないって……いや、違う。この結末がハッピーエンドなのは疑いようのないことなんだって、俺も確信していることなんだ。これ以上のハッピーエンドが存在しないことも理解しているさ。それなのに俺には素直に喜べないでいたのだった。
とは言え、俺には漠然とした考えしかない。「これだ!」って理解できる答えが見つかっていない。
と言うよりも……俺は結局、ここで何をしたかったのだろう。ここに来る直前、俺は何を決意していたのだろう。
俺が今漠然と「何かが決定的に違う」と感じているのは。
俺が家を出てくる時、お袋に見送られて扉を閉めた瞬間。スッと心に突き刺さった不確定な想いが心に存在するからなのだ。
いや、小豆を救出したかった。俺達の柵を断ち切りたかったのは理解している。だけど――
それ以外に心に浮かび上がった、だけど不明瞭な想いが確かに存在していたんだ。
そんな漠然とした想いが今は全身を包み込み、そして俺の脳裏を掠めているのだった。
だけど既に、ゆきのんのステージ。彼女の言動によってラストシーンは始まっている。
何も見つかっていないのに半畳を入れる――真剣な話に脇からくだらないことを言って茶々を入れたり、まぜかえしたりするのは彼女に対して失礼なことだ。
別に彼女の言動が間違っているなんて思っていない。このまま進行すれば、確実に俺達のハッピーエンドが迎えられるって思っている。
だったら、俺達はモブとして傍観していれば問題ないのでは?
心のモヤモヤに抗うように、俺はこんな結論に至ろうとしていたのだった。
◇4◇
「……それで、貴方達から言うことは、何かあって?」
「……ッ! ……」
頭を上げたゆきのんは俺達に軽く会釈をすると、後ろに振り返り彼女達に声をかけていた。
己の判断に確信を持った彼女。そして謝罪していた彼女。
別に彼女達の弁護を聞こうとしているのではないのだろう。単純に謝罪をさせるのが目的なんだと思う。
そんな彼女に睨まれて重い口を開く優衣さん。
「お……」
「お?」
「――おかしいです、こんなの間違っておりませんか? なぜ私達が罰を受けなければいけないのですか? 私達からお姉さまを奪ったのは
「――そうですそうです。私達はただ、お姉さまが私達に微笑んでくださることだけが望みなのです。お姉さまのことを常に考えて、お姉さまが私達を気にかけてくだされれば、それだけで幸せなのです。そんな私達の小さな幸せでさえも奪った二人を許せるはずはないのです!」
「どうして――」
「ですから――」
「いいかげんになさいっ!」
「――ひっ! ……」
「――ひっ! ……」
一瞬だけ言いよどんだ優衣さん。そんな彼女の言葉を
彼女が言い切るや否や、隣に立つ莉奈さんが同じように感情をぶつけてきた。
だけど感情がコントロールできていないのだろう。莉奈さんが一度言い終えると同時に、再び優衣さんが言葉を紡ごうとしていた。
だけど莉奈さんは言葉を終えていなかった。きっと感情が昂ぶっていて、相手に
直後、二人の声が混ざり合うように不協和音を奏でようとしていた。
そんな二人の言葉を
なお、優衣さん達は確か……あまねるや小豆と同い年だったはず。
だけど『お嬢様学校特有の敬意』から、あまねるを『お姉さま』と呼んでいるのだろう。
……なるほどなるほど。だったら俺が『小豆ねぇたん』とか、妹達を呼んだって何も問題は……お嬢様じゃないので大アリだから却下しておきます。ねぇたんに怒られそうなので先に進めようっと。
――あぁ、そっか……そうかそうかそうか、そう言うことだったんだな。
結局、俺達の柵を断ち切るとか
俺は小豆とあまねる。可愛い妹のことしか頭になかったんだな。ただ『俺と小豆とあまねる』の幸せのことしか考えていなかったってことなんだな。
それじゃあ、ハッピーエンドしか望める訳が、なかったんだよな。俺の望んだエンディングなんて見つけられるはずが、なかったんだよな……。
俺は彼女達の魂の叫びを聞いて。
自分が漠然と「何かが決定的に違う」って感じていた不明瞭な決意が何か。そして俺が「ハッピーエンドなんて望んでいなかった」ってことに気づかされるのだった。
◆
一瞬にして押し黙る二人を睨みつけ、「ふぅ」と息をついたゆきのんは表情を歪ませて言葉を繋いでいた。
「貴方達のことを探るつもりで言わなかったのだけれど……雨音から『不良に襲われそうになって、お兄さんに助けていただいた日』の話は聞かされているの」
「――え?」
「貴方達……不良が雨音に詰め寄ってきたら、雨音を置いて自分達だけで逃げたそうじゃない? 殿方もいたらしいのに?」
「そ、それは……」
ゆきのんは彼女達に嫌悪のオーラを突きつけながら近づいて声をかけていた。
そんな彼女の気迫に一歩後退して答える彼女達。
「お兄さんに危害を加える時は
「い、いえそれは……」
「それが、なに? 雨音が不良に
「ひっ!」
「不良が全員で雨音を囲んで、自分達を見ていなかったのをいいことに!」
「ひゃん!」
「貴方達は既に数メートルも先まで振り向くことなく走り去っていたって言うじゃない!」
「――ッ! ひぐっ……ぅぅぅぅ……」
一歩一歩前進しながら恨みを込めて問い詰めるゆきのんに恐れをなして、一歩一歩後退する彼女達。
彼女の怒気を含んだ言葉を受けて、彼女達は言葉を飲み込み、次の瞬間
確かに、ゆきのんの言ったことは事実だ。目の前にいた俺は知っていること。
「ぅぅぅぅぅ……」
「……よしよし……」
直接見ていた訳じゃないが、あの時の詳しい話はあまねると俺が小豆にも話をしている。
だからなのだろう。ゆきのんの話を聞いて、小豆までが彼女達と同じように嗚咽を漏らしていた。
「もう終わったことなんだからな? お前は気に病むなよ?」なんて言う意味を込めて頭を撫でてやる俺。それでも、この話だけは普段も中々泣き止まないんだ。
あまねるの親友であり、アニオタの妹には
俺は小声で声をかけながら妹の頭を撫で続け、当時のことを思い出していたのだった――。
最初から俺を使用人とかのように見下していた彼女達取り巻き。もちろん最初は様子を
と言うよりも、あまねるには見えないようにしていたんだろうけど――影に隠れた数名のSPらしき人物がいたのは知っている。
当然あまねるは正々堂々……と言うのは変だろうけど、誰もボディーガードなんて隠していない。単純に彼女達か、取り巻きのお坊ちゃまの
俺が、自分達に歯向かおうとした時の保身と
だけど、あまねるの命令で殴っても蹴っても俺が完全に抵抗しないと理解してからは人が変わったように強気になっていた。
まぁ、最初から危なくなればボディーガードがいるからさ。大丈夫だと感じたのだろう。
それからは「我々が雨音様に盾突く下民を成敗いたします」とか「我々にかかれば、こんな庶民なんて赤子を
好き勝手言いながら、単純にあまねるに自己アピールしていたんだろう。地面に
とは言え、俺は人より
逆に向こうが根負けしていたんだろう。途中から棒や鉄パイプなんて道具で暴行を加え始めていた彼女達。多少はダメージが
だから俺は悲痛の叫びを漏らしていたんだ。それで相手は気分が高揚していたんだろう。攻撃に拍車がかかっていた。
所詮相手は下民、どうなろうと知ったこっちゃない。いざとなれば金の力でどうにかなるとでも思っていたのかもな。
途中から完全にあまねるは
お楽しみの最中に現れた『あいつら』に、俺へ向けていた強気を突きつけていた。だけど相手はフダツキ。それも、あまねるへ敵意を向けている連中だ。
そんな相手の一睨みで、現実へと連れ戻されてしまう彼女達。瞬間的に恐怖を感じたのだろう。
しかし、相手の狙いはあまねる一人。他の連中には目もくれなかった。
フダツキ全員があまねるに詰め寄る、そして彼女の周囲を取り囲む。
フダツキの視線が自分達から完全に
完全に無抵抗な人間には自己アピールをしてまで強さを
確かに逃げていくのを地面から見ていた俺も、やるせなさを覚えていたし。
捕まって助けを求めて横を向いたままの……彼女達の背中を
でも、あまねるには申し訳ないけど……薄情だとか見掛け倒しとか思うのは理解できるけど。あの状況で彼女を置いて逃げたことを責められる人間は、誰もいないと思っている。
『あいつら』は、ゆきのんも言った通り不良。見るからにフダツキだって理解できる格好をしていたし、完全に敵意をむき出しにしていたからさ。
普通に考えて、そう言う連中が何も危害を加えないなんて思わないだろう。下手に正義感を振りかざせば、自分へ被害が確実に及ぶ。そんな恐怖しか覚えないような相手なんだ。
誰でも自分が一番可愛いものさ。他人を気遣う余裕なんて誰にもないのだと思う。
もちろん、中には動じない奇特な『一般人』もいるのだろう。ゆきのんは、そうかも知れない。
とは言え、実際に目の前で起きたとして――彼女は
結局、蚊帳の外でなら何とでも言えるんだ。つまり、彼女が今、まして当事者でもないのに優衣さん達を責めるのは筋違いだってこと。
あの時のことで優衣さん達を責められるのは、ゆきのんじゃない。そして俺でもない。
被害に
……まぁ、俺も被害者ではあるし、「あんな状況だったんだから彼女を連れて逃げ出してほしかった」とは思うけどさ。
内心、彼女が残ったことにホッとしてしまうような自分勝手な気持ちを抱いていたんだから、俺にだって優衣さん達を責める権利はないのだろう。
嗚咽を漏らしていた彼女を睨み続けていたゆきのんは、歪めた表情を少しだけ緩め、冷静になって言葉を繋いでいたのだった。
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