第7話 真相 と 触発

「……ふぅー」


 心の闇を吐き出したからか、少しだけ楽になって落ち着きを取り戻すように息を吐き出していた俺。

 そうだ。今この場でなげいていたところで何も解決していないんだ。

 もちろん、小豆が帰ってこないことが彼女達と結び付いた訳でもないのだが――。


「……」


 俺は手紙と写真を封筒に収めて元の位置に戻す。そして円盤の巻数を揃えて元通りに直していた。

 一応、動かした形跡けいせきは消去できていると確認した俺は、床に置いてあった鞄をゆっくりと机の上に戻す。

 うん、さっきは鞄を縦に乗せたからバランスを崩したのだろう。

 今度は横に寝かせたから落ちる心配はないはずだ。って、最初からそうすれば問題なかったんだろうけどね。

 たぶん色々と考えていたから、そこまで気が回らなかったんだと思う。

 まぁ、そのおかげで小豆の身に起きている真実を知れたのは、辛くはあるが有益ゆうえきだったと言えるのだろう。


「……えっと……」


 このまま妹の部屋にいたところで何も変わらないと判断した俺は、自分の部屋へと歩き出していた。

 自分の部屋に入り、鞄を無造作に床に置いた俺はポケットから携帯を取り出す。

 本来ならば帰ってきていない妹を探しに回りたいところなのだが。

 無闇に探し回ったところで解決の糸口など見当たらないのだろう。

 渋い顔をしながら携帯を開き、電話帳から透の携帯番号を表示する。

 うん……小豆にかけるのが手っ取り早いとは思うんだけどさ。

 普段みたいに簡単に出てくれるとは限らない。気持ち的な面と言うか、状況的な面と言うか。

 もしも俺の予想通りの状況だったら、『対峙たいじしている相手』を刺激する可能性もあるってこと。

 正直身につけたくなかったスキルなのかも知れないけどさ。少年ギャング時代に修羅場を幾度いくどとなく経験してきた俺の処世術しょせいじゅつみたいなものなんだ。


「……。――ッ!」

 

 俺にはまだ情報が足りない。予想の範疇はんちゅうでしかない現状。

 だからこそ、何でもいいから新しい情報が必要だった。

 そう言う理由で透に電話をかけようと、通話ボタンを押そうとした瞬間――俺の携帯が着信を知らせるように画面を光らせながら小刻みに震えるのだった。


◇8◇


「もしもし小豆か大丈夫か今どこにいるん――」


 画面には小豆の名前。俺はいてもたってもいられず、瞬時に通話ボタンを押して携帯を耳に当てると矢継やつばやに声をかける。ところが……。


『……マジかよ、超繋がりまくりってやつぅ? あっちゃ~。……ってか、電話かけて普通に繋がるとかマジありえねぇっしょ……』

「……誰だ、てめぇ?」

『いや、マジヤバイんですけどぉ? ……って、これ罰ゲーム確定ってやつなんじゃね? うわ、最悪……なぁ? マジで電話切っちまうとかメシア的パネェ展開とかないっすか? ……ねぇのかよっ!』

「……おいこらっ!」

『うげっ! ……なんかぁ? 彼、ムカ着火ファイヤーっぽいんでぇ? 罰ゲーム確定みたいとか、いやもうマジウケるんですけどぉ……まぁ、しかたないんでぇ、逆に、相手するっす。……っと、はろはろぉ~? 逆にぃ? 小豆ちゃんのぉ、お兄さんっすかぁ?』

「……そうだが?」


 俺の鼓膜を伝ってきたのは聞き覚えのない男子の声。しかも耳ざわりなかん高い声プラス意味不明なしゃべり方と、人を馬鹿にしたような笑い声。

 更に俺の神経を逆撫でする、受話器越しの相手の少し遠い声と向こう側のガヤ――アニメなどの『その他大勢』とか『にぎやかし』と呼ばれる声。つまり、仲間だと思われる周囲の不愉快な笑い声。

 そう、電話をかけてきているのに俺を無視して周囲の仲間と平然と会話をしていたのだ。


 ――電話をかけてきているんだから普通に繋がることなんて想定内だろうし。

 面と向かって俺に電話かけてきておいて「罰ゲーム」とか言い放っているんじゃねぇよ、って感じだし。

「メシア的パネェ展開」って意味わかんねぇよ、って思うし。

 ……飯屋メシヤ的パエリア展開なら美味しそうだけどな。どのみち意味はわからんが。

 あと、『ムカ着火ファイヤー』は確か『激おこぷんぷん丸』の上だった気がするが。

 俺の怒りは『激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム』だ!

 ……いや、順位や違いなんて理解できないけどな。

「善哉は激怒した」で問題ないはずだ。


『ヨシキは激怒した。必ず、邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの巨人を駆逐さねばならぬと、決意した。』


 ……うん、今の俺はきっとこんな書き出しが似合うのだと思う。

 タイトルはそう――『突っ走れヨシキ』ってところだろう。特に意味はないけどな。

 だけど今回は俺が突っ走っても問題ないはずだ。

 まぁ、面倒なので却下するけどさ。代わりに話を突っ走ることにしよう。


 そして、「マジ最悪で仕方なく相手する」のは、電話がかかってきた俺の方だろうが。「逆に」の意味もわかんねぇ。

 そもそも、こっちが聞いてんだから先にお前が名を名乗れ!


 ……と、受話器越しの声を聞きながら怒りが沸騰ふっとうして口走りそうになるのをこらえ、冷静に言葉を紡いでいた俺。うん、中学時代の俺なら確実に口走っていたのだろうが、俺も成長しているんだな……えらいえらい。

 とは言え、俺の心はかなりすさんでいたのだと思う。かなり怒気を含んだ声色で言っていた。ところが。


『――うげっ、もしかしなくてもビンゴっすか? へぇ~? 嘘じゃないガチ小豆ちゃんのお兄さん……UGAOだったんすねぇ? ……うー! がぉー! とかマジうけるわぁ……まぁ、逆に知っていたっぽいっすけどぉ』

「……」

『彼女の携帯の電話帳から通話しているんでぇ? 知らないとか、マジあり得なくね?』

「……」


 うん。お前の会話がマジあり得ない の だ が な!

 そして受話器の向こうで「うー! がぉー!」とか口走った直後、何が面白いのか周囲の仲間もまじえて高らかに笑い笑った声が鼓膜を伝ってきているのだが。

 生憎あいにく俺は、お前らとフレンズになるつもりはないし。

 喧嘩してスッチャカメッチャカすることはあっても、仲良しになろうなんて考えてはいない。わっはっはー! キリガミネさんに、お任せなのだー!

 ……うん、きっと怒りがピークに達しているから、自分でも何が言いたかったのか理解できん。

 あと、俺に介護を任せられても困るのでスルーしておこう。

 とりあえず少し冷静になってみようかな。


 聞きたくない人の声と言うのは、どうしてこんなにも心が荒んでくるのだろう。癒しの空間のはずの自分の部屋でさえも不快になるとは、こいつらは負の伝道師なのだろうか。

 そんなことを思いながら、受話器越しに不快について念力を飛ばしてみたのに、語った相手は何も感じずに暢気な声で言葉を発していた。こいつは意思疎通ができない種族なのだろう。とても不快だ。 

 無視をしてやりたいところだが、こいつに無視は通じない。たぶん勝手に話しかけてくるだろうから――。


 俺は未だに俺を無視して受話器の向こうでゲラゲラ笑っている相手を無視して。

 いつぞやの透達に思った考えを、こいつらにも考えてしまったことについて心の中で透達に謝罪をしていた。

 うん、こいつらは負の伝道師なんかじゃないかもな――負の侵略者ってところだよな。

 だけど正直、「ゲソゲソ」言っていないし、我が家は一軒家だから六畳一間でもないし。

 そもそも彼女達みたいに可愛くないから侵略者を名乗るのも「おこがましい」レベルの連中なのだろう。

 うむ……きっと駆逐されるべき巨人なのかも知れない。進撃してきてはいないのだがな。

 とにかく、こんな連中と一緒にするべきではなかったと反省していた俺。

 そう、負の伝道師とは透達の為に俺が、『わざわざ与えてやった』称号なのだから! 当然、却下しろと言われても無視するけどな。


「……それで、お前は誰なんだ?」


 未だに笑い声の響く受話器越し。正直に言ってしまえば、聞いているだけでも精神的苦痛をいられるので一刻も早く電話を切りたいところではあるのだが、俺は冷静に質問をしていた。

 いや、この電話が非通知だとか知らない番号からなら速攻切っているところなんだけどさ。

 通知されているのが小豆の携帯である以上、俺が電話を切ると言う選択肢はないのである。

 そう、それは小豆の携帯が連中の手に渡っているってこと。つまり最悪のケースだってことなのだと思う。

 さすがに、こんな奴を「小豆の落とした携帯を拾ってくれた親切な人」なんて考える方が馬鹿ってもんだろう。

 きっと、妹は近くにいる……そう判断していた俺。

 だからこそ、居場所を聞き出す必要があるのだった。


 正直こいつらが何者だろうが俺には関係ない。まぁ、駆逐されるべき巨人だって理解しているので特に興味がないのも事実。

 だがしかし、こいつのことを「巨人巨人」と言って批判すると、違う方向からお叱りを受けそうだからな。いや、俺の脳内の話なんだけどさ。

 よし、お前のことは「お前ら」と呼ぼう……まぁ、考えるの面倒だし、個人認証するつもりもないから気にするな。


 そもそも俺の中では『彼女達の仲間』だと判断しているからな。それ以上の情報なんか必要ない。

 だけど居場所を聞き出す前に逆上されて、向こうから電話を切られてしまえば一巻の終わりだから、さ。

 できるだけ穏便おんびんに情報を探ろうとしていた俺。

 なのに、そんな俺の策略なんて気にせずに―― 


『はぁ? 俺っすか? ……小豆ちゃんの、かれぇしぃ、っす!』

「……ほぉ?」


 こんな暢気のんきな声で琴線をえぐるような自己紹介をしてきやがったのだ。

 ……すぅー。はぁー。おんびんおんびん……おっと、いかんいかん……いや、いんぺっとぼとるいんぺっとぼとる。


 穏便に済ませようと心の中で復唱していた俺だったけど。

 無意識に床に置いていたコーラのペットボトルを握っていたことに気づく。

 まぁ、飲んだくれの大人達は俺の部屋では酒盛りなんてしないし。していたとしても、ほぼ毎日俺の部屋には完全自動掃除機――ル●バもビックリな優れもの!

 雑巾ぞうきんがけから天井のホコリ取り、布団の天日干しから室内の隅々まで整理整頓をしてくれるのだ!

 って、小豆さんなんですけどね。本当にお世話になっております……。

 つまり、ほぼ毎日小豆さんが掃除をしてくれているのです。いや、小豆だって忙しいんだから簡単な掃除だけはね。って、「自分でやれよ!」と言う意見は参考にさせていただいて先に進めよう。


 そんな理由でビール瓶なんて転がっていないし、きっとアレだな?


「霧ヶ峰善哉とか言う危険人物が存在する以上……我が社の製品を凶器にされかねない。よって危険なビンを廃止して、安全なペットボトルへの移行を提案する!」


 そんな理由で、部屋に唯一存在しているのは安全なコーラのペットボトルだけと言う現状。んな訳あるかー!


 こんなことを考えたおかげなのだろうか。我に返ることができていた俺。……何も言うまい。シュウマイしうまい食べたい。

 とりあえず握っているペットボトルをゴミ箱に捨てる俺。一応、意見を参考にしてみたので、部屋の掃除残りの業務は小豆に任せるとしようかな。

 

 正直一瞬で理解できる嘘だとしても、電話越しじゃなければ一発ぶん殴っていたかも知れないな。制御するひまもなく手が出ていたことだろう。ペットボトルでよかったね。

 しかもご丁寧に「彼氏」じゃなくて「かれぇしぃ」とか語尾を上げているし。二割り増しに腹が立っていたのである。なんで語尾を上げるんだろう……。

 俺の周りには語尾を上げる人間が誰もいない。芹澤さんは上げていそうなイメージあるんだけど、実際には上げないんだ。


 まぁ、以前ついつい聞いちゃたことがあったんだよね。

「なんでギャル語を使わないの?」って。

 いや、彼女って語尾上げだけじゃなくて一般的に使われるギャル語を一切使わないから……外見に似合わず。

 うん。直後に「何を聞いとるんじゃ!」的な、周囲からの突き刺さる視線を受けて我に返ったんだけど、覆水ふくすい盆に返らずを実感した瞬間だったな……。

 そんな俺の質問を聞いた芹澤さんは「何言っているの?」なんて言いたそうにキョトンとすると――

「……えっ? だって、善哉くん……ギャル語が苦手だって聞いたよぉ?」

 と、少し悲しそうな表情に変えて答えていた。


 うん……実際に苦手なんだけどね。まぁ、「キライ」ってほどではないんだけどさ。

 以前、香さんに話したことがあったから、たぶん彼女から聞いたんだろうね。

 だけど、さ?

 なんで俺が苦手なことがギャル語を使わない理由になるんだろう。別に俺が苦手でも普通に使うような気がするんだけどさ。

 うむ……俺がオタオタしていても普通にからかってくる女性陣のように。かっこ、芹澤さん含む、かっことじ。

 そして、なぜか隣にいた内田さんが勝ち誇ったようなドヤ顔を芹澤さんに送ってから――

「わ、私は最初から普通にギャル語なんて使わなそうでしょ~?」

 と自己アピールをしてきた。いや、使わないのは知っているよ? なにゆえ、アピールしているの?

 そんな俺に向かって、周囲の視線は二割り増しで突き刺さってくる。いや、君達が一番わからん! 

 そんな理由から、いや……俺が苦手なことは特に関係がないとは思うけどさ。

 彼女でさえギャル語……語尾上げをしないのである。


 まぁ、芹澤さんみたいな可愛い子が使うのならば苦手ではあるが嫌悪感なんて抱かないんだけど。

 こんな「お前ら」に使われたので、嫌悪感以外の何物でもない感情が心の中をうず巻いているのだ。


「……」


 本当、マジ最悪で仕方なく相手する罰ゲームに終わりが見えない俺は、苦虫をみ潰した表情で目の前をにらむ。

 そして、ペットボトルを捨てたことで何も握っていない手の平に視線を移して、手の平を閉じたり開いたりしていたのだった。

 ああ、うん……さっきの「かれぇしぃ」発言の直後、再び周囲の連中とバカ騒ぎを始めているからさ。

 手持ち無沙汰ぶさたの解消と、自制心を保つ為なのである。……罰ゲーム通り越して、完全な苦行くぎょうだもんな。


「……」


 そんな感じで数回ほど手の平を閉じたり開いたりしていた俺だったけど。

 あまりに暇だったからなのか、別のことを考えて表情を曇らせていたのだった。

 いや、今は小豆の一大事なのかも知れないから「何を余裕ぶっこいてんだ!」って俺自身も呆れているんだけどさ。


 当然ながら、電話の相手が妹の彼氏のはずはない。

 別に自惚れではないけど、結婚を申し込んでまで愛しているアピールをする妹だ。ふれあいタイムもしかり。あいつにとっての一番は俺なんだと思う。だけど、だけどさ。

 俺がもしも、小豆以外の誰かを選んだとして……もしくは小豆の方から心変わりをしたとして。

 あいつが自分で選んだ男子を俺の前に連れてきて、嬉しそうな笑顔で――


「お兄ちゃん、この人……私の彼氏だよぉ~♪」


 なんて紹介された時に。

 俺は笑顔で彼に対して「妹をよろしく頼む」と言葉を送れるのだろうか。

 こんなことを考えていたのだった。


 もちろん、小豆の選ぶ男だ。素晴らしい人物だと思う……まぁ、最初が劣等生なので大抵の人間は素晴らしいのかも知れないが。うん、人間であるならば。

 だから俺だって気に入ると思う。妹を安心して任せられるとは思う。だけど。

 俺は笑顔を向けて祝福してやれない気がする。相当ショックと言うか、ダメージはあると思う。

 うん、女々めめしくて女々しくて女々しくて辛い……なんて感じるんだろうな。

 正直、「たかが妹に彼氏を紹介されただけじゃねぇか? 情けねぇな」とか笑われるかも知れないけど俺にとっては強がれるレベルじゃないってこと。

 まぁ、アズコンを認めている現在。そう言う状況って俺が小豆以外の誰かを好きになっているってことなんだけどね。いや、その前に俺が振られるって選択肢もあったか……考えないでおこう。

 つまり、俺がそんな感情を抱くのは大馬鹿者なんだし、その頃になれば気持ちの整理はできているとは思うけど。

 今の段階で考えちゃったから、どうしても気持ち的に悲しくなるのだろう。


 とは言え、小豆は俺の妹であって娘じゃないんだけどさ。どちらかと言えば、親父の方が精神的ダメージは大きいのだと思う。

 娘を持つ父親と言うのは往々おうおうにして『そう』みたいだからさ。

 って、だから親父は俺と小豆を結婚させようとしていると思っていたんだけどね。

 もしかしたら親父には見抜かれていたのだろうか?

 ……俺が小豆に好きな人が現れた時、確実に精神的ダメージを負うってことがな――。


 と、とにかく。

 先に進めたいのに相手にされず、苛立いらだちと不安で変なことを考えていた俺。

 そうだ。小豆を連れて帰ることが先決なんだ。

 妹を無事に連れて帰る。もちろん妹の安全の為でもあるけどさ。

 俺には伝えなければいけないことがあるんだよ。

 だから確定事項でもない小豆の彼氏のことなんて考えている場合じゃないんだ。

 ……まぁ、その前に自分の決着を先ばしにしている俺が考えるべきことでもないんだけどね。


「……それで小豆は――」


 俺は受話器越しで未だにバカ騒ぎをしている「お前ら」に声をかけることにした。

 いや、そもそも他人の携帯なのに平気で長話しているんじゃねぇよ。通話料請求するぞ?

 まぁ、同じガラケーだと言うこともあり俺と小豆は『家族割引』が適用されるので安いんだけどさ。

 でもそれは、俺と小豆が仲良く長話をする為に携帯会社が割り引いてくれているのであって、「お前ら」との通話は適用外だ。

 とは言え、俺と小豆は基本長話をしないんだけど……まぁ、一日の何割かを一緒に過ごしているのだから電話で長時間話す必要がないとも言うがな。

 とにかく後日、霧ヶ峰善哉から通話料を別途請求するぞ? いや、相手にしたくないので遠慮しておいてやるかな……。


 そもそも、我が家の携帯電話代は親父が支払ってくれているので俺が気に病むことでもないんだけど。

 どう言う訳か、我が家の認識として。

 俺と小豆の『家族割引』のことを『夫婦割引』と呼んでいることだけは気に病んでいるのだ。みんな、ボケたのかな?

 うん、夫婦も家族なんだし……俺と小豆だけが適用されているんだから、わざわざ口に出さなくても心の中で変換して、自己満足しているっての。

 面と向かって言われると二人の携帯代すら支払えないような『甲斐性なしの旦那様』だって思えて悲しくなるじゃねぇか!

 ……あぁ、俺が一番ボケているようだ。

 ま、まぁ、我が家の携帯電話代は親父が支払ってくれているので俺が文句を言えることもないのでスルーしておこう。


 単純に「お前ら」に侵略された妹の携帯が不憫ふびんだったのだろう。と言うより、さっさと話を進撃したいだけである。

 そんな意味を含んでいたからか、少しだけ苛立ちを含んで声をかけたのだが。


『――え? うわっ! ちょいタンマ、いやマジあり得なくなくなくねぇ――うごっ! ……』

「って、お、おいこら――」


 受話器越しに聞こえる「お前ら」の驚きの声。そして何かにおびえる声が俺の鼓膜に響いてくるのだった。

 当然ながら俺の返答に驚いているのでも怯えているのでもない。

 俺には見えない――受話器の向こうで何か異変が起きたのだろう。

 突然うめき声を発すると無言になっていた向こう側。

 状況の把握できていない俺は「まさか電話を切りやがったのか?」と思い、慌てて声をかけていた。すると。


『……こほん。先ほどはともの者が大変失礼いたしました。改めて、霧ヶ峰小豆さんのお兄様でいらっしゃいますでしょうか?』

「……は、はい。小豆の兄ですが?」

『そうですか……貴方あなたが――』


 数拍後、控え目な咳払いが聞こえてきたかと思うと、さきほどと打って変わって澄んだ綺麗な声が鼓膜を伝ってくる。

 受話器越しなのに心が先走っていたのだろうか、少し前のめりになりながら声をかけていた俺だったが。

 突然聞こえてきた澄んだ綺麗な声に、上体を起こして冷静に敬語で返していたのだった。

 いや、俺だって年上や知らない人には敬語で話すんだよ? 「お前ら」や伝道師じゃないんだからね。

 俺の言葉に納得した声色で言葉を繋げる彼女は――

 

『世間で言うところの「豚足」なのですね?』

「……」


 澄んだ綺麗な声には似つかわしく……いや、たぶん、高飛車お嬢様的にはピッタリなのだろうか。

 ああ、うん……俺の知っている「おにいたま」と呼ぶ可愛い妹も、最初の頃は雰囲気的に呼びそうだったしな。呼ばれなかったけど。

 とんそく……もとい、とにかく、「お前ら」の仲間であることを実感するような物言いをしてきたのだった。


 うーん。俺は彼女を「師匠」と呼ぶべきなのだろうか。

 だけど彼女はお嬢様であって、お付きのメイドではないだろうし。

 俺としても、幼少期に豚足などと言う『あだ名』を付けられた記憶がなく、リベンジ目的で今の体型へとダイエットをした覚えもない。

 何もせずに時間だけが経過して、すくすくと育っただけだ。

 うん、周囲よりも成長度合いは低いんだけど、ね。

 それでも愛している三人よりかは身長的に大きいから、一応体型には満足しているのである。

 ……向こうが選んでくれたり、満足してくれるかは知りませんがね。


 と、言うよりも、だ。

 見ず知らずの人間に向かって「豚足」などと世間では言わない。当たり前だけどさ。

 もちろん侮蔑ぶべつの意味で言ったのだろうってことは理解しているのだが。

 アニメを毛嫌いしている彼女が豚足と口走ったことに疑問を覚えていた俺。

 いや、だって豚足だし……声優ファンは声豚って呼ばれているし。実際に「ブヒブヒ」言っているし。

 いや、他人は知らないが俺は心の中で言っているぞ? 一応、人間の言葉に変換しているだけで。

 ただ悲しきかな、俺は飛べないのでただの声豚なのである。


 でも――まぁ、これは関係ないんだけどさ。

 よく悪口とかで、太った人や……『その手の人種』を蔑称べっしょうで豚と呼ぶことがあるけどさ?

 実は豚の体脂肪って、人間で言えば世界のトップモデル級なんだとか。しかも無臭で清潔な生き物らしい。

 フォルム的にもピンクで丸っこくて可愛いから、最近ではペットに飼う人も増えているのだとか。

 そして……いや、この流れで続けて説明するのは気が引けるし失礼かも知れないが。

 食用としても素晴らしい存在なのだと思う。どちらかと言えば、俺は食用の部分を大いに賞賛したいくらいだ。

 つまり、そんな高スペックのお豚様に俺なんて劣等生が呼び名として使わせていただいていることが名誉なことなのだろう。

 よし、日頃のお豚様の功績に感謝しながら先に進めよう。


 そんな理由で、俺としては豚足と呼ばれたからと言って蔑称だとは感じないのだが。いや、お豚様に申し訳なくは思っているけどさ。

 ――なんでアニメが嫌いなのに豚足なんて命名したんだろう。

 などと疑問を覚えていた俺の鼓膜に、受話器越しの「お前ら」のバカ騒ぎする「チ●ッ●リ」の単語を聞いて納得する俺なのだった。


 なるほど、そっちなのか……まぁ、どっちにしろ「お前ら」の悪知恵なんだろうな。

 受話器越しに聞こえてくる単語で察した俺は顔を歪ませていた。

 まぁ、蔑称には変わらないんだけどさ。

 朝●語で豚足を意味する言葉。

 日本人の足袋たび下駄げた鼻緒はなおって、つま先が二つに分かれているんだけど。

 それが豚の足に似ている事から、日本人に対する蔑称となったらしい。

 って、「お前ら」も日本人なんだから、自分達だって豚足じゃねぇかよ!

 ……いや、「お前ら」は人間じゃなかったな、すまん。

 とりあえず彼女が口走った理由については理解を示していた俺なのだが。

 残念ながら理解を示しただけで蔑称だとは感じていないのである。結局お豚様には変わらないんだしさ。


 と言うよりも、話を進めたいんですけどね?

 外野のバカ騒ぎが気になって話しかけられないでいた俺。いや、うるさいんだよ、本当に。

 せっかく話の通じない「お前ら」から……話を『一方的に突きつけてくる』雰囲気のお嬢様へと相手が変わったのに話が再開されない状況では困るのだ。

 いや、俺が求めているのは会話じゃなくて情報なんだから、情報を突きつけてくれれば問題ないんだ。なぜ、それすらできないんだ、「お前ら」は……。 

 そんな風に様子をうかがいながらも、どうにか情報を聞き出そうと思っていた俺。だけど。


『――おだまりなさいっ!』

「――ッ!」

『……お、お嬢様……』


 突然、周囲のバカ騒ぎをバッサリと斬り捨てるような――受話器越しから少し遠い場所で発せられた。

 雷帝の一振りのような声が俺の鼓膜に突き刺さってくるのだった。

 その声に思わず驚いて息を飲み込んだ俺。

 そんな驚きの表情を浮かべていた俺の鼓膜に、受話器越しから恐れを抱いているような声色で紡ぐ、お嬢様の「……お、お嬢様……」と言う言葉が響いてきた。ん? お嬢様がお嬢様?

 理解が追いつかない俺の鼓膜に、遠い場所の声が続けられる。


『まったく、貴方達は何を騒いでいらっしゃるのかしらねっ! ここは動物園じゃないのだから……「言葉を話す家畜」として売り飛ばされたくなければ静かにしてくださらないかしら?』

『……』

「……」

『……よろしい。……そもそも、貴方も、どう言うつもりなのかしら? 自分で「お嬢様の手をわずらわせる必要などございません。私にお任せください」などと見栄を切ったのではなくて?』 

『……そ、その通りでございます……』

「……」


 はい、未だに俺を無視して会話が続いております。まぁ、周囲のバカ騒ぎは収まりましたけど。

 と言うより、雷帝の一振りが俺まで及んでいるように、向こう側の「ピリピリ感」が伝わってきておりますね。

 あれかな? 携帯電話って電話と呼ぶくらいだし……電撃も繋がっちゃうのだろうか。

 うん、もしもそうならば……とあるラノベに登場する学園都市第三位の彼女とは電話できないよな……まぁ、できるはずがないんですけど。

 だけど、あれかな?

 TV画面も電波を飛ばしているのだから、きっと彼女の電撃が俺達に感電しているのだろう。

 うむ、人はそれを『恋』と呼ぶ……のかは知らない。

 そもそも、ラノベ時点で彼女の人気はあったのだろうから関係ないのだろう。

 きっと、電話越しの彼女の『ビリビリ』に、俺の脳内がしびれているのだと思われます……。

 

 まぁ、仮に俺が発言をしたところで俺の声など『怒られている方のお嬢様にしか』伝わらないので黙っていますけど。

 だからなのだろうか、未だに向こう側の会話が続くのだった。

  

『それが、何? いつまで私を待たせれば気が済むのかしら? この駄メイドは……』

『申し訳ございません、お嬢様……ですが私も頑張って役目を果たそうと――』

『……あら、急に蚊が五月蝿うるさく飛び回ると思ったら……貴方だったのね?』 

『――はぅん♪ ……』

「――ッ! ……ぉ、お~い?」 


 苦々しく言葉を紡ぐ彼女に謝罪するお嬢様……ではなくて、メイドさんのようだ。

 やっぱり彼女を「師匠」と呼ぶべきなのだろうか。まぁ、呼ばないけど。

 と言うよりも、あれだな?

 直接的な会話じゃないのに、伝わってくる声だけで『小●幸●』様感を存分に発揮している彼女。要は、ラスボスだと理解していた俺。

 いや、別にラスボスって意味なだけで、性格的な話じゃないですよ、幸●様? 

 つまり、俺の対峙たいじするべき相手は彼女だってことなのだろう。


 ……祖父ちゃん世代の歌に「幸●、思い通りに生きてごらん」的な歌詞があったけど。

 貴方は思い通りに生きすぎだと思われます。まぁ、別に彼女の名前は幸●ではないでしょうが。

 ですが、もう少し周囲への配慮を進言したいのです……いや、「お前ら」には配慮は必要ないですけどね。メイドさんだけには配慮してみてはいかがでしょう? 


 こんなことを受話器越しに念力で飛ばしてみたのに、語った相手は何も感じていないようだ。当たり前だけどな。

 彼女の言葉を受けたメイドさんは、つややかに「はぅん♪」と一鳴きをすると「ドサッ」と物音を立てて無言になる。

 ……なるほど、その業界の方でしたか。

 つまり、メイドさんは彼女から俺には罵倒ばとうにしか聞こえなかった『ご褒美』をもらって崩れ落ちたってことなんだと思う。

 そう、さっきから耳元に伝わる「えへっ、えへっ……えへへへへ……」なんてメイドさんの可愛いんだけど不気味な笑い声なんて聞いていない。

「おひょうひゃまぁ~、もっとぉ、わたひふぉ、ほほひっへぇ~」なんて呂律ろれつの回らないシ●ナー中毒患者みたいな妄言もうげんは俺の脳内が拒否をしているので彼女は俺的には無言なのである。

 

 そんな『無言』のメイドさんに、おっかなびっくり声をかけていた俺。

 いや、だって、噛み付かれたら恐いじゃん。電話越しですけど。すると――


『……まったく、貴方も貴方ですわね? こんな茶番に付き合って、こちらのペースに流されるなんて……もう少し、自分と言うものを持ち合わせた方がよろしくてよ?』

「……申し訳ありません……」

『ですから、それがっ! ……まぁ、いいですわ。とにかく、ごきげんよう』

「……ごきげんよう」


 突然電話口からラスボスお嬢様の声が響いてきたかと思うと、俺が説教をされていた。

 まったくもって理不尽なのだが、彼女の雰囲気なのだろうか。俺の女性に対する免疫のなさだろうか。

 そんな理不尽である彼女の説教に俺は素直に謝罪をしていたのだ。いや、自然に俺の口から謝罪が紡がれていたから彼女の雰囲気なのだろう。

 ただ、それすらも彼女は気分が悪かったのか、怒気を含んで言葉を繋いでいたのだが。

 冷静に戻り、普通の声色で挨拶をしてくる。

 だから俺も彼女に続けて「ごきげんよう」と挨拶をするのだった。


 うむ、「ごきげんよう」って挨拶は、お嬢様学校のアニメやゲームで知っているからな。これくらい造作ぞうさでもないことなのさ。

 ……自分で言っておいて「コレジャナイ感」マジパネェっすけど。


『申し遅れました……私、雪風院ゆきかぜいん 雪乃ゆきのと申します』

「……霧ヶ峰善哉と申します」 


 彼女は礼儀正しく冷静に名乗りを上げる。それに釣られて俺も冷静に名乗りを上げていた。

 まぁ、向こうは俺のことを知っているとは思うけど。マジあり得ないらしいからさ。

 だけど表面上とは裏腹に、俺は心の中で彼女の名前に驚きを隠せないでいたのだった。

 彼女は確かに『雪風院雪乃』と名乗っていた。……よし、彼女は『ゆきのん』に決定! いや、心の中だけですが。そして、驚いたのは当然『そこ』ではない。


 雪風院家。

 それは、あまねるの実家である時雨院家と同格の大財閥。

『東の時雨院。西の雪風院』と呼ばれるほどに、勢力を二分にぶんする家柄なのである。 

 そして、名乗りを上げた彼女は……雪風院家の一人娘。つまり、あまねると同じく次期当主なのであった。

 まぁ、そんな大財閥のお嬢様を『ゆきのん』呼ばわりしている俺自身が一番驚きの存在なのかも知れないけれど。

 あまねると公平を期する為と、その方が呼びやすいので気にせず進めよう。


 ゆきのんのことは、以前あまねるに話を聞いたことがあったから知っている。

 確か……あまねるの一つ年上。つまり俺の一つ年下の高校二年生だったはず。

 東西と呼ばれる通り、雪風院家は関西に豪邸が建っている。

 当然彼女は実家に住んでおり、こちらで言うところの宇華徒学院クラスである超お嬢様学校――『亜唯名あいな学院』の高等部に在籍しているらしい。

 そう、関西にいるはずの彼女が、「なんで、こっちに来ているんだ?」と言う疑問からの驚き。そして。

 東西と呼ばれているとは言え、両家は特にライバル視をしていない。むしろ友好的なのだとか。

 御両親同士が友好的ならば、娘同士も当然友好的。

 あまねるは彼女のことを「雪乃姉様」と呼んで敬愛けいあいしていると言っていた。

 当然、ゆきのんも彼女のことを実の妹のように溺愛しているのだとか。

 ……うーん。香さんと、ゆきのん。こんな素晴らしい姉二人のいる彼女に俺みたいなダメダメなお兄ちゃんなんて必要なのだろうか?

 少し考えるべき事案なのかも知れないが、落ち込むだけだし先に進めよう。


 つまり、だ。

 俺は名前を知るまで彼女をラスボスだと思っていたのだが。

 ゆきのんだと知った現在、彼女がこんな姑息こそくな手段を取るのだろうか。こんな疑問を覚えながら。

 そんな彼女が「お前ら」を率いていることが驚きだったのである。

 溺愛している妹の親友に対して、こんな手段を用いるだろうか。あまねるが敬愛している彼女が、こんな手段を選ぶのだろうか。


 とは言え、溺愛による出来合いの感情と言うものは俺が一番理解しているところ。不本意ではあるがな。

 だから、必ずしも「彼女がするはずがない」とは断言できないのだろう。

 ……まぁ、電話口で色々と考えていても意味はないんだけどさ。


『現在、妹さんの携帯電話をお借りしております』

「……そうみたいですね」

『その上で、霧ヶ峰さん……私の指示で貴方へ電話を差し上げたのです』

「そうでしたか……」

『この意味……おわかりいただけますよね?』

「……はい。俺が、そちらへうかがえばいいのですよね?」


 ごく自然のトーンで紡がれる彼女の言葉に、重々しく返事をする俺。

 ごく自然のトーンで紡がれているとは言え、彼女の言葉には異様な威圧がある。

 きっと大財閥の次期当主である雰囲気が、受話器越しなのに俺の全身を覆っているのだろう。

 そう、俺は彼女の言葉に重々しく返事をするのが精一杯だったのである。

 そんな彼女の紡いだ「この意味」と言う言葉に、俺は表情を歪ませて訊ねる。

 小豆の携帯を使い、俺に電話をかけてきた。

 それは俺を呼び出す為――俺に用事があるからなのだと悟っていた俺。


 俺は彼女もメイドさんも「お前ら」も知らない。正確には携帯番号を知らないと言う意味なのだが。

 そんな相手からの非通知や知らない番号の場合、俺は電話に出なかったはずだ。今は「それどころ」ではないのだから。

 今電話に出ているのだって、あくまでも妹の電話だから出たに過ぎない。そして。

 彼女が俺に用事がないのに電話をかけるはずはないのだろう。俺を呼び出す必要があるから電話をかけてきたのだと考える。

 うむ、あまねるの敬愛する姉が――

「今から小豆さんの泣き叫ぶ悲痛の声を指をくわえて、自分の無力さを呪いながら聴いていなさい?」

 などと悪趣味で鬼畜なことをするはずがない。……と、思いたい。

 まぁ、名乗りを上げている以上、そんなことはある訳がないんだけどさ。スキャンダルの元なんだから。


『……えぇ、そう言うことですわ。本当……察しがよくて、空気の読める殿方は好感が持てますわね? ……』

「……あ、あの?」


 俺の脳内で否定していた考えを肯定するように、満足げな声で言葉を紡ぐ彼女。だけど、言葉を言い切ると無言になっていた。

 思わず声をかけていた俺に。


『……あぁ、申し訳ありません。少々、「私用」で……』

「そ、そうですか……」


 申し訳なさそうに彼女が言葉を繋いでいた。

 私用。きっと「お前ら」とメイドさんのことを睨んで無言の制裁を与えていたのだろう。察しが悪くて、空気の読めない連中だから。

 とは言え、たぶんメイドさんにはご褒美なんだろうな。一瞬、ロマンティックヴォイスが耳元に伝わった気がするけど、怪電波を受信してしまったってことにしておこう。

 と言うか、「お前ら」まだいたのか……あまりに静かだから駆逐されたのかと思っていたのに。『雪風』院だけに、な。 


『では、今から場所をお伝えしますので、早めにいらしてください』

「わかりました。伺います」

『場所は――』


 こんな俺の考えなど気にもせず。当たり前だけど。

 彼女は俺に淡々と場所を伝える。

 さっきの彼女の「私用」と言う言葉と。

 彼女の伝えてきた場所を聞いて、少しだけゆるんでいた気持ちを引き締める。

 彼女が『ゆきのん』だと知り、彼女と話をする間に緩んでいた警戒心を――。



「では、のちほど伺います……」

『はい、お待ちしておりますわね……』


 俺は場所を確認すると言葉を区切るように彼女に伝える。

 その言葉を受けて彼女も自然な雰囲気で言葉を締めて電話を切った。


「……ふぅーーーーーーーーー」


 受話器越しの「ツーツー」と言う音を聞きながら、大きく息を吐き出していた俺。

 もちろん彼女との通話に緊張していたこともあるのだが。

 それ以上に自分を奮い立たせる必要があったからなのである。


 言葉だけを追えば、他愛の無い会話。普通の待ち合わせのような会話だと思う。だけど。

 彼女の呼び出した場所。未だに「お前ら」が残っている現実。

 すんなりと小豆を返してくれることはないのだろうと察していた俺。

 彼女が『ゆきのん』だと知り、彼女と話をする間に。

 俺は心の片隅で「小豆は苦労もなく無事に連れ戻せる」なんて錯覚していたのかも知れない。

 彼女なら卑怯なことはしない。杞憂に終わる。こんな安心感を抱いていたのだろう。

 だけど。

 呼び出された場所と「お前ら」の存在を思い出した俺は「世の中そんなに甘くない」と心の中で復唱していたのだった。

 

 もちろん未だに彼女が「お前ら」を率いている理由は謎だし「ゆきのんは、そんな子じゃない」と思いたいけど。

 それでも繋がっている事実を知った以上、楽観視できる状況でもないんだ。

 だって彼女が指定した場所って、さ……。

 地元の人間なら誰でも知っている『誰もりつかない廃屋工場』なんだもんな。

 そんな場所に『俺の在籍していたチームの名前を語っている連中』が存在する訳だ。

 少年ギャング時代に修羅場を幾度となく経験してきた俺の勘なのかも知れない。

 ずっと、脳内でアラートが鳴りっぱなしなんだよ。できることならジェラートが食べたいところだがな。

 まぁ、「お前ら」とメイドさんだけなら警戒を緩めなかったと思うし。

 彼女だから大丈夫なんて思った俺が悪いだけなんだろう。


「――ッ! ……ん? ……もしもし?」


 とにかく、相手は暢気に『お話』だけを望んでいるとは思えない。

 確実に『O・HA・NA・SHI』しか通じない相手なのだろう。いや、駆逐される巨人には最初から話なんて通じないのだろうが。

 改めて覚悟を決めていた俺の携帯が再び光って震える。

 再び彼女からの電話なのかと息を飲み込む俺。うん、「まだですの?」って理不尽な催促さいそくかと思って。

 だけど表示されたのは透の名前。

 少しだけ強張っていた全身を緩めて電話に出た俺。そんな俺の鼓膜に――


『いやー、やっと繋がりましたよぉ。ずっと通話中で……何度もかけていたんすけど』

「……あぁ、すまない。ちょっと電話中だったんだ……それで、どうした?」


 少しホッとしたような、だけど焦りを感じる透の声が響いてきた。

 ……なんだろう。普段なら負の伝道師な透の声が、今はなんだか落ち着く。

 少しだけ気持ちが和らいでいたのだ。

 まぁ、きっと『マイナスにマイナスをかけてプラス』になったのかもな。電話だけに。

 俺は少しだけ軽くなった気持ちを体現するように、苦笑いを浮かべて返事をしていた。だけど。


『……はい。「あいつら」の素性がわかったっす……』

「……そうか。……相当厄介な連中なんだな?」

『えぇ、まぁ……』

「なるほど、な。……それで、どんな連中なんだ?」


 透の言葉に再び表情を曇らせる俺。緊張した声色なのを理解した俺は、記憶を呼び戻しながら「相当厄介な連中なんだな?」と訊ねてみる。

 その言葉を受けて重々しく肯定する透。

 うむ、確かに「お前ら」のことを相当厄介な連中だと感じていた俺。

 苦々しく表情を歪ませた俺は、連中の詳しい情報を透に聞き出そうとするのだった。

 

 とは言え、俺の言った「厄介」と言うのは、別に戦闘力の話ではない。もちろん多少は気にするところだけどさ。

 残念なことに『その手の厄介』なら身近に存在するからさ。うん、具体的には両親や明日実さん……あぁ、江田さんもか。

 正直、あの人達に比べると他の連中程度では厄介だとは思えないのである。

 いや、当時かなり悪名が知れ渡っていた少年ギャングのリーダーだった俺ですら子供扱いなんだから。

 まぁ、実際に息子なんですけどね。

 そんな理由で事実そうだとしても、戦闘力的に「勝てるのか?」なんて心配からくる厄介なんて考えていない。

 単純に精神的と言うか、飼育的に「相手にするのが面倒くさい連中なのかな?」と言う意味で訊ねたまでだ。


 もちろん、俺の考えを透が察していたのではないだろうが。

 透は俺との付き合いが長い。まして、今回は小豆とあまねるが絡んでいる話だ。

 そんな状況で俺が尻込みするなんて思っていないだろう。

 まぁ、俺って普段から『面倒くさい』相手にしか厄介だとは言っていないからな。そう解釈してくれているのだと思う。

 さっきのバカ騒ぎを思い出して覚悟を決めていた俺は、黙って透の説明に耳を傾けるのだった。


『……まぁ、こんな感じっす』

「そう、か……わかった。……それで、な?」

『……うっす』


 透の説明を聞き終えた俺は、心に渦巻く冷たい風に抗うようにボソリと言葉を繋いだ。

 俺の声のトーンで何かを悟ったのだろう、透が神妙な声色で返事をするのだった。


 透の説明によれば。

 どうやら連中は、最近勢力を拡大しているチームらしい。

 そして、かなりの悪名高いチームでもあるらしい。

 とは言え、俺のいたチームのテリトリーとは離れた場所で活動しているそうだ。

 まぁ、具体的に言えば『宇華徒学院付近』をテリトリーにしているチームなのだとか。

 ……道理どうりで、すぐに情報が入らない訳だ。

 俺にしろ、透達やチームの後輩にしろ、あの付近にチームが存在しているなんて思っていないし、調べてなんていないだろうからさ。

 なお、別に宇華徒学院付近がテリトリーだからって、学院がチームを支配下にしているのではない。当たり前だけどね。


 まったく俺達がノーマークだった理由。

 単純に距離的な部分もあるんだけど。

 俺が在籍していた当時。周囲のチームも含めて、あの付近は中立地帯と言うか不可侵の暗黙のルールが存在していた。

 まぁ、全国に名だたる超お嬢様学校のお膝元ひざもとで、そんな馬鹿な真似をするほど度胸がなかったんだけどさ。

 いや、当たり前の話だと思うけどな。

 相手が「警察すら意のままに動かせるようなお嬢様」だって思っていたんだから、さ。

 うん……当時の俺達の頭では『宇華徒学院のお嬢様=時雨院家』って図式があったんだと思う。

 実際には違うのかも知れないけど、あまねると対峙した小豆の同級生みたいな感覚だったのかも知れないな。

 つまり、何か騒ぎでも起こしてみろ。

 それを理由に、冤罪えんざいですら『お縄にかけられちまう可能性』があるって理解していたら、誰も騒ぎを起こそうなんて考えないだろ?

 実際には起こらないとは思うが、騒ぎを起こしている時点で俺達に反論なんて不可能だからな。冤罪でも俺らの言い分なんて通るはずがないのさ。

 確かに俺達は無鉄砲な馬鹿だったのかも知れないけどさ。冤罪で人生を潰すような酔狂すいきょうな連中はいないってこと。

 だから、学院周辺で何か騒ぎを起こす人間は誰もいなかった――誰も近づきすらしなかったってことさ。

 だけど、数年経過した現在。そして時雨院家の威光の消えた今。

 まったく畏怖いふを感じずにテリトリーにする馬鹿が出現したってことなのだろう。


 そして、本当に厄介な連中のようだ。……まぁ、何となくは想像がついていたけどな。

 連中は、戦闘力で勢力を拡大しているチームではない。そう、戦闘力の高さで悪名高いのではない。本当の意味で悪名高いのだと言う。

 つまり『姑息な手段』を用いて勢力を拡大してきたチームらしい。まぁ、俺の在籍していたチームの名前を語るような連中だしな。

 しかも、どう言う経緯なのかは知らないが連中は宇華徒学院と繋がりを持った。お膝元をテリトリーにしている。

 だから敵視している周囲のチームも迂闊うかつに手出しができない状況らしい。

 まぁ、小豆とあまねるのことで手を組んだのだろうが、それが連中を増長させているのだろう。

 後ろ盾のおかげで気を大きくしていることから……やりたい放題の有様ありさまなのだと言う。


 透の説明をまとめると、こんな感じだった。

 後輩達の情報では何も見つからないからと、他のチームにも訊ねた結果、こんな情報が手に入ったのだと言う。

 結構、苦労したんだろうな。今度、お礼に……小豆に食事でも作ってもらって透達に食べさせてやるかな。材料費と水道光熱費を払わせて。

 いや、以前透達に冗談で言ったら――


「えっ? ……材料費と水道光熱費を払ったら、ご飯作ってくれるんすか?」


 とか、嬉々とした表情で財布取り出しながら聞き返してきたことがあったから払ってくれるはずだ。

 うん。三人とも現在は一人暮らしなので温かい料理に飢えているらしい。

 しかも小豆の料理だからな、当然の反応だったのだろう。

 ……当然の反応を考えていなかった愚か者が約一名おりましたけどね。


 いや、材料費と水道光熱費だよ? 自腹切ってまで食べたいとは思わないじゃん。

 だから当然「ああ、それなら……」って断るだろうって思っていたのにさ。

 しかも運の悪いことに、小豆が一緒にいる時に聞いてしまった俺。そう、本人の了承を得ないで勝手に話をしていた訳だ。

「何、勝手に約束しているのよ!」なんて怒られるかも?

 そんなことを考えて、恐る恐る横へ視線を移して妹の様子を確認する俺。なのに。


「ご希望のメニューとか、ありますかぁ~?」


 なんて、満面の笑みを浮かべて嬉しそうに質問していた小豆さん。ま、まぁ、小豆さんは小豆さんでしたね。

 自分で話を振ったとは言え、本当に料理を作ることになったことに驚いて「い、いいのか?」と聞いてみた俺。すると妹は――


「え? だって透さん達って、お兄ちゃんの友達でしょ? つまり……お兄ちゃんが連れてきた『お客様』をもてなすのは、私の役目――ううん。私の『おつとめ』だもん♪ だって、ほらぁ? ……どうせ、この先ずぅーっと、私が甲斐甲斐しく『おもてなし』をすることになるんだしぃ~? 内助ないじょこう内助の功~♪ だから、気にする必要なんてないじゃん?」


 などと、茹で小豆なドヤ顔で口走っていた。

 いや、小豆さんの言いたいことは理解しているんですけどね。内助の功とか口走っているしさ。

 だけど、とりあえず、それ……別に『妹』の『おつとめ』ではないので気にしてください。

 そして、透達よ。

 何、突然顔を突き合わせてヒソヒソと「ご祝儀いくら包むんだ?」とか「白ネクタイって、どこで売っているんだ?」とか「お祝いの品って何が喜ばれるんだろう?」とか話し合っているんだよ?

 まぁ、全部俺に内緒話が筒抜けなのは言及しないが。

 だけど、とりあえず、それ……別に確定事項じゃないんで気にしないでください!

 ……ああ、うん。やっぱりお礼はやめておこうかな。そして話を進めよう。


 透の説明を聞きながら、俺は考えていたことがある。お礼じゃなくて他のことを、な。

 相手の素性は理解した。まぁ、ゆきのんとの繋がりは未だに謎だけど。だって、彼女は宇華徒学院の生徒じゃないんだし――。

 そんなことを考えていて、「俺は大きな勘違いをしているのかも?」なんて思い直していた。

 うむ……そもそも彼女がラスボスだなんて誰が言ったんだ? いや、俺ですけどね。

 あの段階で彼女が登場したからラスボス認定しちゃったんだけど。

 冷静に考えて、宇華徒学院の生徒じゃないのに彼女が今回の件に関与しているのは不自然ではないか。

 それに、今更彼女が名乗りを上げたのも不自然な気がする。

 まぁ、電話に出たから名乗りを上げたってことなのかも知れないけれど。

 実際に「お前ら」や、関係ないかも知れないけどメイドさんは俺と話をしても名乗っていない。彼女だけが名乗るのも不自然じゃないだろうか。


 だから、彼女は今回の件については無関係。

 彼女は偶然居合わせただけ。本当のラスボスに自分達が優位に進める為に利用された。

 そう、影武者として総大将に祭り上げられたのではないか。

 ……うん。虎の威を借る狐な連中にとって、彼女は『白虎』なんだろうからな。

 そんな風に考えていたのである。

 要は彼女が呼び出したとは言え、楽観視できる結末は待っていないってこと。

 きっと連中のことだ。彼女を嘘で言いくるめているに違いない。だから彼女自身が俺を呼び出したんだろうしな。

「お前ら」が残っている以上、無血開城なんて期待もしていない。それなりのダメージは覚悟している。


 だけど、そう、今回はあまねるの時とも香さんの時とも状況が違う。

 俺一人がボロボロになるだけじゃ済まないんだ。

 小豆が人質になっているんだから、せめて小豆だけは無事に連れ戻さないといけないんだ。

 だけど、正直大勢を相手にしながら妹の身の安全を確保してやれるほど俺は強くない。

 ……うん、あやてちゃんばりの広範囲魔法か、バリア的なサークルプロテクションが使えたら楽なんだけどさ。俺には魔法の素質がないので無理なのだ。

 つまり、俺には妹を守ってやれる保証がないのである。だから。


「……今、彼女達から電話があった」

『――えっ?』

「そして、小豆が……向こうにいるらしい」

『……マジっすか?』

「ああ……まぁ、連れ去られたとかじゃなくて、自分で乗り込んだのだと思うが……」

『……』


 俺は今の状況を透に伝える。

 俺の言葉を聞いて驚きの声を発した透をいさめるように、「自分で乗り込んだのだと思う」と付け足しておいた俺。

 向こうにいると伝えて返ってきた言葉に、微かな怒りを感じ取っていたからな。 

 実際には俺だって真相なんか謎なんだけどさ。

 それでも怒りを覚えるのは「何かが違う」と感じていたのだろう。

 俺自身が「きっと小豆は自分で乗り込んだ」って、そう思っているからなんだけどさ。

 俺の言葉を受けた向こう側は無音になってはいるものの、冷静さは戻ったのだと思う。うん、怒りを覚えているなら静かなのは不自然だしさ。

 何より、頼みごとがあるんだから突っ走られても困るのである。

 ひとまず冷静に話を聞いてくれる状態になったのを確認して、俺は透に頼みごとをするのだった。


「……それで、俺も彼女達に呼び出されたんでな?」

『了解っす。今すぐ、チームの奴らに集合かけ――』

「俺は……誰だ?」


 俺が彼女に呼び出されたことを伝えると、透は興奮気味に言葉を繋いでいた。しかし。

 そんな興奮気味に響いてくる言葉を制するように、俺は少しトーンを落として冷静に訊ねる。

 数拍後。


『……すみません、アニキ……』

「まぁ、いいさ……」


 少し落ち込んだような声色で透は謝罪をしてくるのだった。


 俺は……まぁ、透達には今でも苦労や迷惑をかけているのだが。

 自分の我がままでチームの人間に苦労や迷惑をかけることを、チームに在籍していた頃から禁じていた。

「自分のケツくらい自分でぬぐえないでどうするんだ?」

 そう言う考えがあったのさ。


 最初の頃は親父達を逆恨みしていたから、単純に「誰も信用できない」って部分が大きかったんだと思うけど。

 改心してからは「俺の我がままに周りを巻き込みたくない」って、ずっと心に刻んでいた。

 だから透達にだって滅多めったに頼らない。いや、頭を下げて懇願はしない。

 自分の我がままに周囲を巻き込む――そんな最低な行動を俺は家族や明日実さん、俺の親しい人達へ当然のように振舞っていた。それが俺の心に自責の念として刻まれているのだから――。


 まして、俺は既に数年前にチームを脱退した身。そして、これは俺の妹二人の問題。

 後輩にとっては無関係な話であり、集合なんてかけても迷惑な話だろう。

 俺のことを熟知している透は「俺は……誰だ?」の言葉だけで理解をしてくれたのだろう。

 そう、俺と言う人間が「自分の我がままで昔在籍していたチームを動かそうなんて考えない」ってことをな。


 申し訳なそうに伝える透に、少し落ち着いた声色で声をかける俺。

 まぁ、制止させるのが目的なだけで、特に「俺を理解していないのか?」って意味で怒った訳ではないしな。

 うん。穏便に済ませようと心の中で復唱していたのに、無意識にペットボトルを握っていた俺には透を怒れる資格はないんだしね。気持ちは痛いほど理解しているつもりだ。

 少し遠回りになったが、改めて透に頼みごとをしようとする俺。


「申し訳ないが……お前達だけは一緒に来てくれないか?」

『もちろんっすよ、アニキ! ……って言っても、俺達って「あずにゃんの警護けいご」っすよねぇ?』

「……まぁ、な?」 


 俺の頼みを即答で返す透。だけど直後に落胆した声色で付け足した言葉に俺は苦笑いを浮かべて返事をしていた。

 透としては、三人に俺の『壁役』を頼まれたのだと思ったのだろう。だけど小豆がいることを思い出して、『サポート』に徹することを理解したのだと思う。事実そうだしな。


「さすがに今回は……小豆の無事が最優先事項なんだ。いくら俺でも、さすがに一人じゃ妹を守りながらなんて無理なんだ。……だから――」

『了解っす。俺達が全力で守るっすよ!』

「……すまない。恩に着る……」


 俺が言葉を紡ぎ終える前に快く了承してくれた透。そんな言葉を頼もしく感じ、笑みを浮かべて言葉を繋ぐ俺なのであった。



「……ふぅーーーーーーーーー」


 透に待ち合わせ場所を伝えた俺は、透が電話を切ったことを確認して再び深く息を吐き出していた。

 すぐに二人にも連絡を取り付け、待ち合わせ場所に向かうと言っていた。

 情報を手に入れた時点で俺が動くことも考慮に入れて、すぐに合流できる手筈になっていたそうだ。

 とは言え、大抵三人一緒に行動することが多いらしいけど。まぁ、感謝だな。


「……さて、と……」


 俺は次の行動を取るべく、自分の部屋の扉を開けて廊下へと歩き出していた。

 とは言え、すぐに待ち合わせ場所へと向かう訳ではない。

 最初から彼女との約束は電話の時から三十分後に指定してあるのだ。

 そう、俺には彼女と会う前に『やるべきこと』が二つほどあるんだからな――。


 一つ目は『透に情報の有無を確認して、あれば情報を得る。そして同行できるか確認して、可能ならば懇願する』こと。

 これは、ありがたいことにクリアできた訳だ。

 だから俺は、もう一つの『やるべきこと』を実行しようとしていたのだった。


「……ふぅ。……」

『……おう、開いているぞ?』

「……お、親父……す、少し時間、いい、か、な?」

「……どうした? ……」


 一階へとおりてきた俺はリビングの扉を通り抜け、隣にある親父達の部屋の前まで歩いてきた。

 軽くノックをすると、中から親父の声が響いてくる。

 その声にうながされるように、ドアノブをひねり扉を開けて中へと進む俺。

 そして視線の先の――椅子に座って背を向けている親父へと声をかけるのだった。

 そう、もう一つの『やるべきこと』とは、親父への報告と、これから起こるであろう俺なりの『ケジメ』なのである。


 俺の声に緊張感が含まれているのを察したのだろうか。

 すぐに椅子を回転させて俺と向き合うと、怪訝そうな表情で言葉を促していた。

 帰宅直後の件だってことは理解してくれているとは思うのだが。

 状況が変化した俺の表情の深刻さに、何かを感じ取ったのかも知れない。少しだけ身を乗り出して俺を真剣に見つめる親父。正直、少し威圧感を覚えて二の足を踏めずにいた俺。

 だけど、待ち合わせの時間が迫っている以上、そんなに余裕がないのも事実。


「……あ、あのさ……」


 俺は意を決して、親父に言葉を紡ぐのだった。

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