第8話 親 と 親子丼

「――親父ごめんっ!」

「……何が、あった?」


 とりあえず、俺は親父に頭を下げて謝罪をする。

 俺が突然頭を下げたことに驚いたのだろう。親父の言葉が俺の背中に降り注ぐのだった。


「……お父さん、何かあったの――って、善哉……どうかしたの?」


 思わず俺が大声で叫んだからなのか。

 数秒後、背後で扉の開く音が聞こえ、続けてお袋の声が俺の背中に降り注いでいた。


「……お、お袋……悪いんだけど、お袋にも聞いてほしいことがあるんだ」

「……何? ……」


 俺は頭を上げて後ろへ振り向くと、お袋に向かって言葉を紡ぐ。

 俺の言葉を受けたお袋は疑問の表情で声を返すと、そのまま歩いて親父の隣に並ぶ。

 

「ふぅ……実は小豆が厄介ごとに巻き込まれているんだ」

「……雨音ちゃん絡みか?」

「あ、ああ……。それでな――」


 二人が見つめる中、俺は軽く息を吐き出してから真相を伝える。

 特に驚く様子もなく、親父は腕を組みながら冷静な表情で俺に訊ねてきた。

 そんな親父の問いに悲愴の面持ちで肯定し、簡単ではあるが小豆とあまねるに起きている厄介ごと現状を説明する俺なのだった。



 小豆とあまねるの衝突。

 俺とあまねるの話も含めて――親父やお袋、祖父ちゃんや明日実さん。それに智耶も詳細を知っている。

 小豆とあまねるが恵美名高校に合格した翌日。

 小豆が――


「お兄ちゃん、雨音ちゃんを祝っていないよねっ! 雨音ちゃんが可哀想かわいそうでしょー! お兄ちゃんは雨音ちゃんを祝う権利があるんだよぉー! ……あっ、義務だった」

 

 とか、突然俺の部屋にノックもせずに突入してきて。まぁ、それ自体は日常なんだが。いや、それはそれで、どうだろう……まぁ、いいか。

 こんな駄々だだをこねてきたんでな。

 うむ、妹よ……権利など、彼女の方が与えてくれないと思うので、最初から義務なのは知っている。

 とは言え義務ですら危ういのだろうが。まぁ、俺が祝うことを、優しい彼女のこと。きっと、お義理で許容してくれるだろう……ギリギリ、な。

 いや、俺としても、もう一人の可愛い妹を祝ってやりたいと思っていたんで――


「だったら連れてくればいいだろ? お前と同じくらいに、雨音さんだって俺の可愛い妹なんだからさ? そんな可愛い妹二人の合格祝いをしたくない兄貴なんて、この世には存在しないし……可愛い妹の合格祝いを可愛い妹の為に祝ってやれるのは兄貴だけに許された特権だと思うのだよ。つまり……連れてきてくださいお願いします!」

「えへへへへ~♪」


 と、苦笑いを浮かべながら口にして、最後には頭を下げて懇願こんがんしていたのである。

 いや、だって連れてきてほしいし。俺には無理だから……祝いたいけど恥ずかしくて呼べないのである。


 そう、俺だって彼女を祝う気持ちは十分にある。うん、一方通行の気持ちだとは思いますが。

 だから「だったら連れてくればいいだろ?」と言ったのである……彼女のひまな日にでもさ。

 なのに俺の言葉を受けた小豆は突然笑みをこぼすと後ろを振り返り――


「お兄ちゃんが祝ってくれるってー!」


 なんて、開いている扉に向かって言い放っていた。ど、どうした? 祖母ちゃんの霊でもえるようになったのか?

 不可解な妹の行動に疑問を覚えて扉の方を眺めていた俺の視界に。


「……お、お兄様……う、嬉しい、です……ぅぅぅぅぅ……」


 真っ赤な顔で恥ずかしそうに登場してきたあまねる。って、なんですとー!

 ななな何なの? その、お客さま満足度ナンバー1の迅速じんそく対応は?

 ……まぁ、何てことはない。

 今日二人の合格パーティーを我が家で開催しようと、小豆が彼女を招待していたのだった。

 って、それなら先に言え!

 つまり、我が家で開く合格パーティーに、もう一人の主役としてお呼ばれされた彼女。

 いや、『本番』は前日に各家庭で盛大に開催されていたんだけどね。


 いないと思ったから「可愛い」とか連発していたんだし。まぁ、本心ですし、紛れもないマギーさんですけど。

 自分勝手な言い分もしていたのだが、まさか本人に聞かれていたとは……恥ずかしすぎます。

 しかも大粒の涙を溜めて俺を見つめていらっしゃる彼女。うわー、彼女を泣かせちゃいましたよ。

 そんな彼女に胸を貸しながら「よちよち♪ 泣きやみまちょ~ねぇ~♪」と赤ちゃん言葉であやす小豆さん。

 いや、同い年だよね? なんでいつも彼女をなぐさめる時は赤ちゃん言葉なんだよ?

 ……やるなら俺にもしろ! いや、してくださいお願いします!

 まぁ、俺は基本小豆の前では泣かないから無理でしょうが。

 あと、時系列的には、これが始まりだった気もする。正確には覚えていないけどさ。

 

 とにかく、「泣くほど彼女の方が恥ずかしかったんだろうな?」と、申し訳ない気持ちでいる俺なのであった。


「ったく……。……まぁ、合格おめでとう、雨音さん……これ、合格祝いなんだけど?」


 顔の火照りは変わらないけど、すっかり落ち着きを取り戻した彼女と対面する俺。

 そんな真っ赤な顔の彼女の熱が伝わったのか、俺まで真っ赤な顔になって彼女と向かい合っていた。

 いや、自分の失言と心の準備ができていなかったのが恥ずかしかったんだよ……。

 そんな恥ずかしさを誤魔化ごまかすように、小豆をにらんで悪態あくたいを口にする俺。当の本人は「驚いた~?」なんて言いたそうなニヤリ顔。

 はいはい、驚きました驚きましたよ。

 視線を小豆から机に移して引き出しを開ける俺。中から用意していた合格祝いを取り出す。

 そして、あまねるに言葉を送りながら差し出していた。


「あ、ありがとうございます♪ ……ぁぅ……」

「……お疲れさま」

「ふみゃ~♪」


 すると泣いたカラスがもう笑ったかのように、差し出した合格祝いを満面の笑みを浮かべて両手で受け取った彼女は。

 更に真っ赤に頬を染めながら、少しだけ頭を俺の方にかたむける。

 彼女の意図を理解した俺は笑みを浮かべて、労いの言葉を紡ぎながら彼女の頭を撫でてあげる。

 すると心底嬉しそうに一鳴きするのだった。


「ぅぅぅ……」

「……ほら?」


 そんな俺達をうらめしそうに睨んでいる、もう一人の妹。いや、威嚇いかくすんなっての。

 と言うより、昨日お前の頭を長時間撫でるのに酷使こくしした右腕の疲労がえていないんですが、あれは俺の勘違いだったのでしょうか?

 まぁ、聞いたところで――


「お兄ちゃん、寝ぼけていたんだよぉ~♪」


 とか。


「昨日は私……ほとりちゃんと入れ替わっていたみたいだから撫でられてないも~ん♪」


 とか言ってくると思う。ってか、嘘つくな!

 とは言え、撫でることに異論などない俺。どちらかと言えば「しふく!」って感じなのだろう。

 そう――

 

『頭なでなでは兄妹になってから』


 と言うことなのである。意味不明だけどな。あと、アルコールは入っていないよ? 未成年だから。

 そんな感じで苦笑いを浮かべながら片方の手を小豆の前に差し出す。


「……うみゅ~♪」


 俺の手の平に吸い寄せられるように移動してきた妹は、俺が撫でてやると可愛い一鳴きを奏でていた。

 こうしてパーティーが開始されるまでの間、俺は両手をペット二匹に拘束されるのであった。つ、疲れた。

  

 そんな二人の合格パーティーが開始される直前。

「一緒の高校に入学するのだから、やはりケジメをつけたい」と言って。

 リビングに全員が集まった際に、あまねるは俺の家族の前で土下座をして全部を打ち明けて謝罪をしていたのだった。

 まぁ、正確には彼女の御両親も我が家の合格パーティーに招待されていたんだけど。

 御両親へは小豆と仲直りをした直後に全部打ち明けていたそうだ。

 だから俺と小豆が彼女の御両親に最初に会った時――。

 御両親は、まぁ彼女もだけど。俺達兄妹に向かって頭を下げて謝罪をしていたのだった。

 当然ながら小豆も俺も何も思っちゃいないし、逆に恐縮きょうしゅくして頭を下げていたっけ。まぁ、笑える思い出だな。


 うん、そんな理由で俺の家族にだけ打ち明けていた彼女。

 そして当然ながら一緒に土下座をしていた御両親。

 ……と、その後ろで一緒に土下座をしていた俺と小豆。まぁ、その場の雰囲気ってやつさ。

 と言うより、自分達の立ち位置を把握できずに困惑していた俺達は。


(……とりあえず、俺達も一緒に謝っとけば立ち位置的には問題ないんじゃねぇか?)

(わかった♪)


 アイコンタクトで自分達の立ち位置を確保したのであった。土下座していましたけどね。

 って、小豆はよく俺のアイコンタクトが通じたよな。今更だけど。

 俺なんて小豆がニッコリと微笑んでうなづいたから理解できただけだし。やっぱり小豆さんってばエスパー? どうでもいいけどな。


 俺達五人が並んで土下座をする姿は、さながらお白州しらすで裁きを受ける下手人げしゅにんのようだ。例えが微妙だとかは気にしないでおこう。

 そんな下手人の俺達をソファーと言う名の公事場くじばに座って見下ろす奉行所の面々。


「なるほど、話は理解した……それじゃあ『罰』として、君にやってもらいたいことがある」

「――は、はい……」

「お、おい親父っ――」

「お父さんっ――」


 あまねるの謝罪を受けた我が家の奉行……まぁ、親父がお裁きを言い渡す。

 親父の「罰として、やってもらいたいこと」と言う言葉に、緊張を含んだ覚悟の声色で返事をする彼女。過酷かこくな罰を与えられると感じていたのだろう。

 俺と小豆は親父らしからぬ言動に、彼女を助けようと体を起こして訂正ていせいを求めようとしていた。ところが。


「せっかくの料理が冷めちまうんでな? 早急そうきゅうに主役の席に座ってもらって、俺達にお祝いをされてもらいたいんだがね? ……ほら、同じ主役なんだから小豆も早くしなさい」

「何言っているのよ、お父さん? ……ただ自分が飲みたいだけなんでしょ?」

「ま、まぁ……そうとも言うが、少しくらいは格好つけさせてくれてもいいだろう?」

「はいはい……そう言う訳で、『お父さんがお酒を飲みたいから』二人とも早く席につきなさい?」

「か、母さん……」


 彼女に向かって微笑みを浮かべながら、親父らしい言葉を送っていたのだった。

 そんな親父に向かって呆れた表情で言葉を送るお袋。

 お袋の言葉に「それを言うなら自分だってそうじゃないか?」と言いたそうな表情で言い返す親父。

 だけど親父の言葉と表情などサラッとスルーして、彼女と小豆に向かい『お父さんがお酒を飲みたいから』と強調しながら笑顔で二人を席へとうながしていた。

 そんなお袋に、事実なので反論できずに苦笑いを浮かべる親父。

 そんな二人を呆然ぼうぜんと眺める下手人の俺達なのであった。


 そう、家族全員は別に話を聞いたからと言って彼女に嫌悪感など抱いていなかった。

 当然、今でも彼女のことを小豆の親友として、家族のように接している。

 確かに、あの時点で言葉にしていたのは親父だけだし、お袋が相手をしていただけなのだが。

 他の全員だって彼女を笑顔で眺めていたし、「早く早く」とパーティーの開始を促していた。

 誰も彼女の話に言及をしなかったし、嫌悪の表情も見せなかったのだ。

 とは言え、彼女の言葉を話半分に聞いていた訳ではない。

 しっかりと聞いていたと思う。深く真実を受け止めていたのだと思う。それでも。

 誰も批判することもなく、さげすむこともなく。

 全員が彼女の合格祝いをしたいと望んでいたってことなんだと思う。


 まぁ、結局は小豆が我が家に招待しているのだから。

 自分達が彼女に何かを言える権利も、何かを感じることもない。

 そう、彼女から話は聞いたけど、事実過去の清算されている話だし、自分達の彼女を歓迎する気持ちに変化なんてなかった。だから心から祝いたいと望んでいたのだろう。

 特に親父とお袋に関しては。

 いや、本当に悪いのは俺なんだけど、さ……。親父達だって何も悪くないって思っているけど、さ。

 親父達は親父達なりに俺と同じ考えを持っているようだ。

 そう、「俺達さえ、しっかりしていれば……こんな悲しい衝突はなかった」って自責の念を、な――。

 


 こんな経緯から、全部を知っている親父達。

 だから「厄介ごと」と聞いて、彼女絡みではないかと思ったのだろう。お袋も声に出さないが親父と同じ表情で、二人に起こっていることを説明する俺を見つめている。

 そんな親父達の視線に押し潰されそうになりながらも言葉を繋げる俺なのだった。


「……小豆が今、向こう側に接触しているらしい」

「そうか……」

「それで、今……向こうから俺に連絡が入って呼び出された」

「なるほど……」

 

 俺の言葉に冷静な相槌を打つ親父。お袋は何も言わずに俺を見つめている。

 そんな二人に申し訳なく思った俺は再び頭を下げて謝罪をする。


「すまない、全部俺のせいだ。俺がもっと早く気づいてやれば……こんなことには、ならなかったはずなんだ……」

「……」


 俺の謝罪を何も言わずに聞いている親父達。

 だから俺は視線を二人に向けて、言葉を繋ぎ。そして自分なりのケジメを言い放つ。


「今から小豆を迎えに行って来る。少し帰りが遅くなるかも知れないけど……必ず無事に連れて帰ってくる」

「そう、か……わかった。頼むぞ?」

「ああ……だけど、今回の連中は少し厄介なんだ」


 俺の言葉に静かに納得の言葉を漏らすと、親父は俺に「頼む」と言ってくる。

 その言葉に力強く頷きながら返事をした俺は、表情を曇らせて言葉を繋いでいた。

 俺の言った「少し厄介」で瞬時に荒事あらごとなのだと理解したのだろう、表情を歪ませる二人。

 そんな二人を見据えて言葉を投げかける俺。


「さすがに内密で済む話でもないと思う。小豆を無事に連れ戻すんだしさ? 多少は派手に動くことになると思うんだ……当然、周囲にバレるかも知れないんだ」

「……」


 ここまで言葉を紡いだ俺は数秒ほど目を閉じ、決意を固めるように息を吐き出していた。

 そして目を開け、二人を見据えて――


「今回の責任は俺にある……だから俺は高校を退学する覚悟で小豆を迎えに行くつもりだ」


 自分のケジメを二人に告げるのであった。



 そう、自分の経験上――今回の件が『自分の覚悟もなしに片が付く状況』だとは思っていない。

 俺が呼び出されたからと言っても、結局は小豆絡みの話。

 まして、連中が残っている時点で妹を素直に返してはくれないのだろう。

 とは言え、相手の力量は具体的には知らないのだが、俺が壁役になって逃走ルートを確保してやるくらいなら簡単だろう。透達が護衛しているのだから小豆は無事に帰れると思う。だけど。

 今回の件は「ただ小豆を無事に救出」すればミッションクリアにはならないんだ。

 何故なら……あいつらは俺達の家を知っているんだからな。

 直接我が家のポストへ投函された手紙。それは俺達の家を知っているってこと。

 今回上手く逃げられたとしても、何も終わることはない。

 いや、それ以上に今回の件が導火線となって余計に大事になる可能性だってあるんだ。

 だから、連中との鎖を断ち切らなければいけない。小豆とあまねる――完全に二人から手を引いてもらう必要があるんだ。

 話が通じないのであれば……不本意だけど圧力をかけるしかない。それなりに暴れることも視野に入れている。

 いくら場所的に人が拠りつかない廃屋工場だとしても、それは内部の話。外周には人の往来おうらいがある。

 騒ぎが大きくなれば通報される可能性だってあるんだ。

 ……まぁ、向こう側は、な。ゆきのんがいるから無罪放免になるのかも知れないけれど、確実に俺は責任を負うことになるだろう。

 もちろん、そうなる前に小豆を連れて透達には離脱をしてもらうつもりだ。

 だから俺一人が責任を負えば問題ないのだと思う。


 そう、責任……。

 確かに「残り数ヶ月で卒業なのにな……」なんて心残りはあるのだが、俺の退学程度で小豆が残りの学校生活を笑って過ごしてくれるのであれば安いものだと思うんだ。

 そもそも、俺は去年――『香さんの件』で退学を覚悟していた。あれだけ暴れて、しかも傷害事件の加担者だった俺。

 それでなくても昔、幾度いくどとなく修羅場を経験している俺が、何も覚悟を決めずに敵のアジトになんて乗り込むはずはないからさ。乗り込む前から退学は脳裏にかすめていたんだ。だけど。

 被害者である香さんの温情で、刺した相手も最悪のケースをまぬがれていたし、俺については厳重注意と謹慎一週間と反省文で済んでいたのだ。

 まぁ、謹慎一週間は単純に完治するまでの時間と、反省文を書く為に自主的に休んだんだけどね。実質的には何もなかったんだ。


 言ってみれば、香さんの温情がなければ俺は小豆と一緒の高校生活を送れやしなかった。

 約半年間、同じ学び舎で高校生活を過ごせたことが俺には贅沢ぜいたくな時間だったってことなんだと思う。

 だから俺の退学で小豆を救えるのなら、俺は喜んで退学してやろうと思える。

 そう、俺は別に小豆を失うのではないのだから――。


「……ふっ」

「……」


 何も言わずに見据える二人を眺めながら、俺は無意識に笑みを溢していたのだろう。

 別に小豆を失うのではない。そう考えた途端に、心に余裕が生まれたのかも知れない。


 ――そうなんだ。ただ単純に、俺が退学するだけの話。別に離れ離れになる訳ではない。

 高校に一緒に通えなくったって、俺は小豆と一緒にいられるんだ。だって俺達は家族なんだから。

 そう、あの頃とは違うんだ。これが最後じゃない。そんな覚悟は必要ないんだ。

 退学をしたって俺は俺。何も変わることはないのだろう。

 もしも仮に……今回のことで小豆の気持ちに変化が起きたって、俺から離れようとしていたって。

 俺の方から妹に歩み寄っていけばいいんだ。しがみついてでも離れないようにすればいいんだ。

 俺は諦めの悪い人間だし、かまってちゃんだからな。まぁ、その点は諦めてくれ……。

 

 そうなんだ。簡単なことだったんだ。

 ずっと自責の念に縛られて、こんな簡単なことに気づけなかった俺。だけど、これは俺が一人で気づけたことじゃない。

 小豆が、香さんが、あまねるが。俺の周りの人達が。そして、大切な小説達が――。

 俺に教えてくれていたこと。いつも俺に、そう接してくれていたからなんだと思う。


 何が起きても俺は俺。いや、俺にしかなれないんだ。

 そして何が起きたって俺達は兄妹。同じ一つ屋根の下に暮らす家族なんだ。

 あいつのピースが色を変えたって、俺が色を合わせればいいんだ。気持ちを寄り添っていけば問題ないんだ。

 ……大丈夫、俺ならできる。いや、誰でもない俺だからできること。

 だって俺は、ずっと妹から『色を合わせる』意味を教わり、ずっと心に『寄り添う気持ち』を刻み続けてきたんだからな――。


 俺の表情の変化に気づいた親父達も、同じように表情をゆるめて俺を見つめている。

 少しだけ軽くなった心で俺は親父達に言葉を繋いでいた。 


「今日、俺は小豆とあまねる……そして俺を縛り付けていたしがらみを断ち切る。すべてにケリをつける」

「そうか……」

「だから俺は二人を。いや俺達を救えるなら自分が退学しても笑っていられると思うんだ。……いや、違うのかもな? たぶん俺は……俺達の幸せを一番大事にしたいだけなんだ。その結果が退学だった。きっと、それだけなんだと思うんだ」

「……ッ! ……」

「……」


 俺の言葉を聞いていた親父は、恥ずかしそうな懐かしそうな、だけど少し悲しそうに何か言いたそうな表情をしながら、言葉を飲み込み無言になる。

 そんな親父に懐かしむように優しく微笑んでから、俺を見つめるお袋。

 だから俺は言葉を繋いだのだった。


「親父達には申し訳ないとは思っている。あんなことがあった俺を受け入れてくれて、ちゃんと高校に通わせてくれて……凄く感謝しているんだ。それなのに、せっかく高校も卒業できそうだったのにさ? だけど自分で決めたことだし、後悔はない……って、まぁ、未確定の話を考えても仕方ないんだけどさ? とりあえず事後報告にだけは、したくなかったんだ。ちゃんとケジメをつけてから小豆を迎えに行きたかったんだ」

「なるほど、わかった……そう言う訳だ、母さん?」


 俺が言葉を言い切ると親父は一瞬目を閉じて納得の表情で了承する。

 そして目を開けると隣に並ぶお袋に声をかける。

 きっと親父は俺の退学に異論はないのだろう。だからお袋の意見を聞こうとしていたのだと思っていた俺。ところが。


「小豆はどうやら遅くなるらしい……すまないが、今日の晩飯は母さんが作ってくれないか? まぁ、家事全般をお願いしたいんだが?」


 ……は?


「あら、もちろんよ? と言うより、私は別に小豆へ我が家の主婦を完全に譲った覚えはないのだけれど? まだ、お義母さんから譲り受けた霧ヶ峰の主婦は私だもの。まだまだ、そこは譲れないところよね?」

「そ、そうだな……」


 ……ん?


「でも、まぁ? 確かに小豆に甘えているって感じてはいたのだけれど、あの娘が望んだことだし……でも、あの娘も結婚できる年齢になったのよねぇ? ……まして、雨音ちゃんは知っていたと思うけど、香ちゃんにまで『二人に血が繋がらないこと』を知られたんじゃ……これから小豆にとっても大変になるんだし。これを機に『お父さんと智耶』の家事は私が受け持つ方が、あの娘の為なのかも知れないわね」

「そうかもな……まぁ、そこは母さんに任せるよ? あと、な――」 


 ……なんのはなし?

 俺はてっきり親父は退学についての同意を得ようとしたのだと思っていた。

 それなのに何故か夕飯と家事の相談をしていたのだ。

 お袋もお袋で、当たり前のように話を進めている。しかも途中から何言っているのか理解できないし。

 ま、まぁ、お袋が親父と智耶の家事を受け持って、「俺をけ者にしている」とは思っていないけどね。

 単純に「小豆が許さないだろうから」ってことは理解している。

 と言うより、お袋のことだ。

「あら、あんたの世話は小豆の仕事じゃないの?」って考えなんだと思う。意味は同じだけどさ。

 いやいやいや、そもそも論点が違うだろ? 俺の退学はどこに行った?

 そんな理解不能な状態におちいり、声をかけ損ねていた俺の鼓膜に親父の『もっと理解できない一言』が突き刺さるのだった。


「もしも善哉が退学になりそうになったら、一緒に学校に行って土下座してくれるか?」


 ……へ?

 一瞬親父の言葉を理解できなかった俺。そんな俺に響いてくる、お袋の言葉。


「なんで当たり前のことを聞くのよ? 私達は夫婦だし、善哉は私達の息子で小豆は私達の娘なのよ? もちろん筋の通らない自分勝手な行動で責任取れなくなって尻拭いとかなら『勝手に退学しなさい』って言うけれど……今回は娘の為に退学するかも知れないんじゃない? きちんと筋が通っていることなんだから親として筋を通すのが自然じゃないの」

「そ、そうだな」


 ……何が、そうなの?

 お袋の言葉に納得の苦笑いを溢しながら答えた親父。

 そんな親父に微笑みを送って言葉を繋げるお袋。


「第一、お父さんが頭を下げるのなんて筋を通す時だけじゃないの? それが昇さんでしょ? ……それなら私は黙って昇さんの隣で安心して頭を下げられるの。それに、父親が頭を下げるのなら母親が一緒に頭を下げるのは当然じゃない……そう、私は昇さんを信じて添い遂げるって、深智くんにも約束したんだから……」

「鷹音、ありがとう……」

「……」


 お袋の言葉に微笑みを送りながら言葉を送る親父。

 そんな親父に微笑みを返すお袋。

 現在二人の瞳には俺なんて映ってはいない。そう、お互いの姿だけを映しているのだった。

 ……うーん、どうしたものかな。


「……おっと、すまんすまん……」

「……あ、あら、善哉ごめんなさいね?」

「ま、まぁ、いいんだけどさ……」


 そろそろ話を切り上げて目的地へ向かう必要がある俺は、この状況をどうするか悩んでいた。

 そんな俺に気づいたのか、今の現状を思い出したのか。

 親父は視線を俺に戻して苦笑いを浮かべて声をかける。

 お袋も同じように、赤く頬を染めて声をかけてきた。

 そんな二人に苦笑いを浮かべて言葉を紡ぐ俺なのであった。


 確かに小豆の大変な時だとか、呼び出されているって知っているのにとか。

 そんな気持ちもあるにはあるんだけど。

 そもそも小豆と俺に何もなかったら、まだ俺達は学校なんだよな?

 久しぶりの夫婦水入らずの時間を俺が邪魔をしちゃったってことなんだよね。

 まぁ、智耶はいたんだけど空気の読める子なんで邪魔はしていないのだろう。

 有事だったとは言え、空気を読まずに邪魔をしちゃったので俺的に怒れなかったんだと思う。


「それより、さ? 俺は退学を覚悟しているんだぞ? なんで親父達が頭を下げてくれるって話になっているんだ? ……いや、凄く嬉しいけどよ? それって、おかしくないか?」


 そう、不明瞭ふめいりょうなまま小豆の元へは向かえない。親父達が語っていた言葉への疑問をハッキリとする必要があった。だから悩んでいたのである。

 俺は親父に向かって疑問を投げかける。そして、親父達が頭を下げてくれる行為が素直に嬉しいと、苦笑いを浮かべて伝える。

 そんな俺に向かい、「何を当たり前のことを言っているんだ?」なんて言いたそうな表情で見つめ返す親父達。

 まぁ、親父達が頭を下げたからと言って俺の退学がひるがえるかどうかは定かではない。と言うより、未確定な妄想でしかないのだが。

 それでも「親父達が俺の為に頭を下げてくれる」ってことを言葉にしてくれたことは素直に嬉しいのである。

 お袋にしたって、それが当たり前だと言ってくれることが嬉しい。

 だから別に「俺の覚悟を台無しにするな!」なんて反発をしたいのではない。

 単純に、俺には親父達が頭を下げるってこと自体が信じられないのであった。何故ならば――。


「……なぁ、善哉?」

「なんだ?」


 疑問を浮かべたまま見つめていた俺に、同じように疑問の表情を浮かべて言葉を紡ぐ親父。

 そんな親父に言葉を返す俺。


「……お前は俺や母さんが教えた『親の定義』を覚えていないのか?」

「はぁあ? ……い、いやいや、何十回も聞いているんだから忘れる訳がないだろう?」

「そうか……じゃあ、言ってみろ?」


 突然こんな質問をしてきた親父。

 だから俺は思わず素っ頓狂すっとんきょうな声を発してから呆れ顔で否定していた。  

 そんな俺の言葉を受けて「本当か?」なんて言いたそうな顔で「じゃあ、言ってみろ?」と口にする親父。

 そもそも今、あの『親の定義』が必要か?

 そんなことを考えて、少し呆れた表情を浮かべながら言葉を紡ぐ俺。


「……『で作った自分の等身大ポップを我が子の前にてて、本人はその影に隠れてアニメをる』だろ?」

「ああ、そうだ……」

「ちゃんと覚えているって……それで質問の答え――」


 本当、ことあるごとに言われ続けてきた『親の定義』の言葉。忘れようにも忘れられないのだ。

 この言葉を覚えているからこそ、俺は両親を――

「何せ、生まれてこの方。放任、丸投げ、なすりつけ。それが親の責務だとぬかしやがる両親」なのだと思っているのだ。 

 そう、だから親父達は俺の尻拭いなんて絶対にしない。俺の尻拭いで学校に頭を下げるなんて信じられなかったのだ。

 

 俺の言葉を聞いた親父は怪訝そうな表情で「ああ、そうだ」と言葉を紡ぐ。お袋も親父と同じような表情で俺を見つめている。

 二人の心意が理解できずにいた俺だったが、間違いではないのだからと苦笑いを浮かべて言葉を紡ぐ。

 そして改めて質問の答えを聞こうと言葉にしようとしていると。


「なるほど、な」

「――ッ!」

「……そう言うこと、みたいね?」

「……どう言うこと、なんだよ?」


 突然言葉を遮るように親父が納得の笑みを溢しながら言葉を紡いでいた。

 急に割り込まれたことで言葉を飲み込む俺。

 親父は苦笑いを浮かべて、お袋を見つめる。お袋も親父を見つめ返して同じような表情で同意していた。

 まったく理解できないでいた俺は、怪訝そうな表情で聞き返すのだった。


「……どうも、お前は俺達が教えている親の定義を勘違いしているようだな?」

「……は? いや、間違っていないだろ? 親父だって俺が言った言葉を肯定したじゃねぇかよ?」


 苦笑いのまま紡がれた親父の言葉に食ってかかる俺。そう、間違ってなんかいない。親父だって俺の言葉に肯定したんだ。それなのに「勘違い」って訳がわかんねぇよ……。

 困惑の表情で親父を見つめていた俺に優しい微笑みを浮かべて親父が説明を始める。


「いや、誰も言葉を勘違いしているなんて言っていないぞ? 俺は意味を勘違いしているって言ったんだ」

「……意味?」


 言葉そのものではなくて、言葉の意味。

 とは言え、意味と言われても理解できない俺は聞き返す。


「俺は……いや俺達は、な? 善哉……別にお前だけじゃなくて小豆も智耶も。俺達の子供に対して放任主義だとか、責任を丸投げしたくて、こう言っているんじゃないんだ」

「……」

「ただ、お前達の人生はお前達のものだ。俺達が決めるもんじゃない。だから自分で自分の進むべき道を悩んで選ぶ義務があり、権利があるってことなのさ? 俺達はお前達を信じて、口出しをしない。だが、そう言っても俺達が見守っていたんじゃ萎縮するだろう? 俺達家族は色々と気持ちを押し殺す家系だろうから、な……」


 苦笑いの表情に変えて紡がれた親父の「色々と気持ちを押し殺す家系」と言う言葉に、同じような表情を返すお袋。

 そんな二人を見つめて俺も苦笑いを浮かべていた。

 確かに俺と小豆は過去のトラウマにより自分を押し殺しているかも知れない。誰かに対して引け目を感じて行動しているかも知れない。だけど、それは智耶も同じなんだろう。

 たぶん智耶のシスコンは、辛い時期の小豆を近くで見ていた想いが。俺がいなかったことによる『自分にとっての唯一の姉』と言う事実が。いや、姉は最初から小豆だけですが。あと、香さんは姉だけど姉じゃないからさ。

 まぁ、当時の智耶は本当に小さかったからな。俺達の事情は理解していなかったと思う。だけど純粋に繋がりを断ち切られることを恐れて必死になっていたのかも知れない。本能的にさ。

 そんな感情が、元々あったと思われる『お姉ちゃん大好きっ子』に上乗せされた出来合いの感情なんだろう。


 そう、確かに現在。俺達は全員が自分の意志で行動をしている。自分の信念で正しいと思えることを行動している。でも。

 もしも普通の家庭のように、「木の上に立って我が子を見守る」的な親を目の前にしていて、俺達は今のような行動を取れているのだろうか。

 自分で自分の進むべき道を悩んで選べるだろうか。

 たぶん答えは『ノー』だろう。


 俺達兄妹は過去のトラウマにより、自分の気持ちを押し殺しているのかも知れない。だって他人に嫌われることを人一倍恐れているんだからな。

 だから自分自身で決める行動に、絶対の自信を持てないのだと思う。

 どうしても「相手がよかれと思う行動」が先に頭に浮かぶのだろう。そう言う行動を選ぶのだと思う。

 結果、常に誰かを気にして自分の本心に蓋をしたまま生活をする。

 ……そこに歪みが生じることも知らずに、な。


「……ふっ。だから『木で作った自分の等身大ポップを我が子の前に立てて、本人はその影に隠れてアニメを見る』なのか……」

「……そう言うことだ」


 自責の念で蓋をしていた想いに、自分でも知らぬ間に歪みが生じていたことを実感していた俺は、仮定の俺達を想像して苦笑いを浮かべていた。 

 仮定でしかないんだけど、それでも俺達は兄妹だ。きっと正解なんだと思う。

 そんな結論に至っていた俺は、親父の言った意味の勘違いに気づき、親父に苦笑いを浮かべたまま言葉を送る。

 俺の言葉を受けて意図を察してくれたのだろう。微笑みを浮かべて肯定してくれた親父と、笑顔を向けるお袋なのであった。


 そう、俺達兄妹は無意識に自分の本心を押し殺してしまうのだと思う。

 だから、普通の親のような接し方をされれば確実に『いい子』を演じてしまったのだろう。

 まぁ、親父達自身が気持ちを押し殺してきたから理解しているのだと思う。だから「家系」と言ったんだろう。

 ……うん、父さんのこととか、な。

 それを理解している親父達だからこそ、こんな定義を俺達に言い放ったんだと思う。

 俺達の目の前には、ただの等身大ポップ。親父達は影に隠れているし、アニメを見ているから俺達なんて見ちゃいない。

 放任、丸投げだと理解してしまえば、どうしても自分で考えて、自分の進むべき道を決めるしかないんだ。

 自分を押し殺して相手に合わせる――自分なりに試行錯誤しこうさくごしても、顔色をうかがいたくても、指針ししんとなるべき肝心かんじんの相手が何も反応をしないのなら俺達に正解なんて見つけられるはずはない。

 当たり前だ。俺達が「いい子」を演じたとしても親父達は何も反応を返さないのだから――。

 そうさ、だから俺達は自分で自分の行動を決めなくちゃいけなかった。それが仮に親父達の意向に沿わないことだとしてもだ。だって何も俺達の行動に口を挟まないんだからさ。

 

 そんな生活を、俺が家に戻った直後に宣言されてから数年間。

 我が家では「放任、丸投げ、なすりつけな両親の方針」なのだと、それが当たり前なのだと過ごしてきた俺達兄妹。いや、俺だけなのかも知れないがな。

 だけど、親父達には「親の目や顔色なんて一切気にせずに、自分が正しいと思える行動をしろ」と言う意味があったのだろう。

 自分達がそうだったように、俺達が気持ちを押し殺して後悔をしないように……。


 きっと、こんな両親の方針があったからこそ……小豆は俺を愛してくれたんだと思う。自己アピールを積極的にしてくるのだと思う。そして。

 俺も小豆を愛しているって認められたんだと思うのだ。

 絶対に、親父達が普通の両親だったら。

 俺達は自分の気持ちを押し殺す。いや、兄妹の愛情じゃなくて、男女の意味で愛しているなんて感じなかったのだろう。

 そりゃあ、そうさ。親父達の本心は知らなくても世間一般的な考えで「絶対に親父達を悲しませる」って考えるだろうし、な。

 つまり親父達の方針が、俺達の今の気持ちを後押ししてくれていたってことなのだろう。


「だけど、さ? だったら尚更なおさら、なんで頭を下げてくれるんだ? 口出しはしないんじゃないのか?」


 そんな親父達に向かい素直な疑問をぶつけていた俺。

 いや、定義の意味は理解した。素直に嬉しいと感じてはいる。

 だけど親父達は俺達の行動には口出ししない。そう宣言していたはずじゃ?

 疑問をぶつけた俺に向かい、呆れたような表情の親父は言葉を紡ぐ。


「誰も俺達は口出しをするなんて一言も言っていないぞ?」

「は?」


 親父の言葉に理解が追いつかない俺は疑問の声を漏らす。

 そんな俺の表情を眺めていた親父が優しい微笑みを浮かべて言葉を繋ぐ。


「俺達はお前の行動には口出ししない。だが、な? 俺達はお前の両親だ。息子の信じた道に『俺達の正しいと思える行動』を上乗せするくらいは、親なら誰でもするもんさ? 今回は頭を下げるのが上乗せってことだな?」

「いや、だって――」

「いいか、善哉?」

「お、おう……」


 親父の言葉に食い下がる俺。

 アニメはどうすんだよ? 影に隠れてアニメを見ているじゃないのかよ?

 そんな俺の心意が伝わったのだろうか、俺の言葉をさえぎりながら、微笑みを浮かべて言葉を紡いでいた親父。

 親父の見えない威圧に押されるように言葉を飲み込む俺を見つめて言葉を繋ぐ親父。


「俺達は等身大ポップの影に隠れて見ているって言ってあるだろ? それは壁一枚の場所で待機しているってことじゃねぇか? 別にヘッドホンで音声を聴いているなんて教えたつもりはないんだがな」

「ん? それって?」

「つまりは、お父さんも私も、背中は向けていたけど耳であんた達のことを見守っているってことじゃない?」

「……ああ……」


 親父の言葉に理解が追いつかなくて答えを求めていた俺に、お袋が優しく教えてくれていた。

 その言葉に納得の声を漏らす俺。

 確かにそうだったな……。

 親父達は俺達の行動を信じて口出しをしていなかったけど、別に俺達を気にかけていなかった訳じゃない。ちゃんと見守ってくれていた。間違いを正してくれていたんだ。

 

「そもそも、よ?」

「ああ……」


 俺の表情を満足そうに眺めた親父が言葉を繋ぐ。 


「アニメってのはな、録画も停止もできるもんさ。観たい時に観れるのがアニメってもんじゃねぇか。第一、アニメは気分よく楽しみたいだろ?」

「……あ……ありがとう、よろしくお願いします……」

「おう……」


 満面の笑みを浮かべた親父の一言に全部を理解した俺は、親父の厚意に感謝して頭を下げて懇願する。

 そんな俺の鼓膜に親父の満足そうな声が響いてくるのだった。


 ――ははは……。やっぱり俺は親父達には勝てないな。

 別に「気分よくアニメ観るって、自分の為でしかないじゃねぇか!」って話じゃなくて。


「俺達は気分よくアニメを楽しみたいだけ。それに必要だから頭を下げる。ただ、それだけじゃねぇか?」


 って、そう言われた気がするんだ。

 もちろん、「アニメを楽しみたい」って言うのは比喩ひゆであり。

 自分に納得のできる満足した生活を送りたいってこと。自分の進むべき正しい道を間違えずに進んでいくってことなんだと思う。


 そう、あくまでも今回は俺の責任なんだから、本来ならば無視をしても問題はないのだと思う。俺が「自分で責任を取る」って啖呵たんかを切っているんだし、さ。

 第一、頭を下げるなんて自分の格を下げるってことだからな。息子の為だからって、簡単に他人に下げられるものではないだろう。

 それなのに、そうすることが当たり前。頭を下げることなんて造作ぞうさもないことだと言い切れてしまう。

 自分のことじゃないのに、他人の為に自分を下げる行動ができること。

 そして、それを当たり前だと感じて自分も賛同できること。

 自分なりには成長してきたと思っていた。もう高三だし、霧ヶ峰の長男として「この家を守っていくんだ!」と、そう自覚を持って行動をしてきたつもりだった。だけど。

「俺は、まだまだ親父達の足元にも及ばないんだな?」なんて、サラッと当たり前のように自分を貫き通す親父の言動に、思い直す自分なのだった。


 まぁ、だからと言って親父達に今すぐ勝ちたいとも、勝てるとも思ってはいない。

 と言うよりも、最初から理解していることではある。

 だって俺は親父達の背中を見続けて、憧れて、そして近づこうとしているんだから。

 まだまだ俺の目指す山頂は、相当歩き続けなくちゃいけないってことなのだろう。

 でも、それで、いいんだと思う。なぜならば――。


「そもそもだな?」

「お、おう……」


 頭を下げていた俺の鼓膜に、苦笑いを含ませた親父の声が再び響いてきた。

 視線を戻し親父を見据える俺。

 そんな俺に向かって笑みを溢しながら親父は――


「まずは小豆と一緒に帰ってくることが先だろう? 話はそれからじゃねぇか?」

「……ぁ……」 

「エンドカードまで観終えてから、その先を考えるのが筋ってもんだろうが……」

「……そ、そう、だよな……」


 笑顔のまま、こんな言葉を紡いでいた。

 親父の言葉に苦笑いで答えていた俺。

 そりゃそうだ。これから俺は、『俺達兄妹の柵』って言う作品のクライマックスを迎えるんだ。

 そう、まだまだ本編の途中なんだから。

 って、自分でも理解して言葉にしていたはずなのにな。


 エンドカード……アニメの最終話。

 本編が終わり、EDや提供クレジットが終わり、本当に最後の『ご視聴ありがとうございました』的な締めを観終わってから。

 初めて余韻よいんひたりながら次を考えればいいんだ。そして。

『霧ヶ峰善哉の人生』と言う作品だって……まだまだ何百クールも残っているんだ。

 だから焦る必要なんてない。いつか必ず、親父達に勝ってやるんだからさ!


「……ふぅ。それじゃあ……いってくる」

「おう、気をつけてな? ……」

「ああ……。……」


 部屋の時計を見やると、そろそろ透達に伝えた待ち合わせ時間になろうとしていた。当然、俺が向かう時間を考慮に入れてあるけどね。

 心の中で抱いた決意を新たに、軽く息を吐き出した俺は二人に向かって出かけるむねを伝える。

 親父は俺に声をかけると、無言で右拳を俺の前にグッと突き出してきた。

 だから俺も右拳を親父の前に突き出す。

 そして、同時に前に押し出して互いの温度を感じるのだった。

 言葉に出さずとも伝わってくる親父なりの激励げきれいなのだろう。そして「頼んだぞ?」と言う想い。

 俺は強く頷いて、お袋の方を見つめる。


「玄関まで送るわよ?」

「サンキュー。それじゃ……」


 お袋は微笑みながら「玄関まで送る」と言ってきた。 

 少しだけ恥ずかしさを感じながらも笑顔で礼を伝える俺。そして再び親父の方を向きながら声をかけようとしていた。

 だけど親父は既に背中を向けていた。編集作業に戻ったのだろう。

 とは言え、伝えるべきことは全部伝えた。親父の気持ちは確かに受け取った。あとは俺が行動に移すだけなんだ。


「いってくるな?」

「……」


 だから俺は親父の背中に向かって清々すがすがしい気持ちで挨拶をする。

 そんな俺の言葉を受けて、親父は振り向かずスッと右腕を持ち上げていた。

 親父の背中に微笑みを送ると、俺は何も言わずに踵を返して部屋を出るのだった。

 


「……だけど……あんたって、お父さんの子よね?」

「は? なんだよ、突然……と言うか、確かに俺は父さんとお袋の子で、親父とは血が繋がっていないけどさ? ずっと親父の子じゃないと思っていたのかよ?」


 玄関で靴を履いていた俺に、後ろから見送りに来ていたお袋が言葉を紡ぐ。

 靴を履き終えた俺は立ち上がって振り向くと呆れた表情で声をかける。

 確かに俺と親父は実の親子じゃないけどさ。お袋だって「実の親子」だって思っていたんじゃねぇのかよ?

 まぁ、そう言う意味ではないんだろうけどな。

 そう判断したから呆れた表情でお袋を見つめていた俺。


「そう言う意味じゃないわよぉ? ……」

「……」


 正解らしくケラケラと笑いながら言葉を紡いでいたお袋。そして一度後ろを振り向いてから、再び俺の方へと向き直り、俺に向かって口元に人差し指を立てて軽くウィンクをしてきた。

 たぶん、「お父さんには内緒よ?」ってことなんだろう。俺は無言で頷く。


「ちょうど、お父さんが今のあんたくらいの頃だったかしら……私って中学生の時から、家を勘当されていたのは知っているわよね?」

「あ、ああ……前に聞いたよ」

「……それで、もうレディースを始めていたんだけど。ある日ね? 敵対するチームの罠にはまって、私と明日実だけが相手のチームに囲まれたことがあるのよ」

「え?」


 家を勘当されたことも、明日実さんとレディースを率いていたことも、お袋や明日実さんから話を聞いて知っている。だけど敵チームに囲まれた話は知らなかった。

 目を見開いて驚く俺に、「過去の話じゃないの」と苦笑いを浮かべるお袋。


「そんなピンチの時に助けに来たのが――」

「親父だったってことなのか」

「そう言うこと。もちろん、無事に解決したから今こうして家族になっているんだけど……これが私の恋のキッカケだったのよね」

「そ、そっか……」


 懐かしむような、だけど嬉しそうに話をするお袋に自然と表情を緩めて返事をする俺。

 だけど苦笑いの表情に変えて、お袋は言葉を繋いでいた。


「でもね? その乱闘が原因で……お父さんは高校を退学してしまったの」

「え?」

「しかも、既に柔道で大学の推薦も合格していたんだけど……当然取り消しになったわ」

「……」


 親父にそんな過去があったなんて……。だから俺の退学の話を聞いて、あんな表情をしていたのか。

 こんなことを考えて暗くなる俺に向かって優しく言葉を繋げるお袋。


「当然その話を聞いて、私と明日実は昇さんの前で土下座をして謝ったわ。謝って済む話じゃないのは知っているけど私達にできることなら何でも償うつもりだった」

「……」

「だけど昇さんったら、『俺はただ……君達が、そして俺が。これからも笑っていられることだけが望みなんだ。だから俺は……俺達の幸せを一番大事にしたまでさ。その結果が退学と取り消しだった。きっと、それだけなんだと思うんだ……』なんて満面の笑みで答えたのよ。ちょうど、あんたが言ったように、ね?」

「そっか……」


 お袋の言葉で「あんたって、お父さんの子よね?」と言う言葉の意味を知った俺。

 心の中が暖かな感覚が包み込む。血の繋がりはない、義理の親子だと言う事実。

 それでも俺には、親父の背中を見続けてきた父さんの血が受け継がれているんだ。だから俺には親父の血だって受け継がれているはずなんだ。

 まだまだ追いつけない、そう思っていた俺だったけど。

 無意識に同じ言葉を紡いでいたことで、憧れている親父に半歩でも近づけたような気がしていたのだった。


「それでね?」

「ああ……」


 俺が扉を開こうとドアノブに手をかけると、背中からお袋が声をかけてきた。

 ドアノブを回し切り、少し扉を開けた状態で振り返る俺。


「夕飯のリクエストは、あるかしら?」

「……そうだなぁ? ……あ……」


 そんな俺に恥ずかしそうな表情で夕飯のリクエストを聞いてきたお袋。

 別に「何も、こんな忙しい時に」なんて思ってはいない。だから少し照れた表情で普通にリクエストを考えてみた俺。

 話の流れ的に今晩の食事はお袋が担当するのだが、それは必然的に『俺の食事』も含まれる訳で。

 俺がかたくなに拒絶をしてきたことを知っているから、お袋は俺の答えを求めたのだろう。


 以前の俺ならば今回だって拒否をしていたのかも知れない。だけど。

 今の俺には過去の自責に縛られる念が存在しないんだ。そう、小豆や香さんを始めとする周りの人達に救ってもらったんだからな。

 それに俺は、これから過去を清算しようとしているんだ。柵を断ち切ろうとしているんだ。

 そう、小豆と一緒に再び、この扉を開ける時には。

 俺が家を飛び出す前の『俺達家族の本当の姿』へと戻っていることを願っているんだからさ――。

 何をリクエストしようか悩んでいた俺の脳内で、家族のリスタートにふさわしい一品を思い出していた。

 だから俺は満面の笑みでメニューを言い放つ。そう――


「だったら、俺は……『母さんの作った親子丼』が食べたいかな?」

「……。……ふぅ。……わかったわ……作っておくから早く帰ってきなさい?」

「ああ……」


 母さんの作った親子丼をリクエストしていた俺。

 そんな俺の心意を探るように怪訝そうな眼差しで俺を見つめるお袋。

 だけど直後、軽く目を閉じて息をつくと、目を開け微笑みを浮かべて了承してくれた。

 そんな言葉に嬉しさを感じる俺は同じような微笑みを浮かべて言葉を返すと。


「それじゃあ、いってきます……」

「はい、いってらっしゃい……」


 扉を完全に開いて振り返りながら挨拶をして、一歩家を出る。

 そんな俺に向かってお袋は右手を振りながら挨拶を返してくれていた。

 だから俺も軽く握った右拳を肩上あたりまで突き上げてから、ゆっくりと扉を閉めるのだった。


 母さんの作る親子丼。それは、お袋の十八番おはこであり、俺の一番好きだったメニュー。

 昔は本当、頻繁ひんぱんにリクエストをしていたし、凄く美味しかった。

 だけど俺が家を飛び出して、そして戻ってからも……。

 俺は母さんの親子丼を口にしたことはない。いや、違う。

 お袋のレシピを全部学んでいる小豆が料理をするようになった現在も、だ。

 そう、我が家では親子丼が一切出てこない。別に小豆が作れないとかではないと思う。

 ただ……あいつ自身が作ることを拒んでいるのだろう。


 単純に『親子丼』だとか、『俺の大好物』だってこともあるんだろうけど。

 でも一番の原因は、きっと――

 俺が家を飛び出す前日。あの頃の俺達にとっての最後の晩餐ばんさんかな。

 それが『母さんの作った親子丼』だったって訳さ。

 離れ離れになっていた頃は知らないし、俺の知らない場所では食べているのかも知れないけれど。

 少なくとも、あの日以来、俺の知る限りでは我が家で親子丼が出てくることはなかったのだ。

 だからこそ、俺はリクエストをしたし。お袋も怪訝そうな表情をしたのだろう。

 それは俺と小豆を想ってのこと。二人を苦しませたくないって言う親心なんだと思う。


 ……でもな、お袋?

 今日これから、全部をリセットするつもりでいるんだ。あの日に戻そうと思っているんだ。

 大丈夫……小豆だって、きっと理解してくれるさ。もう、俺はあいつの前から姿を消さない。ずっとそばにいる。

 だって、今の『小豆の隣にいる俺』が本当の俺なんだからな。


 そもそも、だな?

 小豆を甘く見んなよ。相手は小豆だぞ? それも脳みそが、ミソの代わりに、小豆に砂糖とガムシロとメイプルシロップと蜂蜜をかけたような、激甘のミソもどきを使っているような妹なんだよ!

 ……だから、これくらいの塩加減は甘みをきわ立たせる為の必要な要素に過ぎないんだよ。

 そう、だって俺の妹は、『俺が認める』生粋きっすいのアニキオタクな『アニオタ』なんだからさ――。

 

「すぅ、はぁー。……よし! 最後の最後……エンドカードまで、がんばるぞいっ! ……」


 玄関を閉めて向き直った俺は軽く深呼吸をしながら空を見上げる。

 真っ赤な夕焼けが俺の全身を包み込んでいた。もう、後戻りなんてできない。

 いや、進むだけ、進むことを許されたんだ。俺達兄妹の感動のフィナーレに向けての、な。

 俺は胸あたりまで両腕を持ち上げると広げ、左の手の平に右手の拳を打ちつけながら気合いを入れていた。

 そして、ゆっくりと一歩一歩大地を踏みしめ、目的地へと向かう俺なのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る