第6話 心意 と 真意

◇6◇


 玄関の前まで歩みを進めた俺。そして、ゆっくりと右手でドアノブを握る。


「……」


 これで右に回し、回し切れて扉が開けば小豆は帰ってきている。

 回し切れずに途中で止まれば鍵がかかっているってことだから……それは帰ってきていないってことなのだろう。

 基本、学校から家までのルートは俺も小豆も同じだと思う。

 朝は俺の腕にくっついているので当たり前だし、帰りも一緒に帰ってくることがあるから一緒のはずなんだ。

 確かに別のルートだって存在するのだが、きっと一人の時だって同じだろう。

 考え事をしながらとは言え、周囲を見回しながら帰宅していた俺。いや、チラ見程度ですけど。

 だから途中で妹を追い越しているとは思えなかった。

 まぁ、小豆が早退してから俺が早退するまでにタイムロスがあるのだから、追い越しているって可能性は薄いんだけどね。


「……。――ッ!」


 俺はドアノブを握りながら、一瞬だけ躊躇ためらいを覚えていた。

 うん、ここまで来てしまったのだから決意も固めているけど。その先にケジメが待っていることも理解しているさ。

 だけど、やっぱり、な……。

 そんな弱気な自分をふるい立たせるように、目と口を固く閉じ、首をブンブンと左右に振っていた俺。


「……。――ッ! ……ぁ……」


 再び決意を固めて目を開けると、ゆっくりとドアノブを右に回す。

 少しずつ右に回る俺の手の中のドアノブ。そして。

 音もなく回し切れたことを手の平で感じていた俺は、ゆっくりと扉を開けようとする。

 回し切れたのだから開くのは当たり前のことなのかも知れないが、俺は開いた扉に言い知れぬ安心感を覚えて小さな声をらしていた。ところが。


「……あれ? よぉにぃ、どうしたんですかぁ~?」

「――ち、智耶……お前こそ、学校はどうしたんだよ?」


 安心しながら家の中に入った俺を出迎えてくれたのは……小豆ではなくて、智耶なのだった。


 まぁ、別に出迎えてくれた訳じゃなくて、タイミングよくリビングから出てきただけなのだが。

 智耶は俺が、まだ授業中のはずなのに早退してきたことを驚いて声をかけてきたのだが。

 俺自身も妹に同じ考えを抱いて聞き返していたのだ。だけど。


「……何を言っているんですかぁ~? 今日は昨日の振り替え休日だって、よぉにぃも知っているはずですよぉ~?」

「……そう言えば、そうだったな……」


 妹の言葉に今朝のことを思い出した俺は、気まずい苦笑いを浮かべて答えるのだった。


 今日は月曜日なのだが昨日、智耶の通う小学校は運動会が開催されていた。

 我が家としては末娘すえむすめの晴れの舞台を応援しようと、祖父ちゃんも含めた家族総出で応援にけつけていたのだ。

 なお、俺は荷物持ち兼動画担当。親父は荷物持ち兼写真担当。小豆はお弁当兼チアガール担当。

 そして、お袋は……暴走するロリコン祖父ちゃんの飼育担当。うん、お袋が一番大変そうだな。

 だけど家族全員に担当があるので、手を貸せなかったのが非常に……そんな悪戦苦闘あくせんくとうするお袋を眺めて笑いをこらえるくらいに残念だったな。まぁ、過ぎたことなので気にしないでおこう。

 あと、べつに小豆を食べたのではなくて小豆の作ったお弁当を食べただけだし、チアガールと言っても普通に応援していただけだ。って、当たり前の話ですけどね。


 そんな理由で本日、智耶の小学校は振り替え休日なのだった。

 ……うん、今朝の通学時点では俺も覚えていたのだが。一緒に登校していないんだしな。

 まぁ、そもそも俺だって小中の運動会と高校の体育祭を経験しているのだから、振り替え休日くらい熟知じゅくちしているはずなのに――


「あれ? 智耶……早くしないと学校遅れるぞ?」


 なんて、朝食後にリビングでくつろぐ妹に自然と声をかけ、家族全員にあきれた視線を送られたことは内緒にしておこう。

 とにかく朝の時点では俺だって智耶が休みなのは理解していた。

 だけど、小豆のことで頭が一杯だった俺は帰宅した現在、すっかりと忘れていたのだった。


 ――まぁ、そもそもの話さ?

 ライブ参戦するんで自習にした教科担当の先生のせいなのかも知れない。

 そう、今日は月曜日。

 ライブは通常、土日に開催されることが多い。だけど。

 アーティストさんによっては平日の夕方から開催されることもあるのだ。

 まぁ、次の日も学校があるのに当然のように平日ライブの遠征なんて実行できる我が校なんですが。

 当然ながら生徒が実行することなんて不可能だろう。いや、遠征だって無理なのにさ……。

 うん、あの時点で生徒の俺は「今日は金曜日」なのかと錯覚を起こしていたのだろう。

 つまり、昨日が日曜日になるはずもなく、本日智耶は学校だと思っていたのである。

 よって、俺は悪くない!

 ……だけど振り替え休日のことを普通に知っていた俺としては正当防衛が成立しないことを知っているんですけどね。

 

「それより、よぉにぃこそ、どうしたんで……それ、あぁねぇの鞄ですかぁ~?」

「あ、ああ……」

「ん~~~?」


 苦笑いを浮かべる俺に対して、もう一度言葉を紡いでいた妹だったが。

 俺が持っている二つの鞄に気づいたのだろう。すぐに小豆のだと理解して声をかけてきた。

 まぁ、俺が小豆以外の鞄を自宅まで持って帰るなんて考えないだろうし……いや、それ盗難ですから、しないけどもさ。

 智耶が家にいることを失念しつねんしていた俺は隠すこともなく普通に持っていた。

 だから俺は曖昧あいまいに返事をしたのだが、智耶は首をかたむけて俺の背後に視線を移しながら疑問の声をあげていたのだった。

 そう言うことか……。

 智耶の態度で、待ち受けていたのが覚悟の方なのかも知れないと感じていた俺。

 そう――


「あぁねぇは、一緒じゃないんですかぁ~」


 ほらな?

 不思議そうに声をかけてきた妹の言葉で確信していた俺。小豆は帰ってきていないのだと――。

 

「……」

「ど、どうしたんですか、よぉにぃ?」

「い、いや、別に何もないし、小豆も心配いらない――」


 もしも小豆が家に帰っているならば、智耶は俺に「一緒じゃないんですか?」なんて聞かない。

 つまり、小豆は家にいないってこと。あいつを追い越してきた要素が見当たらない俺。だったら、考えられる要因は一つなのだろう。

 確かに「寄り道をしているだけ」って杞憂は残っているのだが。

 あまねるにメールを送って、俺に鞄を持って帰らせることをお願いしていた妹。

 あまねると俺の性格を知っている妹は、お願いをされてから取る二人の行動なんて理解しているはずだ。

 だから俺と顔を合わせたくなくて、どこかで時間を潰しているって可能性だってあるだろう。

 だけど結局俺達は、一つ屋根の下に暮らしているんだ。

 たぶん俺一人で我が家のエンゲル係数の過半数を占めているのだろうが。

 きっと『そこに愛はある』のだろう……。


 とにかく時間をつぶしたからって、俺達は顔を合わせることになるんだ。

 そして、これは自惚うぬぼれじゃないけど……アニオタの小豆が、そんなことをするはずがない。

 うん、中学時代に自主停学常習犯だった俺が妹の『ズル早退』に文句なんて言える権利なんてないけどさ。

 そもそも俺だけじゃなくて、親父達も小豆に対して「たまにはズル休みをしてもいいんだぞ?」と言っているくらいなのだ。もちろん学校だけじゃなくて、家事もだけどね。

 世話になりっぱなしだし、頑張っているのを知っているから、本当に羽根を伸ばしてもらいたいと思っている。

 だから別に寄り道については何も言わない。だけど連絡を誰にもしていないことが許せないのだ。

 そう、連絡さえしているなら寄り道しても何も言わないってこと。

 小豆自身が嫌っている行動。俺も嫌っているのを知っている妹。 

 そんな『誰にも知らせずに寄り道をすること』を俺が許す訳がないことを知っている小豆が、単純に寄り道をしているとは思えないのである。

 つまり、寄り道の理由も行動そのものも知られたくない。そんな状況なんだろうな……。


 まだ俺が中学の頃。まぁ、小豆と離れ離れになっていた頃だな。

 家を飛び出した直後は確かに気持ちにゆとりがなかったけど、保護者である明日実さんに何も言わずに出歩くことはなかった。

 いや、親父達には負の感情を抱いていたけど……明日実さんには恩を感じていたし、心配かけたくない。って、そんな理由とも少し違うのかも、な。

 単純に親父達へ報告されたり、それが原因で連れ戻されたりされるのが困るからだったのかも知れない。

 とにかく俺は明日実さんへの連絡をおこたらなかったのだ。だけど……。

 たった一度だけ、俺は彼女に何も告げずに出かけたことがある。

 それが、『あまねるに小豆を認めてもらう為』に会いに行った時なのだ。

 もちろん、あの頃はもう自分の過ちに気づいて、親父達に負の感情を抱いてはいなかったけどさ。

 純粋に誰にも迷惑をかけたくなかったんだと思う。自分で全部解決したかったんだと思う。

 だから心配するって、絶対に怒られるって理解していても、俺は彼女に――いや、誰にも何も言わずに出かけたのだった。

 透達が居合いあわせたのだって単なる偶然だと思う。

 たまたま近くで遊んでいて、暴れている『あいつら』のことを誰かから聞いて、あの場に駆けつけただけなのだろう――。


 今の小豆の行動に、当時の自分の心境を重ねていた俺。

 もちろん俺は妹じゃないから心意なんて理解できない。それでも俺は確信していた。

 あいつは、あいつなりに全部を知って、自分一人で解決しようとしているのだろう。

 だから誰にも伝えず、きっと彼女達へ会いに行ったのだと思う。

 ……いや、あくまでも俺の推察すいさつでしかない。まだ、そうと決まった訳じゃない。

 だけど理解していることが一つだけある。

 それは「智耶にまで心配をかけることじゃない」ってこと。

 親父やお袋ならば、まだ許容きょようされるかも知れないが……妹にまで心配かけることを、小豆だって許さないだろう。


 だから俺は心配そうに声をかけてきた智耶に、苦笑いを浮かべながら「別に何もないし、小豆も心配いらないぞ?」と、声をかけようとしていた。


「……んお? 善哉じゃねぇか……どうした?」

「お、親父……」 


 そんな俺の言葉をさえぎるようにリビングの扉が開くと、親父が姿を見せて俺に声をかけてきたのだった。

 ……なんで家にいるんだよ? まぁ、昨日の疲れと編集作業で有給を利用したんだろうけど。

 いないと思っていた親父の存在に驚いて、困惑こんわくの表情で声をかけていた俺。

 智耶だけなら誤魔化ごまかそうと考えていたけど、親父相手に誤魔化すのは気が引ける。

 もしも俺の予想通りだったら……親父の耳にも入れておくべきだと判断していた。

 だけど、目の前に智耶がいるし、まだ確定した訳でもない。

 言うべきか、言わざるべきか……。

 決断をにぶらせている俺の雰囲気で何かを察したのだろうか、親父が苦笑いを浮かべて言葉を紡いでいた。


「……まぁ、俺は自分の部屋にいるからよ? 何かあったら部屋に来いな?」

「あ、ああ、わかった……」


 親父の言葉に安心するように表情をゆるめて返事をしていた俺。

 言葉を受けた親父は納得の意味で頷くと、きびすを返して自分の部屋に向かうのだった。


◆ 


 こうして二階まで上がり、小豆の部屋の前まで歩みを進めた俺。そして、ゆっくりと右手でドアノブを握る。


「……」


 いや、鞄を置きに来ただけなのですが。

 とりあえず智耶の疑問は晴れてはいないのだが、親父の登場によって有耶無耶うやむやになっていたのだろう。

 親父が部屋に戻ろうとしていたのを見て、妹は何も言わずにリビングへと戻っていった。

 智耶はかんのいい子だからな。きっと親父の言葉で「自分が詮索せんさくをしてはいけない」ってさとったのかも知れない。って、小豆の事情は俺の妄想の範囲でしかないのですが。

 誰もいなくなった廊下を眺めて軽く深呼吸をした俺は、決意を新たにして二階を目指すのだった。


「……。――ッ! ……ぁ……」


 俺はドアノブを握りながら、一瞬だけ躊躇いを覚えていた。

 いや、だから鞄を置きに来ただけですけどね。

 ゆっくりとドアノブを右に回す。

 少しずつ右に回る俺の手の中のドアノブ。そして。

 音もなく回し切れたことを手の平で感じていた俺は、ゆっくりと扉を開けようとする。いや、これで鍵がかかっていたら恐いんですけど。だって内鍵なんですから部屋の主が不在なのに鍵かかっているとか……。


「――ッ! ……ふぅ。……よいしょっと」


 まったく意味のない恐怖を勝手に抱いて、背筋に冷たいものを感じていた俺。実際、普通に開いたのにな……。

 ただ、そのおかげなのかも知れない。変に意識していた緊張も、首をブンブンと左右に振ったおかげで振り払われたようだ。

 軽く息をつくと部屋の中に歩いていき、小豆の鞄を机の上に置くのだった。


「……」


 本来ならば目的も済ませたのだから、早々に部屋を退出するべきなんだと思う。

 妹とは言え、『女の子の部屋』に年頃としごろの男子が長居ながいをするのは正直気分のいいものではないのだろう。……うん、俺自身が。

 まぁ、自分の部屋も『ほとりちゃん達』と言う女の子の部屋に間借まがりをさせてもらっているようなものなんだけどさ。

 一応、彼女達よりも俺の方が長い時間住んでいるし、家財道具は俺の私物しかないので慣れたのかもな。

 そもそも、アズコンを認めた今では小豆の部屋も、香さんやあまねると同じ『愛する女の子の部屋』に分類されているのだ。心臓バクバクで落ち着ける訳がなかろう……。 


 ついでに説明すると、妹は別に俺が勝手に自分の部屋に入っても何も思わない。いや、むしろ――


「お兄ちゃん……私の部屋のクローゼットの中のタンスの二番目の引き出しに入っているからね? ……タンスの二番目の引き出しに入っているからね? ……あっ、でもぉ……恥ずかしいからぁ~、私のいない時に自由に取りに来てぇ~、使い終わったら洗濯カゴに返してくれれば大丈夫だからぁ~」


 などと以前、顔を真っ赤にしながら伝えてきたくらいだ。

 いやいやいや、見たことないので何が入っているのかは知りませんけどね。ほ、ほんとうだよ?

 まぁ、クローゼットの中のタンスだけじゃなくて、何か用事があったら部屋に「自由に入ってもいい」と言っている妹。

 うん、自分は俺のいない時でも勝手に俺の部屋に入るんだし。って、掃除とか洗濯物をたたんで持ってきてくれたりなので文句なんて言えませんけどね。いつもありがとうございます、小豆さん。

 そんな理由で、俺が小豆の部屋にいることは問題ないんだけどさ。目的があったのだし。

 だけど、お兄ちゃんが恥ずかしいので早々と立ち去りたかったのである。


「……うーん――げっ!」 


 なん、だけど、さ。

 俺は鞄を置いてからも数分間ほど、部屋の中を見回していたのだった。

 別に思い出したようにクローゼットの中のタンスが気になったのではない。まぁ、この時は『そんな余裕』なんて感じていないのだから当たり前なんだけど。

 心に引っかかっている杞憂が俺を部屋に踏みとどめていたのだろう。

 そんな風に部屋の中を見渡している俺の視線の先。机の上に置いた小豆の鞄に異変が起きた。

 いや、変な置き方をした覚えはないんだけどな。

 突然安定感を失い、鞄が机の上から落っこちそうになっていたのだった。


「――てりゃ! うごっ! いてててて……っと、申し訳ありませんでした! ……ふぅ、あぶねぇあぶねぇ……」


 あわてて鞄を受け止める為に、俺は落下地点目指してスライディングキャッチをこころみた。

 何とか間に合い、鞄を落とさずにキャッチはできたのだが、勢いあまって机の隣に設置されているDVDが収納されている棚に激突げきとつする俺。

 その反動で何本かの円盤が俺の頭部に降ってくる。激痛にさいなまれる後頭部をさすりつつ、眼前の乱雑に降臨された作品に向かって、鞄をわきに置いてから全力全開の土下座をして謝罪をする俺。非は素直に認めないとな。 

 謝罪を済ませた俺は視線を脇に移して、とりあえず鞄が無事なことに一安心するのだった。まぁ、円盤と言う二次災害がありましたけどね……。


 俺は小豆の鞄を持って帰ると言う使命を受けた。だがしかし。

「帰るまでが遠足です」と、小学校の頃に先生が言っていた言葉。

 そう、小豆の手元に戻るまでが使命なのである。

 つまり、小豆の手元に戻らない間の過失は俺の責任なのだと思う。うん、こんな俺の招いた責任で、小豆の望む責任を取りたくはないので過失は遠慮しておきたいところだな。

 そもそも、小豆の鞄の中には弁当箱が入っているからさ……こんなもの壊したら大変なんだよ。家族の総意で責任を取らされちまうじゃないか。

「小豆の嫁入り道具を壊したんだから……お前が嫁にもらうしかないじゃないか?」とか、なんとか……。

 いや、嫁入り道具を学校で使わせんなよ!

 そんな理由で俺は焦っていたのである。


「えっと……うん、大丈夫そうだな……ん?」


 鞄の無事を確認して安心しながらも、二次災害の円盤の被害状況を確認してみた俺。

 まぁ、円盤はな……『代用品』があるので心配はしていないんだけどさ。うん、俺の部屋の円盤と交換すれば問題ないし。

 しかし、どうやら無傷のようだ。これなら戻すだけで問題ないのだろう。

 状態を確認した俺は元に戻そうと巻数をそろえて棚に入れようとしていた。その時。

 俺の視界の先――落ちたことで作られた円盤の収納場所の空間。棚の奥に『何か』があることに気づくのだった。


「なんだ、これ? ……」


 本来なら、小豆の部屋の棚だ。奥に何かが隠されていたって、「俺が勝手に調べてもいい」なんて道理どうりはない。

 まぁ、当たり前だよな。意図的に隠されている可能性もあるんだからさ。そんなものを勝手に見られたくはないだろう。

 ……俺も年頃の男子なので本来ならば『その手の意図的に隠しておきたいもの』が存在するのだろうが。

 不本意ながら俺の場合は、その手の代物を『小豆と共有している』ので存在しないのである。

 さすがに小豆自身は所持していないけど、紙媒体ばいたいの『ロマンティックブックス』は妹の脳内で共有されているのだ。

 って、そんな悲報を知らされた翌日に『ロマンティックブックス』を処分したのは言うまでもない。

 ただ、唯一の救いは……俺は『実った果実』が大好きな点なのだろうか。まぁ、それが妹を増長ぞうちょうさせている原因かも知れないが。

 処分しても代用品を提供してくるので特に困ることもないのである。うん、お兄ちゃんってば、まったく救いようがないね。どちらかと言えば、お兄ちゃんを増長させている気がしなくもないが気にしないでおこう。


 とにかく、そんな理由で隠しておいても全部知っているからさ。意味ないんだよね。

 とは言え、心理的な話でなら理解できている。見られたくないって部分はな。

 だから隠されているものを俺が調べるなんて、絶対に間違っていることだって理解はしているんだ。

 でもさ? 

 なんとなく胸がざわついたんだよ。その『何か』を見ていて、不安な気持ちがあふれていたんだよ。

 ずっと心に残っている……知りたかった真実が、その『何か』に隠されているって思えていたのかも知れない。

 俺は思わず疑問の声を発してから、空間を広げる為に周りの円盤も取り出していた。

 そしてひらけた棚の奥。その何かは『封筒』のようだ。

 俺は眼前に広がる棚の奥に隠された手紙らしきものを、ゆっくりと右手でつかんで自分の方へと引き寄せるのだった。


 引き寄せながら一瞬だけ、「本当に隠しているのかも?」なんて疑問を覚えていた俺。

 もしかしたら、「俺に見せられない『本当のラブレター』なのか?」って思ったんだけど。

 小豆の性格上、そんな真剣なラブレターを粗末そまつに扱う訳はないだろうって判断をしたのだった。

 そう、俺に見せられるラブレターをファイルに入れているのは、別に『俺用』のファイルを作ったから、ついでに自分のもファイルに入れたのではない。

 自分の分を大切に保管する為にファイルしていたからに過ぎないのである。……普通、それだけで十分だと思うのだが。

 つまり、もし仮に本当のラブレターがあるのだとしたら、きっと大事に保管されているのだと思う。こんな風に棚の奥になんて隠していないはずだ。


「……あ、もしかして? ……」


 そんなことを考えていた俺は、あることを思い出していた。

 うん、あいつが粗末に隠していても問題ないだろうって手紙……いや、あんな手紙は、とっくに捨てていると思っていたんだけど。

 俺が昔、妹に送った手紙。単純に捨てるのも忘れていたのかも知れない。

 封筒の色合いからして「あの手紙なのでは?」と考えていた俺。

 

「って、違うのか……ん? ……」


 だけど手元に引き寄せた手紙には、小豆の名前が印字されていた。俺のは直筆だから即座に違うと理解する。

 ――だよなぁ、俺の手紙なんて捨てたんだろうなぁ。

 そんなことを思うと同時に、むなしさに支配されそうになる心を無視するように裏面へと視線を移していた俺。

 だけど差出人の名前は書かれていなかった。まぁ、俺も書かなかったんだけどさ。

 結局、後ろめたい気持ちがあったからな……差出人の名前が書けなかったのだ。

 あの時の俺の心境と、この手紙を重ねていた俺は再び胸のざわめきを感じていた。

 もちろん、俺の手紙だけなら単なる偶然。ただの勘違いだと笑い飛ばせるところなのだが。

 昼休みの香さんに見せてもらった手紙。うん、あれも印字だったからさ。タイミング的に笑い飛ばせる状況じゃなかったのだと思う。

 俺は苦虫をみ潰したような面持おももちで、ゆっくりと封を開け、中の手紙を取り出していたのだった。


◇7◇


「……」


 俺は手紙を読みながら、苦痛の表情に怒りの表情を含ませて文字を追っていた。たぶん智耶が目の前にいたら泣き出していることだろう。

 でも、いたとしても泣き出したとしても。今の俺には妹を気遣きづかえる余裕なんてないのだと思う。

 それだけ目の前の文章に敵意を感じていたのである。

 

 正直、香さんに見せてもらった手紙。そして、あまねるに教えてもらった小豆への仕打ち。

 そんなものが可愛いと思えるほどの内容だと感じていた。

 書かれている内容で『彼女達からの手紙』だと判断していた俺。

 まぁ、確かに間接的な話と直接的な話だって違いはあるんだけどさ。あまりの理不尽りふじんさに腹が立っていたのだった。


 そう、完全に小豆を悪だと決め付け、完全に妹の全部を否定している――俺にはそう見える内容。

 いや、妹だけじゃない。今回は、あまねるの『今』ですら否定しているようなものなんだ。

 そんな……『愛している二人』を侮辱ぶじょくされて気分がいいはずはないだろう。


「――ッ!」


 まして、同封されてきた写真に胃の内容物が逆流しそうになっていた。


「……ふぅ。……いや、こいつら頭おかしいんじゃねぇか? 何がやりたいんだよ? と言うよりも、お前らの方が『下劣で低俗で幼稚な嗜好でしか自分を満たせないような』やからなんじゃねぇかよっ!」


 何とか逆流をおさえて写真を見ながら顔を歪ませて、思わず文面を拝借はいしゃくして言葉を吐き出していた俺。

 たった一人の排除はいじょに、こんな大量のアニメ関連のグッズを大破たいはするとか正気の沙汰さたとは思えない。

 そもそも直接的な近接攻撃とは違い、どこか安全な場所から狙う――いや、人質を盾にしながら狙う遠距離射撃では小豆に限らず誰も対処することなんて無理だろう。

 そう、匿名の印字での手紙では首謀者しゅぼうしゃなんて特定ができないのだから――。


 うん、こう考えても……あまねるは凄いんだなって思う。

 確かに彼女も小豆に同じことをしていたって話は本人から聞いていた。それでも『やり方』が決定的に違うのだ。

 まぁ、彼女の場合は『アニメに対する考え』が高尚すぎただけなのかも知れないけどさ。


 当然だけど、こんな人質を盾になんてしない。いや、そもそも。

 彼女はみずから小豆の同級生の元を訪ねて、妹がアニメを好きであることを伝えて、その愚かさを説いていたのだ。

 そして彼女は自分の身分を明かしていた。本人を知らなくても名前を聞けば誰でも知っているレベルの有名人だからな。

 そんな彼女が、わざわざ出向いて切実に小豆を非難していれば、誰だって真摯に彼女の言葉を受け止めるのだろう。

 つまり、全員が彼女の言葉を信じていたって訳さ。

 まぁ、だから簡単に俺の元にも情報が入ってきたんだろうけどね。


 なお、改心した彼女は……これも当たり前かも知れないけれど。

 全員の元を再び訪ねて、頭を下げて謝罪をしながら撤回を懇願していたそうだ。

 それも「私の勝手な勘違いでした」と言う、小豆がアニオタだと言ったのは自分の勘違いだった――

 そんな風に自分の非として謝罪していたらしく……それを聞いた、いじめをしていた同級生達も自分達の行動を反省していた。

 確かに当人達にとっては『あまねるが説いたこと』なのかも知れない。自分達には非はないって思う人間がいても何もおかしいことではないのだろう。

 それでも実際には、「いじめをしていたのは自分達なんだから」と、全員が深く反省をしていたのだと言う。

 まぁ、確かに彼女に言われたことだとは言え――

「それを信じてしまい、勝手に実行に移していたのは自分達なのだから」

 ……なんて表向きの言葉を同級生達は、あまねるには伝えていたらしい。

 うん、実は今までの同級生達の心意部分は「あまねるに伝えられた」表向きの心意でしかないのだった。



 これは小豆が同級生達から直接聞いた『真意』――俺も関係したことだからと、妹から教えてもらった真実。

 実のところ、確かに「あまねるの言葉には心を打たれた」と言っていたらしい。

 アニメに対する考え方には感銘かんめいを受けたのだと言う。

 だけど別に妹に嫌悪感なんて抱いていなかった。いじめをするような感情はまったく感じていなかった。

 そもそも彼女は別に「いじめなさい」なんて言っていない。ただ、愚かさを説いていただけなのである。

 うん、親父達世代みたいに一昔前までなら知らないけどさ。

 今って、アニメやアイドルも普通に露出されていると思う。そう、普通になりつつあるのだろう。別に嫌悪を抱いたりとか、隔離かくりするような害悪だなんて思っていなかったってことなのだと思う。


 同級生達があまねるのアニメに対する考え方に感銘を受けた理由。

 そんなの全員がアニメを好きだからに決まっているだろ? 

 アニメに嫌悪感を抱いているなら、どんなに素晴らしい考えだって馬の耳に念仏だからさ。最初から聞く耳なんて持っていないってことさ。

 アニメが好きだから彼女の言葉を聞いて、その考えに感銘を受けたってこと。

 つまり、アニメ好きが小豆のアニメ好きだって話を聞いたところで嫌悪感なんて抱く訳がないのさ。

 どちらかと言えば、話を聞いて「友達になりたい」と思っていたらしい。

 いや、転校直後。当時の小豆はからに閉じこもっていたらしいからさ。もちろん、日常会話くらいはしていたらしいけど。

 特にアニメが好きだからと言って嫌悪感を抱いていない同級生達。いや、むしろ「お近づきになるキッカケになるのでは?」なんて考えていたようだ。 

 

「時雨院さんには申し訳ないんだけどね……」


 小豆に話をしていた時、本当に申し訳なさそうにしながら同級生が話してくれた心意。

 自分達だってアニメが好きだ。それが悪いなんて思っていない。


 だから――

「アニメはきちんと人生経験を積み重ねて自立をし、物事の分別がつけられて、真摯に作品を受け止められるような大人がたしなむもの」

 なんて彼女の考えは容認できなかった。


 まぁ、正直俺だって当時の彼女の考えは容認できないと思う。

 根本的な部分は違っても……結局、言われる側からすれば「アニメを嗜むことは悪いこと」だと突きつけられているのと変わらないんだからさ。

 それを簡単に受け入れることはなかったのだと言う。

 そう言う意味で。

 同級生達は「どうせ彼女は外部の人なんだから……校内でしたしくする分には耳に入らないだろう」と言う結論に至っていたらしい。

 そう、表向きだけ賛同したように見せておいて、裏で小豆と仲良くアニメを楽しもうとしていたのだ。

 うん、恵美名えみな宇華徒うかとでは、いくら彼女でも目は届かないだろうからって。

 ところが、そんな矢先――。

 同級生達は揃って妹をいじめることになる。とは言え、心変わりをしたのではなく……いじめることを余儀よぎなくされていたのである。


 ああ、うん……『彼女達』が、さ。こころよく思っていなかったって話さ。

 あまねるが訪ねてきた翌日、同級生達の前に現れて――


「時雨院様は大層たいそうお怒りのご様子です。このままでは、あなた方だけでなく『ご家族』にまで矛先ほこさきが向かう恐れがあります。ご家族ともども路頭ろとうに迷わない為にも……時雨院様の悩みの根源こんげんであります『霧ヶ峰さんを徹底的に排除すること』を進言しんげんいたしますわ……えぇ、心優しい時雨院様でも、あのご様子では早い段階で決断することでしょう。私どもも皆様の為に何とか決断を鈍らせるつもりですが、あまり役に立てないかも知れませんので、お早めによろしくお願いいたしますわね?」


 などと、最終宣告を突きつけてきたのだと言う。

 当然だけど、あまねるが怒っている訳ではなく、彼女の力で同級生達の家族全員を路頭に迷わせることも不可能だ。いや、御両親がそんなことをするはずがない。って、本人もですけどね。

 つまり、妹を毛嫌いして排除したかった彼女達が、あまねるを利用して仕向けていたってことさ。

 まぁ、彼女と家族ぐるみで仲良くしてもらっている今の俺だから、彼女達のうそだって理解しているんだけど。

 あまねるのことを知らない同級生達は、話を聞いて全員が顔を青ざめていたのだった。

 

 彼女を知らないと言っても全員が彼女の家は知っているからさ。

 お嬢様であり、財閥の次期当主である彼女。実際、一度会った時に高貴で冷徹なオーラを感じていた。

 つまり表面しか知らない同級生達にとって、彼女達の言葉を疑うすべなんて存在しない。

 彼女達の言葉を信じ込み、あまねるならば「やりかねない」と判断していた同級生達。

 あとは単純に本人達が彼女に隠れて小豆と仲良くなろうって、まぁ、そむこうとしていた後ろめたさもあったんだろうな。

 これが、まぁ……小豆にとっての『いじめの始まり悲劇の幕開け』だったってことなんだと思う。

 

 そんな風に始まった小豆への仕打ち。当然あまねるの耳にも入っていたのだろう。

 まぁ、当時の彼女は話を聞いても――


「やはり彼女が愚かだから、当然のむくいを受けているのですわね」


 なんて、冷たく嘲笑あざわらっていたそうだ。

 でも、小豆と親友になり、改心した彼女は――全部を「自分が引き起こしていた」のだと、「自分に責任がある」のだと感じていた。

 彼女が恵美名高校を受験するって決意表明をした日。俺を呼び出して俺に打ち明けていた『自分の罪』と言うのは、実際には彼女が率先そっせんして仕向けていたものではない。

 彼女は愚かさを説いていただけであり、実際に同級生達が小豆へ敵意を向けたのは『彼女達』が突きつけた嘘の言葉のせいなのだった。

 だけど真実を知らない彼女は、あの時俺に――


「私の言動で周囲に小豆さんをいじめるように仕向けていたのです。そうなるように敵意を抱かせていたのです。私自身は愚かさを説いていただけで、特に彼女へ被害を与えるように仕向けていたのではありませんが……結果的に敵意を抱かせてしまったのでしたら、それは私の責任です。そもそも、その話を聞いても、なお……『いじめを受けるのは彼女が愚かだから当然の報いなのだ』なんて嘲笑っていたのですから、完全なる私の責任だと思うのです」


 妹が受けた周囲からのいじめも、自分が仕向けたものだと認識していた。自分の罪だと考えていた。

 確かに、そう打ち明けていたのだった。


 なお、この真実について小豆は同級生達が謝罪をしていた時に知らされていたらしいが。

 俺が教えてもらったのは小豆が受験を終えて、合格通知が届いてからの話だった。いや、受験に集中したかったのだろうから特に何も気にしていないけどさ。

 そう、あまねるの打ち明けた『自分の罪』を聞いた時には何も知らなかったんだよ。だから彼女が仕向けていたんだって思っていたってことなのさ。


 そして、同級生達についてなんだが。

 あまねるが怒っていると、路頭に迷いたくないと、自分達の保身で妹を排除していた。

 なのに、怒っているはずの本人が再び出向いてきて頭を下げて謝罪をしている。自分の勝手な勘違いだと伝えてきている。

 そこで思い出したのだろう。

 あの時……あまねるは決して怒りに任せて小豆の愚かさを説いていたのではないと。

 別に妹を嫌っているような素振りではなかった。ただ、自分の信念にもとづいて、妹の間違いを正していただけであることを。

 それに、アニメを害悪なんて言っていなかった。むしろ誇るべきものだと思えるような口ぶりだったことを。

 純粋にアニメに対する高尚な自分の考えを説いていただけだと。

 だからこそ、自分達も感銘を受けられていたのだと――。


 目先の恐怖に思考回路が麻痺まひしていたから、まんまと彼女達の口車に乗せられただけではないのか?

 目の前で悲愴ひそうな表情を浮かべて撤回を懇願する彼女を見つめながら、そんな考えに至っていた同級生達。

 どちらにせよ、彼女が撤回を懇願している以上、妹を排除する理由がなくなった。だけど。

 それで今までの仕打ちが消える訳ではない。

 彼女の心変わりなのか、口車に乗せられただけなのかも知れないが、それで自分達がしてきた行為が許されるものでもない。

 普通に「なんか時雨院さんの勘違いだったみたいだから……もういじめないから許してね?」で済む話じゃないことくらい全員が理解していること。

 自分の非を素直に認めて頭を下げた彼女の真摯さを見ている同級生達なら特に感じていたのだろう。  

 そんな理由で全員が妹に謝った。すべてを打ち明けて謝罪をしていた。

 当然ながら妹は快く許して、すべてを水に流したのだった。


 元々、あまねるに対して許していた小豆。だから同級生達にも同じ気持ちで許したのかも知れない。

 だけど、確かにあまねるに対しては「俺の願いだったから」って部分が大きいのかも知れないけど。

 いや、俺はただ……彼女に妹を認めてほしかっただけ。簡単に言えば、もう危害きがいを加えることをやめてほしかっただけなんだ。

 もちろん、あまねるの方が解決したら同級生達にもお願いをする予定だった。

 だけど俺がボロボロになって動けない間に――。

 あまねる自身が幕引きを済ませていたのであった。なんか、俺なさけないね。

 つまり、俺としては……確かに妹に負の感情を抱いて生活してほしくなかったから、全員を許してあげてほしいと願ってはいたさ。

 でも当事者でもない俺が被害を受けていた本人に向かって「すべて許して水に流せよ?」なんて言える訳がないだろ?

 そう、小豆があまねるや同級生達を恨んでいたとしても、俺が苦言くげんを申し出ることはできやしないんだ。なのに。

 小豆が、あまねるや同級生達を当たり前のように水に流して許していることが信じられなかった。

 あまねるにしろ、同級生達にしろ。小豆が受けたダメージは大きかったと思うんだ。だから俺は――


今更いまさらだし、あまねるや同級生達を悪く言うつもりじゃないから、こう言うことを聞くのは、お前に対しても失礼なんだけど、さ……俺が望んだことだったとは言え、あまねるや……まして同級生達のことを、よく簡単に許せたな? 相当、ひどかったんだろ? いじめ……恨んだりとか、しなかったのか?」


 なんて、当時の話をしていた時に疑問を口にしていた。

 確かに小豆にとっては古傷ではあるけれど。

 とっくに思い出話へと変わり、過去の古傷が痛みを感じないくらいには二人の今の時間は幸せに満ちている。だから普通に話題にすることもあるのだ。

 うむ、俺が家を飛び出していた頃の話なんかも同じなのだ。

 たぶん二人にとっては『思い出の共有』を望んでのことなのだろう。


 そんな俺の言葉を受けた小豆は、俺の右腕から顔を離して俺を見上げる。ああ、いつもの時間中に聞いたから。

 すると苦笑いを浮かべながらも言葉を紡いでいた。


「あぁ、うん、確かに、ね……あの頃は辛かったしぃ、悲しかったしぃ、自暴自棄じぼうじきおちいっていたから周りのすべてから逃げ出したかったんだけどねぇ~?」

「ああ……」


 小豆の言葉を聞いて、表情を曇らせ返事をしていた俺。

 もちろん妹の心情を察して悲愴をつのらせていたんだけど、それ以上に。

 当時、そんなに辛かった妹を守ってやれなかった、一緒にいてやれなかった。

 そう言う自責の念が俺を支配していたのだと思う。

 そんな俺の表情から心情を察したのだろうか、小豆が優しい微笑みを浮かべて言葉を繋ぐ。


「でもね? あのできごとがあったから……きっと私はお兄ちゃんに『帰ってきて』って、自分の意志を伝えられたんだと思うの」

「……」

「きっと、あのできごとがなかったら……今、こうしてお兄ちゃんを見上げられなかったんだよぉ? だから私にとっては大事な思い出なの」

「そう、か……」

「うん……だから雨音ちゃんにしても、クラスのみんなにしても……あのできごとは、私にとってのターニングポイントだったんだよね。自分で一歩前に踏み出す為のキッカケだったんだよ? うん、感謝こそすれ、恨むことなんてないんだよねぇ」

「……」


 小豆の言葉に嘘はないのだろう。見える妹の表情が俺に、そう伝えていた。

 そんな俺の顔を真っ直ぐに見つめて頬を赤く染めた妹は言葉を繋ぐ。


「たぶん私にとっては……お兄ちゃんが帰ってきてくれたことが、一番嬉しかったの。うん、そのキッカケを与えてくれたんだから、みんなには感謝をしているんだよ。だから恨んでいないとか、許したとかじゃなくて……もう、あの時……私のそばにはお兄ちゃんがいたから。私はお兄ちゃんの妹――お兄ちゃんさえいれば私は自分の方から踏み出して、みんなに許してもらおうって頑張れたんだと思うの。だけど、向こうから水に流してほしいって言われたから、してもらっただけなんだよぉ」

「そ、そうなのか……なるほど、な……」

「うふふふふぅ~♪」


 小豆の言葉を受けて、全身が熱くなって暴走しかけた気持ちにあらがうように。

 苦笑いを浮かべながら答えていた俺は、暴走した熱を放出するように、小豆の頭へ手の平を乗せて左右に動かしていた。

 頭を撫でられて、ご満悦まんえつな面持ちの妹を眺めながら心を落ち着かせていた俺なのだった。


 こんな経緯があり、全員に感謝をして水に流してもらっていた小豆。

 まぁ、だからこそ……小豆は今も変わらず生活ができるんだと思う。

 うん、大半の同級生は他の学校に進学しているんだけど、数名は我が校に入学しているからさ。

 仮に有耶無耶にしたままなら、高校に入学しても不穏ふおんな空気は簡単にはぬぐえないだろうから……。

 要は中学時代に「全部なかったこと」にして元に戻っているから、こうしてアイドルとして生活できているのである。


 ……たぶん高校に入学してから、俺の存在を知った小豆の中学時代の同級生は。


「ああ……彼女がアニオタに思えたのは単純にお兄さんの影響なだけで、本人は全然そんなことはないみたい……きっと、そんな部分を時雨院さまは勘違いをしたのかも? そうだよねぇ……心優しい二人だから、お兄さんの趣味を尊重そんちょうしているだけなんだよね――そう、悪いのは全部お兄さんなんだわ!」


 なんて、勘違いを上書きしてくれたのだろう。いや、知らないけどさ。

 あまねるは高校入学当初からアニメ好きを公言していたけど、小豆は何も言っていない。

 すでに中学時代のアニオタ疑惑は、あまねるの勘違いとなっていた。全員が彼女の言葉を信じていた。

 だから中学の同級生達も、他の何も知らない生徒達と同じように、誰も小豆をアニオタだなんて見ていなかった。あくまでも俺の影響なんだろうと考えていたのだと思うのである。


 ……正直、戻したくはない現実ではあるのだが。覚悟を決めて話を戻すとしよう。

 

◆ 


 こんな風に、本当に姑息こそくで最低な、彼女達の仕向けた手紙に心底腹を立てていた俺。

 だけど、俺の怒りは実のところ『そこ』じゃないんだ……。


「……くそったれ……最低だ……本当にクズじゃねぇか……何考えてんだよ……」


 俺は手紙の『一点』を眺めて、怒気を含んだ声色こわいろ悪態あくたいいていた。そして。


「……なんで異変に気づいてやれずに楽観していたんだよ! なんで注意を怠っていたんだよ! 不自然だって理解していたじゃねぇか! なんで、『あの時』気のせいだとか思っちまったんだよ、俺!」


 あの日、自分でも妹の不自然な行動に疑問を覚えていたはずなのに、そのまま放置してしまった自分に向かい叱責しっせきするのだった。


 手紙の『一点』――文面の最後に、日付が書かれている。

 もちろん、俺が受け取った手紙じゃないから『彼女達が手紙を書いた日』なのか『妹に届けられた日』なのかは理解できない。

 それでも俺には『妹に届けられた日』なのだと思えていた。

 宛名だけ、それも匿名の手紙ってことは我が家のポストに直接投げ込んだってこと。だったら届けられた日付だって書くことは可能なのだろう。まぁ、正解は知らないけど、きっと正解なのだと思う。


 手紙の最後に書かれている日付。

 この日は俺が小豆の誕生日プレゼントを買いにアキバに行った日。

 そう、帰宅直後に起きた『小豆の普段ならしない不自然な行動』のあった日だ。

 いや、そもそもアキバにいた時の小豆からの電話すら不自然なのかも知れない。

 確かに昼休みの『あんなこと』があった直後だったとは言え。

「声が聴きたくて」なんてことを妹が口走るはずはないんだ。

 俺が妹や親父達の円盤を買ってくる。まして誕生日プレゼントを買ってくるのを知っているんだからな。

 そんな状況の俺をねぎらうことはあっても、自分の欲望を押し通すような妹ではない。

 ……うん、今思えば。

 あの時の小豆は明るく振舞ふるまってはいたが、少し雰囲気が違っていたのかも知れない。単純に夕飯の準備で忙しかったとか考えていたんだけどさ。

 

 つまり、直前に手紙が届き、読んで心が押し潰されそうになって。

 俺に助けを求めていたのかも知れない。帰宅直後もそうだ。

 それでも俺に迷惑をかけないようにと、自分で解決しようと、無理にでも明るく取りつくろっていたってことか……。


「何が守ってやるだよ! 何も守れていねぇじゃねぇかよ! すでに、ずっと……苦しんでいたんじゃ、ねぇ、か、よ……それなのにそれなのにそれなのに……」


 自分が覚悟していた以上の現実を突きつけられ、悲愴の表情で床に両手を突き、床をにらみながら一人つぶやく俺なのであった。 

 

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