第●話 君が帰る場所 ~色違いのピース~

※最新話で彼の読んだ匿名の小説になります。 

 その為に作風が変わっておりますが、ご一読いただければ幸いです。


『君が帰る場所 ~色違いのピース~』 作 こるこん あしお



 あなたには帰る場所がありますか?

 突然の質問に驚いたかも知れませんね。ごめんなさい。

 でもね、少し考えてみて?

 あなたの帰る場所。最初に思い浮かべたのは、どこでしたか?

 自分の家? それとも故郷の家?

 普通『帰る場所』って聞かれたら、家を思い浮かべますよね? 

 以前の私も、その質問をされたら、たぶん自分の家と答えていたはず。


 だけど、本当にそうなのかな? 

 家みたいに、目に見えるものだけが帰る場所って言えるのかな? 

 目に見えないけど心が休まる場所。そんな風に思える場所が必ずあるはずだから――。


 あなたには帰る場所がありますか?

 あなたがもしも、以前の私と同じ答えに行き着いたのなら、この言葉の本当の意味に早く気づいて欲しいな。


 ――でもなんで突然こんな質問をしたかって? 

 それは私のした奇妙な体験が関係しているの。

 その体験をキッカケに私は、目に見えないけど『心の休まる、私だけの帰る場所』の存在に気づけたから。


 この奇妙な、そして私にとって心の奥が暖かくなる体験は、ある一人の女の子に出会うところから始まります。 








 曇り空の昼下がり。誰もいない公園を、私は一人俯きがちに歩いている。

 立ち止り、見上げた空。今の私の気持ちを映したかのような、灰色の大きな雲に覆われていた。

 再び俯き、足を前へ出す。目的などない。ただ交互に足を出しているだけ。

 ――どの位歩いていたのだろう。

 ふと足を止めて、時間を見ようと鞄から携帯を取り出して見つめる。

 待ち受け画面には時計を示す数字だけ。

 着信はもちろん、メールの受信すら来ていない。

 私はやるせなさを覚えて、表情を歪ませながら携帯を閉じたのだった。


 少し歩き疲れたのかもしれない。視界の先にベンチを見つけた私。

 吸い寄せられるようにフラフラと近づき、ベンチに腰を掛けた私は一呼吸をすると、もう一度空を見上げていた。

 灰色だった雲もすっかり黒へと、今にも雨が降ってきそうな天気に移り変わっていた。


「もう、どうでもいいや……」


 私は誰に聞かせるでもなく、そう呟いていた。

 数時間前に七年近く付き合っている彼と大ゲンカをして、この公園に逃げてきたことから、逃げるように――。


 きっかけは本当に些細なこと。

 でも、七年の間に少しずつたまっていったすれ違いの気持ちが、二人の間にできた溝を修復することはなかった。その結果がこれ。

 追いかけてくれるどころか、電話すらかかってこない。

 心の奥から悲しみがこみあげてきていた。


「……この悲しみは、あんな奴の為じゃない。自分が立ち直る為に必要なことなんだ」


 そう自分に言い聞かせるように呟いていると、肩を濡らす雨粒の感触を覚える。

 ふと視線を送り、とうとう降りだしてきた雨を眺めながら―― 


「今なら泣いても平気かな……」 


 そんなことを呟いた途端、視界がぼんやりとにじんできたのだった。


(うん、大丈夫。誰もいないんだし、声を出しても雨音がかき消してくれる。それにきっと――この雨が止む頃には立ち直れるはずだから……)


 そう信じて、我慢していたものを開放しようとした瞬間。


(……くすん、くすん)

(――ッ!?)



 突然聞こえてきた泣き声に、私は驚いて自分の泣くタイミングを逃してしまった。それ以上に誰もいないと思っていた場所から聞こえてきたことに、恐怖さえ覚えていた。


「……まさか、幽霊?」


 うちの家系は先祖代々霊感と呼ばれるものとは無縁な生活をしている。末代の私にも当然その血が色濃く受け継がれているはずだと思う。

 そんなことを考えながら恐る恐る辺りを見回してみたけど、やはり人影はおろか幽霊らしきものも見られない。


「……なんだ、気のせいか……」


 少しホッとして、気づかないうちに入っていた全身の力を抜こうとした時――


『――くすん、くすん』


 今度は、さっきよりも近い場所。そう、私の真後ろから聞こえてきたのだった。

 私の体に再び緊張感が走る。緊張感と恐怖心で振り返ることもできない。


「なんで……なんで……なんで……。ただ、ここで泣こうとしてただけじゃない。別に幽霊に何かされるような悪い事なんてしてないじゃない。なんで私なの? 彼とうまくいってないから? もうどうでもいいなんて言ったから? ……雨が降ってきたから? 公園だから? ……」


 元々不安定だった精神状態に、幽霊へ対する恐怖心を上乗せしたことで、私の思考回路は完全に麻痺したらしく、途中から意味不明な言葉を口走っていた。


『……くすん、くすん』

「――ッ!」


 再び聞こえてきた泣き声に、麻痺していた思考回路も回復して我に返る。


(に、逃げなきゃ!)


 足に力が入るかどうか不安だったけど、とにかく一秒でも早くココから立ち去りたかった。

 私は決して後ろは振り向かずに、立ち上がって逃げる為に。

 頭の中で公園の地図を思い浮かべながら、足に力を入れてみた。


「うん。大丈夫そう……」


 思考回路が回復して、冷静に状況を把握できるようになったおかげか、緊張感と恐怖心で固まっていた体も完全にほぐれていた。


(――よし、今だ!)


 頭の中で思い浮かべた地図を再確認して、私は足に力を入れて立ち上がろうとしていた。


「――えっ、わわっ……」


 だけどその瞬間に、ものすごい突風が私の背後から吹き荒れるのだった。


 私は突風に背中を押される形で立ち上がり、前に押し出され、そのまま転びそうになるのを必死で堪える。

 本来なら逃げるつもりで立ち上がったのだから、そのまま振り向かず走れば良かったのに。

 何故か私はその場で立ち止まり、驚きの表情を浮かべながら振り向いていたのだった。


 ――きっと、回復したと思っていた思考回路も完全じゃなかったんだと思うの。あとはたぶん、呼ばれたんだと思う。もちろん、今ならそう思うってだけで、あの時はそんなことを考える余裕なんてなかったんだけどね。


(な、何? 今の風……)


 あまりのタイミングの良さに、戸惑いながらも風の吹いた方向を見つめていた私。

 そこには今まで座っていたベンチと、後ろに植えられた木々が今の突風により葉を舞い躍らせているだけの、どこにでもある景色のはずだった。


「――えっ?」


 私はその『どこにでもある景色』に違和感を覚えていた。もう一度、同じ場所を見つめてみる私。

 でも、私の視線の先にはさっきと変わらない景色。

 ベンチの後ろに植えられた木々は、だいぶ勢いが落ちたものの、未だに葉を舞い躍らせている。ベンチに関しては変わりようがないものだか……ら?


「……あれ?」


 私の視線は、とある一点でとまった。

 先ほど覚えた違和感。その原因がソコにあったからだ。

 確かに漠然と見渡していたら、きっと見落としてしまうかも知れない些細な違和感。

 ベンチの背もたれと座席の間にできた、本当にわずかな隙間から見える黒い物体。

 最初は辺りが雨のせいで薄暗くなっているからなのではないかと思っていた。

 でも、物体と周りに映る木々の色は明らかに違う。私は直感で、ソコに何か『ある』と感じていた。

 どうしても物体の正体が知りたくて、一歩足を進めると――


「くすん。くすん」


 再びあの泣き声が聞こえてきたのだった。

 だけど不思議なことに、再び緊張感と恐怖心で体が固まることはなかった。

 どう表現すればいいのだろう。

 さっきまでの泣き声は、脳に直接響いてくるような非現実的な泣き声だったのに対して。

 今の泣き声はちゃんと鼓膜を通して脳に響いてきた。

 だから現実的に受け止めることができたからなのかな?

 ううん。そんな非現実的な事が起こる訳がないことくらい、私にだって理解できる。

 実際には、恐怖心からくる悪い自己暗示にかかって、非現実的な聞こえ方をしたって錯覚しているだけ。

 今だって単に慣れただけなんだと思う。

 私は自己分析を終えると、再び黒い物体に意識を集中したのだった。


 恐る恐る物体に近づく私は『ある変化』に気づく。

 最初に見ていた場所からは、ただの黒い物体にしか見えなかった物も――近づいて角度が変わったおかげで、座席の部分に隠れていた物体の下側を見ることができた。

 ずっと黒い物体だと思っていたソレの下の部分は、黒いものよりも少し大きい緑の物体だった。


(……何だろう?)


 再び浮かび上がった謎を解明する為、注意深く見ることにした私。そんな私の視界に『ある物』が映る。 

 黒と緑。二色のちょうど境目の部分にある、もう一色。青く細長い物体。

 ちょうど緑の物体に沿った形で付いているソレは、とても見覚えのある形だった。

 私は一つの結論を出す。


(もしかして……襟?)


 そう、緑と青の物体の正体は洋服と襟なのではないだろうか。

 そうなれば、上の黒い物体は必然的に、あの答えが導き出されるだろう。

 私は自分の出した答えが合っているか、確かめる為に更に近づくことにするのだった。すると――


「くすん。……どこ? くすん。……どこ?」


 また、あの泣き声がする。でも、さっきまでとは違う。ちゃんとした言葉。

 そしてこの言葉を発したのは、きっと『あの』物体だろう。

 言葉を発したことで、自分の答えに確信をもった私は、無意識のうちにベンチの後ろへ駆け出していた。

 ベンチの後ろに回りこんだ私の、視線の先にいたのは――。


 緑の洋服とピンク色のスカートに、まさに『包まれている』と言う表現が当てはまりそうな、とても小さな女の子。 

 歳は四~五歳くらいかな? 綺麗な黒髪の、おかっぱ頭。

 私は失礼かなと思いつつも、昔話やアニメに登場する『座敷わらし』をイメージしていた。

 顔は、この位置からだと見えない。ちょうどベンチに背を向ける形でしゃがんでいる彼女。

 私が見ていた黒い物体は、彼女の後頭部だったのだ。

 私は今、ベンチの横側――つまり、彼女の横顔を眺める形で立っている。

 彼女は全身をまるめ、膝をかかえて俯いて泣いているのだった。


 また、新しい疑問が頭に浮かぶ。

 彼女は何故、こんな所で泣いているの? そして、さっき発した言葉の「どこ?」は何を指しているの?

 そんなことを考えながら彼女を見つめる私なのだった。


□■□


 だけど、新しい疑問の答えは意外と早くに解決した。それは再び発した彼女の言葉の中にあった。


「……くすん。……お家……どこ? ……お家に、かえりたいよ……」

(……迷子?)


 私は彼女の前まで行くと、その場にしゃがむ。

 彼女も目の前に来たら流石に気づいたらしく、顔をあげてこっちを見た。


(――あれ?)


 私は彼女の顔に見覚えがあった。

 だけどそれは、テレビや雑誌とかではないし、知り合いと言う訳でもない。

 だけど、もっと身近な――そして懐かしい感じがしていた。


(でも、どこで? ……だめ、思い出せない……)


 彼女の顔を見つめながら必死に記憶の引き出しを探っていた私を、少し不審に思ったのか、彼女は恐る恐る訊ねるのだった。


「お姉ちゃん……誰?」

(――いけない……彼女を怯おびえさせてどうするの?)


 私は彼女の不安を取り除く為に、今できる精一杯の笑顔で答える。


「私? 私は『あみ』って言うの」

「あみ……お姉ちゃん?」

「うん、そう。ところで、お嬢ちゃん……自分のお名前は言える?」

「うん。あたしの名前は、あ――ッ! ……」


 彼女は急に黙り込んだかと思うと、辺りをキョロキョロ見回し始めたのだった――。


□■□


 そんな風に悲しみに覆われていた、私の気持ちを反映するように降りだした小雨の注ぐ公園。

 誰もいない公園で、何をする訳でもなく一人佇んでいた私。

 思わず心の悲しみを吐き出すように、その場で泣きそうになっていた私の目の前に、突然現れた小さな女の子。

 驚きつつも、彼女に歩み寄った私。

 少しだけキョロキョロと辺りを見回していたけど、落ち着いてくれたのか、『あさひ』と言う名前を教えてくれていた。

 そして彼女の口から『迷子』なのだと知らされる。

 本当に小さな女の子。きっと親と一緒に、公園か近くまで遊びに来ていて、はぐれたのだろうと思っていた。

 だけど、こんな人のいない、雨の降る公園に、突然舞い降りたと錯覚してしまった小さな女の子。

 最初は幽霊かとも思っていた。幻なのではないのかと怯えていた。


 それ以前に、今の私が誰かの為に何かをしてあげられるなんて思っていなかった。

 だって私は自分のことですら逃げ出してきたのだから。

 彼女は本当に小さな女の子。悲しそうに震える姿を見て助けてあげたいと感じてはいる。それでも私にできることなんてあるのか、彼女の力になれるのか、そんな不安が心を揺さぶる。

 それでも、キョロキョロと辺りを見回していた彼女に心を開いてほしくて、持っていたアメを差し出した私。その時のやり取りが小さい子には可笑しかったのだろう。少しかも知れないけれど心を許してくれたみたい。 

 ……こんな小さな女の子には「飴ちゃん、食べる?」は理解できないのかもね。


 でも、そんなホッとしたのも束の間。彼女に悲劇が降りかかる。

 私が差し出した飴をのどに詰まらせてしまったのだ。

 目の前で苦しむ彼女。体が強張り、微かに体温が低下している彼女。

 突然の悲劇にパニックに陥る私。無力な私だけど、何とか助かって欲しいと祈りながら、彼女の背中を必死にさすっていた。

 私の祈りが届いたのだろうか。彼女は飴を飲み込むことができたのだった。


 少し落ち着きを取り戻した彼女は、私に笑顔を送ってくれる。

 だけど相当辛かったのだろう。その笑顔を浮かべる目尻に大粒の涙をためていたことを私は見逃さなかった。そんな彼女の気遣いを受けて、こんな私でも彼女を笑顔にできるんじゃないかって。

 彼女の優しさにふれて、何か力になりたい、そんな気持ちが芽生えるのだった。


 こうして私は彼女の家を一緒に探してあげることにした。

 彼に逃げるように、自分の気持ちに逃げるように。

 彼女の家を探す手伝いをする為に、一緒に公園をあとにするのだった――。


 探している間。私は隣にいる彼女に何度も驚かされていた。

 こんな小さな女の子だとは思えない行動や仕草。大人の私が考えるようなことや、時折見せる大人っぽい雰囲気。なにより。

 私と彼の思い出。辛くて苦しい今は思い出したくもない、彼との思い出の数々……。

 それを私の心の奥にしまってある引き出しから拾い上げるように。

 私に思い出させるように、彼女が仕向けているのではないかと疑いたくなる行動が何度もあった。

 私と彼女は初対面。だけど最初に会った時から懐かしい感じを覚えていた。

 その違和感は拭えないけれど、私の記憶には彼女のことは残されていない。

 だから、「勘違いだろう、偶然なのだろう」と漠然と思っていたのだった。


 そんな私達は公園から商店街、駅の周辺を回り、彼女の家を探し回っていた。

 だけど彼女の家は見つからない。親御さんも見当たらない。

 近くまで行けば、知っている道まで行けば家に帰れるのだろう。

 そんな風に思っていた私は途方に暮れていた。

 ――まるで、すれ違ってしまった私と彼との今の関係のように思えていた。

 時折思い出される彼との思い出が、更に私へ苦しみと悲しみを与えているように思えていたのだろう。


 迷子で不安を抱いている彼女と、そして苦しみに覆われている私自身の気を紛らわせたかったのだろう。

 そんな意味でたくさんの言葉を交わし続けながら家探しをしていた私達。

 初対面だし、こんな小さな女の子だし。そして、話しても楽しい話でもないのに。

 なぜだろう。私は彼女に、彼との話をし続けていた。

 うん。彼女の行動が呼び水になって思い出された記憶が、口から溢れ出していたのかもね。

 私はそんな話をしながら彼女の家を探して回っていた。


 だけど結局、彼女の家は見つけられず、私達は再び公園へと戻ってくるのだった。


□■□


 見つけられなかったことへの不甲斐なさ。時折思い出していた彼との思い出。

 公園に入った途端に降りだした雨粒の感触に、また悲しみがこみあげてきて、泣きそうになっていた私。

 そんな我慢している私の心の変化に気付いたのか、隣を歩く彼女は視線を合わせずに、ただ正面を見つめながら、こう呟いていた。


「お姉ちゃん、知ってる? 恋は、目に見えないパズルなんだって?」

「……パズル?」


 彼女の突然の言葉に、私は思わず彼女を見つめて聞き返していた。


「うん。それでね……人の気持ちは、色違いのピースのようなものなんだよ」


 理解しきれていない私に、正面を見たまま彼女は更に言葉を続ける。


「ピース自体は、はまっているの。でも、色が違うから別々のピースに見えちゃうんだよ?」


 彼女の言葉が、まさに今の、私と彼の気持ちのように思えていた私。

「もう手遅れなのかな?」

 そんな思いが表情に出ていたのかわからないけど。

 彼女は急に無言になったかと思うと、走って私の三歩程前に進んで振り向き、満面の笑みを浮かべてこう言葉を紡いだ。 


「だからね、お互いの気持ちを相手の色に合わせれば良いんだよ!」

「色を……合わせる?」

「そう、お互いが相手に合わせようとすれば、必ずピースは一つになれるんだよ。だって、色違いのピースは自分の気持ち……いくらでも色を変えられるんだから……」


 私は一瞬ドキッとさせられた。だけど、「こんな小さな女の子の口から出たとは思えない言葉」にじゃない。 

 私は彼のことを本当に理解できていたのだろうか。もしかしたら色を変えてしまったのは、私の方なのではないのだろうか。

 さっきとは違う不安を抱え、思わず彼女に聞いてみる私。


「……ねぇ、今からでも遅くないかな?」


 すると、彼女は真面目な表情で私の事を見つめながら聞きかえしてきた。


「お姉ちゃんは彼のこと……好き?」

「うん。……好き……」


 私の言葉を受けて心意を確かめるように、ジッと私を見ていた彼女。

 そんな彼女も納得するように一度だけ頷くと、今度はいたずらっぽく笑って言葉を繋いでいた。


「お互いが相手に合わせようとすれば、必ずピースは一つになれるって言わなかったっけ? ……お姉ちゃんって、もしかして天然さん?」

「そ、そうかも……ね?」


 彼女の無邪気な笑顔とその言葉に。

 私の中で色濃く覆われていたはずの悲しみや不安も、きれいに洗い流されて清々しい気持ちに包まれた気がする。

 清々しい気持ちを取り戻していた私は自然と笑みを浮かべて、彼女にそう答えていた。


「そうだね……大事なのは、相手を思う気持ち……だよね。まだ、間に合うよね?」


 私の問いに、彼女は何も答えなかった。

 でも、その代わりに浮かべた満面の笑みが、私にとっては最高の答えに感じられたのだった。


□■□


 突然、私の携帯が鳴る。

 私は彼女に断りを入れ、彼女に背中を向けて携帯を取り出す。

 待ち受け画面に表示された発信者名を見て私は、はやる気持ちを押さえて電話に出た。


「もしもし。うん、さっきはごめんなさい。……うん……うん……私も会って話がしたいよ。……うん、今? 公園だよ……そう、あの公園。……うん、わかった、待ってる……あっ、ちょっと待って? あのね――」


 私は彼との電話が嬉しくて、肝心なことを忘れるところだった。彼が了解して切ろうとしていたのを、慌てて待ってもらう。

 これじゃ、彼女に天然さんと言われても反論できやしない。

 気を取り直して、私は彼に彼女のことを話すと、彼は快く一緒に探すのを手伝うと言ってくれていた。 

 私の為じゃないと言うのは、わかっているけど……彼の誰かを思う気持ちが嬉しくて、無意識に「ありがとう」と伝えていた私。 

 彼は何のことかわからずに笑っていたけど、それでも伝えられて良かったと思っている。

 再度待ち合わせの場所を確認した私達は、電話を切った。

 ほんのりと心の中が暖かくなっていることを感じながら、私は彼との話を彼女に伝えようと振り返ったのだった。


「待たせちゃって、ごめんね? 彼からの電話で、今から一緒にお家を探そう……って……」


 だけど、振り返った私の視線の先に、彼女の姿はなかった。


「うそ……なんで?」


 私は目の前の光景に唖然としていた。

 確かに彼女に背を向けて電話をしていた。でも電話をしている最中だって、何度も振り返って彼女に手を振っていたのだ。

 彼女だって、笑顔で振り返してくれていた。

 最後に振り返ったのは、ほんの数秒前のこと。

 今いる場所は、数百メートル先の入り口まで両側を壁に挟まれた一本道。あんな小さな女の子が姿を消すなんて不可能な話だ。


「……やっぱり、幽霊?」


 私が再び恐怖心を抱いた時、どこからともなく彼女の声が聞こえてきたのだった。


『良かったね、お姉ちゃん。帰る場所が見つかって……もう迷子になっちゃ、だめだよ?』


 彼女は冗談っぽく笑って言っていた。

 私は彼女を必死で探していた。もう一度会って、ありがとうを伝えたかった。

 たぶん彼女に会っていなければ私は彼からの電話に出ていなかったと思う。こうして電話に出て、そしてもう一度会えるのは彼女のおかげ。

 会って話がしたい。そう思えたのは彼女のおかげだと思うから。

 でも、声のする方を探しても姿は見えない。私は姿の見えない彼女に向かって叫んだ。


「ありがとう! そして……ごめんね?」

『……なんで謝っているの?』


 彼女は意味がわからないと言った感じで聞き返してくる。


「だって、お家を探してあげるって言っといて、結局見つけられなかったから……」

『あぁ、お家のことか……』


 私の言葉を聞いて、思い出したように言葉を紡ぐ彼女。


「えっ?」

『ううん、何でもなぁい……』


 思わず聞き返した私に、おどけた口調で言葉を返す彼女。


「だから……ごめんね?」

『別に謝らなくても良いよ。だって、お姉ちゃんのおかげで帰る場所は、ちゃんと見つかったから……』


 私の謝罪にこんなことを言ってきた彼女。

 一瞬、彼女の言葉を理解できなかった。

 帰る場所が見つかった? そこまでは、まだ自力で思い出したとして理解できる。

 でも、彼女は確かに『私のおかげ』と言った。

 少しばかり思い返してみても、私がしたのは彼女の話相手くらい。

 正直な話、彼女の手助けができたとは思えない。

 だったら、何故彼女は『私のおかげ』と言ったのか……。

 その心意はわからない。だけど。 


『だから、ありがとう……』

「……どういたしまして」


 とても嬉しそうに伝えてくれた彼女のお礼に、私は自然な笑みを溢して言葉を返していた。

 彼女が喜んでお礼を言ってくれているんだ。それなら、何も疑問なんて感じなくていいのだろう。

 ただ、私は彼女に返事を返せばいいのだと思った。

 だって、相手に気持ちを合わせればいいのだから――。


『それじゃあね♪』


 彼女が最後に本当に嬉しそうな声で私にそう伝えると、もう声が聞こえなくなっていた。

 彼女の姿は見えないし、本当のことはわからないけれど、私には彼女が笑顔で帰っていったと感じていたのだった。

 彼女の言葉が聞こえた瞬間に、私の心の奥にしまっていた『彼との思い出』が元の大切な場所へ戻るように。

 私の全身を優しくて、暖かい気持ちが包み込んでいたから。

 そんな風に感じていたのかも知れない。


□■□


「……おーい!」

「――えっ? あっ……」


 しばらく彼女のいなくなった方向を見つめていた私の耳に、聞きなれた声が響いてきた。

 私は声のする方へ振り向いて、彼の姿を見つめていた。

 走ってきたのだろう。汗ビッショリになりながら近づいてくる彼。

 一生懸命、私の為に。あの子の為に走ってきてくれた彼。

 それだけで何故か嬉しくなる。心が暖かくなる。


「ごめんね? はい……」

「サンキュー。……ところで、迷子の子って……」

「ああ、うん……そのことなんだけどね?」


 目の前に来た彼に鞄からタオルを差し出した私。お礼を言って受け取る彼。

 数時間前のわだかまりが嘘のように、自然と会話ができていた私達。

 彼の言葉の「迷子の子」と聞いて、申し訳ない気持ちで彼に彼女のことを伝えた。

 だけど、彼は安堵した表情を浮かべて嬉しそうに言葉を紡ぐ。


「そっかぁー。帰る場所が見つかったんなら、よかったじゃん」

「う、うん……そうだね?」


 彼の心から嬉しそうな表情に、私も嬉しくなって笑顔で答えていた。


「んじゃ、帰ろうか? ……」

「……うん!」


 息を整えた彼は「帰ろう」と声をかけながら、ソッと右手を差し出してきた。

 数時間前に振り払った彼の右手。悲しみに包まれて、思わず逃げてしまってきた彼の右手。

 だけど今なら自然と彼の手を繋げる。彼の横を歩いていける。

 私が彼に近づけばよかったんだ。気持ちを合わせればよかったんだ。

 すっかりと霧の晴れた私の心を映すかのように、満面の笑みを浮かべて差し出された右手を掴む私なのだった。


「……恋は見えないパズル。色違いのピースか。ふふっ……」

「ん?」

「ああ、うん。恋って……見えないパズルの色違いのピースなんだって?」

「……」


 さっきの彼女の言葉を口に出していた私。こうして繋がった彼の手と私の手。

 本当にそうなんだなって思いながら笑みを溢していた。

 そんな私に疑問の声をかける彼に、私は彼女の言葉を教えてあげた。 

 私の言葉をジッと聞いている彼に言葉を繋げる私。


「ピースってね……繋がっているんだって。そして、色は気持ちなの。だから、すれ違っているとバラバラに見えちゃうんだって。ピースの色は人の気持ち……だから、相手に合わせようとすることが大事なんだって?」


 彼女から聞いた話を彼に説明してあげると、彼は怪訝そうな表情で聞き返してきた。


「……よく覚えていたな? 相当前の映画の台詞なんて」

「――え?」


 彼の言葉に思わず聞き返していた私に微笑みながら言葉を繋げる彼。


「いや、だって、それ……俺達の初デートで観に行った映画のクライマックスの台詞だよな? と言うか、横でグッスリと寝ていたはずだと思っていたんだけど……」

「……」


 私達が付き合い始めて最初のデート。

 あれは、もう七年前のこと。あの頃に流行っていた映画を観に行ったのは覚えている。

 だけど彼の言う通り、前日に緊張しすぎて寝不足だったから途中から記憶がない。

 だから彼女が言った言葉。私は彼女の口から聞いて、初めて知ったのだった。

 彼女のことを思い出してみる。とても小さな女の子。

 私は彼女のことを四~五歳くらいだと思っていた。もちろん年齢は聞いていないけど、少なくとも映画のことを知っているとは思えない。

 両親の影響かも知れないけれど、彼女の言葉が誰かの影響だって思えない。

 自分で観ていたと思わせるくらいに心に響いていた私。それに、また私と彼の思い出の台詞。

 なんで知っているの? 彼女は何者なの?

 そんなことが頭に過ぎっている私は、あの時聞き流していた彼女の言葉を思い出していた。


『良かったね、お姉ちゃん。帰る場所が見つかって……もう迷子になっちゃ、だめだよ?』


 そう、彼女は確かにそう言っていた。

 だけど私は迷子になんてなっていない。帰る場所ってなに?

 私は彼女が迷子だから。帰る場所を探してあげるのを手伝っていただけ。

 一言も迷子になっているなんて言っていないのだ。

 なのに何故、彼女はこんなことを言ったのだろう。

 確かに笑いながらの言葉だったけど、彼女がふざけていたとは思えない。心から嬉しそうに言っていた。

 まるで出会った最初から、私を導いて彼の隣と言う『私の帰る場所』を見つけてくれたように。


(……あれ?)


 私は気づいたことがある。

 彼から逃げ出して、この公園にたどり着いた時。悲しみに覆われて、私は無意識に彼との思い出を消し去ろうとしていた。

 それは、思い出したくない辛い思い出だったから。 

 だけど、彼女との出会い。彼女の迷子に付き合っている最中、彼女の偶然の言動で彼との思い出が蘇っていた。

 そう、私が思い出せなかったことを呼び覚ますように、彼女の言動で思い出させられていたのだった。

 偶然とは言えないくらいのタイミング。

 そして、何で忘れていたのかと疑いたくなるほどに、記憶が彼女の言動によって、鮮明に脳裏へと蘇っていた彼との思い出。

 消し去ろうとしていたって簡単に忘れる訳はない。なのに私は彼女の言動によって記憶が蘇る感覚に陥っていた。


 そして彼女が消えた瞬間。私の心を包んでいた暖かい想い。

 それはまるで、彼女と出会った瞬間。悲しみに覆われて、私の心を包んでいた冷たい想いと相反するように。

 もしかして、彼女は――。


(……ううん。彼女は彼女。迷子になっていた小さな女の子。それで……いいんだよね?)


 私は彼女についての一つの結論を出そうとしていたけど、心の中で苦笑いをして、その考えを打ち消した。

 彼女が誰でも、別にいいんだと思う。彼女は彼女。それだけなんだと思う。

 私は繋いだ右手から伝わる彼の温もりと。

 心に伝わる彼との思い出の温もりを感じて。

 自然な笑顔で、彼女の笑顔を思い出しながら、そう思っていた。


 公園を出た私は、ふと空を見上げていた。 

 さっきまで降っていた雨は、いつの間にか私の心のように晴れて、きれいな夕焼けを彩っていたのだった。

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