第9話 放課後 と 邂逅

 あの頃は親父達を恨んで、憎んで、暴れていた――そんな黒歴史。

 そして、小豆に罪悪感を抱いていた当時。

 もちろん今も感じていることだけど、あの頃は今以上に感じていた。それが唯一の生きる意味だと感じていたのかも知れない。

 そんな状態で小豆に会えば、俺は俺を保てなくなる。きっと学校にも行かなくなる。ピンと張られた細い糸のように。俺はそこまで追い詰められていたのだった。


 俺を引き取ってくれた明日実さんから――俺の様子を聞いていた親父達が、俺に小豆を会わせないよう、私立中学への受験を薦めてくれたそうだ。そして、小豆も薦めを受けて受験することになった。

 小豆は最初反対したそうだ。「そんなの気にしない」って言っていたらしい。

 それでも俺の為だと説得されて、受験を承諾したのだと言う。

 そして、見事に合格をして小豆は私立中学へと入学した。

 その話を明日実さんから聞かされた時、俺は内心ホッとしていた。これで小豆に会わなくて済むから。

 会いたくない訳じゃない。だけど、どんな顔で会えばいいのかわからなかった。

 それに、これで良かったのだとも思っていたのだろう。


 だけど数ヶ月もしないうちに小豆は、とある悲しい出来事がキッカケで学校へ行かなくなっていた。

 数日間休んだ挙句、ついには退学して俺の通う公立中学へと転校してきたのだった。

 その話を明日実さんから聞かされた俺は、こともあろうか自分の心配ばかりしていた。

 小豆が来る。会いに来たらどうしよう。俺はどう対応すればいいんだ。

 それだけが俺の脳裏にこびりついていた。小豆が公立中学へと転校したのかも考えずに。


 だがしかし、あいつは数日経っても直接俺に会いには来なかった。だから気になって、俺の方からこっそりと小豆の様子を見にいった。

 すると、そこには俺の知らない小豆がいた。いや、妹には違わない。俺がずっと会いたいと思っていた妹。

 でも、笑顔がなかった。笑っているように見えて無理に笑っているように思えた。

 悲しそうに笑う、あいつの顔が、たまれなかった。

 俺はその時に自分のしてきたことを本当の意味で後悔していた。その時に初めて、公立中学へ転校してきたのかを考えたのだった。


 俺がバカだった。俺のせいで小豆は苦しんだ。悲しんだ。全部俺のせいだ。

 俺がいたから、俺が辛いから。小豆は私立中学へと進学した。そして悲しい思いをした。

 俺がいなければ。俺がしっかりしていれば、小豆はこんな悲しい笑顔なんてしなかったんだろう。

 すべて俺が撒いた種だった。俺が小豆を悲しませたんだ。

 そんな絶望が俺の心に渦巻いていたのだった。


 それでも、その時は始まりに過ぎなかった。本当の悲劇は数ヶ月後のことだった。

 小豆を登校拒否。そして転校へと追い込んだ『彼女』の存在によって小豆はクラスから孤立する。

 イジメに遭う。いない存在。オモチャ扱い。汚物扱い。そんな周りの扱いに小豆の心がどんどんと壊れていく。

 すべてを奪われ、すべてを壊され。すべてが虚無になっていた、あの時の俺に重なる。

 その辛さ、苦しさ、悲しさ、やるせなさ。すべてが手に取るようにわかっていた。

 だけど、俺の場合は俺の勝手な勘違い。勝手な我がままによるもの。俺がバカだった為に招いた結果。

 すべてを手放している俺の罪だと感じ始めていた。

 でも、小豆は違う。これも俺の罪。俺が招いた結果。俺がバカだったせいで妹は苦しんでいる。悲しみに覆われている。

 その時、本当の意味で俺の愚かさに気づいた。俺の勝手な我がままへ妹を巻き込んでしまったことに、身体が引き裂かれるような思いだった。 

 俺のことなんて、どうでもいい。俺は自業自得だ。報われる必要なんかない。

 だけど、小豆には関係ないんだ。あいつには何も罪はない。

 あいつは何も知らずに、俺のことなんて忘れて、笑っていればいいんだ。幸せになっていればいいんだ。

 だから、その為なら俺は何でもする。そう、心に決めたのだった。


 俺は次の日に、元凶になった『彼女』へと会いに行こうと決意した。小豆の今の現状を改善してもらう為に。 

 もちろん簡単に話がつくとは思わない。それでも何かしてやりたかった。せめて小豆だけでも幸せになってほしかった。だから俺は彼女に会いに行こうと決意したのだった。

 俺が出る幕じゃないのは百も承知だ。部外者が引っ込んでろと言われても仕方がない。だけど、あいつが悲しんでいる姿を見ていたくなかった。それだけだった。

 俺のすべてを投げ出してでも、俺の存在をかけてでも。あいつの、妹の、小豆の笑顔を取り戻したかった。

 だから、これが俺にできる『お兄ちゃん』としての『最後』の仕事なんだと覚悟していた。

 これが済んだら、もう俺はあいつに会わない。会えない。会うことはない。そう、心に誓うのだった。

 だけど、それでいいんだと思う。

 あいつが笑ってくれるのなら……あいつが忘れても、俺はあいつの『お兄ちゃん』なんだって誇れるだろうから――。



「……ぅん?」


 ぼんやりと開いた虚ろな瞳に夕焼けのような赤みが差す。微かに耳に入る喧騒。

 懐かしい夢を見ていた俺の意識は少しずつ現実へと呼び戻されていった……って、赤み? 喧騒?


「――ッ!」


 本来ならば、眩しい蛍光灯の光と教師の声、そして黒板にチョークで文字を書く音やシャーペンで筆記する音が聞こえてくるはずの現実。

 それが赤みと喧騒と言う、違和感を覚えた俺は、ガバッと机から上半身を起こした。


「……ほ、ほう?」


 俺は目の前の光景を眺めて、冷や汗まじりに声を漏らしていた。

 目の前の光景。授業シーンにマストな素材が、こともあろうかバグを起こしていた。

 教壇に立つ教師。机に座って黒板の方を向いている生徒達。煌々と照らされた蛍光灯。窓から差し込む太陽の光。

 窓際で外を眺めてボーっとする美少女。机に両足を乗せてかったるそうにしている金髪の生徒。

 ……まぁ、途中からは特殊オプションなんだけどね。

 そんなマスト素材の作画崩壊をしている、我が教室。

 先生はおろか、目の前の生徒すら存在しない。そして蛍光灯も消されて、窓からは夕日が差し込んでいた。そして窓から聞こえる喧騒は、部活に青春を費やしている生徒達の声。 

 はい、単に放課後なだけです。部活そっちのけでお茶会開いちゃう時間帯ですね。

 つまり、午後の授業は睡眠学習だった訳です。学習した覚えはないんですけど。

 ――やっぱり、このクラス冷たい。せめて、放課後になったんだから起こしてくれてもいいのに……。

 

「……ん?」


 そんなクラスメートの冷たさを感じて椅子から立ち上がる俺。だけど足元に何かが落ちているのに気づく。

 拾い上げると、それはハンドタオルとバスタオルとジャージとタオルケットと毛布だった。いや、タオルケットと毛布は何であるの?

 何となく夢を見ていた時に暖かく感じていたのはこれだったんだろう。みんながかけてくれたのだろう。

 ――やっぱり、このクラス暖かい。だけど、放課後になったんだから起こしてくれてもいいのに……。

 俺は苦笑いを浮かべながら、それを畳んで自分のロッカーにしまった。だって、みんな帰っちゃったしさ。持って帰れないからロッカーに保管しておいたのだ。

 そして強張った身体をほぐす為、一度背伸びをしてから自分の鞄を持って教室をあとにするのだった。


「……あら、よんちゃんじゃないの?」

「香さん、お疲れさまです」

「うん、お疲れさま、今帰り? もう、帰っていたのかと思っていたけど」

「はい。寝坊しました」

「あらあら……」


 教室を出て昇降口へと向かう途中、香さんに声をかけられる。今日も部活だったのだろう。

 もう廊下の窓から見える景色は、夕日に微かな黒が差し掛かる時間になっていた。

 俺が寝坊したと言うと即座に理解したのか、呆れたように言葉を投げかけていた。

 ふと、香さんの手元を見ると、鞄の他にかなり大きな袋を持っている。その袋から、とてもいい香りがしてきたのだった。


「……校門まで持ちますよ?」

「あら、悪いわね♪」


 俺は鞄と袋を持つことを進言する。その言葉に嬉しそうに差し出す彼女。

 いつも美味しいおかずを分けてくれるしな。これくらいなら安いくらいだ。それに美味しそうな香りが気になるしさ。


「あー、それ? 今日の部活で作ったのよ。あとで小豆に渡しておくわね♪」

「……ありがとうございます」


 俺が袋へと視線を移しているのに気づいたのか、香さんが笑顔でこう伝えてくれた。 

 部活で試作として作られる料理は、基本的に持ち帰って夕飯のおかずにするのが料理研究会の決まりらしい。そして香さんは、毎回複数の料理を大量に作る。

 他の部員が一品作る時間で数品を同時に作れる香さんなのだった。

 小豆の師匠である彼女は、味もさることながらスピードも妹以上の腕前だと聞いている。

 そんな料理上手な彼女の料理は、当然のことながら他の部員にも好評で、皆にも分けてあげているらしい。

 それでも大量に残るみたいで、毎回大きな袋を持って帰っている。

 そして家に持ち帰ったあとに、我が家まで料理をお裾分けしにきてくれる訳だ。

 もちろん、小豆もお返しにと料理をお裾分けしているんだけどな。俺としては嬉しい限りだけど、何も返せるものがないので帰りが一緒の時には鞄持ちを率先しているのだった。

 今日は俺に予定があることは香さんも知っているんで、校門前までなんだけどさ。

 普段は帰り道だから家まで運んでいるのだった。


 一緒に帰ると店先でおじさんとおばさん――香さんの両親に会うんだけど。

 いや、店番をしているんだからおばさんは当たり前だけど……おじさんって、基本的に厨房ですよね? なんで、わざわざ出てくるの?

 ま、まぁ、ウチも人のことは言えないけど、香さんの両親も相当な親バカだからね。

『どこぞの馬の骨』ならぬ――幼馴染で顔なじみな『霧ヶ峰さん家の馬鹿の骨』と一緒では心配なのだろう。って、信用ないね、俺。

 まぁ、俺がおじさんの立場でも心配だから否定はできないかな。って、どうでもいいんだけど。

 ただ、さ?

 何故かおじさんはニヤニヤしながら「それで、ウチの香の飯は、いつから毎日食おうってんでい?」と、必ずと言っていいほどに聞いてくるのだ。

 横にいるおばさんは、おじさんに呆れた顔で「お父さん、違うでしょ? ……ご飯を食べるんじゃなくて、お味噌汁よ?」なんて言うのだ。

 香さんのおかずは、毎日ではないけど食べているんだよな。お味噌汁も食べたことはあるし。

 香さんの家でご飯をご馳走になることも、たまにある。

 だけど、毎日なんて他人には無理だろ。わざわざ互いの家を行ったり来たりするのも大変だしさ。

 それくらい理解できないのかね。親父達と年齢近いのに、もうボケたのかな?

 俺がそんな風に考えていると、香さんは必ず顔を真っ赤にしながらおじさん達を怒っているのだ。

 やっぱり他人に両親がボケたのを悟られたくないのだろう。俺も聞かなかったことにしておくよ。

 だけど、それ以外はボケていないんだよな。なんで、そんな時だけボケるんだろう。まぁ、気にしないでおくさ。


「……あっ、それじゃあ今日はすみません、ここで……」


 校門を抜けた道で俺は香さんに申し訳なさそうな表情で謝罪をして、鞄と袋を差し出した。


「別に持たなくってもいいんだから、謝らないで?」


 苦笑いを浮かべて、こう言いながら俺の手から鞄と袋を受け取る香さん。

 だけど、すぐにその場から離れようとしない。少し夕焼けに染まって顔が赤くなっている彼女。

 用事があるのだから俺が先に離れればいいのだろうが、何となく離れられずにいた。

 下校する生徒がチラチラと眺めて通り過ぎる間、何となく踵を返せずにいた二人。

 何か言葉を交わす訳でもなく、ただ、互いを見つめているだけ。


「ぁ……ッ……」

「……」


 何かを言いたそうな表情だけど、声にならないような、口を開いては飲み込むように口を閉ざす彼女。

 何を言われるかはわからない。だけど、何かを言おうとしているのなら、俺は立ち去る訳にはいかない。

 そんな感じで数分立ち止って見つめていた。

 それでも、ここは校門の前。部活帰りの生徒が大勢通る。そして、俺には予定があるのだ。

 だから、申し訳ないけど踵を返させてもらおうと声をかけることにする。


「あ、あの――」

「――あ、あのね――」

「よぉ~にぃ~と、かぁ~ねぇ~ですぅー!」


 俺の声と重なるように香さんも意を決した表情で声をかけてきたのだが、二人の言葉を遮って横入りしてきた声が鼓膜に響く。

 俺と香さんは咄嗟に横を向いて声の持ち主を見つめていた。まぁ、こんな呼び方をするのはアイツしかいないけどな。


「……ち、智耶、どうしたんだ?」

「……ち、智耶、何かあったの?」


 二人とも焦ったように智耶に問いかけていた。横にいる香さんは顔が、さっきよりも赤いけど、どうしたのかな。


「駅前の本屋に行ってきたんですよぉ?」

「そうか。何の漫画を買ったんだ?」

「……」

「……」


 俺達のことは気にせずに本屋に行ってきたと伝える智耶。確かに手には本屋の袋を持っていた。

 俺は何の漫画を買ったのかと聞いただけなのに、何故か智耶と香さんから白い目で見られていた。あれ? 本屋って漫画を買うところだよね? 

 あっ、ラノベとアニメ雑誌も売っていたか。そう言えば、そうだった。最近はアキバで買うことが多いから忘れがちなんだよな。

 俺が自分の勘違いを反省していると、智耶は袋から一冊の本を取り出していた。


「ライトノベルですよぉ~?」

「……」


 そう笑顔で答えた智耶の手には『リアルな嫁は妹じゃないと思った?』のタイトルが。

 ――って、リアルにあったのかよ! どこだよ、出版社は。抗議の電話をかけてやる!

 と、言うのは冗談だけど。あるのは知っているしさ。だけど、買ってくんなよ。

 別に妹の趣向に口出しをするつもりはない。だけど、だ。


「あとで、読んでくださいねぇ~♪」


 満面の笑みで智耶が俺にお願いをしてきたのだった。

 そう、コイツはしっかりしているけど、小学三年生なのだ。そうは見えないかも知れないけど、芯はしっかりとしている、普通の小学三年生なのである。

 基本、ラノベと言うのは中高生をターゲットにしている小説だ。要は、その年代が読めるように漢字に振り仮名がふってあると言うことだ。

 つまり、智耶がラノベを買っても読めないのであった。なんで、買うの?

 そして、必ず俺に読み聞かせを頼むのだった。なんで、頼むの?

 正直、これを音読するのは抵抗がある。だって死刑宣告じゃん。洗脳教材じゃん。小豆に薦められたの?

 とは言え、可愛い妹の頼みを兄としては逆らうことなどできず、苦悩しながらも読むことになるのだった。


「はぁ……まっ、アキバ行くか?」


 俺の代わりに智耶と一緒に帰っていく香さん。当然、鞄と袋は自分で持っているけどな。

 そんな二人の背中を見送り、あのラノベを音読することへのため息をついていた俺。せめて、小豆のいない時に読ませられるといいな。

 そんな暗くなる気持ちを振り払い、俺は踵を返して駅へと歩き出すのだった。



 第二章・完

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