第6話 香味 と ミント
そんな俺を見ていた香さんは、何かに気づいたらしく、俺に向かって乾いた笑いを奏でていた。
不思議に思って香さんを眺めていた俺。
「……んんん~♪」
「……ん? ――うおっ! お、おい……」
そんな俺の方に、正確には机の中央付近へと小豆の弁当箱とタッパーが進出してくるのが視界に入った。いや、自分の弁当を俺の方へ押すなよ。
中央へと押された弁当箱によって、少し動いた自分のタッパーを慌てて押さえていた俺に「何言っているの?」と言うような表情を浮かべて、小豆が言葉を紡ぐ。
「コレはお兄ちゃんと私と香おね~ちゃんのサラダだよ?」
「……は?」
ごく自然と返された答えに俺は疑問の声を上げる。確かに量を考えれば三人分くらいあるだろう。
だけど、そうしたら小豆の分は更に量が減ることになる。余計に足りなくなる訳だ。
小豆の巾着袋二枚は綺麗に畳んで机の隅に置かれている。つまり、これ以上のおかずはない。
「いや、そうしたら、お前は何を食べるんだ?」
俺は当たり前のことを聞いていた。さすがの妹でも、そこまで少食じゃないのは知っている。
一瞬ダイエットかとも思ったが、朝ご飯はしっかりと食べていたから、頭の中でその考えは否定した。
そして、午後から身体測定がある訳でもない。だから少食だってこともないだろう。
そもそも、おにぎりは普通に食べるんだしな。炭水化物を摂取している時点で意味はないのだった。
と言うより、俺から見れば小豆の外見でどこを気にするのかが理解できないんだけどな。そこら辺は乙女心と言うやつらしい。
あと、やたらと気にする体重はスイカの重みなんだと、お兄ちゃんは思っているのだよ。まぁ、面と向かっては言えないですけどね。
そんなことを思いながら妹を見ていると、スーッと俺のタッパーの中を、右手の人差し指で示しながら笑みを溢して答える。
「これ」
……どれ?
俺は自分のタッパーの中を覗き込む。そして小豆の指を辿ってみた。
「お前まさか野菜だけじゃ満足できなくて
「――そんな訳ないでしょっ!」
「小豆に何を食べさせようとしてんのよっ!」
俺が驚いて小豆に聞いてみると、即座に怒られた。そして香さんにも怒られた。
……さらにクラスに残っていた生徒達から睨まれた。し、視線が恐い……。
いや、だって、小豆の指を辿ったら、おかずを仕切る緑のビニール。バランに到達したんだよ。
俺には緑のビニールにしか見えなくても……実は笹の葉かも知れない。別の植物の葉かも知れない。
どっちにしても俺は食えないけどさ。小豆なら食えるかも知れないだろ? ……食えないですよね。知っていましたけど。
だけど、それ以外に何もないから俺はそうだと思っていたのだ。だって、それ以外は肉しかないのだから。
そう、俺のタッパーには朝に詰めた肉と、仕切りのバランしか入っていない。そこに指を示したから俺はそう考えたのだ。
――あれ……肉? 俺のタッパーで食べられるのは肉しかない。と言うよりも、肉しかない。だがしかし、肉しかない。何故ならば、肉しかない。なるほど、肉しかない。つまり、肉しかないのだった。
六品を眺めながら言い換えてみたが、結局肉しかないと言う結論に至った。
一万年と二千年前から愛してる……つもりはないが、十数年前から愛している肉。そして、数時間前から知っていることではある。自分で詰めたんだしな。
俺が真相を問い質そうと小豆さんのことを真剣に見つめると……ポッと顔を赤くして両手を頬に添えていた。いや、その仕草は今必要ないから。
とりあえず、赤くなった理由は意味がわからないから無視をして、言葉を投げかける。
「なぁ、まさかとは思うが……」
恐る恐る聞こうとしていた俺に満面の真っ赤な笑みを送り、小首を
「お兄ちゃん……を~、小豆のおやつにしちゃ~うぞっ?」
今は昼休みだと言うのに、こんな時間を早送りしたような爆弾発言を言い放つのだった。
◇5◇
俺達を中心に周りで見ていたクラスのやつらが一斉に騒ぎだす。うるさいけど今は無視。
単純に小豆の前だし、例のアレを知っているから、俺に対して危害を加えるヤツはいない。と言うよりライブ会場と勘違いしている教室中。そんな訳で歓声やらレスポンスやらMIXやらオタ芸やらが飛び交う教室内。……TPOはわきまえろよな。主催者側から、つまみ出されるぞ? いや、これはおかずだけど。あと小豆は主催者だけど、係の人間じゃないからな。
そう『
小豆の爆弾発言。確かに、これだけ聞くとかなりの危険なワードではあるが、俺は途中の小声――「お兄ちゃん」と「を~」の間の「のおかず」の部分を聞き逃さなかった。とは言え、意味不明な部分は変わらないけどさ。
『おやつにしちゃうぞ?』とは、ほとりちゃんの……何かだ。いや、口癖なのかも知れないし、普通に浸透している言葉なんだけど、いまいちわかっていない。俺の記憶が正しければアニメで使われたことはないはずだ。覚えていないだけかも知れないが。
だけど何故か使われている台詞の一つなのだった。
周りは未だに収拾がつかない状態だが、昼休みが終わってしまうからと無視をして、呆れた顔で真っ赤な顔の小豆に声をかける。
「……なんで俺のタッパーの肉を食うんだよ? 俺の量が減るだろうが!」
はい、意地汚いですね。全部、小豆任せにしておいて何言っているんでしょうね。きっと小豆さんや香さんが口をつけた箸で、俺の肉を迷い箸するより汚いですね。
まぁ、そもそも二人の箸が汚いなんて考えている時点で俺の心は汚いんですけどね。むしろ二人の箸で俺の肉が浄化されている気がしますけどね。
おや? そんなことを考えている間に、俺の肉は普通に小豆と香さんに当たり前のように奪われておりますね。まぁ、取り分けられているんですけど。
自分の分を弁当箱の蓋に確保した小豆は、満足した表情で俺に答えを提示する。
「だって、お兄ちゃん……サラダを食べるから、ちょうどいいでしょ?」
「……」
その言葉に反論できない俺。
……そうなんだよなぁ。朝は肉のバイキングを目の前にテンション上がっていたんだけどさ。
うん、きっと寝ぼけていたのかも知れない。と言うよりもスイカに気を取られていたのかもな。
たぶん、今の俺は――食べ放題だからって考えなしに取り過ぎて「どうすんだ、これ」って食べきれない料理を前に困惑しているような状態なんだろう。
確かに俺の胃袋は食ったことを忘れているみたいだけど、俺の脳は一応だけど覚えている。
さすがに数時間前に侵入してきた早弁部隊を殲滅できるほど、俺の胃で編成された消化部隊は優秀ではないのである。
つまり、タッパーを開けた時点で「あれ? 食いきれるのか」と一抹の不安を覚えていたのだった。
いや、朝の時点で少し気になってはいたんだよな。いつもよりも肉の量が多い上に、タッパーが普段手渡されるサイズよりも少し大きいような気はしていた。
とは言っても、普段から『上げ膳据え膳』な生活の俺は単なる気のせいだと思っていた。目の前の肉を詰めるのが楽しかったからさ。だって、肉だもん。詰め放題なんですから。そりゃ、詰められるなら詰めるでしょ!
――そして、俺自身が見事に詰んでいた訳です。
さっきタッパーを開けて、気のせいじゃないことに気づいた俺。
少しは香さんが助けてくれるんだけど、その代わりに香さんからの物々交換がある。つまり食べる量は変わらない訳だ。
だから、とりあえず残して放課後にでも『善哉のおやつ』にしようと考えていたのだった。どうせ買い食いして帰るんだしな。パン一個分くらいは浮くだろうし。
そんなことを思っていた矢先の、小豆のサラダ。正直に言えば嬉しかった。
さすがに肉だけだと飽きる……ことはないが、味の変化に乏しい。
味付けと言う意味ではなくて、肉だと言うことなんだが。箸休めのできる品がほしかったところだ。
とは言え、サラダで白米は食えない人なんで結局肉を食っておにぎりを食べるんだけどさ。肉と肉の間の箸休めが欲しかったのだった。
だけど、サラダを食うと言うことは、更に肉を食べられないと言うことになる。だいぶ残ってしまうと言うことだ。
もしかするとパン二・三個に匹敵する量になるかも知れない。まぁ、それでも二・三個は買い食いすることになるんだろうけどさ。
それ以上に、放課後に食べるのだからサッサと食い終わりたい訳だ。帰りに用事もあるから、あんまり居残りたくはない。だから残す量が増えるのは好ましくないと思っていた。
自分で詰めておいて何を言っているんだって話なんだけど「なんであんなに作りやがったんだ!」なんて八つ当たりの感情を抱いていたのかも知れない。
だから本来ならば食べてもらえれば助かるのに、あんなことを言ってしまっていたのだろう。
だけど小豆の言葉を聞いた俺は、すべてを理解すると小豆に苦笑いを送っていたのだった。
そう、俺のタッパーの肉。そして小豆の弁当箱とタッパーのサラダ。そして気づかなかったけど香さんの弁当のおかず。
すべてが『三人用のシェア弁当』だったと言うことなのだ。たぶん、香さんはそれを知っているから俺の言動に乾いた笑いを送っていたんだろう。
香さんは、細身な身体に似合わずアグレッシブな胃袋をお持ちである。まぁ、料理研究会なのは伊達ではないのだろう。関連性があるのか不明だが。
だから弁当箱の大きさにも違和感を感じていなかったが、よく見ると普段よりも少しだけ大きめの弁当箱に、普段よりも少しだけ山盛りのおかずが入っているのだった。元が大きいし、量も多めだから普段通りだと思ってしまっていた。
……弁当箱の見た目が同じだから気づかなかった。何も同じ弁当箱のサイズ違いにしなくても。
小豆さんも香さんも、なんでこんなミスディレクションを仕掛けるんですかね。幻のシックスマンごっこなのですかね。どちらかと言えば俺の方が影だと思うんですが……。
そんな光輝く満面の笑み二つがシャイニーすぎて、影になりきれずに呆然としていた俺なのだった。
呆然としていた俺を横目に蓋の上に自分達のおかずを取り分けて、俺のタッパーの蓋の上に自分達のおかずを取り分けていた二人。そんな綺麗に取り分けられたおかず。
「それじゃあ、いただきます♪」
「いただきま~す」
「……いただきます」
そして、香さんの言葉で食事が開始される。と言うよりも、香さんはフライングして食べていましたけどね。俺も相伴に預かってはいましたけどね。ともあれ、俺達は各自の弁当に箸をつけることにした。
……そして、次の食事が始まるのです。
何となく言ってみたかっただけだし、昼飯には変わらない。そして次回に続く訳でもないのだった。
◆
「……香さんの香味焼きって、すごくミントの香りがしますよね?」
「――ひぃえっ? ぅ、……ゴホゴホッ」
「だ、大丈夫ですか!」
俺は香味焼きを
その言葉に大きく目を見開いて俺に振り向き驚きの声をあげる香さん。そして、声をかけていた時に箸で摘んでいた一口大に切り分けたハンバーグを、驚いた拍子に無意識に口に入れてしまい、喉を詰まらせてしまっていた。
俺は慌てて香さんに声をかけながらペットボトルを差し出す。
「~~~。……。……ふーっ」
真っ赤な顔で苦しそうにして、ポヨンポヨンとスイカを弾ませ――い、いや、右手の拳で胸を叩いていた香さんは、俺の差し出したペットボトルを左手で即座に掴むと、一気に口を付けて飲み込む。
俺にまでゴクゴクと喉を鳴らす音が聞こえてくる勢いで飲み込んでいた。そして喉が鳴らなくなったと思うと、口を離して安堵の息をつくのだった。
「……だ、大丈夫ですか?」
「お姉ちゃん、大丈夫?」
俺と小豆は心配そうな表情で香さんに訊ねる。クラスの連中も心配そうに見つめていた。
「あははは、ごめんねぇ~。もう大丈夫だよ」
そんな風に苦笑いをしながら謝罪をする香さんを見て、俺達も安堵していた。
そう、前々から気になっていたこと。香さんのスペシャリテである鶏肉の香味焼き。
もちろん他の料理も美味しいんだが、香味焼きはギガうまなのだ。
鶏モモ肉を、ネギ醤油とみりん。そして隠し味程度のハチミツと酸味のあるケッパーとオイスターソースを加えた甘辛く濃厚なタレ。
そこに数十分ほど漬け込み、にんにくの芽と一緒に、ごま油とオリーブオイルで香ばしく焼く。
絶妙な火加減で焼きあがったそれに、すりゴマと刻み海苔をかけた一品。
これだけでも、ご飯が何杯もいけそうなほどの料理なのだ。
そんな美味い香味焼き。だけど更に食欲をそそられるのが、喉を通したあとに広がる『爽やかなミントの香り』なのである。
控え目な味付けとは言え、かなりパンチの効いている味付けだ。
油もアブラギッシュしている。
普通だったら、何個も連続して食べられるものではない。いや、おかずとはそう言うものだけど。
だけど、何故かこの香味焼きは、食べ終わるとすぐにもう一個食べたくなるのだ。
喉を通したあとに広がる爽やかなミントの香りが、少しパンチのある味付けと脂っこさを中和して、美味しさと言う余韻だけを残す。
それはまるで『歯磨き粉やミントガム』のように、口内をリセットしているような印象がする。
そんな香さんの香味焼き。俺は、それがずっと気になっていたのだった。
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