第5話 肉 と サラダ
「……あ~、お兄ちゃん、お待たせ~♪」
俺達の前までやってきた小豆は、笑顔で同じ言葉を繰り返してきた。別に待ってはいないんだけどな。
こうして合流した小豆は香さんが用意していた俺の前の席。
そんな不思議な彼女の席に、香さんと同様に当たり前のように座る。
「じゃじゃ~ん♪」
そして声とともに手に持ってきた可愛らしい、弁当箱の入っているピンクの巾着袋を誇らしげに机の上に置いていた。
いや、小豆さん。「じゃじゃ~ん♪」とか言っていますけど、中身は既に公開済みですよね。俺の中身と同じじゃないですか。
なんで「私のお弁当を見せてあげる」とか言いたそうな表情ができるんですかね。
そもそも、まだ袋から弁当箱すら出していないじゃないですか。
巾着袋は入学当初からの小豆の愛用品。同じ袋を六枚持っている妹。
だから、本人にしてみれば日替わりなんだけど、周りから見れば毎日見慣れたピンクの袋。そこには誰も驚いていませんから。せめて弁当箱を出してから言ってください。
俺は苦笑いを浮かべて小豆の行動を待っていたのだった。
あっ、と言うより、早弁した弁当のおかずがあるから香さんに向けたのかな?
でも、あの時小豆の弁当箱に他のおかずが入る余裕なんてないくらいに肉を目一杯詰めていたよな。
そもそも、どう見ても俺に向けてドヤ顔しているし。何がしたいんだろう、この子は。
確かに胃袋には消しゴムをかけていますけど、まだ脳ミソは朝のことを覚えていますよ。
咄嗟に思い直して、それでも小豆のやりたいことを理解できずにいた俺。呆れた表情に変えて小豆を眺めていると、ピンクの巾着の中から可愛らしい弁当箱を取り出していた。
とは言え、可愛いのは大きさのことで、色味はどうにも渋いんだけど。だって小豆色だし。それに俺の、頑張れ頑張れドカベン……な、タッパー。
まさに絹ハサに登場する滝山先生の代表著書『書かすの大罪』シリーズ。
弁当箱ほどの大きさを誇る『書かすの大罪』シリーズの本に匹敵する俺のタッパー。
……その例えはどうなんだろう。まぁ、いいか。
そんな俺のタッパーより可愛らしいと言うだけで、普通の男子の弁当箱くらいの大きさだしな。
だけど小豆さんの弁当箱は、ロリコン祖父ちゃんが知り合いに頼んで作ってもらったと言う本物の
その道の職人さんだった知人によって作られた
我が家の家紋と『小豆』と言う名前。そして色鮮やかな風景画をあしらえ、豪華な金箔が蒔かれている。そんな蒔絵の一品。当然、箸も箸入れも蒔絵の
色味だけじゃなくて、すべてが渋かった。渋さを通り越して芸術品だった。
しかも、この弁当箱セットだけで普通にアニメのBDBOXを買えるだけの値段がするらしい。
なんでも「高校入学のお祝いじゃ」と言っていたらしいが、親父達が陰で「完全に嫁入り道具だな?」なんて、俺の方を見てニヤニヤしながら話をしているのが聞こえてきたくらいに高価な代物なのだ。どこへ嫁入りするんだろうね。俺も見届けてやりたいところだぞ、親族として。
だけど、ただの高校生の弁当箱にそんなに高価な代物なんてな。俺のなんて百均の弁当箱だし。
まぁ、入学当時にお袋に買ってもらった弁当箱を、三日目にぶっ壊した俺が悪いんだけど。弁当箱って俺が踏んだら壊れるんだね。初めて知ったよ。
そんな無残な姿になった弁当箱を持って帰ったら、お袋が呆れていたっけ。俺だって踏んだら壊れるなんて知らなかったんだよ。
そんな訳で「自分で壊したんだから新しいのは自分で買いなさい」って怒られたので、自分で百均で買ったのだった。それに、俺と違って小豆は扱いが丁寧だから問題ないんだろう。
そんな高級な弁当箱の蓋をもったいつけながら開けようとしている小豆。まぁ、単に小さい手だから簡単に開けられないだけなんだろうけど。一生懸命、蓋と格闘していた小豆さんも、ようやく蓋が開けられた。
「じゃじゃじゃじゃ~ん♪」
そして、もう一度こんなことを言ってきたドヤ顔の小豆。いや、呼んでもいねぇし、飛び出てもいないけどな。
そんな小豆に呆れた表情を送りながら、俺は完全に
「……ん?」
「あら~」
「……」
そんな俺の視線には、見覚えのない彩りが弁当箱中に敷き詰められていた。
早弁した弁当でも、タッパーに詰めた肉のフルコースでもない、全然別のラインナップ。俺はそのラインナップに目を奪われていた。隣で見ていた香さんも驚いた表情で中を覗いている。
そんな二人の驚いた表情に勝ち誇った笑顔で俺達を見つめる小豆。そんな弁当箱の中には――
「……なんで、お前の弁当にはサラダしか入っていないんだ?」
そう、山盛りのサラダが詰まっていたのだった。なるほど、これは確かにドヤ顔だな。
小豆の弁当箱には、レタスを土台に、トマトやらキュウリや玉ねぎのスライス。そして、その上にかつお節とペッパー。
シンプルなサラダに鼻腔をくすぐる、しそと梅の和風ドレッシングの香り。
更に巾着から取り出したタッパーには、キャベツを土台にボイルされたエビやアスパラ、ニンジンのスライスとジャガイモのマッシュ。そこにゴマの香ばしい香りのする中華ドレッシングがかかっているサラダ。
そんな二つのサラダが詰められていた。
でも、確か朝食の時に俺と同じ肉料理を自分の分の弁当箱に詰めていなかったか?
俺は自分の記憶を呼び戻しながら、疑問を浮かべた表情で小豆に訊ねるのだった。
その言葉にキョトンとした表情を浮かべる妹。
小豆はそんな不思議そうな顔をして、ラップで包んでいるおにぎりを……首から紐でぶら下げていた巾着袋から取り出して、机に置いていた。まぁ、おにぎりまでは弁当箱の巾着に入りきらなかったから、別の袋に入れてきたのかな。タッパーが大きいから。だけどな。
いくら首から紐でぶらさがっているからって、袋に入っているからって、食べ物で『たわわチャレンジ』をしてはいけません。あと不正だろ、それ。知らんけど。
……今日は、昼休みにウチのクラスの連中のツイートを覗くのはやめよう。
どうせTLは『巾着袋になりたい人生だった』で埋め尽くされているだろうしな。
いや、普通に知らないフォロワーが困惑するから、ベースアウェイなツイートはやめてくれ。そしてマジレスもク●リプも飛ばすな。
あと、膨らんでいるのは巾着袋なんだから色々なモノを膨らますな。頼むからさ。
そんな俺の心休まる、ささやかな昼休みの時間つぶしを、ジャガイモのマッシュのように潰しやがった妹は、満面の笑みを浮かべて言葉を紡ぐのだった。
◆
「お兄ちゃん、野菜もちゃんと食べないとダメだよ~」
「……」
うん。確かにそれはその通りだな。それに肉しかないから口直しに最適だな――って、違うわ!
「そうじゃなくて、自分の弁当はどうしたんだよ? お前……朝、自分の弁当箱に肉詰めていただろうが……」
「え? ……あ~。……ふふふっ……」
俺は消えた小豆の弁当箱の肉の消息を訊ねた。すると、一瞬だけ不思議そうな顔をしてから気がついたような表情に変えて、クスクスと笑いながら真相を伝えるのだった。
「私の弁当箱には最初からサラダが入っていたもん」
「え?」
少しニヤリと笑いながら、こんなことを言ってきた。その言葉に疑問の声を上げる俺。
「私が詰めていたのは、お父さんとお母さんと……永山のおじさんの分だよ?」
「……」
そんな驚いた表情の俺に向かって、満面の笑顔で答える小豆なのだった。
どうやら、小豆の弁当箱だと思っていたのは、永山のおじさん――
まぁ、よく考えれば微妙に色味が違っていた気はするんだけどな。似たような小豆色なんだけど。
でも、肉を詰めようとしていた時には蓋を開けた状態で持ってきたからさ。蓋があれば家紋と名前と絵で判断できたんだろうけど、器部分の側面は普通の漆塗りなだけだから、俺に微妙な色の違いなんて見分けがつくはずもない。
そもそも、あの時は横を見たくても……エプロンの隙間から覗く小豆さんのスイカな柔肌が、俺の視線を妨害していたからチラ見しかできなかったのだ。弁当箱をだがな。当然、他は見ていない。
断じて見ていない。肌色が少し湿っていたなんて見ていない。
そんな格好で炊事をしていたから「水滴が飛んだり、汗をかいたんだな?」なんて思っていない。
「しっとりした透き通った瑞々しい肌が綺麗だ」なんて感じていない。
「コレが本当のウォーターメロンだ!」とか上手いことも考えていないのだ。
――本当にごめんなさい。小豆さんのスイカの谷間くらい、深く反省しております……。
実際には、スイカに気を取られて弁当箱を見ていなかっただけでした。
たまに、お爺様の通院に付き添うみたいで、おじさんの弁当を作れないおばさん――
もちろん、小豆が率先して作っているだけなので、強引に作らせている訳ではない。きっと今日がその日だったんだろう。
だから、おじさんの分の『肉のフルコース』の弁当を用意していたと言う訳だ。そして、別でサラダとおにぎりを用意していたのだろう。
とは言え。
普通、八十九歳になる――いそ助『お爺様』の家の『おじさん』と言えば、肉のフルコースと言う弁当なんて胃が面倒に思う年齢なのかも知れない。単に小豆の嫌がらせにしか感じられないのかも知れない。
もちろん現役バリバリの人もいるだろうが、世間一般的にはYD……YKK。
『
なんて、胃がツンデレしているような年齢なのだ。まぁ、ヤンデレよりはマシだし、あとで確実に『やられたらやり返す……三倍返しよ!』なんて報復を受けるんだろうけどな。
そして内臓のツンデレなんで、表面に出てこないからマシだろう。外見でやられた日には俺の胃がストレスツンデレを起こしそうだ。
そんな理由だから普通に考えて、他人に気配りのできる小豆が……俺以外。そんな弁当を作る訳がないと言うのが一般論なのだろう。
だけど、俺の言っている『おじさん、おばさん』とは、いそ助さんの
現在、三世代で同居をしている永山家。そんな永山家と霧ヶ峰家は古くからの付き合いなのだ。
永山のおじ様は、ウチの祖父ちゃんの幼馴染。だから本当なら世代的にも『お祖父さま』と呼ぶべきなんだろうけど、お爺様が健在なので、我が家ではそう呼んでいるのだった。
そして、公平さんはウチの親父の三歳年上。
つまり、まだまだ現役の
最近「いや~、この歳になると肉は受け付けなくなるよな? 本当、魚の方が恋しくなるよ」と、親父と酒を飲みながら言っていた。そのあと、テーブルに出された料理を見て「そうそう、これからは魚だよな! うん、やっぱり魚の方が美味いな!」なんて言っていた。
小豆の作った『鶏と豚と牛肉の
……まぁ、だいぶ酔っていたと言うことにしておこう。
と言うよりも普通に出せよ。わざわざ偽装するなよ。そしてトリックを仕掛けたようなニヤリ顔をするなよ、小豆。
まぁ、食えば普通にわかることだろうけどな。実際に食べた俺はすぐにわかったからさ。
そもそも、浴びるほど酒を飲みながら、親父と二人でテーブルに並べられていた、軽く五人前はあったであろうツマミを平らげたあげくに、揚げ物を軽く一人で二人前も食べられる胃袋なら、現役の
そう言う人だから、俺と同じ『肉のフルコース』にしていた小豆。さすがに公平さん以外の人用なら別の料理にしていたのだろうと思う。公平さんと同じくミートイーターな親父とお袋は別だがな。
俺は、そんな公平さんに渡された弁当箱を、小豆の弁当箱だと思っていたのだった。
ただ、小豆は俺と違ってバランスよく食事をする方だ。きちんと野菜も食べる。
俺もちゃんと野菜は取っているけどな。小豆が出すからだけど。
だから、弁当箱の件については納得したけどさ?
「だからって、サラダしかないんじゃ午後が持たないだろ?」
「……あはははは……」
さすがに、おにぎりとサラダだけでは腹持ちしないだろうと思って聞いてみた。
量自体は半端じゃないんだけどさ。俺の肉のみの弁当箱と比べて、極端な気がするのだった。
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