君の仮装に乾杯(九)


 失神した神之臣かむのしんコスの中身キショメンを介抱するせいらコス女子と共に、ひどく白けた視線を送っていると――男はまたもや蝙蝠こうもりさん達に助けてもらいながら立ち上がった。



「もう怒ったでござる…………拙者をどこまでも愚弄しよって! ガチブスとデブスは我慢できても、半魚人のミイラは生理的に受け付けん。だがこうなったからには、貴殿の命をもってして罪を償ってもらうでござる!!」



 男の長い腕が、僕に向かって伸ばされる。その向こうに、憤怒の形相をした男の顔がある。その様子から窺うに、ストライクゾーンから大きく外れた獲物は試食もせずに廃棄するつもりのようだ。


 男は今度の今度こそ、本気で殺しにかかってくる。そう確信させるほど、彼からは凄まじい殺意が漲っていた。



 それでも、僕は動けなかった。


 半魚人のミイラ呼ばわりされて凹んだからでもなければ、男の放つ禍々しい瘴気に恐怖し萎縮してしまったからでもない。



 男の口から、親友達と同じ言葉遣いが飛び出したことに衝撃を受けたせいだ。



 数多の犠牲者の血を食んだであろう、鋭く尖った牙が眼前に迫る。停止していた脳がやっと働き、逃げなきゃ、と思い至った頃にはもう、男との距離はそれが叶わぬまでに縮まっていた。




 ところがその時、目の前に黒い何かが立ち塞がった。




 それは――――一頭のゴリラだった。




 ゴリラというのは、ゴリラである。ウホウホ言いながらバナナ食べてるイメージの、あのゴツい類人猿である。握力は最大五百キロ、B型しかいないと言われる、霊長目ヒト科ゴリラ属のあの生物である。動物園では意外と人気で、子供から大人までナックルウォーキングする姿を見ては歓声を上げる、あのゴリラである。



「ギニョ!?」

「ドゥボ!?」



 訳のわからない悲鳴を放ったのは、板垣いたがきさんと君枝きみえださんだ。



 まさか、二人にも『見えて』いる……?

 このゴリラが、『見える』のか!?




 ドムドム。

 ドムドム、ドムドム。

 ドムドム、ドムドム、ドムドム、ドムドム!




 そこへ、重くリズムを刻む音が響いた。


 はっとして辺りを見渡すと、周囲はゴリラだらけになっていた。


 ステージにも上にも下にも、ゴリラ、ゴリラ、ゴリラ。観客が逃げて引いた最前列にもゴリラがずらりと並び、平手で胸を打っている。揃ってドラミングするその姿は、まるで祝賀の式典で演奏する音楽隊のようにも見えて実に壮観だった。


 しかしこの百を超えるゴリラ達によるドラミングは、イベントを盛り上げるために奏でられているのではない。『悪いことは言わんから引け、今なら許す』と警告しているのだ。



 僕にとって、このゴリラ達は『見慣れた』存在。


 でも今目の前にいるゴリラは、ドラミングしている他のゴリラとはどこか違う。二メートルはあろうかという彼らに比べると小柄で、身長170センチ強の僕とそれほど大差がない。



 何より、僕の知るゴリラは他の人に『見えるはずがない』のだ。


 何故なら彼らは、オバケが見える僕でも普段は目にすることができないほど『高位の存在』だから。



 皆に見えているのは、僕の傍にいるこのゴリラだけのようだ。



 板垣さんと君枝さんも、両脇でドラミングするゴリラには目もくれず、真っ直ぐに僕達の方を向いて固まっている。失神から目覚めたらしい神之臣かむのしんコスのキショメンもせいらコスの女の子も、観客のような顔をして集うゴリラを無視して、こちらのゴリラにのみ視線を注いでいる。もちろん、他の皆もだ。



 ここに集う全員が、僕の側にいる一頭のゴリラを見ている。このゴリラだけ、見えている。




 ということは、このゴリラは――。




 僕の思考は、そこで止まった。




「な、何だ……このゴリラは! お前か、お前が呼んだのか!?」




 寸でのところで立ち竦んだ吸血鬼男が、真っ白な顔をさらに白くして喚く。彼は他の者と違い、ゴリラの軍団も見えているらしい。


 そこで引けば良いものを、男は僕を守るように立ち塞がるゴリラに詰め寄ってきた。



 そこで僕はヒッ、と息を飲んだ。襲いかかってくる男に向けて、ゴリラが鋭い三日月蹴りを放ったからだ。



 この美しいフォームには、見覚えがある。元キックボクシングチャンピオンだったという母上に教わったと、聞いた覚えも。




 それが誰なのかは、言うまでもない。




「面白い出し物だなぁぁぁぁ……楽しませてもらったよぉぉぉぉ…………。温泉旅行がかかってるんだから、このくらい派手にやらなきゃって気持ちはわかるぞぉぉぉぉ……?」




 他のゴリラに比べるとやや小柄なゴリラが、低く唸るような声で人間語を話す。


 くぐもってはいたけれど、それは確かに――愛しい彼女の声だった。




「だがなぁぁぁぁ…………だぁれぇが、可愛い可愛いリョウくんに触っていいっつったぁぁ……あぁぁぁぁん? 本人が了承したとしても、あたしは許可してねえぞぉぉぉぉ……? リョウくんの優しさに甘えて、抱き着いて誘惑するつもりだったんだろうがなぁぁ、そうはいくかぁぁぁぁ……。てめえみてえに合コンで同性に嫌われがちな計算高いボディタッチで節操なしに迫りくさるタイプ、あたしも例に漏れず大っっっ嫌いなんだよなぁぁぁぁ……! 矯正の余地皆無、殺菌滅殺一択だぁぁぁぁ…………!!」




 彼女の到着が大幅に遅れた理由が、僕にもやっと理解できた。


 なるほど、道理で時間がかかったわけだ…………これだけ完璧な『コスプレ』を仕上げていたんならね。



 普段は美少女、現在はゴリラ。


 僕への想いが強すぎて、時に束縛気質を爆発させる彼女だが、この状況を『見知らぬ男が彼氏を誘惑しようとしている』と盛大に勘違いなされたらしい。



 怒りによる覚醒進化を果たし、闇ハルカ以上の恐ろしさを極めし真・闇ハルカ――――今回は彼女の守護霊軍団と同じく、まさかのゴリラ姿での登場である!!

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