走れ、軟弱者!(十六)
普通の子じゃないのはすぐにわかった。だって、彼の姿を通して周りの風景が透けて見える。
この子も、オバケなんだ!
慌てて手を振り解こうとしたけれど、次に放った彼の言葉がそれを押し留めた。
「早く走って! 逃げなきゃ殺されるよ!」
この声は……。
「き、君、もしかしてトイレで僕を励ましてくれた……?」
やっとのことで固まった足を動かし始めた僕を振り返り、彼はニコッと笑った。半透明ではあるものの、この子だけは表情がしっかりと見える。
どうやら、背後から迫る子ども達とは質が違うらしい。
「そうだよ、俺だよ。でも今は口を閉じて、走ることだけに集中して。あいつら、お兄ちゃんを殺そうとしてる! 魂を食らって、仲間にするつもりなんだ!」
え、えええええ!?
「待って、他はわかるけど……ゴリラは? 彼らは味方のはずなんだけど」
僕が尋ねると少年は、さっと目を伏せて叫んだ。
「あのゴリラは味方なんかじゃないよ! お兄ちゃんのこと、ずっと前から嫌いだったって言ってた! お兄ちゃんさえいなくなれば、あの可愛いお姉ちゃんを独り占めできるからって! 最低の悪人、ううん悪ゴリラだ!!」
ウソーーーーン!!
いや、何となくは気付いてたけどね……僕なんかじゃ、ハルカに釣り合わない。ハルカを幸せにするには、力不足だって。こんな軟弱者じゃ、彼女を守ることなんて到底無理だって。
それでも、こうして事実として突き付けられるとひどく悲しい。
少しは受け入れてくれてるんじゃないか、なんて自惚れてたから……悲しいし悔しいし、自分に腹が立つ。彼らに悪感情を抱かせてしまったのは自分のせいなのに、勝手に裏切られた気持ちになって涙が出そうになる。
唇を噛み締めて己を苛む自己嫌悪に堪える僕の隣で、少年が悲しげな声で呟いた。
「俺も、友達に裏切られたんだ。お兄ちゃんを応援しようって言ったのに、皆聞いてくれなかった。殺して仲間にして遊べばいいだろって……俺、そんなことしたくないのに」
ぐっと掴まれた手に力がこもる。
「もうあんな奴ら、友達じゃない! だからお兄ちゃん、俺と一緒に逃げて!」
真剣な瞳に、僕は頷いた。
友達から孤立しても、この子は……この子だけは、たった一人になっても僕を応援してくれていたんだ。
「ありがとう……大丈夫、お兄ちゃんに任せて。僕が君を守る!」
そう宣言すると、僕は足に全エネルギーを注ぎ込み、今度は彼を引く形で疾走した。
額から流れ落ちる汗が目に入り、視界が滲む。ぼやけた風景の中、それでもトラックの向こうに輝く神々しい光だけは見えた。
ハルカだと、僕は直感した。
彼女なら、きっとこの子を助けてくれる。ゴリラの守護霊達を制する彼女なら、この子を救えるはずだ。
僕はどうなってもいい、でもこの子だけは守らなくちゃいけない。百を超えるオスゴリラ全員に嫌われたって殴られたって殺されたって、これだけは譲れない!
ハルカという光を目指して、僕は懸命に走った。
ハルカ……ハルカハルカハルカハルカ、ハルカ!!
「
が…………名を呼ばれて、僕はやっと気が付いた。
ハルカが放つ内なる光だと思っていたのは、日光を反射する
己の盛大な勘違いを恥じつつも、僕は差し出されたその手にしっかりとバトンを手渡した。
「リョウくん!」
今度こそ正真正銘、間違いなくハルカの声だった。
駆け寄ってくる彼女の姿を見て安心した僕は、へニョへニョとその場に膝を付いてへたり込んでしまった。ハルカはそっと僕を抱きかかえ、トラックの内側に連れて行ってくれた。
「リョウくん、すごかったよ! 一人で半周の遅れを取り戻したんだよ!」
息が上がって、言葉にならない。タオルで汗を拭いてくれる彼女に、伝えたいのに。
僕のことはいいからあの子を助けて、ゴリラを止めて、と伝えなきゃならないのに。
そういえばあの子は……と辺りを見渡して、僕は固まった。
「イエーーーイ! 大成功っ!!」
「ケンタくん、やったねっ!」
「皆のおかげさ! すごい迫力だったよ!」
グラウンドの真ん中で、あの少年は他の子ども達と仲良くハイタッチし合っていた。
子ども達だけじゃない。彼らと一緒になって、人体模型と古びた大きな鏡と有名音楽家の絵画とオジサンの胸像といったものまでもが、仲間入りして楽しそうに踊っている。
そして、その背後では――――ゴリラ達が手を繋いだり肩車したり宙に浮かんで丸まったりして、地面と垂直に人文字ならぬゴリラ文字を形成していた。
『ドッキリデシタ』
……は?
…………はあああああああああ!?
ハルカが替えのタオルと水を取ってくると言って離れた隙に、僕はガクガクと痙攣する足で必死に立ち、子ども達の元に近付いた。
「あの……」
「ごめんね、お兄ちゃん。ビックリさせちゃって」
「でも、こうでもしないと勝てないと思ったからさ」
口々にお詫びする子ども達の中から、あの少年が進み出てくる。
「皆で、ずっとお兄ちゃんを応援してたんだよ。俺達全員、お兄ちゃんの応援団だからねっ!」
ちなみに徒競走で僕を追い回したのは、夜間散歩が趣味の人体模型のジンさん。
綱引きで襲いかかってきたのは、階段の踊り場というつまらない場所に長らくいたせいで、映る景色をアレンジすることで暇潰し続けていた古鏡のレディカガさん。
ついでに暗い音楽室で照明係をやっているという肖像画のベンさんと、初代校長の姿を模して作られたものの本人よりイケメンと自負する胸像のクロやんにも声をかけて、応援に参加してもらったんだそうな。
彼らは学校の七不思議として、昔は大いに活躍していたのだとか。
「ということは、ゴリラ、も……?」
少年が頷き、ゴリラを振り向く。
僕も恐る恐る顔を上げてみると、いつのまにかゴリラ文字が変わっていた。
作られたメッセージは――――『WE♡RYO』。
それを見るや、僕は脱力してグラウンドに膝をついた。
…………んもーー!
本当に嫌われてるのかと思って、本気でめげたじゃないかーーーー!!
泣きたいような笑いたいような何とも言えない感情のまんま泣き笑いする僕に、少年が隣から笑顔で問いかけてきた。
「どう? 運動会、楽しかった?」
僕は立ち上がると、彼に向き合い、ずっと伝えたかった言葉を告げた。
「うん、とっても楽しかったよ。応援してくれて、ありがとう。君達のおかげで、大嫌いだった運動会が好きになれた。本当に、本当にありがとう」
少年が嬉しそうに笑う。
他の子ども達も、七不思議組も、そしてゴリラ達も、手を取り合って喜んでいた。
ゴリラ達は、僕を応援するこの少年の応援をしていたのだろう。だから、お昼にトイレで他の子に声をかけようとした僕を必死で止めたに違いない。
感謝の気持ちは、他の誰でもなくこの子に伝えてほしくて。人間の言葉を話せない代わりに、不器用ながらも行動で示したんだ。
…………できたらもっと、穏やかな方法で引き留めてほしかった気がしなくもなくもないけど。
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