走れ、軟弱者!(十三)
最後の競技の前には、十五分の休憩時間が設けられている。運動会ラストを飾るリレーの作戦会議をするためだ。
騎馬戦のおかげで、白組はついに赤組と並んだ。なので、最後のリレーが両チームの勝敗を決する。
「
チームメイト達の輪の中心で、
「あれはもうダメです、ただの屍ですよ」
「屍は腐るに任せて放置するとして、別の人を加えましょう」
ミキちゃんとトモカちゃんが、端っこの方で泣いている林田さんに冷ややかな目を向けながら答える。
林田さんはすぐに意識を取り戻したものの、『ゴリラがいたんだよぉ! 怖かったんだよぉ! 痛かったんだよぉ! ウンチがキラキラしてたんだよぉ!』などと意味不明な言動を繰り返し、まともに話すことができなくなっていた。
中森くんにもらったプログラムでは、リレーに参加を示す印が付いていなかった。だから僕もやっと応援に回れると安心していたんだけど……これは雲行きが怪しくなってきたぞ。
鶴野さんの目が、僕に向く。
ああっ、やっぱり? そうなりますよねーー!?
「あたしが、林田さんの代わりに走ります」
しかし鶴野さんが口を開く前に、ハルカがさっと手を挙げて申し出た。
「先に攻撃されたからとはいえ、騎馬戦で林田さんを倒すよう皆に指示したのはあたしです。だから責任持って、あたしがアンカーを務めます」
「
「これで白組が勝ったも同然ね!」
皆が笑顔でハルカの意見に賛同する。
てっきり自分に振られると思ってビクビクしていた僕も、ほっと胸を撫で下ろした。
でもその胸に、チクリと棘に刺されたような痛みが走る。
本当に、これでいいのか?
足の速いハルカに任せれば、確かに勝利の確率はぐっと上がるだろう。
けれど……何もかも彼女に任せっきりでいいのか?
そもそもハルカがこの運動会に参加することになったのは、僕のせいだ。中森くんの頼みを断り切れなかった僕に付き合っただけ。僕と一緒にいたい、その一心で彼女はここに来てくれた。
それに、騎馬戦の疲れだって残っているはず。乗っかってただけの僕と違って、男一人抱えて走り回っていたんだから。
『俺達、皆運動会が大好きだから、お兄ちゃんも好きになれるように頑張るね』
あの子の言葉が、耳奥に蘇る。まだ会えていない、僕の応援団長。
運動会を好きになれた? と、僕は自分自身に問いかけてみた。
最初は嫌で嫌で、中止になればいい逃げたい帰りたいとしか思ってなかった。
でも今は。
怖い思いをしたし、嫌な思いもした。けれど、これまで参加したどんな運動会よりも充実した時間を過ごせた。
楽しかったと胸を張って言えるようになるために、足りないものがあと一つ。それは、やり遂げたという『達成感』だ。
運動会は、勝つだけが全てじゃない。
皆と一緒に頑張って、勝ち負けに一喜一憂して――――そんな一体感を味わうことが最大の魅力なんだ。
「ぼ、僕が……っ」
リレーの走者順を決め始めた皆に向けて、僕は緊張で裏返った声を放った。
「僕が、走ります……!」
「リョウくん!?」
隣にいたハルカが、大きな目を驚きに瞠る。
「ハ、ハルカは、騎馬戦でかなり体力を消耗してると思います。こ、これ以上、無理はさせられない。かかか、かっ彼氏として、彼女の分も、僕が……っが、がががんが、んぎょぎょっ、んぎょげが頑張りますっ!」
盛大に噛んでしまったけれど、僕の意志は何とか伝わったらしい。
「芳埜さんの代わりに
「彼も、出場競技では大活躍してたものね。アンカーでの巻き返しも期待できるわ!」
「彼女のこと、心から大切にしてるんだな。ちょっと感動したぞ! 格好良いとこ、見せてやれっ!」
チームの皆が、あたたかい言葉を投げかけてくれる。
これまでは『飛び入りの変な半魚人』という目で見られていたけれど、ここにきてやっと人として受け入れてもらえたような気がした。
えらく静かだな、と思って恐る恐るハルカの方を見ると……何と彼女は、子どもみたいにしゃくり上げながら泣いていた。
いやいや、感激しすぎでしょ!
「あ、あの、ハルカ。そ、そんなに泣かないで?」
「だ、だって……っ、リョウくんが……格好良すぎるのが、悪いんだよ……! あたしのこと、こんなに気遣ってくれて……嬉しくて嬉しくて……っ! 本当はっ……運動、苦手なのに……なのにリョウくん、あたしのためにこんな大役、引き受けてくれるなんて……!!」
泣きじゃくる彼女に向き直り、僕はたどたどしい口調で尋ねた。
「ぼ、僕が、どんなに無様な姿を晒しても、チームが負けることになっても……最後まで、応援してくれる……?」
涙をボロボロ流しながら、ハルカは何度も頷いた。
「うん……うん! たとえ世界が全員敵になっても、あたしは、あたしだけは……っ、絶対にリョウくんの味方だよ……!」
感極まったハルカが、僕の薄っぺらい胸に抱き着いてくる。ヒュー! と周りから野次を飛ばされ、僕は真っ赤になった。
けれど彼女の温もりに満ちた胸にはもう、棘のような痛みは綺麗サッパリなくなっていた。
「作戦会議は終わったかのう?」
タコみたいにうねうねと彷徨わせていた手を、やっと覚悟を決めてハルカの細い肩に回しかけていた僕は、背後からの声に飛び上がった。
「
怒りで真っ赤になっている鶴野さんを受け流し、亀山さんはカカカと笑った。
「そんな必要がどこにある? お前らがどう足掻こうと、勝つのは赤組と決まっておるのに」
「気にならんのなら、競技前にわざわざこちらに来る必要などなかろう? 卑怯な手を使わないと負けそうなんですと素直に認めたらどうだ?」
鶴野さんも不敵に笑い返す。その鼻先に指を突き付け、亀山さんが叫んだ。
「違うわい! オラは貴様に宣戦布告に来たのじゃ!」
全員が、ポカンとして二人を見る。けれど一番ポッカーンとしていたのは、鶴野さんだった。
「せ、宣戦布告? 何を今更……」
「うるさーい! 騎馬戦での借りを返してやると言っておるのじゃ!!」
更に声のボリュームを上げて、亀山さんが怒鳴る。
「大将同士の戦の結末があれでは、チームの奴らに示しがつかん! そこで……このリレーのトリを、お前とオラで務めるというのはどうじゃ?」
鶴野さんの表情に、軽く動揺が走る。
僕も息を飲んだ。だって鶴野さんは足を……。
「いいだろう! その挑戦、受けて立つ!」
しかし鶴野さんは椅子からすっくと立ち上がり、亀山さんに向けて毅然と言い放った。
よくよく見ると、痛めた利き足を庇って反対側の足に体重をかけている。クソ、誰も気付いていないのか?
このことを知っているのは僕だけ。なら僕が何とかするしか……。
「楽しみにしとるぞ。かけっこでオラに勝てたことがない『タッちゃん』の活躍をな!」
「フン、負けるものか。昔の栄光にいつまでも浸っている『トヨちゃん』に、目に物見せてくれる!」
けれど火花を超えて敵対心の花火を打ち上げる二人の迫力に負けて、口を挟むなんてとてもできず――結局僕は何も言えないまま、カカカと笑いながら立ち去る亀山さんの後ろ姿を見送るしかできなかった。
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