走れ、軟弱者!(十)


 恥辱の借り物競走による精神的疲労に苛まれつつも、僕は次の競技となる二人三脚に出場した。


 半魚人やら変態ウンコマンやらバーニング線香やら、今日だけで変なあだ名付けられすぎだよ……こんなことになるなら、いるかいないかわからない空気みたいな存在で良かった。おかげで皆に顔を覚えられたけど、こんな記憶の残り方すごくやだ。



「リョウくん、聞いてる?」



 列に並んでしゅんと黄昏ていたら、隣からハルカが強い口調で問いかけてきた。顔を上げると、ぷくっと頬を膨らませた愛しのマイハニー。こんな表情も、とてつもなく可愛い。


 いけない、落ち込んでる場合じゃなかった。


 二人三脚には、ハルカとペアで参加する。僕一人なら転んでもいいけど、ハルカまで巻き込んで怪我でもさせてしまったら大変だ。



「んもー、仕方ないなあ。もう一回確認するよ? 走る時はウッホッウッホッのリズムでいくから、ちゃんと合わせてね」


「ええと……ウッホッウッホッね、わかった」



 何故その掛け声にしたと問いたい気持ちはなきにしもあらずだけど、僕は素直に頷いた。だって大切なのは掛け声じゃなくて、息が合ったプレイだからね。


 いよいよ、僕達の前にスタートラインが迫ってきた。


 ハルカの折れそうに細い足首と、骨と皮ばかりでこれまた折れそうに細い僕の足首をしっかり結び付ける。ハルカの左手が腰に回されると、僕はまた顔だけバーニング線香となった。



「ほら、リョウくんもあたしの体に捕まって」



 促されるがまま、おずおずとすんなりくびれたウエストに右手を添える。力を込めると壊れてしまいそうで躊躇する僕に焦れたのか、ハルカは空いていた右手で僕の手を掴み、しっかりと抱かせた。


 うう……こんなに密着するなんて。女の子らしい感触と女の子らしい香りのダブルパンチで、まだ走ってないのに心臓バクバクだよ!



 こんな状態でゴールまでいけるのか、僕!?



「位置について」



 しかし無情にも、競技開始の宣言が落とされる。そして気持ちを落ち着ける間もないまま、スタートの笛が鳴り響いた。


 凄まじい敏捷性で、ハルカが僕ごと一気に飛び出す。



「ウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホ!!」

「ウホッ!?」



 彼女の勢いに、僕は驚きのウホ声を上げた。



 待って待って、ウッホッウッホッのリズムでって言ったよね!?

 ちっちゃい『つ』、いわゆる促音はどこいったの!? ゴリラに食べられちゃったのーー!?



「ウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホ!」


「ウホォォォォォ!! ウホウホッ、ウホーーーー!!」



 早口言葉の粋に達したウホウホに合わせて走るハルカの速度は凄まじく、僕の脚力では付いていけない。しかしハルカは、片手でがっちりとホールドした僕を引きずるようにしてトラックを駆ける、駆ける、駆け抜けていく!


 最早、二人三脚ではない。ただの女神様狂乱独走だ。人間相手に貧弱な僕という重し程度じゃ、ハンデにもなりゃしない!



「ウホウホウホウホウホウホウホウホウホウホーーウホーーーーイ!」



 ゴールテープを切ると、ハルカはウホウホ言葉のまま歓声を放ち、半死半生の僕を抱き締めた。



 結果は、ぶっちぎりの一位。



 メスゴリラに連れ回された半魚人って、こんな感じなんだろうか?


 抜けかけた魂を必死に引き戻しながら、僕は無邪気に笑うハルカの笑顔を虚ろに眺めていた。




 白組は、相変わらず赤組を僅差で追っているという状況だ。


 しかし、泣いても笑っても残された競技はあと二つ。

 そろそろ逆転したい白組団長の鶴野つるのさんも、確実に勝利するために得点を稼ぎたい赤組団長の亀山かめやまさんも、触れれば纏う空気に斬られそうなほどピリピリしている。



 けれど僕は、そんな二人を気にかける余裕などなかった。



結城ゆうきくん、約束、忘れないでくださいね!」



 人の上に乗るなんて初めてのことで、バランスをうまく取れず生まれたての子馬みたいにガクガク震える僕に、隣の騎馬隊から林田はやしださんが例の言葉と共に意味深な視線を送ってくる。


 だから! 約束なんかしてないってば!


 くそう、女人日照りの筋肉畑め……僕の萎びた領地からハルカという唯一無二の花を奪おうとするなんて。ロマンスの雨が降って来てほしいなら、雨乞いスクワットでもすればいいのに!


 文句を言いたいのは山々だけど、それを口にするわけにはいかない。何故なら。



「ねえ、約束ってなぁに?」



 僕の真下から、ハルカが顔を上げて問い返してきた。


 彼女は僕の足を先頭で支える役目を担っている。後ろ二人は、ミキちゃんとトモカちゃんだ。


 女の子三人に騎馬を任せるなんて不安だったけれど、僕の貧相な体は殆ど負担にならないらしい。林田さんという重量級を扱う騎馬三人は早くも死にそうな顔になっていたけれど、ミキちゃんとトモカちゃんは楽しげに談笑していた。



「あ、えっと、うん。必ず勝とうねって、何か、そういう感じの……決意的な、ね」


「そうっす! 男の約束っす!」



 筋肉畑もとい林田さんも笑顔で答える。


 彼の肩を持ったわけじゃない。了承した覚えなどないとはいえ、勝手にデートさせる話がされたなんて彼女に知られたら……僕もただじゃ済まないもん。




『ハヨシネ、否、林田だったかぁ? 無謀な提案を持ちかけてきたあいつは華麗に始末するとしてぇ、リョウくぅぅぅん? どうしてちゃんと断らなかったのかなぁ……? もしかしてぇ、あたしを他の男に押し付けてぇ、うまいこと別れようとしてたのぉ……? 理由は、やっぱり女かぁ? どの女だぁ? いいや、言わなくていいぞぉ……この世の女、全員消してやるからよぉ、その目でてめえのやらかした結末を、とくと見るがいいわぁぁぁぁ……!!』




 ひいいいいい! 想像だけでチビりそうになった!!


 ダメだダメだダメだ、バレたらミキちゃんやトモカちゃんまで滅亡させられてしまう!!



「二人共、気合十分だな。ワシも漲ってきたぞ!」



 僕の気も知らずに、反対隣から鶴野さんが威勢良い声を上げる。本当にこの人、エネルギッシュだよなぁ。


 ちなみにこの騎馬戦は、総当たり殲滅戦方式。大将となる騎手を獲れば勝ちというんじゃなくて、どちらかのチームが全滅するまで続く。


 人数の関係で、騎馬隊は各チームたったの三つで合計六部隊。けれどそれではあっという間に勝敗がついてしまうため、競技として面白くない。

 そこで上に乗る騎手は帽子だけでなく、ハチマキを左右の上腕部に結び付ける。要するに、一つの騎馬隊に三つのポイントがあるというわけだ。


 白組チームの騎手は、鶴野さん、林田さん、それに僕。

 対して赤組チームは、亀山さん、ミキちゃんの弟だというマサキくん、そして僕と同じくエースに祭り上げられたせいでプレッシャーにやられ、既に死んだような目をしている並木なみきさん。



「亀山はワシが仕留める。お前らは残りをれ」



 闘志に燃える眼差しをライバルに向けたまま、鶴野さんが短く告げる。


 殺れって……帽子とハチマキ取るだけですよね!? 命までは取らないで! お願いだから亀山さん共々長生きして!!



 そこへついに、開戦を知らせる法螺貝の代わりに鋭い笛の音が鳴り響いた。



「いい? 皆、あたしが言った通りに動いて。まずは並木さんを殺るよ。騎手は腰が引けてるけど、騎馬は見たところそこそこ戦力がありそうだから注意してね。奴らが撹乱に回る前に、一気に叩き潰す!」



 待機している間に敵を分析したようで、ハルカが駆けながら背後の二人に命じる。


 しかし、これに異を唱える者がいた。



「いいえ、ハルカさん。先にマサキを殺るべきです」



 左後ろにいたミキちゃんが、静かに告げる。



「あいつ、ああ見えて騎馬戦では負けなしの手練です。見るからに狙い目な並木さんに攻撃が集中すると予想して、向かった騎馬隊を後ろから叩くつもりだと思います。バカのくせに、そういうところだけは頭が回る厄介な奴なんです」



 ミキちゃんの説明によると、弟のマサキくんは頭脳戦にも長けているようだ。



「それにあのクソガキ、お昼に私のプリンを横取りしたんですよ。絶対に許さない……何が何でも潰してやる!」



 振り向かずとも、ミキちゃんがどんな表情をしているのか僕にはわかった。


 間違いなく鬼神化してる……だって足元からもんのすんごい殺気感じるもん!



「わかった、ミキの仇は必ず討つよ。作戦変更、左手に進軍! マサキを殺る!」



 ねえ、これ運動会だよね!?


 本物の戦場みたいな空気になってるけど、死人出ないよね!?

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