走れ、軟弱者!(九)


 午後の部の種目も、残り僅か。


 数は少ないけれど、どれも運動会では花形と言える競技だ。

 不安はある……というより不安しかないけど、あと一歩のところで赤組に追い付けない白組チームのために、僕も参加種目でしっかり貢献しなくてはいけない。


 せめてもうオバケが悪戯してこなきゃいいんだけど。


 ワイワイと盛り上がる借り物競走を見学しながら、僕はひっそり溜息をついた。


 ハルカも参加しているから、今は一人。レイさんと剛真ごうしんさんも愛娘に視線を向けているし、多少メランコリックな顔をしていても『どうしたの!? この世の憂いを一身に受けたような歪んだ表情して!』『救急車呼ぶ!? いや、ヘリだ飛行機だ戦闘機だ!』『それより応急処置を! 心臓マッサージでドキドキタッチに人工呼吸でキュンキュンキッス、イエア!』なんて騒がれる心配はない。



「あの……結城ゆうきくん」



 そっと隣から声をかけられ顔を上げてみると、それは林田はやしださんだった。


 さっきの玉入れでのことが頭を過り、僕はビクリと身構えてしまった。情けないったらありゃしない。



「さっきは、その……すみませんでした。大人気ないことしちゃって」



 申し訳なさそうな顔をしているけれど、謝ればいいってもんじゃない。


 人に背後から物を投げ付けるなんて、最低の行為だよ。皆が一生懸命頑張ってる時に、しかも副団長なのに……言え、ガツンと怒ってやれ、結城リョウ!



「い、いえ、林田さんの投げる玉の方向にいた僕が悪いんで……こちらこそすみません」



 ああ、もうっ!

 何でここで謝っちゃうかなあ!? バカなのアホなの魚人なの!?



「結城くんが謝ることないです。婚活がうまくいかないからって、ショボダサブサい半魚人のくせにあんな可愛い彼女とイチャつきやがってって嫉妬した俺が一方的に悪いんで」



 殊勝な言い方してるけど、思いっ切り僕のことディスってますよね。謝る気あるのかな? 僕もこのくらい太い神経を持ち合わせたいものだよ。


 文句を言う気力も失せて、僕はがっくり肩を落とした。ええ、こんなことにはもう慣れっこですから。



「そ、それでですね……結城くんにお願いがあるんです」

「は?」



 僕が何も言わないものだから、謝罪になってない謝罪を受け入れてくれたと思ったらしい。林田さんはぐっと顔を近付けて厚かましいにも程がある申し出をしてきた。



「ハ、ハルカさんと……デートさせていただけませんか?」


「……は!?」



 な、何言ってんの、この人!



「もちろん、ただでとは言いません! 栄えあるリレーのアンカーを譲ります!!」



 そんな権利、要らないよ! 熨斗付けて突き返してやるよ!!



「な、何でですか?」



 なのに僕はこの期に及んでも怒ることができず、代わりに毒にもならなければ聞いたところで意味もない疑問を口にした。はぁ、本当に気が弱くてダメな奴だ。自分で自分が嫌になる。


 すると林田さんは絶望的なまでに似合ってないゆるパーマの頭を掻いて、恥ずかしそうに答えた。



「先にも言ったけど、俺、婚活がうまくいかなくて悩んでるんですよ……。だからハルカさんみたいに可愛い子とデートできたら、少しは自信持てるようになるんじゃないかと思って。それにもしかしたら、二人きりで過ごせば俺の魅力に気付いて靡いてくれるかもしれないし……って、これは冗談ですけどね!」



 絶対冗談じゃないよね! 後半が本音だよね!?



 うう、ハルカが変な奴に目を付けられてしまったぞ……こ、ここは何とかして彼女を守らなくちゃ。


 だって僕は、ハルカの彼氏なんだから!



「そ、そんなのダメです。ハルカは僕の彼女です。それに、ハルカだって困ると思います……」



 僕は精一杯の勇気を振り絞り、弱々しいながらもお断りの言葉を伝えた。が、こんなもので引き下がる相手ではない。



「それじゃあ、こうしましょう」



 林田さんは人差し指を立て、ニヤリと笑った。あ、嫌な予感……。



「男なら、正々堂々と勝負です! 戦いといったら、やっぱり騎馬戦。どっちがより多く点数を取るかで決めましょう!」



 えええええええええ!? 何でそうなるの!



「勝負ってそんな……ハルカの気持ちもお構いなしに勝手に決めるのは……」

「リョウくーん!」



 慌てて却下しようとした僕の耳に、名を呼ぶ声が届いた。


 まずい、ハルカだ!



「一緒に来て! 急いで、早くっ!」



 ハルカは切羽詰まった表情で僕の腕を取ると、引っ立てるようにして僕を連れ出した。頬を赤らめて見惚れている林田さんなど完全にスルーだ。


 もしや、結城リョウ情報取得に特化した束縛地獄耳が発動して会話を聞かれた? それで煮え切らない態度を取る僕に腹を立てて、競技中にも関わらず飛んできたのか!?



「結城くーん、男同士の約束ですからねーー!」



 強制的にグラウンドの方へと連行される僕の背に、林田さんの大きな声が浴びせられる。


 ちょっとちょっと! 約束なんかした覚えないってば!!



「ハルカ、あの……」

「いいから走って! これ巻くから転ばないように注意してね!」



 事情を説明しようとした僕を一睨みで黙らせると、ハルカは並走しながら器用に僕の体に黒い布を巻き付け始めた。腕はもちろん、足も膝上までぐるぐる巻きにされたもんだから走りにくいったらない。


 仕上げは、赤組から借りてきたらしい赤い帽子。


 それを僕の頭に被せ、ハルカはちょこちょこ走りしかできない僕を背後から押すようにしてトラックを回った。


 周囲の皆が、ポカーンとして僕達を見つめている。いやいや、僕だって意味わかんないよ!



 ゴールテープを切って、僕は漸く自分が借り物競走のために連れ出されたのだと理解した。



 にしてもこれ、何の仮装なんだろ?



「ええと、芳埜よしのさんの指定品は……」


 ゴールで待っていた審判役の人も、困惑の表情を浮かべている。



「線香です」



 借り物が書かれた紙を差し出し、ハルカはきっぱりと答えた。



「線香」

「線香」



 審判の人に続き、僕も同じ単語を発する。


 途端に、ゴールで待っていた人達の間に笑いが沸き起こった。



「ぶふっ……た、確かに線香だ」


「細いし長いし、辛気臭いし陰気臭いし、間違いなく線香ね!」



 笑いの輪はどんどん広がり、両チーム陣営なら応援していた人達まで皆が一丸となって笑いに笑い、グラウンドは大爆笑の大合唱となった。



「リョウくん、ナイス線香だよ!」


「ハルカ、ベスト線香チョイスよ! どんな高級線香よりもご利益がありそうだわ!」



 剛真さんとレイさんからも野次……ではなく温かい褒め言葉をいただき、ハルカはエヘヘと得意げに笑った。



 僕はといえば恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になったせいで、消防士の林田さんが『線香の燃焼を確認! 放水始め!』などと面白可笑しくいじるもんだから更に笑いを煽る羽目となってしまった。



 というわけで僕の仮装はめでたく線香として認定され、ハルカはまたもや一等賞の栄冠を手にした。

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