走れ、軟弱者!(四)
白組団長は、今年七十を迎えたという最年長の鶴野さん。副団長は
その他は会社員だったり主婦だったり、農家をやってる方だったりとバラエティ豊かな面子だった。
友達同士で参加したらしい中学生の女の子が二人いたけれど、小学生くらい男の子の姿はない。
うーん、さっき会った子は赤組の方だったのかな? だとしたら、ちょっと残念だ。
ハチマキを頭に巻いたら、グラウンドの中心に全員整列して開会式。選手宣誓や優勝旗返還なんてのもあって、これがなかなか本格的だった。
準備運動を兼ねたラジオ体操を終えると、いよいよ競技の開始の時がやってきた。
ああ、始まってしまう。
そう思うだけで、胃がキリキリと痛くなる。
何せ、プログラムの最初を飾る徒競走は全員参加だから。
子どもやお年寄り、体力がありそうな者とそうでなさそうな者で適当に分けて、走る距離は五十メートル。
恐ろしいことに、僕は例の陸上選手だったという
「参ったなぁ。俺、確かに陸上やってたけど棒高跳びだったんだよねぇ」
ところが並木さんもまた、僕と同じく期待寄せられすぎ被害者だった。
「そ、そうだったんですね。実は僕も走るのは苦手で……」
「君も? 良かった。実は五十メートル走は七秒後半くらいが精一杯で、足は早い方じゃないんだ」
僕は十秒切ったこともありませんけどね!
一緒に走る他二人の男性が苦笑いしてるところを見るに、彼らは並木さんよりも足が速いのだろう。
ビリを確信して憂鬱に飲まれている間にも、列は前に進んでいく。
しかし、半ばまできたところでわあっという歓声が上がった。
俯いていた顔を上げると、トラックを美しい天女が疾走していた。
いや、天女じゃない、ハルカだ!
時間にして、ほんの数秒。
けれど天女と見紛うほど美麗なフォームで走るハルカの姿は、誰よりも早いのにこの上なく優美で――二位と圧倒的大差を付けてゴールしても尚、僕の目と心を掴んで離さなかった。
皆も同じ心地だったようで、スタートの笛を吹く役割をしていた鶴野さんも、ポールに括り付けたゴールテープを手放した
ハルカ、やっぱりすごい! 早くも運動会の主役だ!
皆さん、あれ、僕の彼女なんですよー! 素敵でしょ可愛いでしょ美しいでしょーー!?
……なんて言えるわけないよ。彼氏の僕は、これから無残な姿を晒すんだもん。
列の前からどんどん人が消え、いよいよスタートラインが目前に迫ってきた。
耳が痛いほど、心臓が鼓動を打っている。結果は確定してるとはいえ、できるだけ無様に負けるのは避けたい。ささやかだけれど、それが今の僕の切なる願いだった。
「リョウくーん、頑張ってー!」
ガチガチに緊張してスタート姿勢もままならない僕の耳に、華やかなエールが届く。錆びた蝶番みたいな動きで首を動かして見れば、半周向こうのゴールからハルカが笑顔で手を振っていた。
「リョウくんのカッコイイとこ、ボクがバッチリ撮るからね!」
「リョウくんのカッコイイとこ、この私がしっかりスケッチするからね!」
彼女の側には、ビデオカメラを向けた剛真さんとスケブを片手にペンを構えたレイさんの姿もあった。
やめてよぅ……カッコ良くないってばぁ……。
そんなに煽られたら、脂汗オオメ惨めさマシマシ期待外れチョモランマになっちゃうよぅ……。
「位置について!」
鶴野さんが、死刑執行の合図を告げる。
その時だった。
「…………おいぃぃぃ」
誰もいなかったはずの真後ろから声をかけられ、僕は腰が引けたクラウチングスタートの姿勢でびくりと跳ねた。
「用意!」
「お前のぉぉぉ……肉をぉぉぉ……」
そいつはゆっくりと移動し、僕の耳元に囁いた。
うっかり視線を向けたせいで、僕は見てしまった――――縦に割ったように顔半分の肉が溶け落ち、綺麗に皮膚と筋肉だけ切り落とされたように内臓を露わにした、ソレのおぞましい姿を。
「俺にぃぃぃ……くれぇぇぇ……」
ピーッ!
「ぎゃあああああああ!!」
そいつの恨みがましい目と剥き出しの眼球に睨まれた僕は、スタートの合図の笛に飛び上がり、その勢いのまま絶叫して駆け出した。だがそいつは、ピッタリと僕の背後について、ものすごい速度で追いかけてくる。
「待てよぉぉぉ……お前も俺と同じになれぇぇぇえええ!!」
「いやあああああああ!!」
こんな解剖途中じみた恐ろしい姿にされるなんて、真っ平ごめんだ!
こうして逃げている間も、触れ合いそうなほど接近した背中には凄まじい殺気を感じる。
早く、早くハルカの元へ行かなくては!
彼女の『守護霊達』の力があれば、こいつを振り切れるはずだ!
その一心で僕はゴールで待つハルカ目指し、それこそ死ぬ気で足を動かした。
だって、捕まったら確実に殺されるんだよ!? だったら精一杯抗って、心臓が破裂して死ぬ方がマシだ!
唯一の希望の光――もといハルカの姿が、どんどん大きくなっていく。それが等身大に達した瞬間、彼女は自ら僕に飛び付いてきた。
「きゃあ! リョウくん、素敵っ! 一等賞だよっ!」
「……え?」
恐怖の逃走劇を終え、吸っても吐いても苦しい息の中、僕はハルカに抱きつかれながらも慌てて後ろを振り向いた。
目に映ったのは――並木さんが、まさにゴールした瞬間。
「兄ちゃん、すげーな! 俺、足には自信あったんだが、やられたぜ」
「あんなメチャクチャなフォームで
他の二人は、両側から僕の肩を叩いて労いの言葉をかけてくれた。
生まれて初めての一等賞。
嬉しいけれど、全然実感が沸かない。まだ恐怖の名残が、心にこびり付いていたせいだ。
しかしあの不気味なオバケは、どこにもいなくなっていた。
「ハルカ……僕の後ろに、何か、いた?」
「ううん、何も見えなかったけど?」
ハルカは僕の力の影響で側にいると妙なモノが見えやすくなっている……はずなのだけれど、色素の薄い大きな瞳を不思議そうに瞬かせるだけだった。
きっとハルカの守護霊達が、素早く追い払ってくれたんだろう。
そこで僕はやっと安心して、人生最大レベルの出力で稼働したせいでガクガク揺れる足に任せ、その場に崩れ落ちた。
ちなみにハルカの守護霊達は、オバケが見える僕の目にも普段は見えない。彼らの存在はそこらの霊とは比べ物にならないほど高位らしく、僕の能力を遥かに超越しているからだ。
そんなものに集団で守られているおかげで、ハルカは僕のせいで怖いものを見ることはあっても、危害が及ぶ心配はない。
「次は地元の園児さん達のダンスだって。応援席で一緒に見よっ!」
ハルカがきらびやかな笑顔で、細い手を差し伸べる。
周りでニヤニヤしてる皆の目が気になって軽く躊躇ったものの、僕はおずおずとその手を取って立ち上がり、白組用の応援席に戻った。
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