走れ、軟弱者!(五)


 園児達のダンスはとっても可愛らしくて、一生懸命踊る姿にほっこり癒された。けれど、その余韻に浸る暇もなく慌ただしく次の競技へ。


 お次は綱引き。

 これは、僕一人で参加することとなった。


 何故なら苦手な運動会の中で、僕が一番好きな種目だからだ。だって、綱引きなら非力のヘッポコでも一人で恥ずかしい思いをすることはないからね……。



 こちらには鶴野つるのさんも参加するようで、開始前から素晴らしく張り切っていらっしゃった。



「この戦いは、白組が必ず勝ぁぁつ! オイヤッサー白組っ! オイオイエー!!」

「オイオイエー!!」



 エイエイオーじゃないんだ……と突っ込めないまま、僕は十人で組んだ円陣の中、鶴野さんや皆と共に独特の掛け声に倣った。


 支給された滑り止め付の手袋を装着し、身長の低い人を前にして並ぶ。僕は後ろから五番目の丁度中間になった。



結城ゆうきくんや、足だけでなく力の方にも期待しとるぞ!」



 目の前にいた鶴野さんがツルピカ頭に日光を反射させながら振り向き、ニカッと笑う。



「が、頑張り、ます……」



 眩しさに目を細めつつ、僕は引き攣り笑いで答えた。まずいなあ、よりによって鶴野さんの真後ろとは。全然役に立ってないって、バレそう……。


 綱引きなら大丈夫だろうと思ってたのに、またもやピンチ到来かも?


 合図と共に、僕は皆と一緒に太い綱を持ち、構えの姿勢を取った。そして審判となる人の指示に従って、綱のセンターラインを合わせるために微調整に軽く前後する。



 開始の笛の音が轟くや否や、綱に凄まじい力が加わるのを感じた。



「オーイエイ! オーイエイ!」

「オーイエイ! オーイエイ!」



 ……って、掛け声は普通オーエスでしょーが!


 心の中で激しく突っ込んだ僕だったが、すぐに鶴野さんの様子がおかしいことに気付いた。


 綺麗に禿げ上がった後頭部が、ゆらゆらと不規則に揺れている。


 どうしたんだろう? も、もしや思いっ切り力入れた拍子に、頭の血管切れた……とか!?



「あ、あの……」



 声をかけようとしたその時、鶴野さんの艷やかな後頭部に映る僕の顔が歪んだ。


 元々魚顔の不細工ではあるけれど、その人相は本物の自分よりも醜く凶悪に見えて、僕は魅入られたように視線ごと固まった。



 そこから、更に信じられないことが起こった――ぐっと、僕の低い鼻に当たる中央部分が盛り上がったのだ!



 細い目の部分にも亀裂が走り、薄い唇の隙間も切れ目が入ったように割れる。



 ちょっと待って……これ、まさか。



 三つの亀裂が開いた瞬間、驚愕は恐怖へと完全に塗り替えられた。




「いよぉぉ……『もう一人の俺』、初めましてぇぇぇ?」




 それは紛れもなく――僕の顔、いや、僕を模した人の顔だった。


 眼球もなければ、舌も歯もない。けれどそいつは明らかに僕を見つめ、明らかに僕に向けて邪悪な声で話しかけてきた。



「オォォォ!? イエェェェェーー!!」



 僕にできたのは、掛け声に合わせて叫ぶことだけ。


 逃げたくても逃げられなかった――何故なら、鶴野さん両耳から触手のようなものが飛び出してきて、綱を握る僕の手を掴んできたからだ。



 しかし、恐怖はこれだけに留まらなかった。


 鶴野さんの後頭部に生えた僕の顔が、首を伸ばすようににゅううっとこちらに伸びてきたのだ!




「大変そうだなぁぁ、代わってやろうかぁぁぁぁ!?」


「オイエッ!? オウッ、イエーー! オーーイィィィィエェェェェーーーー!!」




 そいつから逃れようと、僕は死に物狂いで後退した。といっても、両手はがっちりと捕まえられている。せめて引き寄せられないように足を踏ん張り、上半身を精一杯背後に反らせて抵抗するしかない!


 そいつの顔は、もう目前に迫っていた。少しでも気を抜けば、触れ合うほどの至近距離だ。



 ちょちょちょちょ!

 このままじゃ密着しちゃう……っていうか、モロにキスの距離じゃん!


 ハゲ頭に生えた僕の顔とキスなんて、無理ぃぃぃぃ!!



 僕がキスしたいのはハルカだけ!

 ハルカとキスすることを想定して毎日リップクリームでケアしてるこの唇を、ハゲブサ野郎の唇なんかに与えてなるものかぁぁぁーー!!



 まだ一度しか触れたことのないハルカの唇の感触を思い出しながら、僕は懸命にそいつから距離を取ろうと藻掻き足掻いた。



 ピーッ!


「勝者、白組!」



 甲高い笛の音に続き、審判が高らかに宣言する。


 それと同時に、目の前にあった不気味な顔も消え失せた。



「え……あれ?」



 唐突の解放に放心し、元に戻った後頭部を見つめていたら、それがぐりんとひっくり返った。



「ひいっ!?」

「結城くん、すごいじゃないか!」



 な、何だ、鶴野さんが振り返っただけか。前頭部にも顔が生えたのかと……って、前面には顔があるのが普通なんだよね。

 危うく『鶴野さんに顔が生えてる! 髪じゃなくて顔が! 髪は生えないのに何故顔が!』なんて訳わかんないこと叫ぶところだったよ……。



「結城くんの力で、真後ろにグイグイ引かれるのを感じたぞ! 掛け声にリズム感が全くなくて、さぞや音痴なんだろうなと軽く憐れみの気持ちを抱いたが、いやはや痩せ衰えたチンアナゴみたいな体してるのにパワーも申し分ないとは素晴らしい!」



 音痴なのは合ってるけど、痩せ衰えたチンアナゴばりに非力なんだけどね?


 あれはただ必死であなたの後頭部から逃れようとしていただけで……。



 と、そこで僕は気付いた。徒競走の時も、これに似た奇妙な経験をしたことを。



 もしかして、とグラウンドを見渡した僕は、一瞬にして汗が引くのを感じた。



 向かいのトラックに、子ども達が並んでいる。全員私服だ。


 運動会に参加している子達は皆、体操着やジャージだった。観覧に来ただけだとしたら、今まさにそのトラックで作業している人が注意するはずだ。なのに声をかけるどころか、彼らを『すり抜けていく』。


 そして、次の障害物競争の準備をしている人達の笑顔はわかるのに、あの子ども達は『全く顔が見えない』。だけど『僕を見ていることはわかる』。




 間違いない――あれは校舎にいた霊達だ!


 迂闊に凝視したせいで、『僕が見えること』がバレたんだ!!




 霊はこちらが見えるとわかると、悪戯を仕掛けてくることがある。軽く驚かせて楽しんだり、寂しくて構ってほしいだけだったりと様々な奴がいるけれど、中には『同じ世界』に引きずり込もうと命に関わるほど危険な行為に及ぶ怖い霊もいる。



 彼らが何を考えているのか、見えない顔からは判断できない。けれど、注意するに越したことはなさそうだ。



 鶴野さんに背中を叩かれながら、僕はその衝撃と振動で前進するトントン相撲の要領で白組陣営に戻った。


 御年七十だってのに、何てバカ力なんだ……ううん、僕がバカ弱いだけですね。


 きっと背中は、赤い手形だらけになってることだろう。それこそオバケに触られたみたいに。

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