走れ、軟弱者!(三)


「残念ながら、オラの赤組には今年から強力なメンバーが加入した。聞いて驚けよ……並木なみきさんのとこに婿入りした隆史たかしさんじゃ! お前も知っとるだろう? 隆史さんは、国体にも出場したことがあるという元陸上選手! 彼の大いなる力を得た赤組は、優勝が決まったも同然なのじゃあ!!」



 亀山かめやまさんが、またカカカと高笑いする。



「フン、昔は陸上選手だったといっても今は役場勤めで体の鈍った小童だろうが。白組には、去年骨折して休んだ闘将・林田はやしだが復帰した! それに、新人だって負けとらんぞ!?」



 そう前置きしてから、鶴野つるのさんは呆然と事態を見守っていた僕達を指し示した。



「見よ、このフレーェッシュな若者を! 白組に勝利をもたらす、女神様と半魚人様だ! 彼らの御加護があれば、赤組なんぞ屁でもないわ!」



 女神様はハルカのことだろうけど、半魚人って僕のことですかね? 確かにヒラメ顔ですけどね……。



 それより、変な期待を抱くのはやめて!

 ハルカはともかく、魚扱いするなら地上での活動はキツそうだなって生温く見守って!



「あはぁぁん! 風を切って走るリョウくんの姿を想像するだけで腰が砕けそうぅぅぅ! ボクもリョウくんを取り巻く風になりたぁぁぁいっ!」



 と、ここで、日除けのサングラスを弾き飛ばしそうな勢いで筋肉量のバカ高い巨体を揺らし、剛真ごうしんさんが吠えた。


 ちょっと、そういうこと言うのやめてください!

 風を切るどころか、風に切られて瀕死になること必至ですから!



「うぎゃぁぁん! 綱引きリョウくんの表情、ヱロすぎぃ!  ダメ無理、軽く妄想しただけでレイのレイがレイになっちゃうよぉぉぉ! 尊ーー!!」



 ハルカに似た美麗なお顔を恍惚に染め、レイさんも激しく身をくねらせる。どこかで見たことあるぞ、この動き……あ、昨日お味噌汁に入れた増えるワカメだ。


 いや、ヱロさなんてないですよ!

 ウ○コ我慢してるみたいな情けない感じですって!!



「パパもママも落ち着いて! 応援に気合入れるあまり、リョウくんの最高最強最大にカッコイイとこ記録し損ねたなんてことになったら、泣くからね? 怒るからね? 暴れるからね!? それと、リョウくんはどの競技やってもカッコイイし可愛いし可愛いはずだから、萌え死なないように気を付けてよ!?」



 ついでにハルカまでもが、両親の狂乱に乗っかる。恒例の芳埜よしのライオットだ。


 ハルカだけでなく、彼女のご両親もショボさ極めたこの魚顔が可愛く見えるらしくて、こんな風に事あるごとに僕を持ち上げるんだけど……お願い、今はやめて! 今だけは下手に煽らないで!



「ふむ……その魚人の雄、見た目は貧弱極まりないが、どうやら運動能力はなかなかのもののようじゃな?」



 ほらぁ、皆がおかしな騒ぎ方するから亀山さんまで誤解したじゃないの!



「戦える時を楽しみにしておるぞ。勝つのはオラの赤組じゃがな!」



 あわあわと言い訳もできずにいる僕に向けて捨て台詞とカカカを残し、亀山さんは去っていった。



「おい半魚人、ワシもお主の活躍には期待しておるぞ。何せ、毘沙門天びしゃもんてん様と弁財天べんざいてん様までもが付いているのだからな。いやはや、心強いわい!」



 毘沙門天は剛真さん、弁財天はレイさんのことを指しているんだろう。しかし期待の半魚人は、鶴野さんに薄っぺらい背中をバシバシ叩かれただけで崩れ落ちそうになっていた。



 おまけに。



「あ、あの……トイレの場所、教えてくだ、さい……」



 いきなりズシンとのしかかってきたプレッシャーで、お腹まで痛くなってくる始末。



 ハルカに何とか一言伝えてその場を離れると、僕は半泣きの状態でグラウンド脇に用意された簡易トイレへと駆け込んだ。




 どうしよう……本当にどうしよう。


 切羽詰まった僕の問いかけに答えてくれるのは、グルグルという腹の泣き声だけ。


 トイレに籠もったまま、僕は頭を抱えた。


 競技が始まれば、どうせすぐに運動音痴だってバレる。とはいえ、両チームの団長にあんなに期待をかけられてしまったんだ。それを裏切った後の反動が怖い。


 特に鶴野さん。敵の亀山さんといがみ合っているみたいだし、僕が使い物にならないと知ったら怒るだろうなぁ。怒られるだけならまだいい。失望させてしまうのが、辛い。



 実は鶴野さんに校門前で会った時、彼の背後を走り去る車が見えたのだ。それは介護施設の名前が書かれた送迎車だった。


 鶴野さんはきっと、この運動会をとても楽しみにしていたんだと思う。施設で指折りこの日が来るのを待ちわびていた彼の姿を想像すると、胸が痛くなった。僕自身も、孤独な施設育ちだから。



 できるなら、彼の期待に応えたい。でも運動音痴の僕では、役に立たないのもわかってる。



 どうしよう……戻りたくない。ここに引きこもっていたい。もうこのまま帰りたい。


 だから運動会なんて嫌いなんだ。運動会なんて悪しき行事、滅びてしまえばいいのに。




「……運動会、嫌いなの?」




 外から声がして、僕ははっと顔を上げた。いつのまにか声に出してしまっていたらしい。



「あっ……す、すみません。トイレ、待ってました? す、すぐ出ますね」


「ううん、待ってないよ。声が聞こえたから、聞いてみただけ。お兄ちゃん、運動会、嫌なの?」



 相手は、幼い子どものようだ。甲高い声音からは、年齢どころか男の子なのか女の子なのかもわからない。


 そういえばグラウンドに設置されていた陣営テントには、何人か子どもの姿もあった。

 あの子達の中の誰かだとすれば、学校行事ですら嫌で嫌で仕方なかった僕と違い、こういう自由参加の運動会にもこぞって参加するくらいスポーツが好きな子なんだろう。



「あの……えっと、ごめんね、運動会のこと悪く言っちゃって。悪いのは、お兄ちゃんなんだ。お兄ちゃんね、すごく運動が苦手なんだよ。だから皆の足を引っ張るんじゃないかって、心配で心配で」



 まずはその子が楽しみにしていたであろうイベントへの暴言を詫び、それから僕は素直に自分の思いを打ち明けた。



「僕、今日が初めての参加なんだ。だから僕が運動音痴だってこと皆知らなくて、すごく期待されちゃっててさ。少しでも活躍して、チームの皆に喜んでほしいんだけど……それができそうにもないんだ。こんな自分が情けなくて恥ずかしくて、つい愚痴を言っちゃった。運動会にも、謝らなくちゃだね。運痴でごめんなさいって」



 すると、ドアの向こうから無邪気な笑い声が響いた。



「運痴くんがウンチしてたんだー! ウケるー! お兄ちゃん、面白ーい!」



 引きこもりウンチ野郎を散々笑い倒してから、その子は明るい声で告げた。



「お兄ちゃん面白いから、俺、応援するよ。友達にも伝えて、皆でお兄ちゃんの応援団やる。俺達、み〜んな運動会が大好きだから、お兄ちゃんも好きになれるように頑張るね」



 俺という一人称から察するに、どうやら男の子らしい。


 彼を始めとする子ども達が、僕の代わりに頑張ってくれるってことかな? ウフフ、これは可愛い味方ができたぞ。何だか少し元気が出てきた。



「ありがとう。君のおかげで、僕もやる気が湧いてきたよ」



 そう言いながら僕はお尻を丁寧に拭き拭きし、落ち込んでいた気分もろとも水に流して僕は外に出た。



 が、その子はもういなくなっていた。


 恐らく、さっさと仲間達の元へ戻ってしまったんだろう。ウンチ臭い運痴をサポートするというミッションを伝えるために。子どもって、そういう秘密めいたことが好きだからなあ。



 顔を見てお礼を言いたかったのに……でもまあ、それは後でいいか。



 ハルカ達の元へ戻る前に、僕は何とはなしにもう一度校舎を振り仰いだ。暗い雰囲気は相変わらずだったけれど、子ども達の霊の姿は見えなくなっていた。

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