走れ、軟弱者!(二)


 今、僕は『開井かいい小学校』の前に立っている。


 隣には、前もって二人で購入したお揃いのジャージに身を包んだハルカ。動きやすいよう髪をアップにまとめ、汗で流れることを恐れてかメイクも控えめにした彼女の姿は、普段の女の子らしい雰囲気とは違い、フレッシュな健康美に満ち溢れていて、降り注ぐ朝日よりも眩しい。


 しかし、ペアルックだと浮かれる彼女の可愛らしさに鼻の下を伸ばすどころではなかった。校門からちらりと校舎を仰いだ瞬間、僕はそこから一歩も動けなくなってしまったのだ。


 雲一つない秋晴れの空の下、燦々と明るい陽光が校舎を照らしている。なのに僕には、その校舎がやけに暗く見えた。目を凝らすと、あちこちひび割れて傷んだコンクリート壁や、周りを包囲するロープや金網が映る。長らく使われていないという証だ。



 そして、全身の肌が粟立つ危険な感覚。間違いない……ここ、『何かいる』!



「おっ、もしかして参加者の方ですかな?」



 不意に背後から誰かに声をかけられて、僕は飛び上がった。


 振り向くと、一人の老人がニコニコと微笑んでいる。芸術的なまでに禿げ上がった頭頂部は、景色が映りそうなほどピカピカだった。



「はい、中森なかもりくんの代理で参加することになった者です」



 ハゲビームにやられたコミュ障の僕に代わり、ハルカが笑顔で答える。



「ということは、ワシと同じ白組だな。ワシは鶴野つるの、白組の団長だ。よろしくな」



 一人称はワシなのにツルなのか……ツルツルだから?



 なんて失礼なことを考えながら、僕達は鶴野さんに促されて校門を通り抜けた。


 想像していた通り、学校の敷地内に入った途端、悪寒が止まらなくなった。ビリビリとした妖気を受けて、鳥肌も立ちっ放し。嫌だな……悪いモノじゃなければいいんだけど。


 グラウンドの手前に設置された運営用テントで身分証を提示し、受付を済ませてハルカの分のハチマキと帽子とプログラムを受け取ると、僕は恐る恐る鶴野さんに尋ねてみた。



「あの……この学校って、もう使われていないんですか?」


「うむ、十年も前に廃校になってな。いろいろあって、取り壊しもできんのだ。校舎は見ての通り、近付くのも危ない状態で使いもんにならんが、グラウンドだけは整備して、こうして地域の行事に使わせてもらっとる」



 鶴野さんの言う『いろいろ』とは何なのか、聞くまでもなかった。



 校舎の周りは、不用意に立ち入る者を防ぐために厳重にロープと金網で覆われている。それをかいくぐった奴がいたとしても、誰かが必ず気付いて注意するはずだ。




 ――――校舎のあちこちの窓から虚ろな顔を覗かせている、十名以上の子ども達に。




 服装はバラバラ、背丈も髪型もまちまちだったけれど、それぞれの顔立ちは靄がかったようにはっきりしない。


 加えて、不気味なほど希薄な存在感――あれは生きた者じゃない、間違いなく霊だ!



「リョウくん、大丈夫? さっきから具合悪そうだけど……もしかして、何か見えるの?」



 校舎を仰いで蒼白するばかりの僕に、ハルカが心配そうに声をかけてきた。


 彼女は僕の『オバケが見える』という能力を知っている。そしてこの力が、他の人にも伝播しかねないことも。



 そうだ、これを理由に参加を取り止めればいいんじゃないか?


 運動会なんて嫌いだし、中止になればいいと思っていたんだ。周りの皆に迷惑をかけたくないって言えば、格好もつく。



「ハルカ、実は……」


「リョウくーん、ハルカちゃーん! お待たせー!」


「駐車場がなかなか見つからなくてー! でも親切な方が敷地を貸してくださって、助かったわー!」



 ハルカに打ち明け、これから始まる責め苦から逃亡しようと企む僕の薄汚い心を見透かしたかのようなタイミングで、明るい二つの声が遮った。


 顔を向けてみれば、笑顔で校庭を走ってくるハルカの両親の姿が映る。まさに美女と野獣を体現したような二人組は、どちらも両手に大荷物を抱えていた。



「早起きして、お弁当たくさん作ってきたの。ボクとハルカちゃんの力作だよっ!」



 仁王像じみたごっつい顔に人懐っこい笑みを浮かべて、ハルカの父である剛真ごうしんさんが風呂敷包みとクーラーボックスを掲げる。


 きっとその中には、料理上手な二人が腕によりをかけた、ほっぺたが落ちそうなくらい美味しいお料理がたっぷり詰め込まれているのだろう。



「私も頑張って応援グッズを作ったのよ〜。ポンポンとウチワと横断幕と……それにほらこれ、今着てるTシャツも!」



 女神のような美しいお顔を無邪気に綻ばせ、ハルカの母・レイさんがジャケットのファスナーを開いてみせる。


 そこには『WE♡RYO』の文字と共に、イラストレーターである彼女が描いたらしい美麗な男性キャラのイラストがプリントされていた。



 これまさか、僕じゃないよね……?



「わあ、素敵! レイちゃん描き下ろしの新作リョウくんだー!」



 剛真さんが歓声を上げる。


 え……やっぱり僕なの!? というか、原型全く留めてないのによくわかりましたね!?



「でっしょー? ゴウちゃんが隠し撮りしたリョウくんの写真見て描いたのよ。ゴウちゃんの分もちゃんとあるから、後で着替えてね!」


「やったー、レイちゃん、大好きー! これで応援も捗るねっ!」



 荷物を置き、手を取り合ってキャッキャウフフと跳ね回る両親を見て、ハルカが溜息を落とした。



「騒々しくてごめんね。パパとママ、この運動会をすごく楽しみにしてたの。高校の時は二人共仕事が忙しくて、一度も運動会に顔を出せなかったから。今日も本当は二人きりでデートする予定だったみたいなんだけど、お店の予約全部キャンセルして無理矢理来ちゃって……やっぱり、迷惑だったかな?」



 そう零して申し訳なさそうに眉を下げる彼女に、僕は必死に首を横に振った。



「め、迷惑なんかじゃないよ! ほ、ほら、僕、親が早くに亡くなってるから、こんな風に両親が来てくれるって殆ど経験なくて。だからその、ちょっとびっくりしたけど……う、嬉しいよ、本当に」


「良かった! パパもママも、リョウくんのために食事と睡眠時間削って頑張ったんだよ。ちょっとうるさいかもしれないけど、大目に見てあげてくれると嬉しいな」



 ハルカのお願いポーズからのウィンクは、はっきり言って必殺必勝の反則技である。こんな可愛いもの見せられたら、頷くしかないでしょ!



「ほう、心強い応援団がいるのう。これで今年は、白組の圧勝だな!」



 鶴野さんも寄ってきて、僕の肩を叩く。



 こうなってしまっては、今更参加を辞めるなんて口が裂けても言えやしない。



 諦めて項垂れかけたその時、カカカという奇妙な高笑いが降ってきた。



「鶴野よ、早くも勝利宣言とはえらく自信満々じゃのう? 昨年はボロ雑巾のように負けて、惨めに地団駄を踏んでおったというのに」



 現れ出たのは、鶴野さんと同じ年くらいの老人。こちらは長く伸ばした白髪を一つに結んで、長老といった雰囲気だった。



亀山かめやま、まだ生きておったのか。とっくにくたばったかと思うとったわ」



 負けじと鶴野さんが言い返すと、亀山なる老人は不敵に笑った。



「お前より先に死んでたまるか。今年も優勝はオラが団長の赤組に決まっとる。そろそろ諦めて、大人しく棺桶で休んだらどうじゃ?」


「昨年たまたま勝てたからといって調子に乗るなよ? お前こそ、墓場で妖怪相手に運動会ごっこしてる方がお似合いだ」



 睨み合う二人の間に、バチバチと火花が散る。



 こ……これは俗に言う、ライバルというやつか!

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