おかえりなさい(十六)


「…………素敵なご両親だね」



 急に襲ってきた寂しさに、脱力しかけた僕の耳を柔らかな声が撫でた。



「まさか会えるなんて思ってなかったから驚いたけど、少しの間だけでもお話できて本当に良かった。リョウくんに紹介してもらえて、本当に嬉しかった」



 ハルカの優しい微笑みが、痛みかけた心をそっと包み、癒していく。



「うん……自慢の両親なんだ。僕も、ハルカに会わせることができて良かったよ。二人共、ずっと会いたがってたから……すごく嬉しそうだった」



 繋いだままの手を改めて握り直すと、僕も彼女に微笑んだ。



「ところでリョウくん。チューチュチュッチュチュチュウとかスゥィィィ〜とかって、なぁに?」



 ところが、余韻に浸る間もなくハルカが痛い質問を投げかけてきた。


 父さんと母さんめ、余計なこと言うんだから!


 しどろもどろで狼狽えていると、急にハルカが手を離してキッチンに駆けていった。



「わあ、やっぱりタケノコだ! しかも二本もある! 旬の季節は過ぎてるのに、どうしたの!?」



 彼女の華やいだ歓声に、僕も後を追ってキッチンに向かう。


 ダイニングテーブルの上には、仲良く並べられたタケノコが残されていた。郡山こおりやまさんの置き土産だ。



「えっと……タケノコ、好きなの?」



 僕が尋ねると、ハルカははにかみながら頷いた。



「外では可愛こぶって、スイーツとかフルーツとかそういう女の子っぽいものが好きって顔してるけど……本当は、一番好きな食べ物はタケノコなの。他にも山菜とか木の実とか、そういうのが大好物で……やだもう、年寄り臭いでしょ? 恥ずかしくて、リョウくんに好みが合わないって思われて嫌われそうで、ずっと隠してたんだ」



 そう言って、彼女は俯いてしまった。


 何だよ何だよ、そんなこと気にしてたの?

 んもうんもうんもう、どこまで可愛すぎるんだよ! 無限か? 無限大に可愛いのか!?



「年寄り臭くなんてないよ! ハルカの本当に好きなもの、もっと知りたいし教えてほしい。そ、それに僕もタケノコ大好きだよ! 生でこのまま食べて、うまし! って叫びたいくらい!!」



 僕の下手くそにも程があるフォローに、ハルカが吹き出す。再び笑顔になった彼女は、そっとタケノコに手を伸ばした。



「生はダメだよ、せめてアク抜きしなくちゃ。それじゃ持って帰って、一緒に食べよ。あたしが調理して、生よりうまし! にしてあげるね」



 タケノコをまるで宝物のように撫でるハルカの姿を見ていると、タケノコを幸せそうに貪っていた郡山さんが蘇った。



「このタケノコくれたの、僕の……お兄さんなんだ。血は繋がってないんだけど、家族同然っていうか。いつも僕を助けてくれて、優しく見守ってくれてたんだよ」


「今日はその方もお家に来てたの? あたしも会いたかったなぁ……」



 心底残念そうにハルカがため息をつく。僕はそんな彼女と――いつの間にやら周りに集まり、タケノコに熱視線を注いでいたゴリラ達にも言い聞かせるように、力強く告げた。




「いつか、ハルカにも紹介するよ。僕も、会ってもらいたいから。いつか、必ず会わせてあげる」






 目が覚めると視界一面、薄い緑に包まれていた。


 見慣れない天井に飛び起きた僕は、そこがハルカの持ってきたプッシュアップ式の簡易テントの中で――一組しか置かれていない布団を彼女に譲り、これを借りて外で寝たことを思い出した。


 ハルカは一緒に寝ようと誘ってきたけれど、とんでもありません! あの魅惑のオパーイにムラァンとして、睡眠どころじゃなくなります!!


 にしても、すごいなぁ……こっそり僕を見張るためとはいえ、こんなのまで用意してくるとは。


 昨夜もなかなか寝付けないくらいの熱帯夜だったし、こんなものでこんなところに彼女を寝かせることにならなくて本当に良かった。


 庭に設置したテントを折り畳み空を仰げば、早くも熱を帯びた空気と共に眩い太陽が目に映る。まだ朝六時過ぎだというのに、既に暑い。こうしている間にも、じわじわ汗が吹き出してくる。今日も真夏日になりそうだ。


 玄関に回ってインターフォンを押すと、ハルカがすぐに出迎えてくれた。一応スマホで連絡して起きてるか確認したんだけど、もう支度は終えてるし朝ご飯まで用意完了してるという完璧っぷり。


 ウフフ、新婚さんみたい。ハルカは良いお嫁さんになりそうだなぁ。っと、感心してばかりじゃダメだ。僕も彼女に相応しい男になれるように頑張らなくちゃ。



 食事を終えて室内を片付けると、僕達は荷物を持って外に出た。



 そこで取り出したのは、ハルカに見付かって軽く揉めたあの鍵。


 年に一回、帰る時にだけ使うそれを、僕はハルカに手渡した。



「ねえ、ハルカ。これで鍵を閉めてくれない? 毎年、この瞬間が辛くてさ」



 けれどハルカは、静かに首を横に振って僕の手を押し戻した。



「そんな大事なこと、あたしなんかに任せちゃダメだよ。一年に一回の大切な儀式でしょ? リョウくんがやらなくちゃ」



 彼女の言うことは最もだ。そこで僕は、別の提案をした。



「じゃあ……二人で閉めない? ハルカと一緒なら、きっと泣かずに済むと思うんだ。両親を見送った時みたいに」



 ハルカは大きな目を瞬かせてから、苦笑いを零した。



「仕方ないなあ、リョウくんってば甘えっ子なんだから。いいよ、一緒に閉めよ?」



 二人で小さな鍵に手を添え、鍵穴に差し込む。


 せーの、と声を揃えて手を回すと同時に、カチン、と小さな音を立て――――鍵は今年の役目を終えた。



「どれどれ……うん、大丈夫。リョウくん、泣いてないよ」



 僕の顔を見て、ハルカが笑う。



「うん、ハルカのおかげで辛くも悲しくもなかった。本当にありがとう」


「どういたしまして。予防接種の時も付いてこうか? 泣かないように、手を握っててあげる」



 ハルカの冗談に、僕も笑った。



 こんなに明るい気持ちでこの時を迎えるのは、初めてだ。ハルカがいてくれて良かった。心からそう思った。

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