おかえりなさい(十五)
ゴリラコンベアーによる酔いでふらつきながら、実家の門を開けると、そこにはもう誰もいなかった。
他の奴らは帰ったんだとしても、ハルカは? ハルカはどこ行っちゃったんだ!?
まさか……と思いつつ、僕は慌てて玄関の扉を開けた。
きちんと並べられた可愛らしいサンダルを確認するより先に、華やかな歓声が耳に飛び込んでくる。
「きゃー! 可愛いっ! 幼稚園児リョウくんも小学生リョウくんも最高に可愛いです!」
「やだー、わかってくれる!? リョウってば、昔から本当に可愛かったのよ〜。母親に似て!」
「おいおい、父親に似て、だろう? あ、これはオススメだぞ〜、二年生の遠足の時の写真。おにぎり落っことして泣いてる顔、ベストショットだろう?」
「ダメ無理、尊すぎますっ! 待って本当に無理無理、直視できなぁい!!」
リビングでアルバムを開いてキャッキャウフフと笑い合っているのは――――父さんと母さんと、ハルカ!
ちょっとちょっとちょっと!
結婚報告の挨拶で初めて紹介するつもりだったのに、もう会っちゃってるし既に馴染んじゃってるし……どうしたらいいの、コレ!
密やかな野望を打ち砕かれ、茫然自失となって立ち尽くす僕に気付くと、母さんはキッと細い目を釣り上げて睨み付けてきた。
「あらあら、お早いお帰りですこと。こんな夜中に、女の子を一人で外に待たせて放置するなんて……母さんはそんな子に育てた覚えはありません! 謝りなさい!」
うん、これはとっても怒ってるね。ハルカがいなかったら、間違いなく正座させられて三時間説教コースだね。
「ご、ごめんなさい……でもどうしても、行かなきゃならない理由があって」
「お前はなかなか戻って来ないし、それでも健気に待ってるし……可哀想だからお誘いして上がっていただいたんだよ。いやぁ、それにしても写真で見るより可愛い彼女じゃないか。天使が舞い降りてきたのかと思って、父さん危うく昇天しかけちゃったよ!」
父さんが、デレデレ顔で向かいのソファで食い入るようにアルバムを見ているハルカに目をやる。
ねえ、今さり気な〜く胸も見たよね? オパーイ、盗み見したよね?
「本当に可愛いお嬢さんねえ。少しお話しただけでも、リョウのことを大切に想ってくださってるってよくわかったわ。……あなたは後で覚えてなさいよ」
ハルカのオパーイを盗み見していたことは母さんにもバレていたようで、父さんに向けた最後の台詞にはぞっとするような響きが込められていた。父さん、きっとキツいお仕置きされるんだろうなぁ……。
「えっと、改めて紹介するね。こちら、
遅ればせながらの恥ずかしながら、僕はハルカの隣に立ち、初めての彼女を両親に紹介した。
それを聞くと、アルバムに釘付けだったハルカも慌てて立ち上がり、アップスタイルにまとめた頭を下げた。
「す、すみません、夢中になってて。改めまして、芳埜ハルカです。リョウくんとは、高校生からお付き合いさせていただいてます。リョウくんはとても優しくて可愛くて面白くて可愛くて可愛くて、おかげで毎日幸せです。お父様とお母様の分もリョウくんを大切にしますので、どうかこれからも彼の側にいさせてください!」
思わず、涙が出そうになった。僕なんかをこんなに想ってくれる彼女がいじらしくて愛しくて、幸せで幸せで心が爆発しそうになって。
「父さん、母さん。二人に、聞いてほしいことがあるんだ」
だから――二人に告げる決意ができた。これまでずっと、言えなかったことを。
僕はハルカに目で訴えて座らせると、その隣に自分も腰を下ろし、真正面にいる父さんと母さんに向けて口を開いた。
「僕ね……あの事故から『普通の人には見えないモノ』が見えるようになったんだ。そのせいで誰とも仲良くなれなくて、友達や叔父さんを傷付けて、辛くて寂しくて、死んじゃおうと思ったこともあった」
父さんと母さんの表情に、悲しみが滲む。二人のこんな顔を見たくなくて、ずっと逃げ続けてきた。
だけど、もう目を逸らさない。きちんと打ち明けて、受け止めてもらうんだ。これまでの僕を、そしてこれからの僕を。
「一人ぼっちにした父さんと母さんを責めたことは……正直ある。二人に『生きて』って言われて死ぬことを思い留まったけど、僕なんかが生きていていいのか、生きて何ができるんだっていつも自問自答してた」
母さんの瞳から、涙が流れ落ちる。父さんも、噛み締めた唇を震わせていた。
それでも僕は、自分の思いを吐き出すことを止めなかった。
今、ここで伝えたいと思ったからだ。父さんと母さんと、ハルカに。
「辛いこと聞かせてしまって、ひどいこと言ってしまってごめんね……でも、今なら胸を張って言えるんだ。生きてて良かったって。変な力を持ったせいで嫌な思いもするけれど、父さん達が言ってた通り、それ以上にいいこともたくさんあったよ。だって、こんなに僕を大切に想ってくれる人がいる。こんな僕でも、大切にしたいって心から思える人がいるんだもん」
それから、僕はいつのまにか膝に置かれていたハルカの手を握った。
「父さんと母さんに、ずっとお礼を言いたかったんだ。後で病院の人に聞いたよ……あの事故の時、父さんと母さんは後部座席に身を乗り出して、僕の体を庇うようにして死んでいたって。僕を……っ、最後まで守ろうとしてたんだ、って」
ダメだ、泣いちゃいけない。ここは笑顔で言うんだって心に決めただろ!
「父さん、母さん……僕を、守ってくれてありがとう。僕を育ててくれて、愛してくれて、生かしてくれて、本当にありがとう。二人のおかげで、僕は今とっても幸せです」
言い終えると、僕は懸命に笑ってみせた。泣くのを我慢してるせいで頬が引き攣って我ながらひどい顔だったと思う。
けれど、父さんと母さんも同じだった。涙を必死に堪えた歪んだ笑顔を、僕に返してくれた。
「リョウ、私達こそありがとう。幸せになってくれて、生きてる喜びを感じてくれて」
「どんな力を持っていようとどんなことがあろうと、お前は俺達の可愛い可愛い最愛の息子だ。それだけはずっと変わらないからな」
父さんと母さんの姿が、白い光に包まれる。タダシ叔父さんが用意した服は、いつのまにか白装束に変わっていた。
ついに、その時が来たのだ。
「ハルカさん、リョウをお願いしますね」
「はい、何があってもリョウくんを守ります」
母さんの言葉に、ハルカが力強く答える。
「リョウ、ハルカさんを泣かせるんじゃないぞ」
父さんの言葉に、僕もしっかりと頷いてみせた。
「それじゃあリョウ、お帰りなさい…………お前の居場所に」
さよならでもまたねでもない――これがお決まりの、二人からの別れの挨拶。
おかえりなさいと迎えられ、お帰りなさいと送られる。そして僕は笑顔で飛び込み、泣き顔で縋り付くのが常だった。
でも、今日は違う。
「うん、帰るよ。父さんと母さんは見守っていて。また来年、成長した成果を報告に来るから」
今日一番の最高の笑顔で、僕は答えた。
手のひらに、ハルカの体温を感じる。この温もりがあれば、何でも乗り越えられる気がした。
「ええ、楽しみにしているわ。仲良くチューチュチュッチュチュチュウっとやるのよ、リョウ」
「来年こそはスゥィィィ〜の進展を期待してるぞ! いいか、スゥィィィ〜だからな? スゥィィィ〜だぞ!」
「ちょっと、父さん母さん!」
慌てて二人に掴みかかろうとした僕の手は、空を切った。
楽しそうに笑いながら、父さんと母さんは透明になり、そして消えていった。
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