おかえりなさい(十四)


 すぐに後を追ったのに、郡山こおりやまさんの姿はどこにも見当たらなかった。



 まさか、もう行ってしまった? そんな……。



「郡山さん! 郡山さん、郡山さん!!」



 諦め切れず、僕は名前を呼びながら彼を探し回った。


 涙で視界が滲む。


 僕だって、会いたかった。感謝の気持ちを伝えたかった。なのにどうして何も言わず、言わせてもくれず、勝手に来て勝手に消えるの……こんなのって、ズルいよ!



「…………リョウくん、どうしたんすか?」


「ひい!?」



 突然、足元から声がして飛び上がった。


 見下ろせば、生い茂る雑草から郡山さんが仰向けの体勢で顔だけ出している。


 生首かと思ったじゃん! 二度ビックリしたよ!!



「こ、こんなところで何してるんですか!?」


「いやぁ、ここに美味しそうな実がたくさんあったんで、食べ比べしてたんすよ。呼んでるのは聞こえてたんすけど、口いっぱいに頬張ってたから、返事が遅れちゃったっす。あれ、何で泣いてるんすか?」



 こんのバカゴリ山! と叫びたいのを堪え、僕は涙を拭った。



「泣いてません! 郡山さんに伝えたいことがあって、追いかけて来たんです!」


「サーセン……でも、帰るまでに食べられるだけ食べておきたくて。一期一会っていいますし。あ、この実うまし! ん、こっちはイマイチっすね〜」



 答えている間にも、郡山さんはムシャムシャと草花の実を食べ続ける。


 削げ落ちた気を取り直し、僕は草むらとアスファルトの境目に正座して姿勢を整えた。



「郡山さんだったんですね……僕達の前世のことを教えてくれた後、消えてしまったゴリラさんは」


「ふぁい、自分っす。やー、隠しておくつもりだったんですけど、バレちゃいましたね」


「はい……僕も全然わからなかったです。郡山さんが、まさかあのゴリラさんだなんて思いもしませんでした。その、言葉遣いも随分変わってましたから」



 いざ伝えたいことを伝えられる場面となると、うまく言葉が出てこなくて……僕はどうでも良いことを口にしてしまった。



「ああ、人の世界では礼儀が大切と聞いて、まずは言葉遣いから頑張ってるんっす! 自分、元がゴリラっすから、人一倍どころかゴリラ百倍の努力が必要なんっすよ。そんなに変わりましたか? リョウくんもわからなかったくらいなら、努力は実りつつあるってことっすね。これからも精進するっす!」



 郡山さんは仰向けのままドムンと分厚い胸を叩き、誇らしげに答えた。


 うーん……何だか努力の方向性、間違ってるような。でもまあ、本人が満足してるなら指摘するのも野暮か。


 そ、そんなことより、ちゃんとお礼を伝えなくちゃ! 郡山さんの言う通り、一期一会を逃して後悔しないように。



「こ、郡山さん、その節は大変お世話になりました。ハルカと出会わせてくれて、本当にありがとうございます。あなたがいなければ、僕は彼女に憧れ続けるだけで……自分なんかには不釣り合いの存在だと諦めてました。こうして今ハルカと一緒にいられるのは、郡山さんのおかげです」



 忘れもしない高一の五月――まだ名もなきゴリラだった郡山さんは、ウジウジしていた僕の背中を押してくれた。それがきっかけで、高嶺の花だった彼女と話せるようになったのだ。


 郡山さんは口の中の実を嚥下すると、草むらからナックルウォーキングで這い出てきた。



「お礼なんていいっすよ。自分はリョウくんではなくハルカさんのためにやったんですから。ハルカさんは一目見ただけでわかったんです……リョウくんが、待ち焦がれていた運命の人だって」



『一目惚れ、っていうのかな? 結城ゆうきくんを初めて見た瞬間、電気が走ったみたいになって……それから、結城くんのこと考えるだけでドキドキが止まらなくなったの』



 彼女に告白された時の言葉が蘇る。



 僕も、同じだった。一目見るや、彼女から目が離せなくなった。


 なのに傷付くのが怖くて、自分なんか相手にされるわけがないと卑屈な気持ちが勝って何もできなかった。


 僕のためでなかったとしても、救いの手を差し伸べてくれたのは郡山さんだ。



「そ、それでもっ、郡山さんは僕の恩ゴリ……いえ、恩人です!」


「自分は恩人なんかじゃないすよ」



 郡山さんは、ナックルウォーキングの状態で地面に付けていた拳を上げて僕の頭に手を伸ばした。




「恩人じゃなくて、今はリョウくんの兄貴っす。これからも兄として、リョウくんのこと見守ってますよ……ハルカさんを、必ず幸せにしてあげてください」




 僕の頭を優しく撫でながら、その顔に咲かせたのは、今日初めて会った時に見せたのと同じ――そして、ゴリラだった最期の時に見せたのと同じ、豪快なニカッとスマイル。



 再び涙が溢れてくる。胸が詰まってままならない言葉の代わりに、僕は何度も何度も頷いた。



「自分のことは心配しなくて大丈夫っすよ。仲間が見送ってくれるようですから。全くあいつら、ハルカさんを頼むって言ったのに……仕方のない奴らっすねえ」



 郡山さんが、後方に目を向けて苦笑いする。釣られて振り向くと、アスファルトの道がやけに黒くてデコボコしているのに気付いた。


 よくよく見ればそれは、匍匐前進の姿勢でこっそり僕の後を付いてきたと思われるゴリラ達。びっしりと道を埋める様は、まさにゴリラ街道。


 って、これで隠れてたつもりかい! 今の今まで気付かなかった僕も僕だけど!



「リョウくんは早く戻ってください。もう時間がありません。さあ、ご両親とハルカさんの元へ、お帰りなさい」



 郡山さんの言葉に、僕は涙を拭いもう一度大きく頷いた。


 郡山さんが、軽く手を上げる。すると、ゴリラ達が左右に身を寄せ道が開けてくれた。うわあ、モーゼの海みたいだ。


 綺麗に割れたゴリラの海原を進む前に、僕は最後に振り向き、郡山さんに告げた。



「郡山さん、ありがとう! 僕、これからも頑張ります! 誰より強くなって、ハルカを守ります……お兄ちゃん達みたいに!」



 言い終えるやいなや、僕は側にいたゴリラに高々と担ぎ上げられた。



「ひい!?」


「ウッホイ! ウッホイ!」

「ウッホイ! ウッホイ!」



 仰向けに掲げた僕を、後方にいたゴリラが受け取る。更に、そのゴリラから後ろのゴリラへ――どうやらこのまま流れ作業式に、実家の方に運んでくれるらしい。


 まるでライブハウスでダイブしたバンドマンみたいな状態で、僕はゴリラ達の頭上から郡山さんを見た。恩人であり、兄であり、ハルカを愛する同士である彼を。



「リョウくーん! 自分、『出世』したらもっと『こちらの世界』に来やすくなりますから、その時はまたゴリカーやりましょうね! 今度は負けませんよーー!!」



 郡山さんが手を振りながら叫ぶ。


 そっか、また会いに来てくれるんだ。二度と会えなくなるわけじゃないんだ。



 彼の笑顔が、どんどん遠くなっていく。


 荒く激しいゴリラの波に翻弄されながら、僕は彼の姿をいつまでもいつまでも見つめ続けていた。

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