おかえりなさい(十一)
気が付けば、周囲はゴリラだらけになっていた。
一人通るのがやっとの小さな門にも、母さんの家庭菜園があったささやかな庭にも、父さんの車が置いてあった狭いガレージにも、家の屋根から壁まで、びっしりゴリラ、ゴリラ、ゴリラ。
その数、優に百を超える。
このゴリラ軍団は、全国の動物園から脱走してきたわけじゃない。彼らはオバケゴリラ、つまり幽霊なのだ。
念願の幽霊に会えたというのに、田中鈴木佐藤トリオも斉藤さんを筆頭とするケバギャル達も撮影するどころではないらしい。スマホを放り出し、皆で固まって震えている。
肝試しってそういうもんだよね……出ないと思ってるから余裕かまして行けるんであって、実際遭遇すると肝冷えるになっちゃうっていう。
などと、のんびり彼らを憐れんでいる場合じゃない。
このオバケゴリラ達によるドラミングは『早く立ち去れ、ならば退いてやる』という恩赦の意味を持つ。
つまりこれが止まるまでにこの場から去らなければ、ゴリラ霊に取り囲まれるなんて目じゃないくらい怖い思いをするわけで…………ということは?
ということは、ということは、ということは!?
やっと正常な思考が戻ってくるのと同時に、ゴリラ達のドラミングが止まった。
刹那落ちた静けさを破り、キィィ、と門が不気味な立てて開く。
そこからゆっくりとした足取りでこちらに歩いてきたのは、やはり僕の想像通りの人物だった。
いや、姿形は同じでもまるで違う。愛くるしい天使は、真逆に振り切った意味で人の域を超え、恐怖の権化に変貌していた。
「…………リョウくぅぅぅぅん? この人達ぃぃ、だぁぁれぇぇぇぇ……? こんな時間にぃぃ、人の彼氏の家に集まってぇぇ、皆で何してたのかなぁぁぁぁ? 人数的にぃぃ、合コンかなぁぁぁぁ? 夏だもんなぁぁ……地元に帰ったら開放感に浮かれるよなぁぁ……はっちゃけちゃうよなぁぁぁぁ……? そうかぁぁぁぁ…………だったら全員、死刑確定即執行直行便だなぁぁぁぁ…………!」
夜遅く彼氏の実家に若い男女が集まっているという状況を見て、激しく誤解したようだ。
これぞ超束縛女子、
怒りと恨みと憎しみが限界突破し、超ジェラシックパワーで覚醒進化を遂げた真・闇ハルカは、全身から殺気と瘴気を垂れ流しながら、聞いただけで地獄に引きずり込まれそうな低い音声で宣告した。
ところが、獣以下には彼女の危険度の高さが理解できなかったようだ。
「え、超可愛いじゃん! 彼氏って、俺のことかな〜? 俺のことだよねっ!?」
「彼氏ってもしかして
「結城なんかほっといてさぁ、俺らと楽しく遊ぼうぜ? 名前は? 同じくらいの年かな? この中でどいつがタイプ?」
見事なまでに見た目に騙され、
お前ら、バカー!?
彼女の発する極悪非道冷酷無比暗黒一色の禍々しいオーラがわからないのー!? ギャングの抗争に裸で踊りながら突っ込むよりデンジャーな行為ですよー!?
「だぁぁれぇぇがぁぁぁぁ、お前らみてぇなゴミクズクソカス以下なんかと遊ぶかぁぁぁぁ! あたしは廃品回収業者じゃねえんだよぉぉぉぉ!!」
強烈なアッパーで吹っ飛ばされたのは、最初に手を伸ばした佐藤。
すごい、三メートル近く浮いたぞ! こんなの、アニメか漫画でしか見たことないよ!
「てめえみてえな汚物オブ汚物如きが、世界一宇宙一誰より何より可愛いリョウくんをこんなの扱いってよぉぉ、冗談のつもりかぁぁぁぁ? クソつまんねえからよぉぉ、代わりに顔芸で笑かしてみせろやぁぁぁぁ!!」
鈴木には、目にも止まらぬ早さで往復ビンタ炸裂!
ひいい、みるみる間にほっぺが腫れてくんですけど! でもこの顔芸、痛々しさが勝って笑えません!!
「お前が彼氏ってよぉぉ、地獄の罰ゲームか何かかぁぁぁぁ? 何であたしが、そんな超ハイレベルの業苦を味あわなきゃなんねえんだよぉぉ、ええ!? こちとらひたすら一途に清く強く逞しく、死んでもリョウくん一筋なんだっつうの!!」
哀れ、山田はハルカの母直伝のローキックミドルキックハイキックの三コンボの餌食となった。
ハルカの母親は元キックボクシング世界チャンピオンだそうで……今は更に嫉妬による爆発的パワーまで加わってるんだから、とんでもない威力になってるに違いない。ローキックで早くも白目剥いて失神したし!
「さぁぁぁぁ、リョウくぅぅぅぅん? どういうことか、説明してもらおうじゃないのぉぉぉぉ……」
あっさり三人を始末すると、ハルカはゆらりとこちらに向き直った。
その姿、まさに鬼神と魔王の怖いとこ取り。
ひいいいいい! ダメだ、震えてないでちゃんと説明しろ、リョウ!
このままじゃ自分まで蹴り倒され張り飛ばされ空中浮遊することになるぞ!!
「ここここっここっ、これは……この人達が勝手におおおお押しかけかけかけかっかけっけけっ、けけけてっきただけでっ……!」
噛み合わない歯を必死に動かし、僕は懸命に弁明しようとした。
しかしそのせいで、ハルカの背後に忍び寄る影に気付くのが遅れてしまった。
「おりゃあああ!」
父さんが置きっぱなしにしていたバットを振りかざして迫ってくるのは――――
「ハルカ!」
僕は思わず、目の前に立つハルカの細い体を薙ぎ払うように突き飛ばした。既にバットは振り下ろされた後で――標的を失ってももう止められないところまできていた。
自分の頭部目掛けて落ちてくるバットの動きが、やけにゆっくりと、スローモーションがかかったように見える。
ああ、これは激情に任せて突っ走っちゃった感じだな。力加減なんて考えてもないだろう。打ち所が悪かったら死ぬかも……でも、死んでもいいや。ハルカを守れるなら。
ハルカを守って死ぬなら、父さんと母さんもきっと許してくれる。むしろよくやった、と言ってくれるはずだ。
けれど、ハルカは悲しむだろう。自分のせいだと、自身を責めるだろう。自責の念に駆られ、死を考えることもあるかもしれない。
それでも大丈夫、そんな彼女に今度は僕が『僕の分も生きて』と伝えて励ますんだ。父さんと母さんが僕にしてくれたように。
そして、彼女が幸せになるのをずっと見守り続けよう――――このゴリラ達と、同じように。
そんなことを考えながら、僕は殴られかかった時とは正反対に目を見開き、瞬きすら止めて――己に迫るバットと斉藤さんの必死の形相と、何が起こったかまだ理解できず、投げ出された体勢のまま呆然としているハルカを見つめていた。
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