おかえりなさい(四)


 霊園の次に向かったのは、今夜の宿。

 斉藤さんに『オバケ屋敷』と揶揄された、僕の実家だ。


 小学生まで過ごしたその家は、海岸から二百メートルも離れていない。防砂林に阻まれて海の姿は見えないけれど、耳を澄ませば波の音が聞こえるといった位置にある。


 しかし到着した近辺は、見渡す限り草ぼうぼうの空き地となっていた。何年も前からこの状態だ。ぽつんぽつんと幾つかの家屋が点在しているものの、どれも潮風を浴びて傷み、どこにも人の気配はない。燦々と眩しい真夏の太陽が、その物寂しい姿を際立たせているだけだ。


 住宅が密集しているところからやや離れているとはいえ、昔はこの近所にもそれなりに人が住んでいた。けれど今は、誰もいない。


 近隣住民だった人々は度重なる奇妙な怪現象に悩まされ、ついに耐え兼ねて皆引っ越してしまったのだ。



 その元凶となったのが、今僕の目の前に佇む淡いグレーの外壁の小さな家。



 周囲はロープで囲まれ、『私有地につき立入禁止』の札が立てられている。門にはまだ、『結城ゆうき』の表札があった。



 腰ほどの高さのロープを潜り、僕が敷地内に入った――その時だった。



「おおおおりゃああああ!!」

「ふんぎえぇぇぇやぁああ!!」



 静寂を吹き飛ばす凄まじい雄叫び!

 それと共に、二つの人影が飛び出してきたではないか!!



「きゃあああああ!!」



 女の子みたいな甲高い悲鳴を上げ、僕はひっくり返った。


 突然の大声に驚いたってのもあるけど……片方は般若の面を被って両手には包丁、もう片方はホッケーマスクに金属バット持ってるんだよ!? こんなの、怖がりの僕じゃなくても腰抜かすってば!!



「……あらやだ、リョウだったの? また勝手に入ってきた不審者かと思ったわ」



 尻餅を付いた僕を見下ろし、エプロン姿の般若面が掲げていた包丁を下ろす。


 よく見ると人参の皮が付いたままになってるよ……しかももう一方は包丁じゃなくて、パレットナイフじゃん。



「いやあ、ビックリさせてごめんな。最近は物騒だっていうし、一瞬でも躊躇したらこちらが危ないと思って確認を怠っちゃったよ。どうだ? せっかくだから久しぶりにキャッチボールでもするか?」



 紺のポロシャツとグレーのパンツを纏ったホッケーマスクはのんびりとそう言って、金属バットで軽く素振りをしてみせた。


 でもその素振り、ゴルフのフォームだし。それにキャッチボールにはバットいらないし。



「もうっ、こんなことして人を驚かすのやめてっていつも言ってるでしょ! 心臓止まるかと思ったよ!」



 恐怖の名残で震える足を叱咤して立ち上がると、僕は毎度あの手この手で侵入者を撃退してきたせいで『オバケ屋敷』と呼ばれる原因を作った二人組にも叱咤した。



「すまんすまん。でも自衛は大事だぞ? お前がこの家を継ぐ前に、変な輩に荒らされたら困るじゃないか……ふぅ、それにしても暑いなあ。こんな炎天下で遊んでたら熱中症になりそうだ。キャッチボールはまた今度な!」


 僕の肩をばしばし叩き、ホッケーマスクが面を外す。


 その下から現れたのは、離れ目がちょっと間抜けた雰囲気を醸し出す男の顔。髪が薄いところと全体的に肉厚なところを除けば、僕とそっくりだ。ここ数年で、どんどん似てきた気がする。うう……僕も年取ったらハゲちゃうのかなぁ。今から不安だよ。



「遠くからお疲れ様。こう暑いと、移動するだけでも疲れたでしょう? さ、中に入って。それにしても相変わらず、細っこいまんまねえ。ご飯できてるから、いっぱい食べて力付けなさいよ」



 般若面を外した方は、糸のように細い目を更に細めて微笑んだ。


 離れ目男と細目女、そのサラブレッドがこの僕だ。



 二人は僕の手を引いて玄関の扉を開き、それから笑顔でお決まりの言葉を口にした。



「おかえりなさい、リョウ」



 あの頃と変わらない笑顔。

 写真を見ては会いたくて泣いた二人。

 僕一人を残して亡くなった、大好きな両親。


 それが今、目の前にいる。


 それを実感すると僕も笑顔になって、これまたお決まりの言葉を告げた。



「ただいま…………父さん、母さん」




 荷物を置いてダイニングのテーブルにつくと、母さんが待ってましたとばかりに手料理を並べ始めた。



「さあ、今日はリョウの大好きなカレーよ!」


「えっ……でもこれ、カレーじゃなくて肉じゃが……」


「カレーよ、カレー! カレーだと思って食べなさい!」


「は、はい、これはカレーですっ!」



 有無を言わせぬ剣幕に圧され、僕は素直に頷いて久々の母さんの手料理に箸を付けた。ま、まぁ、肉じゃがも好きだからいいか。


「頼んでいたルーがなかったらしいよ……」


 向かいに座っていた父さんが、ぼそりと零す。なるほど、それでカレーが肉じゃがになっちゃったのか。


「タダシの奴、よりにもよってカレールーを忘れるなんて。おまけに、用意してくれた服は見事なまでに好みじゃないし。頭に来たから、これから毎晩枕元に立ってパンツの替えがなくなるまでチビらせてやるわ!」


 食事の支度を終え、父さんの隣に腰を下ろした母さんはプリプリしながら愚痴を吐いた。


 母さんの弟であるタダシ叔父さんはこの家の管理をし、二人がお盆に戻って来る時はお墓を清掃するだけでなく、生活必需品まで全て用意してくれている。母さんが彼の夢枕に立ち、『家を売るな』『勝手に売ったら呪う』『命日に家に戻るからしっかり準備しとけ』『やらなければ化けて出てやる』などとあれこれ命令し、脅しているせいだ。


 生前から姉には逆らえなかったようで、タダシ叔父さんは渋々の嫌々の仕方なしとはいえ、きちんと命令に従っているのだ。



 なのにカレールーを忘れただけで怖い思いをさせられるのは、さすがに可哀想だと思うの……。



「そ、そんなことないって! その服、母さんに似合ってるもん。タダシ叔父さんの見立てはすごいなあ! 母さん、いつもより美人に見えるよ!」



 なので僕は、なけなしの語彙を振り絞ってお世辞で母さんを煽てることにした。



「えっ、そお? こういう色の服、着たことなかったんだけど……でも、リョウがそう言うのなら似合ってるのかしら? 似合ってるのよね? ええ、似合ってるんだわ! やっだー、母さん嬉しい!」



 ショッキングピンクに白い大粒の水玉を散らした派手なワンピースは、はっきり言って母さんの地味顔には厳しい。というか服に着ていただいてます感満載、雑コラの3D再現状態だ。


 多分、叔父さんの奥様がセレクトしたに違いない。だけどオシャレよりお菓子の母さんとは正反対で、暇さえあればエステに行ったり美容にお金かけたりしてるような華やかな人だったからなぁ。そりゃ好みも合わないよね。



「ウフフ、タダシちゃんにお礼に行かなきゃ。でもカレールーのことは許せないから、その件について激しく責め立てて来年はもっと素敵な服用意してもらおっと」



 ウキウキ声で母さんが放った言葉に、僕はがっくり肩を落とした。


 ごめん、叔父さん……僕の力では母さんを止められなかったよ……。



「それにしてもリョウ、随分と口がうまくなったな。さては、例の彼女にもこんなこと言ってるのか? ん?」



 そこへ、父さんが突っ込みの不意討ちを仕掛けてくる。油断していた僕は、口に含んでいたお味噌汁を吹き出してしまった。



「リョウってば、いくつになっても落ち着きないわねぇ。もう十九歳になるっていうのに、こんなに零しちゃって」


「ち、違うよ! 父さんが変なこと言うから!」


「ん〜? 焦ってるところを見ると、図星だったようだな〜? 父さんにはお見通しだぞ〜?」


「母さんにもよ〜? ご飯が終わったら、たっぷり聞かせてもらうからね〜?」



 んもう! 二人していつもこうやって、からかうんだから!!



 母さんに零した味噌汁を拭いてもらった僕は、恥ずかしさで自分でもわかるくらい真っ赤になった顔を隠すように食事に集中した。


 けれどこうして目を逸らしていても、二人の優しい視線をひしひしと感じる。


 一年ぶりとなる『家族の食卓』は、相変わらずとてもあたたかくて心地良くて、お腹だけじゃなく胸まで幸せな気持ちに満たされた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る