おかえりなさい(三)


 灼熱の外気が肌を刺す。流れる汗も構わず僕は早足で歩き、一心不乱に霊園を目指した。


 冷静になるにつれ、どんどん後悔が湧き上がってくる。


 黙ってやり過ごせばよかったのに、何で口にしちゃったんだ。でも、言わずにはいられなかった。両親との思い出がいっぱい詰まった家を、面白おかしく茶化されて遊びの道具にされるのは許せなかった。


 でもでも、あそこはやっぱり大人の対応をすべきだったと思う。もう十九になるっていうのに、ガキみたいに癇癪起こしてお店の中で大声出すなんて。でもでもでも、すごく腹が立ったし嫌だったし、でもでもでもでも……。


 でもでもデモ行進を頭の中でぐるぐる続けていたら、思考の摩擦で更に暑くなってきた。ミネラルウォーターのペットボトルを取り出してみると、何ともう一口しか残っていない。うわあ、水も買わなきゃと思ってたのに忘れてたよ!


 僕のバカ!

 後先考えずに怒鳴るなんて、バカの中のバカだよ! おかげでもうあの店には行けなくなっちゃったじゃないか! 来年から、お花どうするんだよ!?


 バカバカ、僕のバカブサショボゲロウンチ!! ……って自分で言って自分で凹んだじゃん。やだもう、泣きたい。


 暑さと渇きと自己嫌悪に煩悶しながらひいこらひいこら進むこと、三十分。古き良き住宅地が緩やかに途切れ、木々に囲まれた霊園の入口が見えてきた。


 入口手前の日陰では、数人の子ども達が遊んでいる。歩くのも覚束ない幼児と思われる年頃の子から小学校高学年の子くらいと様々、服装もバラバラで中には和装の子もいた。


 おでこから垂れ落ちる汗を拭き拭き近付くと、子ども達は一斉にこちらを向いた。



「なーんだ、知らない奴だったー」

「つまんなーい。母ちゃん、まだかなー」

「しょーがないよ。来るまで遊んで待とう?」

「そうだ、今度は皆で『ニャンニャン侍』して遊ぼうぜ!」

「わーい、さんせーい!!」



 僕の姿を見てひとしきり不満を零してから、彼らはまた遊びを再開した。


 毎年遭遇する、恒例の光景だ。


 メンバーの顔ぶれや人数に変化はあるものの、この霊園の前にはこうして子ども達が集まっている。きっと見知らぬ子にも声をかけて誘い合い、お友達の輪を広げているんだろう。


 それにしても、『ニャンニャン侍』って何だろ?


 ちょっと気になって、僕は出入り口側にある水場で渇いた喉を潤しつつバケツに水を汲みながら、そっと観察してみることにした。


 で、わかったのは『ニャンニャン』という言葉で指差された人は、そのまま誰かをまた指差す。『ニャンゴロニャン』と言って指差されたら、その両隣が両手で猫耳を作って『ゴロゴロ』と答える。『ニャンニャン侍』という掛け声がきたら、全員で立ち上がり侍みたいに斬り掛かるポーズをした後に猫の手を真似て『ニャンニャン侍!』と叫ぶ……とまあ、こんな感じの遊び。


 僕が子どもの時にも似たような遊びが流行ってたっけ。確か『まんだみつるゲーム』っていうの。『まんだ!』『みつる!』『むほむほ!』の繰り返しをひたすらやってたなぁ。懐かしい。


 微笑ましい子ども達の姿をひとしきり眺めてから、僕はバケツと柄杓を持って、霊園の苔生した石畳を歩き始めた。


 途中、様々な人にすれ違う。


 仲良く語らうお年寄りの夫婦、ぼんやり佇む女性、欠伸しながら寝転んでいるおじさん、墓石に乗ってはしゃいでる小さな女の子。


 年齢や様相はバラバラだけれど、多くが白装束だ。そして、その殆どの人の姿が『透けている』。



 猛暑による警告が出ている中、最も暑さが厳しくなるこの時間帯にこんなにたくさんの人が墓参りに来ることなどありえない。



 今現在、この霊園内にいる人間の中で、生きているのは僕だけ。外で遊んでいた子ども達も『生きた者ではない』。



 僕には『普通の人には見えないモノが見える』のだ。



 この能力のおかげで、散々な目に遭った。それだけでなく、自分に関わる人まで散々な目に遭わせてしまった。


 何故なら、僕のこの能力は『近くにいる人にも影響を与えてしまう』から。


 でも中には、強い守護霊に守られているおかげで被害を受けない人や、気にしないと言って側にいてくれる人もいる。


 その数少ない例外の代表が、マイスウィートハニー・ハルカだ。


 そういえばハルカ、今頃何してるんだろう?

 全然連絡ないから、逆に僕の方が心配になってきたぞ。お盆だからご両親と一緒にいるはずだけど、ハルカは可愛くて人当たりも良いから誰かに見初められて熱く激しく誘惑されていてもおかしくない。



 どうしよう……ハルカのあの大きくて形も良いワンダフルファビュラスオパーイが知らない奴に狙われていたら…………!



「リョウ、久しぶり!」



 物思いに耽っていたところにいきなり声をかけられ、僕は思わず飛び上がった。


「そんなにビックリすることなくない? さては、えっちなこと考えてたな〜?」


 振り向くと、声の主であるセーラー服の女の子がいたずらっぽく微笑んでいる。


「そ、そんなこと考えてないし! 僕はえっちじゃないし!」


「ウッソだぁ。じゃあ、確認してみよっか?」


 そう言って彼女は、制服のスカートの裾を摘んでゆっくりまくり上げ始めた。



 ままままさか、ぱぱぱぱぱんつを見せようとしてるのか!?

 ぎええ、何てことをっ!!



「ダダダダメダメダメ! おおおおぅっおっおっ女の子がそんなはしたないことしちゃダメ! 大人をぉうっふっ、かっからからからからからかわないのっ!」


「やだ〜、太腿チラ見せしたくらいで焦っちゃって可愛い! エロガキ丸出し! 大人っていっても、リョウはまだ未成年じゃん。それに、年齢なら私の方が上だよ?」



 長い黒髪を揺らし、彼女は小首を傾げてみせた。


 見た目は中学生くらいだし、行動も言動もあどけない。だけど今みたいにふと覗かせる表情には、どこか達観したものがあった。



 そう、彼女も生きた者ではない。


 他の皆と同じくここで家族と会えるのを待っている、『お彼岸帰りの幽霊』なのだ。



 それを思い出した僕は、話題を逸らそうとコンビニ袋を彼女に差し出した。



「はい、マコちゃん。いつものお花。好きなの選んで」


「わ、やった! ……あれ、何か去年までとラインナップ違うね?」


「うん、通ってたお花屋さんがコンビニに変わっちゃったんだ。気に入ったのがなかったら、ごめんね」



 セーラー服の女の子の幽霊――マコちゃんはコンビニ袋を覗き込んでいた顔を上げ、にっこり笑った。



「大丈夫、お手入れもちゃんとされてるし素敵なお花ばかりだよ。お店が変わっても、お花は変わらないみたいね。ふふ、どのお花も可愛くて迷っちゃうな」



 初めて出会った時に『そのお花、一つちょうだい』とねだられてから数年。ここに来たら毎回彼女に花を一輪プレゼントし、ついでに他愛もない話をする。気が付けば、このひとときも僕の墓参りの一部となっていた。


 マコちゃんは花束をじっくり吟味してから、ラベンダーホワイトのアイリスを一輪選び取った。


「今年はこれにする。リョウ、ありがとね!」


 アイリスを宝物みたいに両手で包みながら嬉しそうに跳ねる彼女を眺め、僕はほっと胸を撫で下ろした。良かった、マコちゃんが気に入ってくれるかどうか不安だったんだ。



 彼女について知っているのは、自ら名乗った『マコ』という名前と中学生の時に亡くなって、生きていれば僕より年上だったということ――それと、花が大好きなことくらいだ。



 どうして死んだのか、このお盆にはちゃんと家族に会えているのか、そもそも家族という存在がいるのか、彼女は何も言わない。僕も聞かない。


 ただ一輪の花を欲しがり、それを手にすると喜び、満足したら消える。そんな気まぐれな子だ。


 マコちゃんの笑顔が徐々に透明になり、周囲の景色と同化していく。彼女の姿が完全になくなるまでを見届けると、僕は再び歩き始めた。


 目的地は、霊園の隅っこにある真壁小目石のお墓。この下に、僕の両親は眠っている。


 ここに来るのは一年ぶりだ。

 けれど僕以外に訪れる者はいないにも関わらず、墓石だけでなく周囲まできちんと清掃されていて、とてもきれいだった。母方の叔父さんが、毎年手を回してくれるおかげだ。僕を引き取って手放したあの時から、本人は一度も来ていないと思うけど。


 その証拠に、お供えの類は一つもない。花も線香もないまま、強い陽射しを照り返して目を射る墓石の輝きはひどく寒々しく、そして悲しいくらい孤独に見えた。


 そんな気分を振り払うように、僕はボストンバッグからタオルを取り出してバケツの水に浸して絞り、丁寧に墓石を拭いた。


 それから花を供えて、持参したロウソクと線香に火を灯す。近くにコンビニができたならロウソクセットをわざわざ持ってくる必要はないんだろうけど……でも、もうあの店には行けないよなぁ。斉藤さんに会うの、気まずいし。来年のために、お花屋さんも探しとかなきゃ。


 ため息を一つついてから、僕は結城家と掘られた墓石の前にしゃがみ、手を合わせた。


 けれどこの行為は、ただ形式に則っただけのもの。


 この石の下には、確かに父さんと母さんの骨が納められている。だけどここには、父さんと母さんはいない。


 そうとわかっているから、僕はお参りを短時間で切り上げた。



 バケツと柄杓を返却して出入り口を抜けると、子ども達はまだ『ニャンニャン侍』をして遊んでいた。


 早く彼らの元にも家族が迎えに来てくれるよう祈りながら、僕は楽しげに笑い合う子ども達を通り過ぎ、霊園を後にした。

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