おかえりなさい(二)
八月十五日。
僕は早起きして最寄り駅で始発の電車に乗り、故郷の街へと向かった。
小学生まで過ごした場所は、現在住んでいるところからかなり離れているため、早めに出発しなくてはならないのだ。
幾度か乗り換えをし、地元のローカル線の古びた鈍行列車に乗る頃にはもうお昼過ぎ。
お盆にも関わらずガラガラの座席に座ると、僕はポケットからスマホを取り出した。
確認してみても、通知はない。
離れている時はいつも卓球の試合じみた高速のラリーが求められるハルカからの連絡も、今日ばかりは控えめだ。
早朝に家を出て、彼女が起きた頃合いにこれから実家に向かう旨を伝えたメッセージに、『気を付けてね』と返ってきたきり、音沙汰無し。
自分の目の届かないところにいると『どこにいる? 何してる? 誰といる? 環境は? 状況は? 形勢は?』と執拗に尋問し、何度も動画を送らせ、GPSで確認した僕の現在地との相違をチェックするなどして深淵の如き嫉妬深さを惜しみなく披露する彼女も、毎年この帰省の際に限っては気を遣ってくれる。
でも……今年は輪をかけて静かだ。静かすぎて、逆に不安になるくらい。
もしかしたら、鍵の件で詰め寄ったことを気にしているんだろうか?
確かにアレは真夏の暑さも吹き飛ぶくらい怖かったけど……あの後、ハルカは密かに自分を責めていたのかもしれない。怖いけど、本当に優しい子だから。とてつもなく怖いけど。
だとしたら、気にしないでいいよって伝えた方が良いよね。今更だけど、僕の方からさりげなくフォローしておこう!
…………と、勢い込んでメッセージ画面を開いたものの、良い文面が思い浮かばずモダモダしていたら、目的地である駅の到着アナウンスが流れた。
んもう、いつもこうだ! これだから、いつまで経ってもダメ彼氏なんだよ!
あわあわと荷物を抱えて無人駅に降り立てば、強い潮の香りが出迎える。この駅は海のすぐ側にあって、海水浴場も近いのだ。
潮風が鼻腔に突き抜けると同時に、懐かしさがぐっと胸を衝く。
幼い頃に両親とここへ海水浴に来た記憶が蘇って――コラコラ、リョウ! こんなところで涙ぐむんじゃない!
いくつになっても甘ったれだって、父さんと母さんに笑われちゃうぞ!?
僕はゴシゴシ顔を擦り、駅があるとは思えないほど閑散とした道を歩き出した。涙の代わりに、たちまち汗が噴き出す。今年の夏の暑さは、本当に堪える。でもおかげで、子どもじみた感傷もきれいさっぱり洗い流されてしまったから良しとしよう……。
最初の行き先は、駅近くにある小さな霊園。道の途中にある花屋で花を買って、訪れるのが常――なのだが。
「……あれ? え?」
花屋にとっては今が最高の繁忙期。なのに、店舗のシャッターが閉まっている。
民家の隙間にポツンと佇む小さな店舗の上部には、看板が剥がされたらしい形跡もあった。
ウソ……移転したの? それとも閉店? 予想外なんだけど!
そこで僕は錆びたシャッターに貼り紙があるのに気が付き、慌てて駆け寄った。
『長らくご愛顧いただきました「おはなのサイトウ」は六月をもって閉店しました。お花がご入用の方は、当方が経営しておりますコンビニエンスストア「ボブ&サム
つまり、花屋さんからコンビニ経営にジョブチェンジしたということらしい。
これも時代の流れというやつか……昔ながらの古き良きお店って感じで、好きだったのになぁ。
落ち込みつつも手書きの地図が記載されていたので、僕は取り敢えずそのコンビニに行ってみることにした。多少回り道することにはなるけど、場所はそんなに離れてないし、元がお花屋さんなら他のコンビニに比べたら品揃えも豊富かもしれないもんね。
地図に書いてあった通り、細い路地から表通りに出るとすぐにお目当てのコンビニは見付かった。
「いらっしゃいませー、ボブ&サムへようこそー」
「シャーセー、ボッサムっこそー」
店に入れば、生き返るような涼しさと共に二人の店員さんによる対照的な挨拶に迎えられる。
チラリとレジを見ると、人の良さそうな優しい顔立ちの中年女性とド金髪にゴリゴリメイクのヤンキーっぽいギャルの姿があった。
あ、あのオバサンは見覚えがあるぞ。閉店した花屋にいた人だ。
うん、レジはオバサンの方に並ぼう……ヤンギャル怖い。オバケより怖い。
メデューサの目を盗むようにヤンギャルの視線を避けながら、唯一の特技である存在感のなさを駆使して目立たず控えめにレジの間に置かれた花を物色していると――ふと、背後から声が聞こえてきた。
「おい……あれ、
途端に、僕は凍り付いて動けなくなった。
「は? ユーキ? 誰?」
「お前の知り合い?」
「え、お前ら覚えてねーの? 小学校の時にいたじゃん。結城リョウ。四年生の途中で、いきなり転校してった奴」
声は三つ。どれも自分と同年代と思われる若い男子三人組。どうやら、僕の同級生らしい。
そうとわかっても、いや、そうとわかったからこそ、僕は声をかけるどころか、振り向くこともできなかった。
「あー、いたかも。親が死んだとかで転校したんだっけ?」
「あれ、同時期に転校したのって『二人』いなかった? 俺は『二人して頭がおかしくなった』って聞いた覚えがあるけど」
「そういや『オバケに呪われた』みたいな噂あったわ。今思うと、くっだらねーよなあ!」
下世話な言葉と笑い声が、背中に突き刺さる。
早くこの場を離れたくて、僕は震える手で花を二束取り、ぎこちない足取りでレジに向かった。
ところが。
「え、マジで結城じゃん! 小学生ん時から全然顔変わってねーし! 超ウケるー!」
計画通りオバサンのところに並んだのに、ヤンギャルが駆け寄ってきて、僕の顔を見るなり大声で叫んだではないか!
頭が真っ白になって固まる僕に、ヤンギャルは日焼けした顔を綻ばせ白い歯を見せて笑った。
「あたしんこと覚えてねーの? 同じクラスだった
さ、斉藤? 斉藤エミさん?
同姓同名のクラスメイトは確かにいたけど……でも僕の知ってる斉藤さんは、休み時間はひっそり一人で絵を描いているような大人しい子だったぞ? あの斉藤さんが、このヤマンバに若さを与えて現代に蘇らせたみたいなストロングギャルに進化を遂げたというの?
面影なさすぎて、全く少しもちっとも結びつかないんですが!
「メイクしてっからわかんねーのも仕方ねーか。めっちゃ盛ってっかんね」
「本当に、あんたは化粧濃すぎなのよ。盛りすぎて原型留めてないんだもの。同級生が誰だかわからなくて戸惑うのも無理ないわ」
そこへすかさず、彼女の隣でレジをしていたオバサンが僕のフォローをしてくれた。
「うるっさいなー。遊びの誘い断ってお店手伝ってんだから、文句言うなよなー」
「ちゃんとバイト代、出してるでしょ。そっちこそ文句言わずに仕事なさい。娘だからってサボってたら承知しないからね!」
え……この二人、親子なの?
そっか、『おはなのサイトウ』って斉藤さんの家だったんだ。
「同級生と久々の再会なんだから、ちょっと話すくらいいいだろ。結城、花買ってくってことはこれから墓参り? てか、今何してんの? どこ住み?」
お釣りを手渡し終えたマザー斉藤さんが向こうのレジに移動したのを良いことに、ストロング斉藤さんは好奇心に目を輝かせながら身を乗り出してあれこれ尋ねてきた。うわぁ……面倒臭いことになってしまったぞ。
曖昧に笑って濁すしかない僕だったけれど、そこに救世主が現れた。
「マジで斉藤!? 俺、覚えてない? 六年で同じクラスだった
「俺も同じクラスにいた
「同じく三組仲間の
僕を押し退け、斉藤さんに笑顔で捲し立てるのは、先程までこそこそ話していた三人組。いつのまにか僕の後ろに移動して、会話を盗み聞きしていたようだ。
「えー、声かけられるまで気付かなかったよ。三人共、めっちゃイケメンになってんじゃん!」
「じゃ、そんなイケメン達と遊びに行かね? 仕事終わるまで待ってるからさ」
「いいね! ついでに暇してそうな女の子に声かけてやんよ。人数は多い方がいいもんな!」
「やっりー! 実は超退屈してたんだよ〜。実家にいても、なーんにもやることなくてさー」
「海はもう旬終わったし、遊ぶとこもねーし、これからどうすっかな〜って悩んでたんだよな。斉藤、マジ女神!」
こんな感じでプチ同窓会が始まってしまったのをいいことに、僕は皆が盛り上がっている隙に忍び足で店を出ようとした。
「あ、結城も来いよ! 墓参り終わったら、ここに集合な!」
しかし、入店音に反応した斉藤さんに目敏く発見されてしまった!
ゲームでいったら、逃げるを選んだのに逃げられない状況キタコレ!!
えええ……何で僕を誘うの?
僕、あなた達と仲良くなかったし、名前も今初めて知ったくらいのレベルなんですが。
「え……あの、いや、僕は」
何とか断る理由を考えようとしどろもどろになっていると、斉藤さんは更に追撃してきた。
「でかいバッグ持ったまんまだし、まだ泊まるとこも決まってないんじゃねーの? 任せろよ、二つ返事で泊めてくれるゆっるーい女の子紹介してやっから」
ゆっるーいって、その子のお家が誰でも大歓迎な親切な家族ばかりってこと?
それとも、その子自身が……いやいや、ダメダメ! 僕にはハルカという大切な彼女がいるんだってば!!
狼狽える僕を見てもうひと押し! と思ったのか、斉藤さんはニヤリと笑って続けた。
「この辺、宿泊できるとこ少ねーから、今の時期はどこもいっぱいだぞ? クソ暑い中、野宿は嫌だろ? それともまさか……あの『オバケ屋敷』に泊まるつもりだった、なんてこたぁねーよなぁ?」
オバケ屋敷。
その単語を聞くや、僕の顔から血の気と共に愛想笑いまでもが引いて消えた。
「え、オバケ屋敷ってまだあんの?」
斉藤さんに最初に話しかけた田中くんとやらが、楽しげに食い付く。
「フツーにあんよ。周りは皆引っ越したし、誰も住んでねーみてーだけど」
「ウッソ、もうとっくになくなってんのかと思ってた!」
「取り壊そうとしたら祟られるとか? やっべー、こっえー!」
皆が盛り上がる中、僕は出入り口に佇んだまま小さく震えていた。
オバケ屋敷という言葉が頭をぐるぐる回って、止まらない。
オバケは怖い。オバケは嫌いだ。
他の誰より他の何より、この僕こそがオバケ嫌いの怖がり最高峰だと断言できる。
でも、あの家にいるのは――。
「そうだ! 今夜は『オバケ屋敷』で肝試ししよーぜ。立ち入り禁止になってっけど、結城がいれば問題ねーだろ? だってあそこ、元は『結城の家』だったんだからさ!」
斉藤さんが笑顔で再びこちらを向いた瞬間、僕は湧き上がる怒りに任せて叫んだ。
「ぼ、僕の家を『オバケ屋敷』なんて呼ぶなっ!」
情けなく裏返った悲鳴に近い声。
それを自分の耳で聞き、自分が放ったものだと認識するや、僕は我に返った。
視線の先では、斉藤さんと仲間達は唖然として固まっている。恐る恐る周りを見渡すと、彼らだけでなく店にいた皆が何事かと僕を見つめていた。
『あいつ、オバケ屋敷の子か』
『例のオバケに呪われた奴ね』
『今更ノコノコ帰ってきやがって、何のつもりだ?』
『両親が死んだのも、あの子が心を病んで転校したのも、全てお前の責任だ。何もかも、お前が悪いんだ!』
皆の目がそう言って自分を責め立てているように思えて――僕は逃げるように店から飛び出した。
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