山の幸フルコース、怪異風味(十三)

「テンちゃんはね、ボクの初めての友達なんだ」



 暁に染まる空を見つめながら、剛真ごうしんさんは静かに語ってくれた。



「こんな山に住んでたから、周りには同年代の子がいなくてさ。町の学校に二時間かけて通ってたんだけど、田舎者ってバカにされて誰とも仲良くできなくて……そのせいで、皆にいじめられてたんだ。あの頃のボクってば、チビでガリガリで気も弱かったからね」



 こんなにガチムキな剛真さんがいじめられっ子だったなんて信じられず、僕は驚いて目を瞠った。



 早朝、剛真さんに連れられたのは、とっておきのお気に入りだという高台。


 山道を登るのは大変だったけれど、迎えてくれた景色は最高に素晴らしいものだった。


 頂上よりももう少し下の位置とのことで、ややせり出した山岸から臨む風景は、両側にはなだらかな曲線を描いて下降していく山の姿があり、前方にはえもいわれぬ色に染まる朝焼けが広がっている。視界に入るもの全てが美しく雄々しく、まるで自然のバルコニーに立っているかのようだ。



 聞けばここは、レイさんにプロポーズした思い出の場所であると同時に――。



「テンちゃんと初めて出会ったのも、ここだった。学校であった嫌なことを家に持って行きたくなくて、帰る前にここでいつも気持ちを落ち着かせてたんだ。そしたらある日、先客がいた。それが、テンちゃん。あの頃のテンちゃんは、ボクよりちっちゃかったんだよ。だから迷子かと思って、『はろー』って声かけたの。肌が赤くて鼻が高いから外国人だってずっと勘違いしてたんだよね。テンちゃんは『はろーって何だ、食い物か』なんて真顔で返してきてさ、思わず笑っちゃった」



 それから二人は、毎日ここで落ち合って遊ぶようになったのだという。



「学校でいじめられてること話したら、テンちゃんは『泣くほど嫌ならいじめられないくらい強くなれ』って励ましてくれたんだ。それから体を鍛えたり、武術や剣術を教わったりしたの。でもテンちゃんは山遊びの天才だから、特訓っていっても面白いことばかりしてたよ。足腰の鍛錬だ〜って鬼ごっこしたり、戦闘訓練だ〜って野生動物捕まえたり。テンちゃんといると、いつも楽しかった」



 しかし、そんな日は長く続かなかった。


 そう――嵐が来て、剛真さんの家が全壊したのだ。



「あの日……いつもみたいにここに来たら、テンちゃんはじっと空を見てた。すごく怖い顔で。やっとボクに気付いたかと思ったら、彼は大きな嵐が来るって言ったんだ」




『俺には止められない。自然の力を、止めることは許されないんだ。でも、ゴウちゃんを助けたい。ゴウちゃんに死んでほしくない。だから逃げろ。今なら間に合う』



 真剣な表情で彼に告げられた剛真さんは、正直戸惑った。



『嵐なら今までも何回も来たよ。畑は荒れたけど、皆大丈夫だったよ。なのに、どうして?』


『今回の嵐は今までと違う。いいから、俺の言うことを聞いてくれ』



 彼は泣きそうな声でそう訴え、それから剛真さんを抱き締めて耳元に囁いた。




『夜までに町に逃げるんだ。大人が納得しないなら、こう言え――――天狗の子に、お告げを賜った、と』




 え? と、体を離して彼を見ようとしたら、天狗は腰に差していた団扇で剛真さんを扇いだ。


 強烈な風に閉じた瞼を再び開いてみると、剛真さんは一瞬の内に高台から自分の家の前に移動していた。



「空を見上げたら、テンちゃんが浮かんでた。背中から生えた翼で、飛んでたんだ。テンちゃんに翼があるなんて知らなかったし、初めて見た。ずっと、ボクには隠してたんだ……人間じゃないってことも。ボクは泣きながら、何度も彼の名前を呼んだ。でもテンちゃんは、そのまま行っちゃった。もう会えないのかもしれないって、子供心にも何となくわかって……涙が止まらなかった」



 剛真さんは言われた通りのことを家族に伝え、町に避難した。嵐が過ぎて戻ってみると、家は見事に倒壊していた。


 『天狗のお告げ』がなかったら家族全員、命はなかっただろう。



「家族には感謝されたけど、ボクは悲しくて悲しくて堪らなかった。家と一緒に、テンちゃんとの繋がりもなくなったみたいに思えてさ。それからあちこちの町を転々として、何年か経ってやっとここに来られたんだ。けど、テンちゃんには会えなかった。ボクが泣き虫で甘ったれでひ弱だから愛想尽かされたんだ、天狗の友達として相応しくないって思われたんだ、ってすごく落ち込んだよ。でも、だったらテンちゃんみたいに強くなろう、そしたらまた友達になれるはず、って一念発起して、心と体を鍛えたんだ。けど…………それでも、ずっと会えなくて」



 剛真さんの横顔が、悲しげに歪む。



「…………ボクが大人になったせいで、テンちゃんのことが、見えなくなっただけだったんだね。テンちゃんは、いつも側にいてくれたんだ。ボクが気付いてなくても、ずっと」



 僕は黙ったまま、剛真さんが視線を向ける山々の雄大な景色を眺めた。眩い太陽は既に木々の影から離れ、豊かな稜線を照らしている。



「リョウくん、ありがとう。リョウくんのおかげで、テンちゃんにまた会えたよ。とっても嬉しかった。本当にありがとうね」



 剛真さんが笑顔でお礼を言う。


 その表情はひどく穏やかで、先程までと違い――――悲しいくらい、大人の顔だった。



 剛真さんはもう子どもではない、立派な大人だ。



 だから昨日の僕の発言を、彼女の父親とその友人の頼みだから面と向かって断れなかったのだ、と大人らしい判断をし、大人として受け止めたのだろう。


 そして僕に、無理強いするつもりはないよ、ここまでで十分だ、と暗に訴えるためにここに呼んだに違いない。



 昨夜の親友と同じく、頭を下げてでも縋りたい気持ちをぐっと抑えて。




「ら、来年もまた連れてきてください。次は僕も、もっと皆のお手伝いできるよう頑張ります!」




 だから僕は、剛真さんに言い聞かせるように、昨日と同じ言葉を繰り返した。



「え、でも……いいの? ここ、変なのいっぱいいるみたいだし……僕のために、無理することないんだよ?」


「無理してなんかいません。僕も、この山が大好きになったんです。だから……また来たいんです。ハルカと、レイさんと、剛真さんと皆で一緒に」



 これは、紛れもない本音だった。



 野生味溢れるロープウェイ、珍妙な山の幸、魚釣りじゃなくて魚掴み、美しくも厳しい自然と――ちょっと迷惑だけど憎めない妖怪達。



 また来たい、見たい、会いたい、感じたい、味わいたい、楽しみたい――心からそう思った。


 だから今度は『僕の方から』、お願いしたのだ。



 剛真さんは逡巡するように目を瞬かせていたけれど、やがて固い表情は柔らかく解け、岩のようにゴツい顔に笑みの花が咲いた。



「ありがとう、リョウくん! ボク、単純だから真に受けちゃうよ? 本当にまた連れて来ちゃうからね?」


「はい、お願いします! 男同士の約束ですよ?」



 僕も釣られて、笑顔で答える。



「ウフフ、男同士の約束かぁ……嬉しいな。それじゃ来年は、テンちゃんと三人で『男の遊び』しよっか? レイちゃんとハルカちゃんには内緒で」



 途端に、剛真さんは悪戯を企む悪ガキみたいな表情で僕に迫った。




 え?


 女子には内緒の『男の遊び』って……ええ!?




「やっぱり『相撲』は男同士じゃないとね! レイちゃんとハルカちゃんに言ったら、絶対に自分達もやりたいって言うでしょ? 二人共すごく強くて、ボクなんかも平気で投げ飛ばすけど、でもテンちゃんは女の子相手だと本気出しにくいだろうからさ。しかもプライド高いし、負けたら拗ねて、また顔見せなくなっちゃうかもしれないもん」




 ああ、相撲。

 はいはい、相撲。


 相撲、ですよねー……。




 変な期待して『美女妖怪とムフフなムフフでムフフのフ』なんてこと考えちゃった僕を、サトリちゃんに殴っていただきたい!



 こんなだから、ハルカにも『清らかムッツリ爽やかドスケベ』なんて言われちゃうんだよ……。


 これからは気付かれないようにもっと注意して、ハルカのオパーイを盗み見なくちゃ。

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